「凜、大丈夫か? 発作か?」
「う、っうん。……さっくん。ごめ、ま、っ巻き込んじゃって」
「いいから! そんなことは……えっと、どうしたら。きゅ、救急車」
震える手でスマホを操作した。救急車を呼ばないと。急がないと。そう思えば思うほど、震える手のせいでスマホの操作が遅くなる。凜が発作で苦しんでいる中、放心状態の凜の母親は立ち尽くしたままだ。横目で確認して、すぐに凜に視線を戻した。
「あ、あの。発作が。心臓に疾患を抱えていて。えっと、車もないし。どうしていいか分からなくて。苦しそうなんです。意識はありますか? って? 分からないっすよ! とにかく苦しそうなんです!」
自分でも何を話したのか覚えていない。無我夢中で救急隊に連絡した。この場合に救急車を呼ぶのが正解なのかもわからない。救急車が来るのをひたすらに待った。
その間も凜の顔色は次第に悪くなっていく。知らないって怖い。医療知識の欠片もない自分をこの時は心底責めた。知らないと正しい選択肢が出来ないのだ。
凛の異変に気づいた周囲の人が集まってくる。好奇の目にさらされる。俺は必死で凜の身体を抱き寄せた。
怖い。凜がこのまま死んでしまうのではないかと、怖くてたまらなかった。
「大丈夫か? 僕のカバンを枕代わりにして横に寝せよう」
放心状態の俺に、年配の男性が声を掛けてきた。その声は落ち着いていて、不信感を感じることはない。
「僕は医師です。救急車呼んだんだね。咄嗟の判断で偉いよ」
「……は、はい」
震える声で返事をした。医師だと名乗る男性が現れて、やっと少し落ち着きを取り戻した。俺は無我夢中で発作が起きた凜を抱きかかえていたらしい。
間違いだらけの介抱を怒ることなく、淡々と凜の状況を聞かれた。
できれば怒ってほしかった。好きな人を助けることができない無力な俺を。誰かが怒ってくれないと、やり場のない怒りで頭がおかしくなりそうだ。
ピーポーピーポー。
サイレンの音が次第に大きく聞こえてくる。近づいてくることへの安心感が募る。サイレンの音に安堵感を覚えたのは、今日が初めてだ。
「ご家族の方は……」
「……」
「凜のお母さん! おばさん! 救急隊の人が呼んでますよ!」
救急隊の人の声に反応を見せない凜の母親に投げかけた。俺の声が届くと、ハッとしたようにぼーっとしていた顔を上げた。救急隊の人に促されて救急車に乗り込んでいく。
救急隊に促されて、やっと正気を取り戻した凜の母は救急車に乗り込む。さっきまでの暴走はなかったかのように、娘を心配する良い母の仮面をつけていた。
俺は走り去る救急車の背後を見送るしかできない。
遠くなっていくのを見つめながらも、手と足の震えが止まらない。震えを抑え込もうと強く握りしめても、止まってはくれない。あのまま凜の心臓が止まってしまうのではないかと恐怖で心が崩壊しそうだった。
ここにいる誰より心配をしていても。ここにいる誰よりも想っていても。俺は救急車に乗る資格はない。家族ではなく他人だからだ。なんだかやるせなくて、悔しくて、唇をぎゅっと噛んだ。血の味が口の中に広がっていく。
ひたすらに、無事であってくれ。そう願うことしか出来ない。
なんて無力なんだ。
苦しむ凜を目の前に、俺はなにも出来なかった。
凜のために俺はなにができる?
恋がこんなに辛いなんて聞いてねーよ。
誰だよ。恋をしたら人生が色鮮やかに見えます。なんて言ったのは。
こんなに胸が痛くて、苦しいなんて聞いてない。
俺は、胸が苦しくて、痛くて、その場に立っているのがやっとだった。
不甲斐なさを悔いた後は、心に不安という負荷がずんとのしかかる。
頭の中で発作に苦しむ凜の姿がフラッシュバックする。そして、また不安を掻き立てるのだ。
発作に苦しむ凜の映像が鮮明に脳の中に流れ込む。立っているのがやっとだったが、俺の心にも限界が訪れた。身体がふらつくと同時に、膝から崩れ落ちた。冷たく無機質なアスファルトに手を着いた。アスファルトに雫の跡が一滴。二滴と模様を作っていく。俺の涙だ。
俺のせいで、凜は――。
途轍もない恐怖が全身を支配している。手や足。全身の震えが止まらない。
発作が起きるなんて、ドラマの世界でしか見たことがなかった。
「私はみんなよりも少しだけ『死』に近い」
そう言って儚く笑った凜の姿が浮かび上がる。
だめだ。どうしても最悪のシナリオが頭に浮かんでしまう。発作で苦しむ凜と「死」が結びついてしまうんだ。
なにも出来なくて苦しい。
助けられなくて悔しい。
地べたにしゃがみ込んで立ち上がれない俺は、道行く人をただ見つめた。
どうしてこんなに人がいるのに、凜なんだ?
どうして真っ当に生きている凜なんだ?
誰も知るはずのない答えを探して、青く広がる空を見上げた。