俺たちは近くのファミレスに入った。
平日の夕ご飯には早い時間帯だからか、お客さんはまばらにしかいなかった。店内は騒がしさはなく、落ち着いた空間が流れている。
「なにか食べる?」
「いえ……。大丈夫です」
「そう? 俺は腹減ったから定食でも食おうかな」
話があると言ったのは彼の方なのに、店員さんに注文をした後は一向に口を開こうとしない。
先に運ばれたブラックコーヒーを飲んで黙り込んだままだ。
対面に座った状態での沈黙は、息が詰まりそうだった。ちらりと視線を向けると唇は閉ざされたままだ。嫌な空気感が流れ、気まずさで居心地が悪い。勝手に頼まれた飲めないブラックコーヒーを喉に流した。苦みが口の中を支配していく。
「あ、ブラックコーヒー飲めなかった? 勝手に頼んでごめんな」
表情に出ていたのかもしれない。ははっと笑いながら悪びれもなく謝っている。
「あの……」
「俺の名前は颯太。さんでもくんでも。好きに呼んでいいよ。ちなみに俺は研修医で歳は凜ちゃんの6つ上かな」
「け、研修医すか。凄いですね……」
「いやー。研修医は一人前じゃないからな。あ、まず最初に言っておくけど。凜ちゃんに恋愛感情はないから。凜ちゃんとは家が隣同士で、家族ぐるみで遊ぶことが多かった。確かに妹みたいに可愛がっていたけど、凜ちゃんが小学生になったころ俺は中学生だよ? 恋愛感情抱いてたらロリコンだよ。ははっ。本当に幼馴染として心配しているだけだから、そんな睨みつけないでよ」
どうやら俺は自分でも気づかないうちに睨みをきかせていたらしい。眉間を指でなぞると確かにしわが寄っていた。
凜に対して恋愛感情がなくてよかった。幼馴染。研修医。爽やかイケメン。勝てる要素が1つも見つからない。負けが確定している相手に、知らず知らずのうちに威嚇していたようだ。
「睨みつけるつもりはなかったんですけど、なんか自然とそうなったみたいです。すみません」
「いいよいいよ。話あるって連れ出してきて黙ってたのは。どこまで話そうか考えていたんだ」
ぽつりと零した。少し前までストーカーだと疑っていた相手に凜のことを話すのは、確かにリスクが大きい。躊躇するのは当然だ。医師を目指すだけあって、しっかりしている人物なのだろう。会ったばかりだがそう感じた。
颯太くんの言葉を待とうと思った。重い沈黙は続いたが、凜のことを考えての沈黙だと分かったので、さっきまでの気まずさは感じなくなっていた。
「お待たせいたしました。唐揚げ御膳です」
にんにくと油の香ばしい匂いが食欲を掻き立てる。お腹は空いていなかったのに、嗅覚が刺激されるや否や、お腹が空いてきた。「いただきます」と手を合わせると、から揚げをがぶりと頬張っている。
おいしそうに食べるので、喉の奥がごくんと鳴った。から揚げを口の中で咀嚼しながら、凜のことを話し始めた。
「凜ちゃんのことだけど。キミはどこまで話を聞いているの?」
「えっと。言っていいのかな。個人的なことなので……」
「すぐに凜ちゃんの情報をペラペラ話さなかったのは、良い判断だな。俺は幼馴染だから、凜ちゃんのことを知っているよ。それに研修医って言っただろ?」
颯太くんが探りを入れているのは分かってた。すぐに病気のことを聞いていると言わなかったのは、彼に言っていいのか判断に迷っていた。お互いに探り合いながらの会話が繰り広げられる。
「君が凜ちゃんの秘密を知っているなら、話したいことがあるんだ」
その目は真剣だった。
この人は信用できると思った。
「……病気のこと知っています。心臓に疾患があることを」
「そっか。キミは本当に凜ちゃんと友達なんだ」
「まだ疑ってたんですか?」
「凜ちゃんの容姿だとモテるだろうからさ。念には念を……信用出来たところで、普段の凜ちゃんの様子を教えてもらえないか?」
「えっとですね……最初は敬語だし、あんまり笑わなくて。でも最近は自分から俺の教室に来て弁当食べたり、カフェに行きたいって凜が言うから、一緒に行って。凄く楽しそうだったり……」
言葉を綴る途中で颯太くんに視線を向けると、瞬きをするのを忘れて目を見開いていた。口の中に放り込まれた、から揚げを咀嚼することも忘れているようだ。静かに話を聞いてくれているのかと思ったが、どうやら驚いて固まっているようだ。
「えっと、颯太くん?」
「その話、本当に凜ちゃんのこと?」
「そうです、よ? この前は屋上の鍵借りてきたって言ったり、その行動力に俺の方が振り回されています」
「り、凜ちゃんが……?」
「はい。……そうですよ?」
様子が変で戸惑う俺の耳に、今度は嗚咽が聞こえてきた。
「……っう。凜ちゃんが……」
骨骨しい大きな手で顔を覆うと、泣き声を上げた。目の前で大人の男性が、男泣きをみるのは初めてで、対応の仕方が分からない。おどおどすることしか出来ない。
俺、変なこと言ったか?
普段の凜の様子を話しただけなのに。
頭の中でいくら探しても、颯太くんが泣く理由が全く分からないのだ。
ひとしきり泣くと、カバンからポケットティッシュを取り出した。止まらない涙と鼻水を豪快に拭いて、大きくため息を吐いた。
「取り乱した。すまん」
「あ、いえ、びっくりしましたけど。俺、なにか言っちゃいました?」
ため息を吐いてスイッチを切り替えたはずの颯太くんの顔が歪む。キリっとしていたはずの眉が、また八の字に下がり始めた。
「ご、ごめんな?……っ、どうにも抑えられなくて。り、凜ちゃんが。凛ちゃんの様子を聞けて嬉しくてな」
泣いた理由を説明してくれたが、俺の中では泣く理由と結びつかなかった。
凜の普段の様子を聞いて泣くなんて。理解ができなかったのだ。俺がひたすら不思議そうな顔をしていたことを察したのだろう。ゆっくりと口を開いた。
「……凜ちゃんと最初に出会ったのは、彼女が幼稚園のころかな。笑わない子で印象に残ったんだ。家族ぐるみの付き合いが増える中、凜ちゃんは日常的に笑わないってことに気づいたんだ。その当時小学生だったけど、子供ながらに心配でな。凜ちゃんは他人の顔色を伺うばかりで、わがままを一度も聞いたことがないし、自分の意志が全くなかったんだ。だから、笑ったり、カフェに行きたいって凜ちゃんが言ったと聞いて驚いて……」
「え、凜がですか? 笑わないって? そんなはず……だって、笑いますよ? 突拍子のない発言して、俺の方が驚くし……」
正直、颯太くんの言っていることが信じられなかった。だって、あの凜が笑わない? 自分の意志が全くない?
俺の記憶の中の凜と全く結びつかなかった。ただ、目の前で喜びを噛み締めるように再び涙を流す颯太くんの姿を見ると、真実だと思わざる負えない。
「凜ちゃんのこと……ちょっと。その、心配してたからさ、少し安心した」
探り探りの言葉に、俺の中で気にかけていた問題と繋がった気がした。
「あの、心配しているのって凜の家のことですか?」
颯太くんの動きがピタリと止まった。その動作に俺の感が的中したのだと思えた。
「……咲弥くんはどうしてそう思ったの?」
「凜を送っていった帰りに、凜の母親に会ったんです。門限を過ぎたのも悪いのですが、怒り方が……その、異常なほどで……気になって」
颯太くんは、探りを入れるように聞いてきたので正直に見たことを話した。話を聞くと、難しい顔をして黙り込む。
「そっか。凜ちゃんの母親のことは、昔からちょっと気にかけていてさ……やっぱりまだ縛り付けているのか」
「縛り付けるってどういうことですか?!」
出てきたワードが衝撃的で、思わず前のめりに問いただす。
「さっき説明した通り、凜ちゃんは感情の起伏を表に出さない子だった。それは凜ちゃんの性格ではなく、凜ちゃんの母親が意図的に制限した生活を強制してたからなんじゃないかなって……」
「制限って?」
「凜ちゃんは心臓に疾患を抱えて産まれてきた。色々大変だったんだと思う。少しでも発作が起きないように、母親が凛ちゃんの感情を押し殺して、行動を制限してたんだ」
「そん、な。凜のためだからって、感情を押し殺すなんて……」
「俺も当時はそう思ったよ。子供ながらに、自由を奪われた凜ちゃんが可愛そうだなって。でもさ、俺は凜ちゃんの心臓を治せる神様でもないし、何もすることが出来なかった」
「……」
「凜ちゃんに笑顔になってほしい。そう思っていたけど、何もできなかったんだ。凜ちゃんが笑うようになったのなら……それは、君のおかげか」
息を吐くように微かな声を吐き出した。信じられなかったが、最初に出会った頃の凜を思い返すと、妙に納得してしまう部分があった。最初に会った凜の表情は強張っていて、あまり笑わなかったから。
「……凜ちゃんを病気から救ってやってくれないか?」
声を震わせて祈願すように向けられた颯太くんの瞳は真っすぐだった。