それを見た洋が座席に腰を下ろしながら笑った。
「そっちは主導権は片品さんなんだ?」
聡子は一瞬、まさに苦虫を噛み潰したような顔をした。僕の方を見て。洋には見せたくなかったらしい。
理央は聡子の様子が変わったことに気がついたようで、いそいそとメニュー表を手に取った。「ねぇねぇ、洋くん」と声をかける。
「わたしは奏の添え物じゃないし、奏ももちろんわたしの添え物じゃないから。主導権とか考え方、古くない? 三枝くんはさ」
「人それぞれじゃないかな」
僕は咄嗟の判断で口を挟んだ。
これは大変なことになった。聡子は今まで隠していただけで、洋を良く思ってないんだ。
洋はメニュー表を受け取ると「これにする」と理央に指で示して、一口、水を飲んだ。
なにか思ってる、絶対。
目は窓の外を見ているけど、なにかを考えている。
一方、聡子は素知らぬ顔でソフトクリームを征服していた。もう少しで彼女の嫌いなジャリジャリになる。
躊躇いもなく聡子はなんでもない顔をしてグラスにスプーンを突き立てた。
氷のぶつかる音がするような、激しいかき混ぜ方。
キレイにソフトクリームとメロンソーダが混ざり合うと、聡子は迷いなくその美しい横顔で濁ったメロンソーダをストローで飲んだ。
洋も、理央さえ唖然、としていた。
そうかな、そんなに驚くほどのことではないような気がするけど、違うんだ。
なにをしたか、じゃなくて誰がしたか、に驚いているんだ。
にこっ、とストローに手を添えたまま、聡子は顔を傾げて微笑んだ。
「下品でしょう? これがわたし」
「そんなことないよ、聡子ちゃんはいつも変わらず素敵だよ」
「変わらず素敵、なんてことないんだよ。あ、お金払うからナゲット頼んで。奏はなににする? まだ成長期なんだから、ちゃんと食べなよ」
「······いくら元々仲が良かったからって、理央、困ってるじゃん。自分で頼めば、お姫様」
「やめてよ、洋くん。聡子ちゃんと喧嘩しないで。ほら、奏くんも止めてよ」
ため息が出そうだ。
なんとか飲み込む。
聡子はなぜか相当、洋が嫌いみたいだ。今まで上手に隠してたけど。
思えば人見知りのない聡子が、洋と楽しそうに話してるのを見たことがない。
これは困ったことになった。
なにが彼女をそこまで怒らせているのかわからなかった。でもすごく気に入らないらしい。メロンソーダがなくなる、と思っていると、その不機嫌な顔でズズっと最後の一滴まで吸った。
「お邪魔したかな? なんか感じ悪いから俺ら帰るわ」
洋はカバンとジャケットを持ち上げると立ち上がって、カバンを背負うと理央に手を出した。
「ね、皆、喧嘩はやめよう。楽しくしようよ。今までもそうしてたじゃない? ね、奏くんもそう思うでしょう?」
目の前でちよちゃんが潤んだ瞳で僕に強く訴えかけている。確かに変なことになってる。僕はどうすべきなんだ?
「じゃあ理央は残ればいいじゃん。俺は塾の自習室にでも行くわ。じゃあ、明日ね」
赤いポストがぼんやり頭に浮かぶ。
アンバランスだったけど楽しかった三人の頃。
理央も洋もいつも笑っていた。
理央はごめんなさい、と言うと生クリームの乗ったココアが冷めるのを待っているように黙った。
僕はコーヒーを相変わらずちびちび舐めながら、時間の流れる音を聞いていた。
聡子はやって来たナゲットに手を付けずに腕組みをしている。
やがて沈黙が十分に過ぎた後、ガヤガヤという店の騒がしさも僕の耳に戻ってきて理央が口を開いた。
「洋くん、寂しいんじゃないかな。奏くんに彼女ができて」
三人揃って「うーん」となる。
僕としては「あるか? そんなこと」だ。中学の時も今も、一人にされたのは僕だ。納得がいかない。
「前から思ってたけど、その程度の男なんだよ」
「その言い方はないだろう? 理央がかわいそうじゃん」
「理央を庇うんだ。あっそ。じゃあ二人で仲良くどうぞ。帰るわ」
聡子、と呼び止めようとすると、立ち上がった僕を理央が制した。
「二人ともああなっちゃうともうダメだよ。わたしは二人ともよく知ってるからさ」
「まぁ、そうだね。僕も知ってる」
けど、強がった聡子の目尻に涙が浮かんでたら、と思うと堪らなかった。僕は彼女が心配だった。
「やっぱり放っておけないよ」
「わかるけど。······わたしはここに放っていくの?」
僕はもう一度上げた腰を下ろすことになった。
◇
理央は無表情だった。
暮れていく窓の外を、静かに見つめている。
僕たちの間にあったのは静寂。
騒がしさも、和やかな雰囲気さえなかった。
「聡子ちゃんにかなり押された?」
ポツっと言いにくそうに理央はそう訊ねた。僕は驚いて心臓が止まるかと思った。
「どうかな、そうかもしれないし、違うかも」
理央は今度は深刻そうな顔をして俯いた。
いつかの、神社に二人で座っていた時を思い出して、一人、気まずくなる。
あの時はただ理央が好きで、どうにかして振り向いてくれないかという気持ちでいっぱいだった。
理央も僕を好きだと言って泣いた。
その不思議な一日は心の中の片隅に、ひっそり隠されていた。再び日の目を浴びる日が来るとは思っていなかったからだ。
「聡子ちゃんならって思ってたけど、恋と友情って全然違うんだね。上手く割り切れないの」
銀色のティースプーンが、ゆらりとココアの上に乗ったクリームをかき回す。くるりと回る度、その軌跡がココアの表面に描かれる。
聡子の残していったナゲットを、仕方がないからひとつまみする。
「割り切れないって?」
「······実は洋くんと喧嘩になっちゃって。自分ではそんなつもりなかったんだけど、洋くんが最近わたしはおかしいとか言い出して。それでよくよく考えてみたんだけどやっぱり」
「やっぱり?」
「······言えない。言ったらきっと嫌われちゃうから」
なんだか気分が晴れないまま、コーヒーもなしに食べるナゲットは味気なくて、黙って噛んで飲み下すしかなかった。
洋の言う通り、僕の『お姫様』を思う。
なにもあんなに怒らなくてもよかったのに。
いつもより粗野に振る舞った君の気持ちがわからない。
空っぽになったクリームソーダのグラスがまだ下げられず、そこにあった。紙製のストローはふやけて見えた。
僕の周りでなにかが確実に変わっているのを感じた。
「そっちは主導権は片品さんなんだ?」
聡子は一瞬、まさに苦虫を噛み潰したような顔をした。僕の方を見て。洋には見せたくなかったらしい。
理央は聡子の様子が変わったことに気がついたようで、いそいそとメニュー表を手に取った。「ねぇねぇ、洋くん」と声をかける。
「わたしは奏の添え物じゃないし、奏ももちろんわたしの添え物じゃないから。主導権とか考え方、古くない? 三枝くんはさ」
「人それぞれじゃないかな」
僕は咄嗟の判断で口を挟んだ。
これは大変なことになった。聡子は今まで隠していただけで、洋を良く思ってないんだ。
洋はメニュー表を受け取ると「これにする」と理央に指で示して、一口、水を飲んだ。
なにか思ってる、絶対。
目は窓の外を見ているけど、なにかを考えている。
一方、聡子は素知らぬ顔でソフトクリームを征服していた。もう少しで彼女の嫌いなジャリジャリになる。
躊躇いもなく聡子はなんでもない顔をしてグラスにスプーンを突き立てた。
氷のぶつかる音がするような、激しいかき混ぜ方。
キレイにソフトクリームとメロンソーダが混ざり合うと、聡子は迷いなくその美しい横顔で濁ったメロンソーダをストローで飲んだ。
洋も、理央さえ唖然、としていた。
そうかな、そんなに驚くほどのことではないような気がするけど、違うんだ。
なにをしたか、じゃなくて誰がしたか、に驚いているんだ。
にこっ、とストローに手を添えたまま、聡子は顔を傾げて微笑んだ。
「下品でしょう? これがわたし」
「そんなことないよ、聡子ちゃんはいつも変わらず素敵だよ」
「変わらず素敵、なんてことないんだよ。あ、お金払うからナゲット頼んで。奏はなににする? まだ成長期なんだから、ちゃんと食べなよ」
「······いくら元々仲が良かったからって、理央、困ってるじゃん。自分で頼めば、お姫様」
「やめてよ、洋くん。聡子ちゃんと喧嘩しないで。ほら、奏くんも止めてよ」
ため息が出そうだ。
なんとか飲み込む。
聡子はなぜか相当、洋が嫌いみたいだ。今まで上手に隠してたけど。
思えば人見知りのない聡子が、洋と楽しそうに話してるのを見たことがない。
これは困ったことになった。
なにが彼女をそこまで怒らせているのかわからなかった。でもすごく気に入らないらしい。メロンソーダがなくなる、と思っていると、その不機嫌な顔でズズっと最後の一滴まで吸った。
「お邪魔したかな? なんか感じ悪いから俺ら帰るわ」
洋はカバンとジャケットを持ち上げると立ち上がって、カバンを背負うと理央に手を出した。
「ね、皆、喧嘩はやめよう。楽しくしようよ。今までもそうしてたじゃない? ね、奏くんもそう思うでしょう?」
目の前でちよちゃんが潤んだ瞳で僕に強く訴えかけている。確かに変なことになってる。僕はどうすべきなんだ?
「じゃあ理央は残ればいいじゃん。俺は塾の自習室にでも行くわ。じゃあ、明日ね」
赤いポストがぼんやり頭に浮かぶ。
アンバランスだったけど楽しかった三人の頃。
理央も洋もいつも笑っていた。
理央はごめんなさい、と言うと生クリームの乗ったココアが冷めるのを待っているように黙った。
僕はコーヒーを相変わらずちびちび舐めながら、時間の流れる音を聞いていた。
聡子はやって来たナゲットに手を付けずに腕組みをしている。
やがて沈黙が十分に過ぎた後、ガヤガヤという店の騒がしさも僕の耳に戻ってきて理央が口を開いた。
「洋くん、寂しいんじゃないかな。奏くんに彼女ができて」
三人揃って「うーん」となる。
僕としては「あるか? そんなこと」だ。中学の時も今も、一人にされたのは僕だ。納得がいかない。
「前から思ってたけど、その程度の男なんだよ」
「その言い方はないだろう? 理央がかわいそうじゃん」
「理央を庇うんだ。あっそ。じゃあ二人で仲良くどうぞ。帰るわ」
聡子、と呼び止めようとすると、立ち上がった僕を理央が制した。
「二人ともああなっちゃうともうダメだよ。わたしは二人ともよく知ってるからさ」
「まぁ、そうだね。僕も知ってる」
けど、強がった聡子の目尻に涙が浮かんでたら、と思うと堪らなかった。僕は彼女が心配だった。
「やっぱり放っておけないよ」
「わかるけど。······わたしはここに放っていくの?」
僕はもう一度上げた腰を下ろすことになった。
◇
理央は無表情だった。
暮れていく窓の外を、静かに見つめている。
僕たちの間にあったのは静寂。
騒がしさも、和やかな雰囲気さえなかった。
「聡子ちゃんにかなり押された?」
ポツっと言いにくそうに理央はそう訊ねた。僕は驚いて心臓が止まるかと思った。
「どうかな、そうかもしれないし、違うかも」
理央は今度は深刻そうな顔をして俯いた。
いつかの、神社に二人で座っていた時を思い出して、一人、気まずくなる。
あの時はただ理央が好きで、どうにかして振り向いてくれないかという気持ちでいっぱいだった。
理央も僕を好きだと言って泣いた。
その不思議な一日は心の中の片隅に、ひっそり隠されていた。再び日の目を浴びる日が来るとは思っていなかったからだ。
「聡子ちゃんならって思ってたけど、恋と友情って全然違うんだね。上手く割り切れないの」
銀色のティースプーンが、ゆらりとココアの上に乗ったクリームをかき回す。くるりと回る度、その軌跡がココアの表面に描かれる。
聡子の残していったナゲットを、仕方がないからひとつまみする。
「割り切れないって?」
「······実は洋くんと喧嘩になっちゃって。自分ではそんなつもりなかったんだけど、洋くんが最近わたしはおかしいとか言い出して。それでよくよく考えてみたんだけどやっぱり」
「やっぱり?」
「······言えない。言ったらきっと嫌われちゃうから」
なんだか気分が晴れないまま、コーヒーもなしに食べるナゲットは味気なくて、黙って噛んで飲み下すしかなかった。
洋の言う通り、僕の『お姫様』を思う。
なにもあんなに怒らなくてもよかったのに。
いつもより粗野に振る舞った君の気持ちがわからない。
空っぽになったクリームソーダのグラスがまだ下げられず、そこにあった。紙製のストローはふやけて見えた。
僕の周りでなにかが確実に変わっているのを感じた。