電話は翌日の夜では無く、数日後の土曜日、それも朝の九時頃にかかってきた。
本来留守電が入っていたなら折り返すべきだが、鹿島さんがやはり催促しないことと向こうも事情があるだろうしと言い訳して電話を待つことにしていた。
既に電話帳に登録してあったので、スマホに表示された着信相手に先に気付いたのは鹿島さんだった。
「知世!スマホ鳴ってる!!千世からだ!」
遅い朝食を終えダイニングのある一階から二階の自室に上がろうと階段を上がりだした私に、鹿島さんが凄い勢いで近づいてきて焦ったように声をかける。
それを聞いて急ぎ部屋に入り、スマートフォンの画面をタップした。
「はい」
『あの、柏木さんでしょうか』
「はい。千世さん、ですよね。
先日は電話に出られなくてすみませんでした」
落ち着いて話さなくてはと思っても鹿島さんが必死にその声を聞こうと私にくっつくので、仕方なく机に置きスピーカーにして話すことにした。
『いえ、こちらこそ。
わざわざ探して実家まで来てくれたのにいなくてごめんなさい。
あの、母から知世さんが渉さんの親戚と聞いたのですが、ごめんなさい、私あまり記憶力が良くない方で。
もしかして以前会ったりしていましたか?』
あぁ、私疑われているのかもしれない。
それはそうだろう。
突然こんな時期に聞いたことのない女子高生が家まで来たのだ。
鹿島さんと親しかった千世さんが警戒するのも無理はない。
恐らく有名になった鹿島さんに色々な理由をつけて寄ってきた女子を見ているはず。
私は既に考えていた設定を即座に思い出し、親戚の知世に切り替え演じる。
「突然伺ってすみません。
はい。地方に住んでいたので時々遊んで貰ってたんです。
私も小さかったからもしかしたら千世さんとお会いしてたかもしれないですが、覚えて無くて。
先日お兄ちゃんの亡くなった事故現場まで手を合わせに行ったのですが、そこでふと千世さんの事を思い出したんです。
千世さんのお話はお兄ちゃんから小さい頃聞かされていたんですが、何だか急に会いたいなと思って行ってしまいました」
『そうだったの!
そうよね、小さい頃の記憶なんて曖昧で当然だもの。
ところで渉ちゃんが私のこと話してたって本当?どんなことを?』
渉さん、なんて最初は言っていたけれど、ちゃん付けで呼ぶなんてとても親しかったんだ。
どうやら私のことを信用してくれたのか、それとも何を話していたのか知りたいのか、最初より私に対して気を許しだしているような感じなのはわかった。
千世さんの急に明るくなった声に、私が鹿島さんに目配せすればすぐに耳打ちするように彼女との小さな頃のエピソードを伝えてくる。
小さな声で耳打ちしたって鹿島さんの声は彼女に聞こえたりはしないのに。
それは酷く悲しい現実でもあるけれど。
「そう、ですね。
えーっと、確か千世さんが林間学校で木登りを披露して喝采を浴びたとか、学級日誌に担任の似顔絵を描いて呼び出されたとか。
結構やんちゃな女性だったんだなって思ってました」
『違う違う!それをやったのは渉ちゃん!
木登りの時は思わず喧嘩を売られてムキになって登っちゃったけど。
酷いわ、まるで自分はやってないかのように話していたなんて。
きっと自分は良いお兄さんでいようとしたのね。
渉ちゃんは何かにつけ私をからかったりして楽しんでいたの。
あんなに綺麗な顔なのに、中身は小学生みたいなんだから。
よく喧嘩だってしたのよ』
怒っている言葉とは裏腹に彼女の声から怒りは何も感じず、むしろ楽しさと嬉しさが伝わる。
横を向けば、スマホをじっと見つめる鹿島さんの表情からは複雑な思いが滲み出ていた。
「私が学校の男子から意地悪されているとお兄ちゃんに相談したら、自分もそういう事をやった、好きな子にはからかったり苛めたくなるものなんだよって言ってました」
これは鹿島さんから聞いた話じゃ無い、私のアドリブだ。
それに驚いたのか鹿島さんは目を丸くしてこちらを見ているけれど、それに笑みで返す。
『知世さんは渉ちゃんと、とても仲が良かったのね』
「あくまで妹扱いですが」
昔話の効果が出たのか警戒心を無くし親しげに私に話しかける彼女に、誤解の無いようそう返す。
『そっか。もしかしたら知世さんも私と同じで渉ちゃんが初恋の人?』
その質問に言葉が詰まった。
鹿島さんは告白しようとしていた。
千世さんとは学生時代友達だったと言っても、二人はお互いを思い合っていたんだ。
それをこんな形で千世さんの気持ちを知った鹿島さんの顔は見られない。
そして私に突きつけられた残酷な問い。
初恋、それは違うけれど、ここまで苦しい恋は初めてだ。
その度にこの思いは本物なんだと思い知る。
だけどもう鹿島さんへのそういう思いは、彼のために押し殺すと決めたんだから。
この場合はどういう風に返した方が良いのかはわかっている。
なのにどうして、その言葉を発しようとすると声が震えそうになるのだろう。
「そうですね、もしかしたら。
でも私は小さかったので憧れに近かったかも」
やっと言葉を返せば、電話からは彼女の柔らかな笑い声がする。
それが私の心を見透かしている上で、あえて何も言わないようにしているのではと思えた。
なんとなく、同じ人を思っているからこそわかる、そういうものを感じた気がした。