「冗談。だからノーカンにして」
洋は急におどけて見せた。
「この前のさ、スリーポイントシュート、あれマジですごかったよな? いいもん見せてもらった。これからは見られないのかと思うと貴重なもの見せてもらったってマジ思うわ」
「どういう意味だよ。まだこれからもチャンスはあるだろう? 打ち続けてれば」
「打ち続けてれば、な。お前なんで、なんでも諦めるの? 流されてばっかで損してると思わないの? 欲しいものは手に入れたいと思わないの?」
「なに言ってんのかよくわかんないな」
「······そういうわけにもいかない」
「なにを」
ドキッとした。
ひょっとして、もしかしてあの日のキスがバレてしまったんだろうか? どうして? 理央がなにかの理由で喋った?
秘密を持つことに耐えられなかったのかもしれない。
僕の心臓はドクドクと脈を打って、いつかその壁を打ち破るんじゃないかと思うほどだった。
でも僕のしたことはそれに値するのかもしれない。
洋によって、或いは理央によって断罪されてしかるべきだ。
「······理央がさ」
「うん」
「最近、こっち見ない。いや、目は見てるけど気持ちはどこかに行ってる。それで、お前の話は一切しない。でもお前のこと、俺の隣にいても見てる。チラッとだけど、わかる。確かめると必ずその先にお前がいるんだよ」
「なに言ってんだよ。よくわかんないな」
「まぁお前は鈍いから。そこんとこは理解してる」
ひでぇな、と言いつつ、洋の話を反芻する。
そんなことはないと思いつつ、やっぱり今のままじゃ終わってないんだと思う。あの日、お互いに「ごめん」と言ったって、事実は消せないんだ。
「直接理央に聞けばいいんじゃないの? ただ今まで僕も一緒だったから気になってるだけじゃないかな? ほら、責任感とか」
洋はそれには答えなかった。
頭の後ろで腕を組んで、ぎゅっと唇を噛みしめていた。
どちらかと言うと童顔のその顔は、今は大人びて見えた。
「それならそれでいいんだけど。あれだな、お前がいて俺たちのバランスが取れてたみたい」
歩きながら上向きの洋の目が少し潤んで見えた。
こんなの、小学校以来見てない。
あれは、中学からは勉強に専念して部活は程々にしろと言われた時だ。
あの時の洋も、今と同じ顔をしていた。
悔しさと悲しみが同居したような。
「情けないけど理央が好きなんだよ」
「······」
僕にはなにも言う権利はなかった。ただただ、黙って足を動かす。その足は気を抜くと引きずってしまいそうだ。
背負った荷物が大きすぎて。
「本気なんだ。誰にも渡したくない。誰かの隣で笑っている理央は見たくない」
「僕と理央はこれっぽっちもそういうのはないよ。ただ同じクラスなだけで」
「知ってる。本当はわかってるんだ」
「なにを?」
洋は僕の目を、目の奥をじっと見据えた。
身動ぎできなくなりそうなくらい。
僕と理央のなにを知ってると言いたいんだろう? それともただの独り言?
ふっと洋は目を伏せた。
やはり目尻に涙が浮かんでるように見えた。
いつも意地っ張りな洋は、どこかに身を潜めていた。
「ごめん、なんでもない。ただ愚痴を言いたかったのかもしれない。そういうのは、奏にしかできないから」
「なに言ってんだよ。バスケしてても周りに友だちがいっぱいいるだろう?」
「あんなのは――。友だちが増えて今までよりずっと明るくなったのは奏、お前だよ」
洋のラケットが打ったソフトテニスのボールは、ポスポスと気の抜けた音を出して転がっていく。中学の時の洋はいつも不完全燃焼だった。
一緒にバスケ部に入りたかったのは火を見るより明らかだった。
◇
片品が僕を手で招く。
顔をサッと上げる。彼女の顔は少し困り気味。珍しいことだ。
僕は誘われるまま、ベランダに向かう。
僕がベランダに入る前に、すれ違いざま、片品は僕の肩に手を置いた。そしていつもとは違う、弱い微笑みを残した。
彼女はなにも言わなかった。
「······奏くん」
「理央? どうしたの、こんなところで」
「だって同じクラスなのに話す機会がない」
膝を抱えて座り込んだ理央の右後ろの髪は、いつも通り少し跳ねていた。
呼ばれた理由はわからなかった。
理央はダンゴムシのように丸くなり、なにも語ろうとしなかった。
「話すことがあったんじゃないの?」
隣に座った僕の方を、くるりと向いた。
「あると思ってた。言いたいことが山ほどたくさん。でも、なんでかな? 口から出てこないんだよ······」
「なんだよ、天気の話でも一応しておく? そしたら少し落ち着く?」
僕はつまらない冗談を言ってははっと笑った。
本当につまらなかったらしい。ちっとも笑顔にならない。
それどころかどんどん深いところに沈んでいく感じがした······。
「手の届くところに奏くんがいるって、久しぶりだね。毎日、同じ教室にいるのに」
そうだね、と僕は答えた。
ベランダの隅には教師が家から持ってきたという多肉植物が、変な風にねじれて茎を伸ばしていた。それは真っ直ぐ理央に手を伸ばせない僕を思わせた。
僕までやるせない気持ちになる。
なにも言えない。
僕にその資格はないから。
「なんだか毎日、変な感じがするんだ。どうしてだろう?」
独り言のように理央はそう語ると、また閉じてしまった。なにも語らないその黒い瞳の奥に、僕はなにも見つけられなかった。
洋は急におどけて見せた。
「この前のさ、スリーポイントシュート、あれマジですごかったよな? いいもん見せてもらった。これからは見られないのかと思うと貴重なもの見せてもらったってマジ思うわ」
「どういう意味だよ。まだこれからもチャンスはあるだろう? 打ち続けてれば」
「打ち続けてれば、な。お前なんで、なんでも諦めるの? 流されてばっかで損してると思わないの? 欲しいものは手に入れたいと思わないの?」
「なに言ってんのかよくわかんないな」
「······そういうわけにもいかない」
「なにを」
ドキッとした。
ひょっとして、もしかしてあの日のキスがバレてしまったんだろうか? どうして? 理央がなにかの理由で喋った?
秘密を持つことに耐えられなかったのかもしれない。
僕の心臓はドクドクと脈を打って、いつかその壁を打ち破るんじゃないかと思うほどだった。
でも僕のしたことはそれに値するのかもしれない。
洋によって、或いは理央によって断罪されてしかるべきだ。
「······理央がさ」
「うん」
「最近、こっち見ない。いや、目は見てるけど気持ちはどこかに行ってる。それで、お前の話は一切しない。でもお前のこと、俺の隣にいても見てる。チラッとだけど、わかる。確かめると必ずその先にお前がいるんだよ」
「なに言ってんだよ。よくわかんないな」
「まぁお前は鈍いから。そこんとこは理解してる」
ひでぇな、と言いつつ、洋の話を反芻する。
そんなことはないと思いつつ、やっぱり今のままじゃ終わってないんだと思う。あの日、お互いに「ごめん」と言ったって、事実は消せないんだ。
「直接理央に聞けばいいんじゃないの? ただ今まで僕も一緒だったから気になってるだけじゃないかな? ほら、責任感とか」
洋はそれには答えなかった。
頭の後ろで腕を組んで、ぎゅっと唇を噛みしめていた。
どちらかと言うと童顔のその顔は、今は大人びて見えた。
「それならそれでいいんだけど。あれだな、お前がいて俺たちのバランスが取れてたみたい」
歩きながら上向きの洋の目が少し潤んで見えた。
こんなの、小学校以来見てない。
あれは、中学からは勉強に専念して部活は程々にしろと言われた時だ。
あの時の洋も、今と同じ顔をしていた。
悔しさと悲しみが同居したような。
「情けないけど理央が好きなんだよ」
「······」
僕にはなにも言う権利はなかった。ただただ、黙って足を動かす。その足は気を抜くと引きずってしまいそうだ。
背負った荷物が大きすぎて。
「本気なんだ。誰にも渡したくない。誰かの隣で笑っている理央は見たくない」
「僕と理央はこれっぽっちもそういうのはないよ。ただ同じクラスなだけで」
「知ってる。本当はわかってるんだ」
「なにを?」
洋は僕の目を、目の奥をじっと見据えた。
身動ぎできなくなりそうなくらい。
僕と理央のなにを知ってると言いたいんだろう? それともただの独り言?
ふっと洋は目を伏せた。
やはり目尻に涙が浮かんでるように見えた。
いつも意地っ張りな洋は、どこかに身を潜めていた。
「ごめん、なんでもない。ただ愚痴を言いたかったのかもしれない。そういうのは、奏にしかできないから」
「なに言ってんだよ。バスケしてても周りに友だちがいっぱいいるだろう?」
「あんなのは――。友だちが増えて今までよりずっと明るくなったのは奏、お前だよ」
洋のラケットが打ったソフトテニスのボールは、ポスポスと気の抜けた音を出して転がっていく。中学の時の洋はいつも不完全燃焼だった。
一緒にバスケ部に入りたかったのは火を見るより明らかだった。
◇
片品が僕を手で招く。
顔をサッと上げる。彼女の顔は少し困り気味。珍しいことだ。
僕は誘われるまま、ベランダに向かう。
僕がベランダに入る前に、すれ違いざま、片品は僕の肩に手を置いた。そしていつもとは違う、弱い微笑みを残した。
彼女はなにも言わなかった。
「······奏くん」
「理央? どうしたの、こんなところで」
「だって同じクラスなのに話す機会がない」
膝を抱えて座り込んだ理央の右後ろの髪は、いつも通り少し跳ねていた。
呼ばれた理由はわからなかった。
理央はダンゴムシのように丸くなり、なにも語ろうとしなかった。
「話すことがあったんじゃないの?」
隣に座った僕の方を、くるりと向いた。
「あると思ってた。言いたいことが山ほどたくさん。でも、なんでかな? 口から出てこないんだよ······」
「なんだよ、天気の話でも一応しておく? そしたら少し落ち着く?」
僕はつまらない冗談を言ってははっと笑った。
本当につまらなかったらしい。ちっとも笑顔にならない。
それどころかどんどん深いところに沈んでいく感じがした······。
「手の届くところに奏くんがいるって、久しぶりだね。毎日、同じ教室にいるのに」
そうだね、と僕は答えた。
ベランダの隅には教師が家から持ってきたという多肉植物が、変な風にねじれて茎を伸ばしていた。それは真っ直ぐ理央に手を伸ばせない僕を思わせた。
僕までやるせない気持ちになる。
なにも言えない。
僕にその資格はないから。
「なんだか毎日、変な感じがするんだ。どうしてだろう?」
独り言のように理央はそう語ると、また閉じてしまった。なにも語らないその黒い瞳の奥に、僕はなにも見つけられなかった。