「さっくん、このまま二人でどこかにいきたいな」
「……どこかって?」
「縛られずに、自由に暮らせるところならどこでも……」
ちらりと凜に視線を移すと、彼女は俺の方を見ようとはしない。果てしなく続く大空を、ひたすらに見つめていた。
初めて言葉にしたであろう。彼女の弱さを俺は受け入れることが出来るのだろうか。
ブーブー……
凜のスマホのバイブレーションが鳴った。
居残り終了の合図だ。その振動の音にいつにもまして寂しさを感じる。
いつもは正面玄関で別れるが、手を繋いだ名残だろうか。まだ一緒にいたいと思ってしまった。
「……凜、」
思わず呼び止めてしまった。呼び止めてしまったが、この想いを伝えることはできない。
固まる俺に優しい声で凜が告げた。
「さっくん、まだ一緒にいたい」
同じ気持ちでいてくれたことに嬉しくて口角が自然と持ち上がる。
「え、でも、凜は門限が……」
「うん。門限がある」
「だったら……」
俺だって一緒にいたい。だけど、凜の門限はしっかり守りたいと思った。
心臓のこともあるし、無理をさせたくなかった。
「帰ろうか」そう促す俺の服の袖を、細い指先でつまんだ。その力は一歩足を進めれば簡単に解けてしまうような、儚くか弱い力だった。俺はピタリと足を止めた。
俺だってまだ一緒にいたい。だけど凜の心臓のことが心配だ。
欲望と理性の狭間で頭を抱えていた。
瞳を潤ませて、期待を込めた眼差しを向けられる。
凜の瞳から逃げられるわけがない。気づけば大きく頷いていた。
「……凜、身体は大丈夫か? その、心臓に発作起きたり……」
「大丈夫。最近は滅多に発作なんて起きないから」
「えっと、両親に連絡しとくか。今日少し遅くなりますって」
「だめ!」
初めてだった。凜がここまで大きな声を出したのは。
家に帰りたくない何かがあるんだと思った。その理由を聞く勇気はなかった。
理由を聞けば今にも逃げ出してしまいそうで、嫌な胸騒ぎがしたからだ。
「……どこ行こうか。外より室内の方がいいよな。……俺の家くるか?」
「え、」
凜は、一瞬目を見開いて、顔をブンブンと大きく左右に振った。
彼女の表情を見て、ハッっと我に返った。思わず言ってしまったが、すぐ後悔した。
彼氏でもない男から家に誘われたら警戒するのは当然だ。凜を困らせてしまった。
「あー、違う! 凜の身体を気にしただけ! 全然、その、やましい気持ちとかはないから!」
「……」
「えっと、母ちゃんも家にいるし。外だと、夜はまだ冷えるだろ? 本当、俺、やましい気持ちとかないから。その……俺、初めてはちゃんと付き合った彼女とって決めているから!」
必死だった。下心から誘ったわけではないことを弁明したくて、大袈裟な手振り身振りを交え声を大にして言い切った。おまけに童貞であることを自らカミングアウトしてしまった。完全にやらかした。
「ふふっ。そんな必死に否定しなくても」
「いや、だって、変に勘違いされたくなくて……」
「さっくんが、プレイボーイじゃないことは分かったよ?」
「いや、そこは……記憶して欲しくなかったんだが」
「あははっ、」
いつも通りのかわいらしい笑い声が耳に届く。同時に胸の奥が温かくなるのが分かった。
「お言葉に甘えて、さっくんの家にお邪魔していい?」
「お、おう」
こうして凜が俺の家に来ることとなった。見慣れた道を凜と肩を並べて歩くのが不思議だった。
ふと思いつきで提案したが、人生で女の子を家に連れてきたことなど一度もない。出てきてほしくない欲望が、どうしたって顔を出してくる。
「さっくん? 眉間にしわ寄ってるよ?」
凜に指摘されて初めて気づいた。頭の中で自分の欲望と格闘していたので、表情に現れてしまったらしい。邪心を消し去るように頭を大きく左右に振った。
心の中の邪心と格闘しているうちに、あっという間に自宅の前までたどり着いた。門扉をゆっくりと開けながら、新たな問題と格闘する。
動揺していて、母に連絡入れるのを忘れた。
母が家にいることは嘘じゃない。ただ心配なのは、女っ気のない俺が女子を連れてきたことに、母が興奮してしまわないかということ。気分が向上して、要らぬことまで口に出しそうで心配だ。