「桜木くん?! やだ! こんなところで何してるの!」

 どのくらいその場にいただろう。放心状態の俺は、看護師さんの声でやっと我に返った。なかなか動かない俺の腕を無理やり引っ張られた。反動で重い身体が立ち上がる。

「まずいよ! 凜ちゃんのお母さんきてるんだから」
「え、」
「今病室に入ったから、このまま帰って! もし桜木くんを案内したのバレたら私が怒られるんだよ」

 そう言いながら俺の背中を押して、強制的に歩かされた。
 思春期の男子高校生が泣いているのに、何1つ触れこない。病院という場所が涙に慣れさせるのか。この人が他人を心配する人ではないのか。いずれかは分からない。
 
「あの、凜のお母さんってどのくらいの頻度でお見舞いに来てるんですか?」
「え、毎日だよ?」
「……毎日」
「仕事もしているみたいだから、終わってから走ってくるんだよ。ナースステーションを通るときは気にもしないのに、凜ちゃんの病室に入る前は、乱れた髪を治してから入るの」
「へえ、」
「走ってきたことを見せたくないのかなあ。娘に心配を掛けたくない親心かな? まだ子供いないから分からないけどねー」

 からりと笑って説明した看護師さんの言葉が、胸の奥で突っかかる気がした。理由は分からない。気になる糸口は気づけなかった。俺は言われるがまま病院を後にした。