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約束の土曜日。
むやみに出てこないという約束をすっかり忘れた鹿島さんは、朝早くから現れてそわそわと家の廊下を行き来している。
正直食事をしていても、ドアの外でわんこが飼い主に対して散歩を待たされているかのような圧力を感じて、居心地の悪さに早々に食事を切り上げた。

親には買い物に出かけると言い、十時頃家を出た。
流石に早すぎるのも千世さんに失礼だろうし、かといって千世さんが出かけてしまうのも鹿島さんは避けたいようで、話し合いの末この時間になった。

電車に揺られ、大きなターミナル駅を乗り継ぎまた違う電車に。
昼前、下り列車ということもあるせいか余裕で座れた。
鹿島さんは私といると意図的にすれば物には触れらるようで、乗降口のドアにもたれかかり車窓を眺めている。
ぼんやりとした彼の表情にその心の中は読み取れない。
私はもうすぐ彼と別れることになる事がようやく現実味を帯びたことを、なんとなく寂しいなどと思っていた。

少し時代を感じさせる騒がしい駅を降りて南口に出ると私は驚いた。
建物が色々と変わっているものの、目の前に見えるロータリーやお店など何となく見覚えのある風景だった。

「ここ、私小さい頃住んでました。
多分駅の反対側、北口のエリアですが」
「え、いつ頃?」
「幼稚園くらいから小学校一年途中くらいの数年ですけど。
その後に両親が家を買って今のところに引っ越したんです」
「そっか、凄い偶然だ。
この辺は公園も多いしきっと幼稚園児の知世が遊んでたんだろうな」
「どこで遊んでいたのかすぐには思い出せませんけど、公園にはよく遊びに行ってたのは覚えています。
遊具がある所とか、小さいところとか。
結構忘れているものですね」
「不思議なもんだな。
似たような業界にいて、学校が同じで同じ場所にいたことがあるなんてさ。
もしかしてそんな知世だから俺のこと、気づけたのかも知れないな」

とても嬉しそうに言われて私は何だか恥ずかしい。
確かに鹿島さんを見つけたとき、今まで経験したこと無いほど幽霊が人にしか見えなかった。
あの場所に鹿島さんはずっといたのに、きっと私以外に霊が見える人だって通らなかったのだろうか。
無視されたのか本当に気づかれなかったのか。
どちらにしろ私はこんな形で学校の先輩であり業界の先輩でもあるこの人に出逢ってしまった。
だけれどそんな鹿島さんと過ごすのはあと僅かの時間になるだろう。
駅から徒歩十五分くらいの目的地に、私達は歩き出した。

駅から大通り沿いに進み、マンションなどが建ち並ぶ道に入る。
この辺は一階に店舗があったりするマンションが多い。
歩いていると鹿島さんが指を指した。
そこはこの道から一本奥に入っている場所で、そこに大きなマンションが見えた。
そのマンションは新しく、建て替えられる前のマンションに以前鹿島さんが長年住んでいた所らしい。
高一の時にマンション建て替えのために私が今いる町の方へ引っ越したそうだ。
綺麗になったんだな、そう言って歩き出す鹿島さんはきっと自分の家の思い出よりも千世さんに会うことしか頭にないという風に見えた。
段々戸建てが増えてきてそんな住宅街を歩いていると、ふと横にいる鹿島さんが止まる。
その視線は一つの一軒家に向かっていた。

「あれだ、千世の家」

す、と彼は指を指す。
白い壁に茶色の屋根の一軒家。
前には白の車が停まっている。
玄関の前には綺麗な花をつけた植木鉢が並んでいて、もしかしてガーデニングの好きな人は千世さんなのだろうかと思った。

隣を見れば鹿島さんは真っ直ぐ千世さんの家を見ている。
大好きな人の家を前に彼はどういう気持ちでいるのだろう。
最悪、好きな相手が結婚している事実を知る可能性だってあるのだから。

「これからどうするんですか?」

私の質問に彼は顔を引き締めて私を見る。
その緊張感が伝わって私も口元に力が入った。

「知世は俺の親戚で同業者ってことにしてくれ。
俺から千世に伝言を託されてた、それを伝えに会いに来たと。
俺にしかわからない話なら隣で俺が話すからその通りに話せば良い。
いつもならおそらく千世のおばさん、ようは母親がまずは出るはずだ」

急にそんな設定作ってつらつらと!
先にすりあわせをしたいと言っていたのに、鹿島さんは何とかなるとか言って私の希望を受け流した。
だがそこまで考えていたならやはり事前に打ち合わせしたかったのに。
ボロが出たらどうしよう、まだ所詮はモデル、演技なんて練習中の身。
私のせいで何かあったら、妙に思われて追求されて交わせるだろうか。
段々不安になってきていたら頭上をチョップされた。
こういう時に幽霊が触れられるという謎の力は迷惑だ。

「事前に打ち合わせしなかったのはわざとだ。
知世、お前女優目指してるんだろ?
今言われた設定くらいすぐに演じきれないでどうすんだよ。
本番で相手がアドリブで演技してきたらすぐ対応できんの?
こういうのを実践で出来るチャンス、それを生かそうとは思わないのか?」

真面目な顔で指摘されハッとする。
確かに鹿島さんには自分の目的を達成するため、私に成功してもらわなければならないだろう。
だけどそれだけじゃ無く、私に勉強する機会も作ってくれた。
単に忘れていただけかもしれないし、良いように丸め込まれている気がしなくも無いけど。
でもそれは目標とするドラマ出演だって似たような事は起きるはず。
どうせなら経験値は多い方が良い。
私は覚悟を決め、まずはドキドキとしている心臓を落ち着かせるように呼吸を整える。

鹿島さんの親戚として、実際彼が生きていたなら私と彼の年の差は約六歳。
彼が亡くなった年齢を考えると一緒に過ごした時期はかなり子供のはず。
記憶が曖昧でもそれなら誤魔化しもきく。
言い淀んでもいいように、実年齢より少し幼い気弱な妹イメージを作って、門にはめ込まれたインターホンのボタンを鳴らした。