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「すみません。私まで送ってもらっちゃって」

 榴先輩が花を家の近くまで送っていくのはいつものことだけど、今日は私まで送ってもらってしまった。

 マンションの前に引っ越しのトラックが止まっていたから、その手前あたりで立ち止まってお礼を言う。

「いい、気にするな」

「お家入って、鍵かけるまでは油断しちゃダメよ。女の子の一人暮らしは危険がいっぱいなんだから!」

 二人はそう言ってくれるけど、あのカフェから私のマンション経由で花の家に向かうと、結構な遠回りになってしまう。その分、二人は長く一緒にいられるし、遠慮はいらないのかな?

 純粋に心配してくれてるみたいだし、私は素直に「ありがとう」そう言って二人と別れた。

 マンションのエントランスでポストを確認して、エレベーターで部屋まで上がる。

 ポストの中身はダイレクトメールだらけで、パパに連絡しなきゃいけないような手紙とかはなかった。

 エレベーターを降りて廊下を進んでいると、扉が開いているのが見えた。あれ? あそこ、私の家じゃない?

 サプライズでパパまで帰ってきたのかと思っていると、玄関から出てきたのは見知らぬ二人組だった。

「ありがとうございましたー!」

 被っていたキャップを外して、部屋の中に向かって頭を下げて挨拶をしている。

 揃いの作業着を着た二人組。マンションの前に止まっていた引っ越し業者のトラックと同じ名前がプリントされている。

 扉を閉めて立ち去る引っ越し業者の二人とすれ違いながら、私は嫌な予感しかしなかった。

 慌てて閉まったばかりの玄関に駆け寄り、扉を開ける。

「あ、珠子ちゃん。お帰り~」

「遅かったな」

 嫌な予感は的中した。玄関を開けて私を出迎えたのは、あの双子だった。

「寂しかったよー!」

 幸夜くんは真っ直ぐ私に向かってくるけど、咲仁くんは通りすがっただけだった様子で廊下の奥に消えてしまった。

 両手を広げた幸夜くんに抱き着かれたけど、正直私はそれどころじゃなかった。だって、部屋の中にはさっきの引っ越し業者のロゴが入った段ボールでいっぱいだったから。

「お風呂にする? ごはんにする? そ・れ・と・も、僕?」

 でも、さすがに至近距離で鼻と鼻をくっつけられてはたまらない。

「なんで、二人がここにいるのよー!」

 抱きしめられた腕からは抜け出せなかったから、せめて幸夜くんに背中を向けて叫ぶのだった。

「なんだ、喜久から聞いてないのか?」

 私の叫び声が聞こえたのか、廊下の奥から咲仁くんが戻ってきた。

「聞いてない、です」

 本当に、うちのパパはなにを考えているのか。もう何があっても驚くを通り越して脱力してしまう。

「しょうがないな……まあ、立ち話をなんだ。リビング行くか」

 呆れたようにため息をつく咲仁くんがリビングに先導する。

 なんで家主の娘であるはずの私が咲仁くんに案内されているんだろう……

「珠子ちゃんご案内~」

 後ろから抱き着く形になっていた幸夜くんが、そのまま私をひょいっと抱き上げた。

「やっ、ちょっと!」

 幸夜くんの腕を押して抵抗してもビクともせず、私はそのままリビングに運ばれ椅子に座らされた。

「まあ、そういうこだ。受け入れろ」

 ダイニングテーブルを挟んだ向かいに咲仁くんが座り、隣に幸夜くんが座った。

「今日から僕らと同居です! ううん。僕とは、同棲かな?」

 腕を組んで背もたれにもたれ掛かってなんだか偉そうな咲仁くんに、机に肘をついてニコニコ私を見てくる幸夜くん。

 対照的な二人に見つめられて、私は同居も同棲も嫌だ! っていう感想しか浮かばない。

 イケメン二人と突然の同居生活なんて少女漫画じゃあるまいし、受け入れられるわけがない。

「女の子の一人暮らしは危険がいっぱいだからね。僕らがいれば安心安全」

 幸夜くんがそう言っても、むしろ危険が家の中に入り込んできたとしか思えない。

「でも正直、兄さんがお邪魔虫〜」

「お前が暴走しないように、見張り役だ」

 咲仁くんに向かって唇を尖らせる幸夜くんが狼だとしたら、さしずめ咲仁くんは狩人? でも、狩人の機嫌を損ねたら銃口は私を向くかもしれない。

 食べられるか撃たれるか、そんな二択に挟まれた生活は嫌だ! パパにまた電話して文句を言わなきゃとテーブルの下でこぶしを握り締めていると、咲仁くんが口元を押さえて激しくせき込んだ。

「大丈夫……?」

 思わず、心配になってしまう。

 今日一日、咲仁くんがマスクを外した姿を見たことがなかった。咳をしているのも、これが初めてじゃない。

 喉の奥の方から込み上げてくるような、湿った嫌な咳だった。

「風邪薬ならあるけど、飲む?」

 常備薬として、総合風邪薬なら家にある。それなら、咳止めとかも入ってるはず。

 そう思って声を掛けたけど、発作のような咳が治まった咲仁くんは首を横に振る。

「いい。必要ない」

 いつもマスクをしているから、咲仁くんの表情はわからない。咳をしていたからそういう風に見えるだけかもしれないけど、なんだか辛そうに見えた。

「薬で治るようなものじゃない。癖みたいなもので、感染するようなものじゃないから安心しろ」

 自分にうつるうつらないで心配しているわけじゃないのに、そう言われると悲しくなってしまう。

 じっと咲仁くんを見つめていたけど、咲仁くんは目を伏せて私の方を見ようとしない。

「そうだ! 珠子ちゃん!」

 幸夜くんがテーブルの上に寝転がるように身を乗り出して、咲仁くんを見ていた私の視界に飛び込んでくる。

「よかったら、これにサインちょーだい」

 幸夜くんが手に持っていたのは、A3サイズの書類だった。

 幸夜くんの名前やパパの名前がサインされているのが見えて、右上には――『婚姻届』と書かれていた。

「………………」

 私は知っている。最近、法律が変わって女の人も十八歳にならないと結婚できなくなったことを。男の人はもともと、十八歳にならないと結婚できないということを。そして、私は今日で十六歳になった。留年とかしてない限りは、同じ学年の幸夜くんも十六歳。つまり、パパの同意があってもこの婚姻届けは無効。

 でも、そういう問題じゃないことも知っている。

「いいわけ、ないでしょー!」

 私は幸夜くんからそれを奪い取るとビリビリに破った。

 大切な書類の割には薄い紙で、簡単に破れたそれを立ち上がった勢いのまま両手を広げて空中にぶちまける。

 紙吹雪の向こうで半笑いで天井を仰ぐ幸夜くんと、背もたれにもたれて目をつぶっている咲仁くんが見えた。

「ホント、信じらんない!」

 腹の底から声を出して、私はリビングの扉を力いっぱい閉めて自分の部屋へ向かって行った。