「彼女ほしいー」

 言霊の力は凄いと、有名占い師がバラエティー番組で言っているのを見た。その言霊の力というものにあやかりたくて、今日も切実な願いを言葉に込める。
 隣を歩く幼馴染の大地は、天井を見上げて場にそぐわない大声で叫ぶ俺に、心底呆れた表情を向ける。わざとらしく吐き出されたため息と共に言葉も零す。
 
「咲弥は毎日そればっかり言ってるな。昨日の告白は……なにちゃんだっけ? 隣のクラスの……」
「天使のように笑顔がかわいい綾乃ちゃんな」
「その天使には、なんて言われてふられたんだ?」
「おい、ふられた前提で話すのやめろよ」
「あー、悪い。で? なんて言われたわけ?」
「……ごめんなさい。だって」
「特に理由なし?」
「なんでだろうな。昨日が厄日だったからだな。今日だったらうまくいっていたかも」
「お前のそのポジティブ思考には呆れるを通り越して尊敬するよ」
「あー。幸せ降ってこないかなー」
「馬鹿だな。幸せは降ってくるもんじゃねーよ? 自分で掴みに行くものだぞ?」
 
 もう一度深いため息を吐いて、大袈裟に呆れ顔を浮かべる。大地がこんなにも呆れ顔をするには理由がある。俺は移り気がかなり多い。女子に少し話しかけられただけで、すぐ好きになってしまう。それは仕方ない。とにかく彼女が欲しいのだ。
 恋とか、好きとか後からついてくるものだろ。とにかく彼女という存在が欲しかった。
 
 部活動に励む生徒、即座に帰宅する生徒。雑談に花咲かせる生徒の声が行き交う放課後。部活に入っていない俺は大地とくだらない話をしながら昇降口を目指していた。身なりの軽さに違和感を感じた。嫌な予感がしてポケットを探ると、入れたはずのスマホがない。


「あー。最悪だ。スマホを机の中に忘れたっぽい」
「咲弥、何回目だよ」
「悪い先に帰ってて?」
 
 俺は携帯をポケットに入れて歩くのがなんだか苦手で、授業中などはできる限り机のなかに携帯を入れていた。そのおかげで、何度もスマホを忘れている。昇降口までたどり着いたが、渋々来た道を引き返す。


「ねー。少しでいいから遊びに行こうよ」
「……困ります。こういうのは。断ってますよね?」


 二階に上がろうと階段に差し掛かった時だった。なにやら、階段の上で男女のもめごとらしいやり取りの声が聞こえてくる。正直、関わりたくない。俺は平和主義でもめ事は嫌いだ。さらに、度胸がまるでない。もめごとに、ヒーローのごとく登場するなんて俺には不可能だ。

「だって、何回言っても凜ちゃん、つれないからさー。無視するんだもん。強行突破!」
「こ、困ります。私は……」

 明らかに困惑している女子の声だった。スマホのある教室に行くためにはこの階段を上らなければならない。もめ事の横を通り過ぎなけらばならないのだ。
 どうするべきか一瞬考えたが、やはり俺は関わりたくない。面倒ことは勘弁してほしい。
 もめ事の男女の横を、無視して通り過ぎよう。最低と言われようとも、俺はその程度の男なのだ。
 このまま知らんふりをしようと思っていた。
 なのに――。
 幸せが降ってきて欲しいと切実に願っていた俺の元に振ってきたのは……幸せではなく、人間だった。

 それはスローモーションのように目の前で繰り広げられた。

「きゃ」

 短い叫び声が聞こえて顔を上げると、頭上から人が降ってくる。
 紺色のスカートをなびかせながら、ふわりと宙に浮いている。こんな状態なのに、反射的にスカートの中に視線が向いてしまうのは、男のさがなのだろうか。

「ごっふ、」

 身体にのしかかる重みのせいで情けない声が自然と漏れた。身体にみしっと重みが食い込む。
 すぐに払いよけたいはずなのに、鼻の奥を刺激する甘い匂いが身体を硬直させた。下敷きにされたまま身動きが取れない。

「ご、ご、ごめんなさい」

 身体にのしかかっていた重みが消えると同時に、か細くて綺麗な声が降ってきた。
 心配そうに俺の顔を覗き込むのは見覚えのある人物だった。

 やはり降ってきたのは幸せだったのかもしれない。そう思わざる負えない。
 太陽とは無縁のように真っ白な肌、艶のあるロングヘア。彼女のことを知ってる。俺じゃなくても、この学校の全員がおそらく知っているだろう。
 
 白雪凛(しらゆきりん)。彼女はこの学校一と断言してもいいくらいの美人。噂はよく耳にしていたけれど、高嶺の花過ぎて話したことはない。至近距離で見るのは初めてだった。

 誰が見ても見惚れてしまうような綺麗な顔、折れてしまうのではないかと思うような細い腕に細い脚。すべての美しさが異次元で、遠目からしか見たことがなかった俺は近くで見る美しい生きモノに固まってしまった。

「あの……? あ、頭とか打ちましたか? 病院……」
「え、いや、だ、大丈夫だから」

 
 声がどもってしまう。それほど、目の前の彼女に緊張していた。ドラマの主人公みたいにかっこいい台詞が全く出てこない。恋愛経験値の低さのせいで咄嗟の時に言葉が出ない。
 

「す、すみません。腕を掴まれて払い避けた拍子にバランス崩してしまって……」

 瞳を潤ませて申し訳なさげに俯く彼女に目を奪われる。簡単に人を惹きつける人って存在するんだ。彼女から視線を逸らせない。見つめ続けたおかげで彼女の異変に気づいた。俯き加減に、苦しそうに胸を押さえている。

「だ、大丈夫か?」
「はっ。……今、心臓がどくん。って……。心臓が――」
「そりゃ、ドキッとだってするよ。階段の上から落ちてきたんだから」

 様子のおかしい彼女に、できる限りの優しい声で問いかける。
 
「だ、だ、だめなの! 私はドキドキしたらだめなの!」
「え? それってどういう……」

 俺が言い終える前に彼女は立ち上がり、俺の言葉を聞くことなく、その場から足早に去っていった。
 彼女の言葉の意味が分からなくて、呆然とその場に固まることしか出来ない。彼女の重みがのしかかった身体は鈍く痛む。身体を支えた両手も熱くなるのを感じた。

 その場に取り残された俺は、今起きた出来事が夢だったのではないかと思った。しかし、身体に残る痛みが事実だったことを教えてくれた。彼女が落ちてきた場所が痛む中、しばらく放心状態で動くことが出来なかった。