最後の質問。
 それはやはりあれだろうか?
 洋と理央の間に、決定的ななにかをもたらすような? いや、それ違うな。それは洋に聞くよ。
 僕が聞かれるのは――なんだ?
 僕と二人きりにさせる洋の気持ち?

「ちゃんと答えてね。なんで······」
 なんで?
 混乱してくる。いろんな選択肢が頭を掠める。
「なんであの日、わたしにキス······したの?」
 ああ、そのことなんだ。
 やっぱりなかったことにはならなかったんだ。あの日、話し合ったことで消えてくれたりはしなかったんだ。
 理央の中にもしっかり残っちゃったんだ。

 別に油断してたわけじゃない。そういうことも、万が一あるかな、とは思っていた。
 でも理央はやっぱり本人が言った通り、洋の彼女のまま、僕のちっぽけなアクションひとつじゃ、なにも変えられないのかと思っていた。
 だけど今、ツケを払う時がやって来た。
 僕はもしその時が来たら、できるだけ誠実にすべてを伝えようと思っていた。
 ――例え傷ついても。例え傷つけても。

 理央はもうおどけてはいなかった。
 僕は「少し歩こうか」と言った。
 学校近くの神社の脇に、昔ながらの小さな公園があった。洋と行ったところとは真逆。長いこと手入れされてない様子だ。

 僕たちはペンキのほとんど剥げてしまった木製のベンチに腰を下ろした。その木陰のベンチには穏やかな空気が漂っていた。
 果たして僕は、この場に許されているのかわからなくなるくらい、空気が清い。
 隣には理央がいる。これ以上ないってくらい近くに。手を伸ばせばすぐ触れられるところに。

 理央はまだ質問の答えを待っていた。
 根気よく、じっと耐えて。
 僕はその答えを与えないわけにはいかないんだ。
 心の隅に押しやられてる、ほんのちょっとの勇気を引きずり出そうと思う。いっそ一息に。
 ······一瞬、洋を思い出す。真っ暗な公園で弁当を食べる洋を。
 その心の奥にある、誰にも見せない孤独を。

「本当にごめん。理央の気持ちを無視して悪かったと思ってる。許されなくても仕方ないことをした。ごめん!」
 勢い込んでそう言った。
 誠心誠意、謝らなくちゃいけないと思った。
 反面、唇と唇が重なった時に感じた微弱な電流のようななにかを、思い出した。

「······奏くん、『ごめん』じゃ奏くんの本心がわからないよ。謝ってくれるのは、その、うれしいとは思うけど。でもそればかりが何度も聞きたいわけじゃないの。わたしは『どうして』のところが知りたいの。つまり······」
「つまり······」
 手のひらにじっとり汗をかく。
 とっくに姿を消した蝉の声が重ね重ね聴こえてくるような錯覚に陥る。

 だから、つまり、その。
 やっぱりなかなか言葉にならない。
 頭の中でぐるぐる考えるけど、思考は同じところをさまよってどこにも着地しそうにない。

「つまり······」
 僕は喉の奥の塊を飲み込んだ。
「僕は理央が好きなんだ······」

 ああ、やっぱり蝉の声がわんわん耳の奥に反響してる。夏の落とし物。書きかけの読書感想文。
 そういう処理しきれないものの中に、その答えは仕舞われていた。

「奏くん······」
 ぽたっと、大粒の雫が理央のスカートに落ちた。
 雨の降り始めのように僕は驚いて、とにかく理央に傘を差し出さないと、とそう思った。
 要するに混乱した。
 どうしたらいいのか、洋なら知ってるのかもしれない。或いは片品なら。

 その大粒の雫は、下を向いた理央の髪に隠されてどこから溢れているのか見えなかった。
 おろおろした僕は「理央?」と声をかけるだけでなにもできずにいる。
 次第に理央の細い肩は震え出し、彼女は小さく嗚咽を漏らし始めた。
 ひっく、ひっくというその声は僕の中の蝉の声と奇妙に同居して、過ぎ去ってしまった夏を彷彿させる。
 夏は二度と帰ってこないというのに――。

「わたしが悪いの、多分」
 なんで、と思いながらただ戸惑う自分。
「だって本当はずっと憧れてたの。ずっと好きだったの。遠目でも、たまにしか見られなくても、ずっと」
「それって」
「聡子ちゃんに聞いてない? わたしたちの中で、中学の違う『藤沢くん』がどんなに特別な存在だったかってこと。わたしは本当に『藤沢くん』が好きだったの」

 にわかに信じられることじゃなかった。

 だって僕はモテる方じゃなかったし、地味で、できることと言えばバスケくらいで、そのバスケさえスタメン入りできなかったのに。
 片品に確かにそんな話は聞いたけど、半分くらいは盛ってるんだろうと決めつけてた。
 だって有り得ないと思うだろう? 自分が特別な立場に立つなんてこと。

 理央はまだしゃくりあげていた。
 涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
 僕はキレイなハンカチを持ってるほどマメな男ではなかったので、カバンの中から少しよれたポケットティッシュを出して渡した。
 一瞬、理央は顔を上げて僕を見た。
 恨んでるだろうか――? その視線から読み取ることはできない。

「本当は······思ってたの。壁を乗り越えて、奏くんのもっと近くに、行きたいって······」
「だったらどうして?」
「だって! だって言えないじゃない? わたしみたいにそれこそ地味で、コミュ障で、陰キャなのがどうやったら奏くんみたいな人に言えるの? 一年の時、同じクラスになって、もうそれだけでもいいってくらいうれしかったの。なのにどうして言えるの? 『好きだ』なんて······おこがましいよ」

 目の前にキラキラしたなにかが横切って行ったように見えた。
 それは虹なのか、それとも妖精のようななにかなのか、或いは単なる錯覚なのか、正直なところどうでもよかった。
 ただ本当にキラキラしてたんだ。

 かわいそうなのは、土砂降りの中ずぶ濡れになった子猫のような理央だった。