2、夏の雨の中、些細な恋を君と誓う。

 雨が私と楓(かえで)くん、ふたりきりだけの世界にしてくれているように感じる。
 予報にはなかったはずの土砂降りの雨に打たれながら、私はいま、楓くんに抱きしめられている。

「もう、離したくない」
 楓くんはぼそっと私の左の耳元でそう言ったから、私は楓くんとなら、このまま雨に濡れてもいいやと思った。



 雨が降る前、私と楓くんは夏休みの補講を終えて、吹奏楽部の楽器のいろんな音が無数に響いている誰もいない廊下を歩いていた。
 補講の授業も私と楓くんだけだったから、1時間、数学の問題が書かれたテスト用紙を何枚か書き、それを提出して、補講が終わった。

「おつかれ。ようやっと、俺たちの夏休みが始まったな」
「そうだね、おつかれ」

 私は楓くんのことを意識しすぎて、そう返すことしかできなかった。私の左側を歩く楓くんを見ると、楓くんはだるそうに微笑んでくれた。耳元の銀色のビアスが一瞬、反射した。
 きっと、普通の学校生活だったら、楓くんとは、話すことなんてなかったかもしれない。
 クラスだって別々だし、1軍の雰囲気が漂っている楓くんと、2軍で地味な黒髪ボブの私が交流を作るなんて、未知との遭遇ぐらい困難なことだと思う。
 そんな余計なことばかり考えを持っていかれ、本当なら会話を続けたいけど、その次の言葉はいまいち思いつかなかった。 

「2日も一緒にいたら、離れるの寂しいな」
「えっ」
「だって、飯だって一緒に食べたしさ、夏休み始まるのはすげぇ嬉しいんだけど、紗希(さき)と離れるのは寂しいな」

 楓くんにちゃっかり下の名前で呼ばれて、余計、私は緊張を強いられるような感覚に襲われた。
 確かに補講だったこの二日間は楓くんと二人きりだった。
 
 だから、教室で一緒に昼ごはんも食べたし、私が持ってきた酸っぱいレモン味のグミを一緒に食べたりした。チャラそうに見える楓くんは意外と、落ち着いていたし、大人しい私と意外に話があった。
 昨日から、お互いに下の名前で呼び合うようになった。そう提案してきたのは、もちろん楓くんで、私は昨日からそんな楓くんに今日もドキドキしていた。

「なあ、紗希」
「なに? ――か、楓くん」
「駅前にジェラート屋、気になってるんだよ」
「うん」
 一緒に行こうかなんて、私から言えないと思った。そう口にして、ドライアイスに触って、やけどしたみたいになりたくないし、できるなら、ずっと、こんなふわふわで曖昧な関係を楓くんと続けてみたかった。
 盲腸になって入院したときは最悪だと思ったけど、たった2ヶ月後にこんな未来が訪れたんだから、何が起こるかわからないとも思った。
 私たちは、そんなふわふわな雰囲気の中で、玄関ホールまでたどり着いた。



 駅まで繋がっている路地を楓くんと横並びで歩いている。路地は緩やかな下り坂になっていて、坂の先にある踏切が陽炎でぼやけていた。道の先に見える青は薄く白さが混じっていて、その奥に立ち込めている入道雲が午後の日差しに照らされ、丸くて柔らかな立体感を作っていた。

「なあ、紗希」
「――なに?」
「俺、紗希と似ているような気がするんだ」
 そう楓くんに言われても、説得力がないように感じた。たまたま二人で補講を受けて、たまたま話があっただけだよ。それに楓くんは表面的な私しか知らないじゃん。

「――こんな地味なのに、どこが似てるの?」
「紗希、見た目じゃないよ。話があうんだよ。2日間、紗希と話してて、すごい楽しいって思ったよ。入院中の話とかさ」
 昨日、教室でお昼ごはんを食べたときに話した、私の不幸話の一体、どこが面白かったんだろう――。
 私は5月に盲腸で入院して、単位が危うくなったから、補講を受けさせられることになった。
 だけど、楓くんがなぜ、私と同じように単位が不足したのかはまだ、聞いていなかった。

「確かに、大変そうだと思ったよ。だけど、それを暗くならずに、面白い感じで言えてるところがすげぇなって思ったし、かわいいなって思った」
 盲腸の話でかわいいって言われてもなぁ。
 茶化されているのか、本当にそう思って言っているのか、楓くんのことがいまいちよくわからなくなった。

「うるさいキャッキャしてる1軍女子より、ずっと、頭がいいし、話が深いし、気があうような気がするよ」
 急に右手に熱を感じて、手元を見ると、私の手は楓くんの左手に繋がれていた。こうやって男の子に自然に手を繋がれたのは初めてで、私の心拍数は重低音を立てはじめた。

「いい子だね、紗希。冷たいの一緒に食べようね」
 手慣れているようなそのセリフを聞き、1軍女子が話していたのをたまたま聞いてしまった噂は本当だったんだと、腑に落ちた。かわいい1軍の彼女と付き合い、そして、別れたらしいよという話が頭の中で再生されながら、私は今、その噂になっていた楓くんに手を繋がれているのがものすごく不思議に感じた。



「どうして、俺が補講になったかって聞かないよな。紗希って」
 楓くんはそう言ったあと、カップに入った、レモンとシャインマスカットのジェラートの境目をすくい、そして、その薄黄色と黄緑を口の中に入れた。私も楓くんの真似をして、同じ組み合わせにしたジェラードにした。
 薄黄色を木べらですくい、口の中に入れた。
 口に入れた瞬間、冷たさと、レモンの爽やかさが一気に広がり、楓くんの質問を忘れそうになった。

 ジェラート屋さんのテラス席で私たちは、のんびりジェラートを食べている。楓くんは白いパラソルの日陰になる方の席を指さして、そっちに座ってと言ってくれた。なんかそれだけで、すごいモテそうな優しさなのに、なんで地味で1軍でもない、私なんかに付き合ってくれているのかよくわからなかった。
 噂は知っていた。停学になった埋め合わせだってことを。だけど、そんなことなんて私にとってはどうでもよかった。

「だって、聞く意味なんてないでしょ」
「確かに、意味なんてないかもな」
 そう言って、楓くんは微笑んでくれたから、私は急に顔に熱を感じた。だから、それを誤魔化すために今度は、シャインマスカットのほうを木べらですくい、口の中に入れた。

「俺、紗希のそういうところ、悪くないと思っているよ」
 そう思ってくれたのは意外だった。女子の友達がいつも私から離れたり、私の悪い噂を立てるときは、こういうところが冷たくて、現実的なことばかり、言うから共感性がなくて、空気が読めてないって言われている。

 高校2年生になり、私のクラスガチャは最悪だった。
 私のそういうところが気に入らなさそうな女子が3分の2以上を占めていた。つまり、10人くらいの気の合う1軍女子が固まりすぎた歪なクラス構成になっていた。
 1軍からすれば、奇跡のクラスって毎日バカ騒ぎしているけど、その対極の私みたいな2軍はぼっちを強いられている。

 楓くんとのクラスは離れすぎているから、きっと、楓くんは私のポジションなんて知らないんだと思う。

「入院することになったとき、少しほっとしたんだ」
「そうなんだ。痛みより、逃げたいのほうが大きかったんだ」
「えっ。――なんでわかるの」
 急に私の心の中を覗かれたみたいで思わず、咄嗟のリアクションが、引き気味になってしまったことを私は少しだけ後悔した。だけど、そんな私のことなんて、気にもとめていなさそうに楓くんは話を続けた。

「人狼の占い師みたいな扱いするなよ。好きだけどさ、人狼。俺、こう見えても察しがいいんだよね。『少しほっとした』ってことは、裏には絶対なにかあるでしょ。絶対、入院なんてしたくないし」
「そっか、頭いいね」
「頭よかったら補講なんて受けてないよ。そもそも俺も『孤独を好むタイプな』んだから」
 孤独を好むなら、なんで私と今ここでジェラートを食べているんだろう。そんなことを考えながら、もう一口、ジェラートを食べたあと、息を吐くと、口の中の冷たさが一気に唇で感じた。
 
「――ねえ」
「なに? 紗希」
「私は思ったよりつまらない人間だと思うよ。――か、楓くんが思っている以上に、地味だし、本ばかり読んでいて、派手さはないよ。それに本当に私はぼっちだし」
 私がそう言い終わると、楓くんはへえ、と言いながらまた微笑んだ。その微笑みが優しくて、左手に持ったままのジェラートが溶けてしまうんじゃないかと思った。

「紗希。孤独を知っている人間は強いし、いろんなことを知っているから深いと思うんだ。だって、今だってそうだろ? 相手のことを常に考えているような発言、そして、相手の嫌だと思いそうなところは聞かない。そういうところが、紗希の強さを作ってるんだよ」
 楓くんはそう言ったあと、ジェラートをすべて食べきり、手に持っていたカップをテーブルに置いた。だから、私も残りのジェラートを食べきり、空になったカップをテーブルに置いた。

「よし、身体冷えたし、公園行こう」
 楓くんが立ち上がったから、私も慌てて、椅子をうしろに引き、立ち上がった。
 


「悪い、ずっと我慢してたんだ。吸ってもいい?」
 図書館の隣りにある公園の屋根付きのベンチに着いてすぐに、楓くんからそう言われて、なんのことか全くわからなかった。だけど、すぐにその答えを楓くんは自分のバッグから取り出しだ。

「マルボロなんだ」
「お、知ってる口? 吸う」と言いながら、楓くんは左手に持っているマルボロの箱を見せてきた。私が首を振ると、なーんだ。と言って、箱からマルボロを取り出し、それを口に咥え、火をつけ、吸った煙を吐き出した。ライターをつける仕草が手慣れていて、やっぱり日常的に吸っているんだって私はつまらない感想を頭で考えていた。

「あ、悪い。臭いとか大丈夫?」
「うちの両親、吸ってるから大丈夫」
「なら大丈夫だな」
 なぜかわからないけど、楓くんは嬉しそうな表情をしながら、もう一度、マルボロを吸って、吐いた。

「俺、3か月前に彼女いたんだけどさ」
「知ってるよ」
「えっ、どうして?」
 楓くんは驚いてそうな表情で、じっと私のことを見てきたから、その感じが可愛く感じて、少しキュンとした。

「だって、噂になってたから」
「あー、やっぱりそうか。なんかわからないけど、俺、目立つんだよな」
「ピアス付けてるからでしょ」
「違うよ。俺、スターだからだよ」
「自信持ちすぎでしょ」と弱く笑いながら返すと、だよなと言ったあと、楓くんも同じように弱く笑った。さっきまで青空が広がり、目の前の芝は太陽の光でキラキラとしていたのに、急に辺りは灰色になり始めた。そして、空気も一気に湿度で重くなり始めていた。
 やっぱり、『君のことが好きだよ』と言ってくれる人が隣にいた経験を持っている人って、すごく余裕があるんだなって私はふと、思った。

「マルボロで別れたんだ」
「嫌がられたの?」
「そう。ダサいって」
「タバコってダサいとかじゃないのにね」
「覚えちゃった俺が悪いってのもあるけど、やり始めると、吸わないとやってられなくてさ」
 そう言ったあと、楓くんはマルボロを吸い、そして、すーっと細く煙を吐き出した。辺りに漂った煙は、ため息のようにも感じたし、自己否定された傷のようにも感じた。

「多様性の世の中なのにね」
「ホント、紗希の言う通りだよ。多様性のかけらもない。別に犯罪してるわけでもないのに」
「未成年の喫煙は法律で禁止だよ」
「歳なんてさ、勝手に取るんだから、そんな法律あってないようなものだよ」
 楓くんはバッグからアルミの携帯灰皿を取り出し、タバコを灰皿の中でもみ消した。そして、携帯灰皿をバッグのなかにしまった。

「それで喧嘩になって別れたら、チクられて停学。マジこえーわ」
 急にザーという音が辺りを包み、私と楓くんは屋根付きのベンチの中に完全に取り残されてしまった。

「やっぱり降ってきたか」
「雨予報じゃなかったのにね。気の利いた女の子じゃないから、私、折りたたみ傘も持ってないよ」
「そんなの求めないよ。タバコに理解あるだけで十分」
「変なの」と私は素直に思ったことをそう言った。すると、それのなにが面白かったのかわからないけど、楓くんは私のそんな言葉に笑ってくれた。

「ねえ」
「なに? 紗希」
「このまま閉じ込められたらどうしよう」
 そう言い終わるのと合わせて、膝にのせたままだった私の右手の甲に、楓くんは左手をのせてきた。そして、私の指と指の間に5本の指を絡めて、私と楓くんは繋がった。
 『なにかをインストールされるような、そんな気持ちにふわふわしていた気持ちが固まり始めていることにふと気がついてしまったよ』って言いたくなったけど、そんなこと言えるはずもなかった。
 
「紗希となら、閉じ込められてもいいよ」

 思わず、楓くんを見ると、楓くんはこの二日間で一番美しく、そして優しく微笑んでいた。




 ノートには2つの小説が書かれていた。ノートに筆圧の薄いシャーペンで綴られた話は、たしかに小説のように感じた。
 というより、本当にそれは小説で、よくそんなのが書けるなって思った。それも、恥ずかしげもなく、人にそういう文章を見せるんだって思うと、不思議な気持ちだった。

「どう? 面白いでしょ?」
 そして、この自信たっぷりな様子も不思議でたまらなかった。

「そうだね。2つともいいと思うよ。等身大の恋愛もの」
「え、それだけ?」とまるで何かを問い詰めるような勢いで涼葉は僕のことを覗き込んできた。
 別に僕は恋愛小説なんて好きじゃない。だから、あまりそういう恋愛ものを読んできたことがなかったから、良し悪しなんてよくわからなかった。
 だけど、好きな感じの文章だなって思った。

「いや、すごくいいよ。それに単純に書くのがすごいなって。しかも、手書きだし」
「いいでしょ。今どき手書きの小説読める人なんて珍しいと思うよ」
「それ、自分で言うことかよ」と返すと、どうしてかわからないけど、涼葉はにやけていた。
 僕も小説”もどき”なら、何度か書いたことはあった。一番最初に書いたのは、中学2年の夏休み前だった。そのときは、僕も涼葉と同じようにノートに書いた。だけど、それはすべての間違いだった。だから、それ以降は、iPhoneで書くことにした。
 iPhoneで書いてみたけど、400文字くらい打ち込んだところで、自分の文章の拙さに絶望して、書くのを辞めた。そして、そのことを忘れた頃にもう一度、同じように書いてみては、また自分の文章に絶望して、書くのを辞めた。

「自分の言葉をこれだけ長い文章にして、それをしっかりと矛盾なく作れるのはすごいと思ったよ」
「――ありがとう。やっぱり、いいこと言ってくれるね」
「えっ」
「ううん。やっぱ、日比谷くんに読んでもらってよかった」
 彼女がそう理由はよくわからない。だけど、屈託のない笑顔だけが眩しく感じた。







 18時を過ぎ、僕と涼葉は片付けをしたあと、図書室の鍵を締め、顧問の机の上に鍵を置き、そして、学校を出た。
 9月の空はすでに薄暗くなっていて、夏がだんだん遠ざかっているのを感じた。山の上にある学校から、いつものように駅まで続く、坂を二人、横並びで下っている。
 
「ねえ、日比谷くん」
「なに?」
「私ね、いつか、こんな日が来るんじゃないかって思ってたんだ」
 唐突に始まったその話の、その文脈じゃ、こんな日の”こんな”の意味がいまいちよくわからなかった。だけど、今日、普段と違った点はたった一つしかない。涼葉が僕に恋愛小説を読ませたということだ。

「プロじゃない人の小説、初めて読んだ」
「あ、それ、皮肉でしょ。聴いてた音楽のこと聞いたから、拗ねちゃったの?」
「違うよ。僕も書こうとして何回も挫折してるから、すごいなって思ったんだよ」
「えっ、書いたことあるんだ。気になるなぁ」
「だけど、僕は全部書けなかった。だから、小田切さんはさ、難しいことやってるなって思ったんだよ」
「ちょっと、嬉しいんだけど」
 さっきから、ずっと喜んでばっかりじゃんか。もし、僕じゃなかったらうぬぼれてるなって言われるくらいだ。そもそも、恥ずかしいって感覚を彼女は持っていないのか。

「やっぱり小説家とか、目指してるの?」
「ううん。これはね、自分のために書いてるの」
「自分のため?」
 どういうことだろうと思い、思わず涼葉を見て、僕はそう返した。左側にいる涼葉は僕と目をあわせて、そのあとまた意味ありそうな雰囲気で微笑んだ。
 藍色の空は段々と、黒になり始め、下り坂を等間隔に照らす白色のLEDライトが目立ち始めた。

「そう。自分がこの世界に存在していることを自分の言葉で残したら、かっこいいかなって」
「急に中二病みたいなこと言うんだな」
「小説書いてること自体、中二病こじらせてるみたいなもんでしょ。だからいいの」
「謎理論だな。それじゃあ、全部の物書きが中二病ってことになるじゃん」
「だから、日比谷くんも中二病だよ」
「えっ、なんでだよ」
「だって、小説書いたことあるんでしょ」
「あの400文字の小説で中二病にされるなら、識字できる全世界の人が中二病になるだろ」
「細かいことはいいの」
「ふーん」
 いつものようにくだらない話が進む。涼葉といると、いつもこんなどうでもいい話ばかり広がっていく。くだらなくて、デタラメで、そして、ものすごく単純な話なのに、楽しくなるのはなんでだろう――。

「だからね、日比谷くんにはしばらくの間、私がこの世界に存在している証拠を読んでもらうからね。私、日比谷くんのために、たくさん小説書くからね」
「待ってないけどな」
「ちょっと、ひどいんだけど」
 そのあとすぐ、僕は涼葉に背中を弱く叩かれた。




「ねえ、また今日も読んでほしいんだけどいい?」
「もう、書いてきたの?」
「すごいでしょ。昨日、一気に書いたんだよ」
 一昨日も見た青い大学ノートを右手で持ち、わざとらしく見せつけるように、涼葉はそれを左右に小刻みに振っていた。これがドームツアーの観客席で暗転の中、ネオン色に光るペンライトだったら、きれいなんだろうなってふと思った。

 月曜日、涼葉の小説を読んだばかりで、まだ2日しか経っていない。
 体育会系とスクールカースト一軍の登録者が多いこの学校では図書室なんて空気みたいなものだった。だから、蔵書なんて僕たちが生まれるとっくの昔に止まってしまったようなラインナップだし、夏休みや冬休み前にわざわざこの図書室の本を借りようとするのは本当にごく一部の、もの好きの陰キャだけだった。

 運動部の多くが全国大会常連だし、文化部も吹奏楽部と演劇部が異様に強く、たまに全国大会に出てしまうくらいだから、いろんなジャンルのガチ勢が多くて、この学校の図書室の本を読む暇なんてないんだと思う。
 そんな古い本を読んでいる暇があるんだったら、部活をしっかりやり、推薦で大学に入るために日々を頑張ったほうがいいに決まっている。もし、僕もなにか、得意なことの部活があったら、そうしていると思う。

「すごいね。その文才、文芸部に入ったほうが使えるんじゃない」
「わかってないなぁ、日比谷くん」
 涼葉はノートを小刻みに振るのをやめたあと、僕のことをじっと見つめてきた。じっと見つめてくる涼葉はやっぱり、ぱっと見の印象は、一軍女子の雰囲気だった。
 そんな涼葉が貴重な時間をなんでこの図書室で過ごしているんだろう――。
 ほかの部活をやったり、バイトして、遊ぶお金を作って、友達と遊んだらいいのに。

「これは私のために書いてるの。だから、人様に読ませるものじゃないの」
「おいおい、僕は人じゃないのかよ」
「あ、そうなるね」
「ひどいな、それ」
 そう返すと、なんかよくわからなくて、ウケるんだけど。と言って、涼葉はゲラゲラ笑い始めた。自分の生きた証なんて、必要なのかな。

 ”自分がこの世界に存在していることを自分の言葉で残したら、かっこいいかなって。”
 昨日聞いたその言葉が頭の中に響いた。

「はやく読ませてよ」
「やったー。日比谷くんには特別だからね」
 そして、涼葉は手に持っていた、ノートを開き、手渡してきたから、僕はノートを受け取った。