「絡み合った指先と〜♪」
不意に口ずさんだメロディーが、燦々と陽射しが降り注ぐ教室の窓辺から風の波に乗って外へいく。
ーーここは、とある私立高校の普通科の二年二組の教室。
不揃いに踏みつけられる落ち葉が合唱のフィナーレを迎えようとしていた、11月上旬のある日。
昼休みに窓辺でボンヤリと昼空の景色を瞳に映し出していた私が、頬杖をついて思い出の曲を口ずさんでいると、同じく隣で空を見つめていた親友の菜乃花が、グイグイと私の腕を肘で突いた。
「またその曲? 世間に出回っていないマイナーな曲じゃん」
「口ずさむのがついクセになっちゃって。小学生の頃に通っていた声楽教室の先生が作詞作曲した曲だから、記憶を頼りに歌ってないと忘れちゃう気がしていてね」
……と、少し呆れ気味の菜乃花にいつもと同じ言い訳をする。
この曲は私にとって最も特別な曲だから、初めて聴いた人にはピンとこない。
菜乃花もそのうちの一人だった。
耳障りがよく滑らかに奏でるメロディのこの曲は、心に染み入るくらい名曲なのに、隣で何度も聴いてる菜乃花には、残念ながら興味がないようだ。
「毎日のように聴き続けているから、私まで覚えちゃうよ」
「良かったら、一緒にハモる?」
「その歌に興味なし」
「じゃあ、菜乃花は何に興味があるの?」
「えへへ。私が興味があるのはあっちかな」
彼女が窓の外へと伸ばした指先が向かったその先は、多数の芸能人が通う芸能科が入っている同校の西校舎。
「芸能科のアイドル君たちかなぁ」
「また、そっち〜?」
「だってぇ。芸能科には私が好きなアイドルグループの《Beans》のハルくんが通ってるから」
「普通科と芸能科は校門が違うから、まだ一度も校内で会えていないでしょ」
「いつかは会えるかもよ。同じ校舎の空気吸ってるんだもん」
「無理無理。芸能科への入り口がシャットアウトされているし、先生達の見張りが厳しいでしょ」
「いーやっ。何とかして卒業前までには絶対ハルくんの彼女になる」
「同じ高校なのに出会えるチャンスがないから、その夢は叶いそうにないよ」
ミーハーな菜乃花は、芸能科に通うハルくんの熱狂的なファン。
耳にイヤホンが付いてる時は《Beans》の曲を聴いてる証拠。
CD、DVD、グッズや雑誌の切り抜きなど。
ハルくんに纏わるものは全て集めているほどの熱狂的なオタクっぷり。
だからこそ、休み時間になる度に教室の窓から顔を覗かせハルくんの行方を探している。
本校には普通科と芸能科の二つの科が存在している。
私達が在籍している普通科の生徒達は、テレビでしかお目見えしないような芸能人が西校舎に通う事を知りながら、校舎が分断されて情報がシャットアウトされている芸能科を指をくわえて羨ましそうに遠くで眺めるしかない。
普通科生徒の1/3近くが芸能人を眺める目的で入学。
毎年入学希望者が殺到する為、偏差値を高く定め入学希望者を絞り落としている。
まるで他校のような芸能科には、生徒同士が気軽で自由に行き来できない校舎の仕組みとなっている。
だから、憧れの芸能人が同じ敷地内にいても、お近きになれるどころか、こうやって遠目から眺めるのが現実的だった。
でも、医師を目指す私はミーハーな菜乃花とは対照的。
日々の勉強に追われてテレビどころではないし、芸能人になど興味がない。
本校の芸能科は、歌手や俳優やモデルなどテレビ等のメディアで活躍する芸能人が通っている。
売れる売れないは一切関係ない。
つまり、芸能人なら誰でも入学出来る。
仕事により不規則な時間帯しか登校できない生徒でも必須単位が取得できるように、特別な補習授業等を行うなど学校側から最大限の配慮がなされている。
東側に位置する普通科と、西側に位置する芸能科は校舎中央で分断されていて、校門も東門と西門と分けられている。
両校舎を唯一繋いでいるのは、一階の職員室だけ。
互いの校舎に足を踏み入れるには、中央に位置する職員室の中を通過しなければならない。
同じ人間なのに、学校側は芸能科というだけで優待遇。
普通科の生徒が呆れるほどセキュリティ面も万全体制。
だから、同じ敷地内とはいえ互いの科の生徒同士の絡みはない。
普通科の生徒は、どんな芸能人が通っているかは噂で耳にする程度だ。
そもそも普通科と芸能科は制服から校則まで違う。
芸能科はベージュのブレザー、普通科は紺のブレザーだ。
それは、過去に芸能科の校舎に進入した普通科の生徒が騒ぎを起こした事件がキッカケとなり、当時一律していた制服が変更されてしまったそうで。
だから、ブレザーの色一つでどちらの科の生徒か一目瞭然である。
学校側は特に芸能科の生徒の個人情報の保護に力を注いでいる。
それは、芸能科の生徒の不登校を未然に防ぐ目的でもある。
しかし、両科は全く接点がないと言うわけでもない。
音楽室、理科室、美術室、家庭科室はそれぞれの校舎にあるが、職員室から東校舎に向かって行く順の並びにある保健室、図書室、視聴覚室、それと別棟の体育館だけは互いに共有しているから、運が良ければ近くで芸能科の生徒をお見かけする事がある。
普通科の校則は厳しいが、芸能科は容姿に関しては自由。
私達とは違い社会人扱いしてるようだ。
ガラガラガラ……
「失礼します。先生、貧血気味なので四時間目が終わるまでベッドに横になっててもいいですか?」
一時間目の授業を終えたばかりの私は血色が悪い顔のまま、保健室の古い扉を開けてのっそりと顔を覗かせた。
元々低血圧体質だけど、前日は徹夜近い状態で模擬試験の勉強していて疲労困憊だった。
右奥のデスクで書類に目を通していた養護教諭が私の存在に気付いて、手元の書類から目を外した。
「こら、朝からサボり? ダメよ、学生なんだからちゃんと授業を受けないと」
「違いますよ。本当に貧血なんです」
と、幽霊のような足取りで先生の正面の丸い回転椅子に座った。
高校に入学してから一年半以上経つが、保健室に入るのは今日が初めて。
養護教諭は書類をデスクに置き、身体をグルリと向けた。
「貧血症状はいつから?」
「今朝の寝起きから」
「熱は?」
「ありません」
「ふぅ、仕方ないわね。じゃあ、利用記録表にクラスと名前を書いたら、そこのベッドに横になってね」
「はぁい」
「記録表を書き終えたら、担任の先生にあなたが保健室に来た事を内線で伝えるから」
「すみません、よろしくお願いします」
記録表を受け取ると、日付と時間とクラスと名前と症状の欄に各項目の記載をした。