次の日、平然な顔をして訪れた俺に、びっくりした表情を向けた。
終わりと告げたのに、のこのこと会いに来た俺に心底驚いているといった表情だ。
しかし、その日は口を聞いてもくれなかった。
「帰って」
その一言が冷たく胸に刺さった。今までの優しい凜からは聞いたことのないような、冷たい声でやけに耳に残っている。
それから学校が終わると、毎日凜の病室に通った。俺は配慮という感情をどこかに置き忘れてしまったらしい。開き直った俺のメンタルほど強いものはない。
拒否されることも、ふられることも、何も怖くない。
心を支えてくれるのは凜からもらった「好き」の一言だ。彼女が俺を好きだったなんて、夢にも思わなくて。その事実だけで俺はなににでも立ち向かっていけると思った。
さすがに毎日来ると、少しずつ話をしてくれるようになった。俺の粘り勝ちだ。
いつの日からか、看護師さんたちにも認知さていた。「今日は話してもらえた?」と帰り際に聞かれるので、どうやら俺たちの関係性も知っているようだ。たびたび同情するような優しい眼差しも感じるので、それが確信に変わる。
この日もいつもと同じように病室で凜と話してた。そろそろ帰らないと凜の母と鉢合わせしてしまう。そう思って帰ろうと腰を上げた瞬間だった。
病室のドアが開く音に肩がビクッと反応した。慌てて振り返ると、そこにいたのは凛の母親だった。瞬時に全身に緊張感が駆け巡る。どんな罵倒が来るのかと身構えた。
「……こんにちは」
「え、あ。こ、こんにちは」
何でここにいるの!と怒鳴られると思ったので、普通の挨拶をされて拍子抜けしてしまった。
「あの……」
「桜木くん? 少し話せる?」
記憶に残る凜の母は怒鳴りつける姿だけだった。こんなに優しい声だったなんて、予想外で警戒心は簡単に薄れていく。
残される凛は不安そうな表情を浮かべていたので、「行ってきます」そう強く言葉を残した。
凛と以前にきた談話室だった。誰もいない空間。静寂が広がって居心地が良くはない。数日ぶりに見た凜の母は、酷くやつれて見えた。嫌悪感しか抱いていなかったのに、心配してしまうほどだ。
「あなた……毎日来てくれてるのね」
それは拍子抜けするくらい優しい声だった。内密に来ていたつもりだったが、その口ぶりからは、完全にバレていた。しかし、怒る様子は見られなかった。分かっていたのに、見守っていたということだろうか。
「あの……。 凜のことなんですけど……」
「あなたも凜から自由を奪ってしまっているって思う? 凜にも言われたのよ。縛り付けるのは愛じゃないって……」
視線を一度も合わせようとせず言葉を綴った。猫背に丸まった肩は震えていた。
その声はあまりにも優しくて震えていて。
責め立てる気など起きるはずがなかった。この時、ようやく俺の中で気になっていた点と点が繋がった。
「毒親」だと先入観で決めつけた。知れば知るほど違和感が募っていた。凛の母が制限をして縛り付ける。その裏側にある深い愛に気づきはじめていた。
「……お母さんは、誰よりも凛のことを思っていたんですよね、」
恐る恐る言葉を選びながら放つ。
凛の母は俯いた顔を上げた。驚いた表情で俺を見つめる。そして、俺はゆっくりと言葉を続ける。
「凜が受けた手術のことを調べました。妊娠にリスクがあることも知りました。恋の先には、結婚があるから。結婚の先には出産があるから……恋を禁止させたんですか?」
「……」
返事はなかった。
言葉の代わりに嗚咽が聞こえてきた。小さい背中が震えている。答えを聞かなくても分かった。凜の母親がなぜ凜を縛り付けていたのかを。
「いただきます」と手を合わせて挨拶を欠かさない。それは俺の母が褒めるほどだ。凛のことを考えれば考えるほど、様々なところに育ちの良さが出ている。きっと幼いころからしっかり躾をされていたのだろう。
仕事が終わって走ってまで毎日お見舞いに来たり。髪の乱れをバレないように病室の前で整えたり。
きっと、凜に余計な心配を掛けたくなかったのだろう。