掃除当番は早々と過ぎ去り、帰り道は三人に戻った。
僕、理央、洋。
また僕たちの二等辺三角形はひとつの鋭角が遠のいたようだ。二人との距離を感じずにはいられない。
自然、二人が話しているのを後ろから見ているような形になる。
洋はああいう性格なので、時々後ろを向いて話を振ってくれるが、理央はもう遠いところにいるんだなと認めることしかできない。
――声のかけようもない。
その小さな背中が、小さい一歩で少しずつ遠のいていくのを黙って見ている。
なぜって、僕には多分、もう理央に声をかける資格がないから。
「奏、片品さんと帰らなくていいの? つーか、結局付き合ってんの?」
「付き合ってない」
「そっか」
思わず不機嫌さが前に出てムッとしてしまった。でも洋はこういう時、サラッと流してくれるので助かる。あまり嫌な思いをしなくて済む。
その辺が僕と洋を長い間、親友にしている理由かもしれない。
正直なところ、僕は洋が好きだった。
僕にはない快活さや、あっけらかんとした物事にあまり執着しないところなどが僕には助けになった。
正反対とまでは言わないけど、二人でいて「性格似てるね」と言われたことはない。皆無だ。
僕はこんな性質《たち》だから。
今度はどこに行こうかぁ、なんて僕には全然関係のない話を三人の時に堂々とするところも大物だ。
理央も始めは遠慮がちだったけど、今では僕がいても二人の話をしている。
そして幸いなことに、僕には誰かが話している間、じっと黙っていられるというある種の特技があった。
「帰りにさ、今日、予備校だから」
「ああ、電車に乗るんだね」
「で、ちっと遅れそうだからここから走るわ」
おい、と声をかける間もなく、洋は走っていった。駅まではまだ結構距離があると思うのに。
僕と理央はただ残されて、ぽかんとしているしかなかった。
理央は仕方のないことだと諦めたのか、また足を動かし始めた。さすが、彼女だけあって洋の突飛な行動にも順応が早いのかもしれない。
僕も友人歴が長いので、やれやれと思いながら歩き出す。
二人、隣同士だ。
小さな理央に歩幅を合わせる。
「······わたしね、奏くんは片品さんと付き合うのかと思ってた。違ったんだね」
「片品さんには悪いけど、僕には好きな人が別にいるから」
「······そっか」
なぜか理央の固かった表情は解れて、頬がふわっと緩んだ。少し赤くなってるようにも見えた。
目を細めて微笑んだ。
「片品さん······聡子ちゃんはわたしをバスケ部に誘ってくれたの。こんなに背の低いわたしを誘ってくれる人なんてほかにいないと思うの。だから、すごく恩を感じてるし、尊敬してるの」
「そうなんだ。尊敬ってすごいね」
「大袈裟かもしれないけど、本当にだよ。聡子ちゃんがいなかったらわたしの中学時代も高校も灰色だったと思う。教室でも目立たなくて、自分からなにかをやろうとする勇気もなくて、暗かったもの」
「······そうなんだね」
「中学の時、小学校からの友だちが忘れ物を教室にして行ったから体育館に届けに行ったの。それで聡子ちゃんに誘われたの。それからは毎日がキラキラしてて、大会で勝てるように皆で研究して、いっぱい練習もして、負けちゃっても次は勝てるようにって男子の試合まで見て。その······」
ピタッと理央は止まった。公園の角を曲がったところで僕らは丁度影の中に入った。
笑い声が聞こえる。子供が走っている。
彼女の目線は下向きだった。
これから地面と話し合うかのように。
「奏くんのこと、ずっと知ってたの、前から。皆、奏くんの応援してた。他校なのにおかしいけど。だって、シュートする姿がシュッとしてすごくカッコよかったから。背が高くて、いつも真剣な目をしてて――その奏くんと今は友だちで隣にいるなんて嘘みたいだよ」
静かな感動が胸を走った。
カッコよかった、とかそういうのはどうでもいい付属品で、嫌われてないことに安堵した。
ずっとあの日からそれを気にしていた。その悩みから開放された。
「一年の時、同じクラスになってすごく一人で焦っちゃって。聡子ちゃんにはいいなぁって言われたんだけど、自分から話しかけたりできないし、教室の隅から見てることしかできなくて」
そこまで言って、理央は言葉を切った。
下を向いたままだった。
なんだかいい空気が、どこかに行ってしまうようで、ツクツクボウシの声が耳の中で反響した。
「二年になって、また同じクラスで、今年こそ勇気を出して声をかけようって決意したんだけど、やっぱりなかなかできなくて、そしたら洋くんにぶつかってこんな風に······。だから、んーと、おかしいんだけど······あのね」
「······?」
「キスされた時、うれしかったの。そんなの変だと思う。でもうれしかったの。ファーストキスだったの。洋くんと付き合い始めて全部諦めようと思ったけど······うれしいって気持ちだけは伝えたくて。自分の声で、目の前に奏くんがいる時にちゃんと。
勿論、あのキスには意味なんてなくて、なんかそんな雰囲気だったからかなぁってそこのとこ勘違いするつもりはないから。大丈夫、わきまえてる。洋くんと奏くんには仲良くしててほしいし。だから安心して」
理央は僕の顔をその低い背のまま、向日葵のように顔を上げて、今まで見せたことのない大輪の笑顔を見せた。ずっとそれを見ていたかったけど、それは八月の花火のようにシュンと悲しく散っていった。
悲しかった。
僕は理央が僕を好きでいてくれてる間、かわいい子だなぁくらいに思っていて、理央みたいに一途に想ってはいなかった。
だから洋と理央が付き合うことになっても、それがここまで深い意味を持つとは考えなかった。自分が理央をここまで好きになるなんて。
こんなに苦しい思いをするなんて、思ってもみなかったんだ。
「このこと、······キス以外のことね、聡子ちゃんしか知らないんだ。ほかの友だちには言ってないの」
「理央は僕と片品が付き合ってもいいの?」
僕を見上げる目が大きく開いて、そして閉じた。理央の深いため息が聞こえた。
「聡子ちゃんはわたしにできなかったことをしたんだもん。それに、奏くんはわたしのものじゃないんだよ」
外は天気が良くて外気温は三十度を超えていただろう。風は生ぬるく、背中には汗をびっしょりかいていた。そして僕は――。
真っ直ぐ理央を抱きしめた。
僕、理央、洋。
また僕たちの二等辺三角形はひとつの鋭角が遠のいたようだ。二人との距離を感じずにはいられない。
自然、二人が話しているのを後ろから見ているような形になる。
洋はああいう性格なので、時々後ろを向いて話を振ってくれるが、理央はもう遠いところにいるんだなと認めることしかできない。
――声のかけようもない。
その小さな背中が、小さい一歩で少しずつ遠のいていくのを黙って見ている。
なぜって、僕には多分、もう理央に声をかける資格がないから。
「奏、片品さんと帰らなくていいの? つーか、結局付き合ってんの?」
「付き合ってない」
「そっか」
思わず不機嫌さが前に出てムッとしてしまった。でも洋はこういう時、サラッと流してくれるので助かる。あまり嫌な思いをしなくて済む。
その辺が僕と洋を長い間、親友にしている理由かもしれない。
正直なところ、僕は洋が好きだった。
僕にはない快活さや、あっけらかんとした物事にあまり執着しないところなどが僕には助けになった。
正反対とまでは言わないけど、二人でいて「性格似てるね」と言われたことはない。皆無だ。
僕はこんな性質《たち》だから。
今度はどこに行こうかぁ、なんて僕には全然関係のない話を三人の時に堂々とするところも大物だ。
理央も始めは遠慮がちだったけど、今では僕がいても二人の話をしている。
そして幸いなことに、僕には誰かが話している間、じっと黙っていられるというある種の特技があった。
「帰りにさ、今日、予備校だから」
「ああ、電車に乗るんだね」
「で、ちっと遅れそうだからここから走るわ」
おい、と声をかける間もなく、洋は走っていった。駅まではまだ結構距離があると思うのに。
僕と理央はただ残されて、ぽかんとしているしかなかった。
理央は仕方のないことだと諦めたのか、また足を動かし始めた。さすが、彼女だけあって洋の突飛な行動にも順応が早いのかもしれない。
僕も友人歴が長いので、やれやれと思いながら歩き出す。
二人、隣同士だ。
小さな理央に歩幅を合わせる。
「······わたしね、奏くんは片品さんと付き合うのかと思ってた。違ったんだね」
「片品さんには悪いけど、僕には好きな人が別にいるから」
「······そっか」
なぜか理央の固かった表情は解れて、頬がふわっと緩んだ。少し赤くなってるようにも見えた。
目を細めて微笑んだ。
「片品さん······聡子ちゃんはわたしをバスケ部に誘ってくれたの。こんなに背の低いわたしを誘ってくれる人なんてほかにいないと思うの。だから、すごく恩を感じてるし、尊敬してるの」
「そうなんだ。尊敬ってすごいね」
「大袈裟かもしれないけど、本当にだよ。聡子ちゃんがいなかったらわたしの中学時代も高校も灰色だったと思う。教室でも目立たなくて、自分からなにかをやろうとする勇気もなくて、暗かったもの」
「······そうなんだね」
「中学の時、小学校からの友だちが忘れ物を教室にして行ったから体育館に届けに行ったの。それで聡子ちゃんに誘われたの。それからは毎日がキラキラしてて、大会で勝てるように皆で研究して、いっぱい練習もして、負けちゃっても次は勝てるようにって男子の試合まで見て。その······」
ピタッと理央は止まった。公園の角を曲がったところで僕らは丁度影の中に入った。
笑い声が聞こえる。子供が走っている。
彼女の目線は下向きだった。
これから地面と話し合うかのように。
「奏くんのこと、ずっと知ってたの、前から。皆、奏くんの応援してた。他校なのにおかしいけど。だって、シュートする姿がシュッとしてすごくカッコよかったから。背が高くて、いつも真剣な目をしてて――その奏くんと今は友だちで隣にいるなんて嘘みたいだよ」
静かな感動が胸を走った。
カッコよかった、とかそういうのはどうでもいい付属品で、嫌われてないことに安堵した。
ずっとあの日からそれを気にしていた。その悩みから開放された。
「一年の時、同じクラスになってすごく一人で焦っちゃって。聡子ちゃんにはいいなぁって言われたんだけど、自分から話しかけたりできないし、教室の隅から見てることしかできなくて」
そこまで言って、理央は言葉を切った。
下を向いたままだった。
なんだかいい空気が、どこかに行ってしまうようで、ツクツクボウシの声が耳の中で反響した。
「二年になって、また同じクラスで、今年こそ勇気を出して声をかけようって決意したんだけど、やっぱりなかなかできなくて、そしたら洋くんにぶつかってこんな風に······。だから、んーと、おかしいんだけど······あのね」
「······?」
「キスされた時、うれしかったの。そんなの変だと思う。でもうれしかったの。ファーストキスだったの。洋くんと付き合い始めて全部諦めようと思ったけど······うれしいって気持ちだけは伝えたくて。自分の声で、目の前に奏くんがいる時にちゃんと。
勿論、あのキスには意味なんてなくて、なんかそんな雰囲気だったからかなぁってそこのとこ勘違いするつもりはないから。大丈夫、わきまえてる。洋くんと奏くんには仲良くしててほしいし。だから安心して」
理央は僕の顔をその低い背のまま、向日葵のように顔を上げて、今まで見せたことのない大輪の笑顔を見せた。ずっとそれを見ていたかったけど、それは八月の花火のようにシュンと悲しく散っていった。
悲しかった。
僕は理央が僕を好きでいてくれてる間、かわいい子だなぁくらいに思っていて、理央みたいに一途に想ってはいなかった。
だから洋と理央が付き合うことになっても、それがここまで深い意味を持つとは考えなかった。自分が理央をここまで好きになるなんて。
こんなに苦しい思いをするなんて、思ってもみなかったんだ。
「このこと、······キス以外のことね、聡子ちゃんしか知らないんだ。ほかの友だちには言ってないの」
「理央は僕と片品が付き合ってもいいの?」
僕を見上げる目が大きく開いて、そして閉じた。理央の深いため息が聞こえた。
「聡子ちゃんはわたしにできなかったことをしたんだもん。それに、奏くんはわたしのものじゃないんだよ」
外は天気が良くて外気温は三十度を超えていただろう。風は生ぬるく、背中には汗をびっしょりかいていた。そして僕は――。
真っ直ぐ理央を抱きしめた。