*

「珠子ちゃんって、兄さんのこと好きなの?」

 咲仁くんを一人アパートに残して、傘を差しながら幸夜くんと歩いているととんでもない爆弾発言。思わず大きめの「は!?」が出てしまった。

「なんでそうなるの!?」

 冗談ではないらしくて、幸夜くんは真剣な顔で私を見ていた。

「今朝、洗面所で楽しそうだったから……」

「それだけで!?」

 またまた大きな声が出てしまう。
 確かに今朝、咲仁くんと洗面所で話してはいたけど特別楽しい会話ではなかったはず。例え私が楽しそうに咲仁くんと話していたとしても、それだけで色恋沙汰につながるのがわからない。

「だって……今まで僕が好きになった子みーんな、兄さんが好きだったんだもん」

 また少し唇を尖らせてすねたような顔を見せる幸夜くん。
 相合傘が出来ないってわかった時とは違って、寂しそうな目をしていた。

「友達もみーんな、僕は兄さんに才能全部奪われて生まれてきたんだって……バカにするしさ」

 子どもみたいに傘をくるくる回して歩く姿が哀しみを誤魔化しているようで、同情心がわきそうになる。

「まあ、実際に僕は馬鹿で愚鈍だから……仕方がないんだけどね!」

 私のその気持ちに気が付いたのか、幸夜くんは私を見て明るく笑うと自嘲する。それが余計に、痛々しかった。

「そんな事、言わないでよ……昨日、会ったばっかりだけどそんな風には思わなかったよ」

 この言葉に、嘘偽りはなかった。
 むしろ絶対、咲仁くんより幸夜くんの方がモテると思う!
 咲仁くんは不愛想でクールでカッコイイって声もあったけど、でも圧倒的に優しくて笑顔を絶やさない幸夜くんの方に女の子は集まってた。
 昨日の今日だから、頭の良さとか才能とかはわからないけど、でも人に好かれる人だと思う。モテモテで反感買いそうだけど、男子も嫌いにはなれないタイプじゃないかなって思う。

「じゃあ、僕のこと好き?」

「えっ……!?」

 そんな人に思いを寄せられているんだと、実感する。

「…………怖い」

 キラキラした目を向けてくる幸夜くんがまぶしくて、目を逸らしながら出た言葉。

「なんで!?」

 悲鳴みたいな幸夜くんの声に、罪悪感がフツフツと湧いてくる。
 でも、訂正は出来なかった。これも嘘偽りのない、私の今の気持ち。

「だって……」

 こんなイケメンに好意を寄せられているなんて信じられなくて怖いし、みんなの前で婚約者宣言したり外堀埋めてグイグイ来るのもか怖いし、なんにも考えてません天然ですって顔しながらそういうことするの腹黒そうでなんか怖いし、いっつもニコニコ笑顔だけどそれもずっと過ぎてなんだか――

「無理してるみたいで、見てて辛い」

 これを言ったら傷つけるだろうなって考えが頭の中でぐるぐるして、幸夜くんの方を見られないでいたらほとんど無意識にその言葉が出ていた。
 漠然と感じていたものが形になって、しっくりきた。
 胡散臭い笑顔って言葉も一瞬出てきそうになったけど、そっか、そうじゃないんだ。無理した笑顔だったんだ。
 そう思うと、いろんなことが腑に落ちた気がする。 

「そんなに、咲仁くんと張り合わなくていいと思うよ。みんながって言うけど……今まではそうだったかもしれないけど、これからはわからないでしょ。せっかく日本に来たんだし、こっちでもそうだって悲観しないでよ。幸夜くんは幸夜くんで素敵だと思うよ」

 ポンッと、幸夜くんの方を叩く。

「まあ、無理して笑ってるのもみんなを気づかってるのかなって思うし、幸夜くんの良いところなんだろうけどさ」

 なんとなく、すっきりした気持ちで足取りが軽くなる。

「って、昨日知り合ったばかりの私がなに知ったかしてんだかって、感じだけど」

 苦笑いしておこがましさを誤魔化すと、幸夜くんが立ち止まっていることに気がつく。

「ごめんね」

 怒っちゃったかなって振り返ると、幸夜くんの顔は傘に隠れて見えなかった。
 駆け戻って幸夜くんの顔を見ようとすると、手をつかまれた。

「本当に……君は変わらないね」

 口元は微笑んでいるのに、私には幸夜くんが今にも泣きそうに見えた。
 私が変わらないって、私は幸夜くんと昔に会ったことがあるの? 幸夜くんも、写真でしか私を知らないような口ぶりだったのに……

「また、珠子ちゃんに好きになってもらいたいなぁ」

 背の高い幸夜くんから、独り言みたいに言葉が降ってくる。
 私の手から頬に、幸夜くんの手が移る。
 ひんやりと冷たい幸夜くんの手が、私の頬を撫でる。

「また?」

 言葉がたくさん、私に引っかかる。

「あれ、なんか言い回しおかしかった?」

 また胡散臭いもとい無理した作り物の笑顔を張り付ける幸夜くん。

「ごめんね~、外国育ちだから日本語の言い回しおかしくっても気にしないでね」

 幸夜くんが私の額に額を合わせてくる。

「とにかく、君が好きってことだよ。珠子ちゃん」

 ――――キスされるかと思った。

「あっ、信号変わっちゃうよ!」

 キスされるのを期待したわけじゃない。
 それでも、勘違いしてしまった自分が恥ずかしくって、それを誤魔化すみたいに私は点滅しだした横断歩道に向かって走り出した。

「走ったら危ないよー」

 誤魔化されてくれたのか、私の気持ちなんてお見通して乗ってくれたのか、走る私の後ろから幸夜くんの声が聞こえてくる。
 横断歩道に踏み込んで、点滅が消えるまでに十分渡り終えられるはずだった。
 幸夜くんは渡れないかもしれないけど、横断歩道の向こうでまた信号が青に変わるのを待っていればいい。
 そうしてる間に、私の赤くなった顔も冷めるだろうしちょうどよかった。

 でも――

 もう少しで渡り終えるっていうとき、私の目と耳を轟音と閃光が貫いた。

「きゃあっ!」

 雷が落ちた!? そんなことを考える暇もない衝撃に、私は思わず足を止めていた。

「珠子ちゃん、危ない!」

 閃光に目がくらみ轟音で耳鳴りがする向こうで、幸夜くんの声を聞いた気がする。
 強い力で腕を引かれ、後ろによろめき傘が手を離れる。
 驚いて見開いた私の目に、取り落とした傘が猛スピードで突っ込んできたトラックに弾き潰されるのが飛び込んできた。

 私の腕を引いて助けてくれたのは幸夜くんだった。
 幸夜くんがいなかったら……トラックが走り去った後に残った、赤い布と変形した骨組み。
 それはきっと、私の血と骨だった。

 震える私の肩をそっと幸夜くんが抱いて、信号が赤に変わる前に私を横断歩道から導いてくれた。

「大丈夫。大丈夫だから」

 震える私に、幸夜くんが優しく声をかけてくれる。
 濡れないように、そっと傘を差してくれる。

 ――昨日も、こんなことがあった。

 昨日は、幸夜くんじゃなくって咲仁くんだったけど。
 昨日は、トラックじゃなくて植木鉢だったけど。

 ――十六歳って、厄年じゃないよね……?

 震える私の手を、そっと幸夜くんが握り締めた。