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「瞳の色キレイ~。ハーフなの?」

「ううん。おばあさまがギリシャ人なんだ。だから、クォーターになるのかな」

「おばあさまだって、お上品!」

 ホームルームが終わると、すぐに双子の周りに人だかりが出来ていた。

 芽衣と栞里と正美もその輪の中に加わって、二人にあれこれ話しかけていた。

「顔そっくりだね~。ねえねえ、マスク外して見せてよ」

 話し声が聞こえてくるけど会話しているのは幸夜くんだけみたいで、咲仁くんはだんまりを決め込んでいるみたい。

「クール! かっこいい~」

 でも、そんなところも受けてるみたいでイケメンって凄い。

「ほんと、なんなんだろう」

 思わず、独り言が出た。

 ほんとうに、婚約者ってなんのことなんだろう。

 双子の方に行って、私から離れてくれたのはよかった。問い詰められたって、答えられるわけがない。むしろ私が幸夜くんに問い詰めたい!

「それで幸夜くん……珠子の婚約者って本当?」

 芽衣が話を切り出した瞬間、教室の中が静まり返った。双子のところに行かなかったクラスメイトたちまで聞き耳を立てている。

 私も興味津々で聞き耳を立てていたけど、もう耐えられない。

 巻き込まれる前に逃げようとこっそり立ち上がって教室を抜け出す。

「珠ちゃん……」

 双子に注目が集まってるから気づかれないって思ったけど、花が追いかけてきた。

「ごめん、花。私も初耳だし、今なに質問されても答えられないから!」

 親友に隠し事するみたいで気が引けるけど、仕方がない。

「ちょっと、パパに電話してくる!」

 私は花の顔を正視できないまま、中庭に走っていった。

 今朝、咲仁くんはパパの紹介で家に来たって言っていた。だから、婚約者のこととかも絶対パパが一枚嚙んでるに決まってる。

 パパは昔っからそういうところがあった。ちょっと世間とズレてるっていうか、突拍子もないことをすることがある。そういうところがパパの仕事にも役立ってるんだろうけど、娘としては正直迷惑に思うところもあった。

 私のパパ――高良喜久は、陶芸家だった。今も海外で仕事をしてるぐらい、世界的に有名なアーティスト。この間も雑誌で特集組まれてたみたいで、本屋で名前を見かけた。

 久しぶりに見たパパの顔に思わず買ってしまったけど――――今はギリシャで個展を開いてるって書いてあった。私が知ってる限りだと、パパはイタリアに行ってたはずなんだけど……実の娘が親の所在を雑誌で知るってどうなのよ!? 思い出したらまた腹が立ってきた!

 お母さんが過保護で榴先輩とのデートもままならない花は放任主義のパパが羨ましいって言ってたけど、放任主義とはなんか違う気がする。

「パパ、いったいぜんたいどうなってるのか、ちゃんと説明しなさーい!」

 中庭につくと同時にパパに電話をかけて、スマホの画面が通話中に切り替わった瞬間私はゼロ距離で叫んでいた。

「珠子……元気そうでなによりだよ」

 たぶん電話の向こうで耳がキーンってなってるだろうけど、パパは優しい。

「敷地くんたちが到着したのかな?ハッピーバースデー、珠子。パパからのサプライズプレゼントだよ〜」

 能天気なパパの声に、イライラが募る。
「説明になってない! なに、サプライズプレゼントって」

「敷地くんたちのことだよ」

「人間がプレゼント!? 婚約者とか言ってるんだけど!?」

「そうそう。幸夜くん? 咲仁くん? あれ、どっちがどっちだっかな。まあいいや」

 いやよくないでしょ!? と思いながらも続くパパの言葉に絶句して、別の言葉が口から飛び出していた。

「パパも元気なうちに珠子の花嫁姿が見たくてね」

「花嫁姿よりももっといろいろ見るべき姿あるでしょ!?」

 なんで一足飛びにそこに行っちゃうわけ? 本当に意味わかんない。

「大事な時期に一人で日本に残すことになったのは謝るよ。でも、海外を連れ回すわけにもいかないし……」

 言葉が途切れて、電話の向こうからパパのあくびが聞こえてきた。

「まあ、とにかくそういうことだから。悪いけど、こっちはまだ深夜なんだ。明日も朝早いからパパは寝るね。おやすみー」

「は? え、ちょっと待っ……」

 一方的に電話は切られた。慌ててかけ直しても留守電に直行してしまって、コールも鳴らなかった。

 芸術家って、みんなこんな自分勝手なの!?
 まさかパパからのプレゼントが、敷地幸夜くんと咲仁くんだったなんて……信じられない!

「珠子ちゃん、見っけ〜」

 呆然とスマホを見つめていると、後ろから伸びてきた腕に抱きしめられる。

 幸夜くんだ!

 今朝のキスに引き続き、海外暮らしが長いからなの? 過剰なスキンシップにどぎまぎしてしまう。

 男の人に抱きしめられたことなんて、パパにしかない。華奢に見えるのにしっかりした腕に、友達にハグされるのとは違うものを感じる。

「喜久と連絡は取れたのか?」

 幸夜くんの腕から抜け出そうともがいていると、咲仁くんもやってきた。

 私が幸夜くんに抱きしめられていても気にする様子がない。やっぱり、海外のノリってこうなの? でも咲仁くんはしてこないし、幸夜くんが独特なのかもしれない。婚約者とか言ってたし、そのせい?

「パパのこと呼び捨てにしないでよ。連絡取れたけど、二人が不審者じゃないってことしかわからなかった」

 パパの紹介って言ってた咲仁くんの言葉は本当だった。でも、婚約者とかやっぱり意味わかんない。

「それだけ分かれば十分だろ」

 十分じゃない!

「パパとはどういう関係なの?」

「昔馴染みだ……親が」

「婚約者ってのは?」

「そう! 珠子ちゃんは僕と結婚するの~」

「きゃあ!」

 後ろから幸夜くんの朗らかな声がするのと同時に、私の足が地面から離れた。

 幸夜くんが私を抱き上げて、くるくるって回転する。

「やめて!」

 悲鳴みたいな声が出て、すぐに地面に降ろされた。

「ごめん……」

 抱きしめていた手も離されて、幸夜くんはしょぼんと叱られた子犬みたいな顔をしていた。

「喜久さんに珠子ちゃんの写真見せてもらって、僕一目惚れしちゃったの。喜久さんも認めてくれたから、僕と珠子ちゃんは婚約者」

 俯きがちの目が私を真っ直ぐに見つめてくる。私も見つめ返すと、薄く唇を引いて幸夜くんは笑った。

「みんなにも言っちゃったし、これでもう珠子ちゃんに悪い虫もつかないね」

 にっこりと笑う幸夜くんに、小悪魔っていう言葉が脳裏を過ぎった。

 でも、一目惚れって――私に!?

「あ、赤くなった。珠子ちゃん、かわいー」

 またぎゅっと抱きしめられたけど、頭が混乱して抵抗できなかった。

 婚約者ってパパじゃなくて、幸夜くんの方から言い出したの? 一目惚れって、私にそんな要素全然ないと思うんだけど!

 花の方がよっぽど女の子らしくて可愛いし、正美のほうがスレンダーでスタイルがいい。芽衣の方が明るくて、栞里の方が頭がいい。私が一番地味で目立たない。

 外国の人からしたら日本人顔ってだけで好印象なのかもしれないけど、日本に来たらみんな日本人顔だし、私への錯覚なんて醒めちゃわない? なのに、幸夜くんは今も私を抱きしめてくれている。

「信じられない? でも、本当だよ。一目見て心を奪われたんだ。君に笑いかけてもらえたら、きっと天にも昇るような気持ちだろうなって思ったんだ」

 幸夜くんが私の前髪をかき上げて、じっと目を見つめてくる。

 透き通った宝石みたいな瞳の色から目が離せない。

「ねえ、珠子ちゃん。笑ってよ」

 ちゅっと、今朝と同じリップ音が今度はおでこからした。

「君が好きだよ、珠子ちゃん。珠子ちゃんは僕が嫌い?」

 ほっぺにちゅーに引き続き、でこちゅーもされてしまった私は、沸騰寸前倒れそうだった。

「珠子」

 静かに短く、咲仁くんに名前を呼ばれた。
 強い力で腕を引かれて、幸夜くんと引き離される。肩を抱かれて、今度は咲仁くんの腕の中にいた。

 咲仁くんはしないって思ってたけど、やっぱり海外の人ってこういうノリなの?

 咲仁くんの腕は幸夜くんとよりもたくましい感じがする。

 咲仁くんの腕の中から、咲仁くんを見上げる。幸夜くんよりも濃い色の髪と瞳。私の方を見ないで、さっきまで私が立っていた場所を見つめていて――そこに、植木鉢が降ってきた。

 ガシャンと大きな音を立てて植木鉢が砕け散る。幸夜くんは途中で気が付いたみたいでひょいっと体を横にズラして避けていたけど、私にそんな反射神経はない。

 もしも咲仁くんが腕を引いてくれてなかったらどうなっていたか。私の頭もあの植木鉢みたいにパーンってなっていたと思う。そこまで想像して、一気に血の気が引いた。

「兄さん、僕も助けてよ〜」

 砕けた植木鉢をまたいで幸夜くんがこっちに来るけど、私は砕けた植木鉢から目を逸らせないでいた。

「おまえは必要ないだろ。どんくさいコイツだけで十分だ」

 咲仁くんにどんくさいとかコイツとか結構なことを言われているのが耳に入ってきたけど、言い返す気力はなかった。

「珠子ちゃん、大丈夫? ケガない?」

 私の視線を切るように、幸夜くんの顔が目の前に現れる。さっきのちゅーを思い出して、ちょっと血の気が戻ってきた。

「う、うん。だいじょうぶ……」

 ようやく硬直が溶けて、首を縦に振れた。

「授業が始まるな」

「行こうか、珠子ちゃん」

 チャイムの音が聞こえてきて、幸夜くんが私の手を引く。されるがままについて行って、私たちの後ろを咲仁くんがゆっくり着いてくる。

 そして教室に戻って――二人は私の隣に着席した。

「え?」

 芽衣が座っていた窓際の席に咲仁くん。正美が座っていた真ん中寄りの席に幸夜くん。なんで?

 私が左右の二人を交互に見ていると、幸夜くんが机に肘をついてニコニコ私を見てくる。咲仁くんは腕を組んで目をつぶっていて、知らんぷり。

「席、変わってもらっちゃった」

 幸夜くんの言葉に本来の双子の席だったはずの後ろを見ると、芽衣と正美が座って幸夜くんに手を振っていた。

「事情を話したら、快く変わってくれたんだ。珠子ちゃんは優しい友達を持ってるね」

「事情って、何言ったの!?」

 席替えしてもらうような事情ってなに? 婚約者の話になったときに逃げださないで、変なこと言わないか見張っておけばよかった!

 後悔してももう遅い。

 芽衣と正美のところに行こうと思っても、先生が教室に入ってきてしまった。

 仕方なく教科書を机に出すと、幸夜くんが自分の机を私の机に寄せてきた。

「なに?」

「教科書まだないんだ、見ーせーてー」

 甘えるような声を出す幸夜くんに、まさか咲仁くんもと思って振り返ると、咲仁くんはちゃんと自分の教科書を用意していた。

「一冊しか、準備間に合わなかったの」

 なんでもないような笑顔で幸夜くんは言うけど、なんだか騙されている気がする。

 それでも教科書がないって言うんだから無視も出来ずに、私と幸夜くんの机の境目に教科書を広げた。

 十六歳の誕生日、なんだか前途多難な気がした。