「救ってくれ。って……俺、医師じゃないすよ? そりゃあ、助けられるならなんだってしますけど。心臓の疾患を取り除く魔法でもあるなら……」
「助けて欲しいのは、そっちの病気じゃない」
「は? 心臓疾患の他にも病気を持ってるんですか?」

 颯太くんは口を開こうとして静かに視線を逸らした。悩んでいるような顔をして、話すことを躊躇しているようだった。しばらく沈黙が続く。静寂を破ったのは颯太くんだ。ゆっくりと話し出す。

「言い方が悪かったな。病気と言っていいのかは分からない。医学を勉強していくうちに、凜ちゃんと母親の関係は、良くないモノだと改めて感じたんだ。」
「良くないもの?」

 脳裏には凜と、凜を怒鳴る母親の姿が浮かんできた。数日経つが鮮明に思い出せる。

「そうだなー。医師は守秘義務に厳しいからなー。医師としてではなく、幼馴染としてなら話せるかな」

 それはまるで自分に言い聞かせるように言っているように見えた。

「あくまで、凜ちゃんの幼馴染として話すから。……凜ちゃんの母親は極度の心配性だった。それは、産まれつき心臓疾患を持って生まれた凜ちゃんのことを大事だからこそなのかもしれない。ただ、近くで見てると、心配性が度を越しているように見えたんだ。凜ちゃんは制限される生活を強いられている。問題なのは、幼いころから制限をされるのが日常化してしまい、それを異常だと凜ちゃん本人が気づいていないことだ」
「……」
「凜ちゃんは産まれたころから心臓に異常のある『先天性心疾患』を患い生まれてきた。凜ちゃんと会ったのは幼稚園に通っている時だから、赤ちゃんの頃どうやって育てられたのか。それは正直分からない。ただ、俺が覚えている記憶の中で凜ちゃんは、自分の意志を絶対に言わないし。同世代の子と比べると、子供には見えなかった。意思のない人形みたいだった」
「人形って……」
「あー。表現がよくなかったな。でも、俺の中では幼いながらにそう感じていた。外遊びは禁止されて。凜ちゃんが少しでも自分の意見を主張すると、全力で否定された。いつの日からか、凜ちゃんは自分の意見を言わなくなり、母親の言うことだけを聞くようになっていた。子供なのに自分の意見がなくて母親の言いなりなんておかしいだろ? 余計なお世話だと分かっていたんだけど、俺の母さんも凜ちゃんの異変に気づいて心配してた。今も勝手ながら様子を見守っているんだ」
「それって、心臓のせいじゃないんですか? 心臓に疾患があるから普通通りの生活ができないだけで」
「そうだな……最初は純粋に心臓に疾患のある凜ちゃんが心配で過保護なだけだと思った。それに他人の家のことに口出すつもりもなかった。だけど、俺が研修医として勤務している総合病院は凜ちゃんが通院している病院でもあるんだ。だから、カルテを見て……。あー。ここからは言えないや。ごめん。守秘義務」

 頷くだけで何も言えなかった。頭の中には笑顔の凜と、時折見せる儚げな表情で俯く凜が交互に現れた。凛の抱える影が、もう1つあるなんて考えもしなかった。

「昨日偶然会った凜ちゃんの様子がいつもと少し違く見えた。母親がいない時を見計らって聞くと「さっくん」という男の子の名前が浮上した。驚いたよ。今まで女友達も出来たことがなかった凜ちゃんの口から、女友達を飛び越えて、男の名前が出てくるとは」
「なんか……すいません」
「いや、凜ちゃんに変化が起きたとするなら、それは咲弥くんのおかげなんだよ。感謝を伝えたいくらい」
「俺、凜が時々見せる哀し気に笑う表情が気になって。凛には本当の笑顔で笑っていてほしいんです」
「君にだったら、出来るんじゃないかな。少なくとも、咲弥くんと出会った凜ちゃんは、笑うようになった。……ところでさ、咲弥くんと凜ちゃんは付き合ってるの?」
「つ、付き合ってないです」
「付き合ってないのに、家まで来たの?」
「えっと、はい」
「ひゅー。アオハルだなー」

 口笛になり切れない吐き出された空気は音もなく消えた。

「いいね。誰かのため、一生懸命に突っ走れるのは。羨ましいいよ」
「そうですか?」
「そう。大人になったら、今と同じ状況になっても、きっと君は凜ちゃんの家まで来たりしない。大人は仕事やなんだかんだ理由をつけて、一歩引いた状態で状況を見てしまう。誰かのために後先考えず、一生懸命突っ走るのは、高校生の特権なんだよ」
「それ、褒められてるんですかね、」
「褒めてる。少し安心した。凜ちゃんに咲弥くんみたいな光の存在がいてくれてさ。心配だったんだ。自分の意思を持てない凜ちゃんのことを。助けたくても、俺にはどうすることも出来なかったんだ」
「俺、助けたいです。なんか難しくてよくわからないけど、凜が笑ってくれるなら。なんだってやります」

 胸を張って言い切った言葉に、今日一番の笑顔が見られた。なんだか認められたようで安心感を覚えた。
 安心感を覚えた俺は、心の中の気持ちを言葉にしようと思った。
 
「ただ、学校で凜に話しかけても無視されていて、どうしていいのか分からないんです。はっきり『バイバイ』とまで言われちゃったんですけど、このまま疎遠になるのは……なんか嫌で。俺はお金もないし、学生だし、何も力になれないって分かってるけど。なんか、このまま終わりたくないんです」

 胸の中がぐちゃぐちゃだった。無理矢理繋ぎ合わせた言葉はへたくそだった。俺の気持ちの半分も伝わってないだろう。ただ、適当な気持ちで来たわけではないと伝えたくて、じっと颯太くんの目を見つめた。

「そうだよな。キミはまだ高校生で。凛ちゃんを連れ出すことも出来ない。医師ではないから、心臓の疾患を治すこともできない。キミにできることはあると思うか?」
「……正直、自分で考えても見つからなくて。そんな自分が不甲斐なくて」
「……」

 颯太くんはわざとらしいくらい大きく息を吐いた。先ほどまで男泣きをしていたので目は真っ赤に染まったままだ。

「不甲斐なくないよ。咲弥くんは。現に、俺が何年もかけて出来なかったことを数日で成し遂げた。一番大事なのは凜ちゃんの気持ちだな。凜ちゃんはどうしたいのか……」
「えっと、それって……」
「俺たちが無理や割り込める問題じゃないってこと。当人同士が問題ないと思っているなら、他人の俺たちにできることはないんだよ……」
 
 颯太くんの言葉は、真っすぐ浸透する。と同時に自分に出来ることはないのではと、どうしても思ってしまう。不甲斐なくて胸が痛い。

 

「何もできないかもしれないけど……どうしても諦められないんです。凜に避けられて、凜と出会う前の生活に戻るだけだ。そう思うのに、もう、凜がいないとだめなんです」
「……」
「凜の笑顔を見たいんです。笑っていてほしいんです。あんな偽物の笑顔じゃなくて……」
「いいなー。咲弥くんは真っすぐで。凜ちゃんともう一度、しっかり話すといいよ。咲弥くんのその真っすぐな気持ちは、心に響くものがある。凜ちゃんの心にも響くかもしれない」
「……はい」
「あ、連絡先交換しとこうか。これでも、幼馴染として本気で凜ちゃんのこと心配してるからさ。なにか力になれることがあったら協力するから」

 颯太くんは何も言わずに会計を済ませてくれた。彼を見てると、大人の余裕を感じて男から見てもカッコいいと感じる。颯太くんと別れた帰り道、俺の頭の中はぐじゃぐじゃだった。