私の横を誰かが通りそこに視線が行く。
壁近くにいた鹿島さんは、椅子に座っている阿部さんの横に立ち、そっと手を伸ばして彼の頭を撫でた。
撫でているのにその髪の毛は何一つ動くことは無い。

「俺のせいで苦しめてごめんな」

颯真は阿部さんからの話に感銘を受けて、ひたすら話しかけている。
阿部さんの頭に手を置き、苦しそうな、でも愛おしそうに見下ろす鹿島さんの表情。
思わずそんな鹿島さんの様子を阿部さんに伝えたくなった。
貴方の大切な先輩はすぐ側にいて頭を撫でているんですよ、謝っているんですよと。
でもそんな事伝えられるわけが無い。
颯真と阿部さんが話している間、ただ鹿島さんは阿部さんの横でゆっくりと彼の頭を撫でていた。


「何かあれば相談に乗るよ。
僕もそうやって先輩達に支えて貰っているから」

阿部さんのありがたい申し出に私達は喜び、阿部さんと連絡先を交換し学校を出た。
颯真と阿部さんは同じ方向へ、私は逆方向。
駅まで送るという二人の言葉を、買い物があるのでと断って一人で帰ることにした。
きっと颯真は私には話していなくても、男子の世界でしかわからない苦しい思いをしているはずだ。
少しでも阿部さんと話す時間をとってあげたい。
そして、無言でずっと先を見るような目をしている鹿島さんが私は気がかりだった。

買い物に寄るなんていうのは口実だったので、真っ直ぐ家に帰ればやはりまだ両親は帰っていない。
私は部屋で着替えると、すぐに鹿島さんを部屋に呼んだ。

「驚きました、まさか阿部さんが鹿島さんの後輩だったなんて」

黙ったままラグの上にあぐらを掻いて座っていた鹿島さんに、私から切り出した。
阿部さんは一切鹿島さんの名前を出さなかった。
その理由は分からない。
しかしとても彼が後悔し、そして今も鹿島さんを大切に思っていることは痛いほど伝わった。
恐らく鹿島さんも阿部さんが疎遠にしてきた理由が当時は分からなかったのだろう、時間は五年経っているけれど鹿島さんからすればまだ高校二年。
きっと懐かれていて可愛がっていた後輩が急に距離を開けたなんて悲しかったはず。
だけれど鹿島さんは亡くなって五年経った実感なんてまだ無いはずで、その時間による苦しみの差は私にはきっと想像できない。

鹿島さんは私が話しかけてしばらくしてから口を開いた。

「裕一は中学から一緒で凄く可愛いヤツでさ。
同じ芸能クラスの後輩だし、道に迷ってるのを案内したりして話してたらいつの間にか俺を崇拝してるとかなんとか言い出して。
何だか弟が出来たみたいで嬉しくて、裕一が悩んでいたらただ力になりたかった。
こういう世界の苦しみってやっぱ同業者にしかわからないものがあるだろ?
売れなきゃ売れないで苦しいし、同じ学年なのにその売れ具合には差が出るし。
人気が出たらそれはそれでプレッシャーなのに、他からは妬まれる。
他の相手に疑心暗鬼になりがちなのは俺もそうだった。
俺の場合は千世が怒ってくれたりしてくれて、ありがたかったかな。
随分芽が出なくてぐだぐた言ったりしてたよ、俺だって」

そうなんだ。
ここでも鹿島さんにとって千世さんがどれだけ存在が大きかったのかわかった。

この世界ならではの苦しみ。
それは本当に鹿島さんの言うとおりだと思う。
私はモデルとして仕事をしているとは言っても、代わりがいくらでもいるような存在。
役者を目指しているなんてモデルはいくらでもいるし、そもそも子役から演技をしているプロだっている。
同じ歳でモデルからスタートしたのに実力で有名になったある女子を、私は眩しいなんて言いつつも妬んでいないと言えば嘘になる。
そんな時に、芽が出ない人達だけでつるんでいれば心は楽だろう。
だけど絶対その仲間でも差は出てきて、ずっと同じままの関係ではいられなくなる。

よく例えられる、マラソン大会前に皆でゴールしようねと運動苦手な友達達と約束したって、走り出してしまえば早く言ってしまう子や置いて行かれるなんて話に近いかも知れない。
それを約束を守っていないと怒ったり妬んだりするのはお門違いだ。
自分の実力が無かった、運が無かった、ただそれだけ。
だがそれを受け止めることは、とてもとても難しく苦しい。

「でも阿部さん、鹿島さんのアドバイス通りミュージカル俳優として有名になりましたよね。
鹿島さんが阿部さんの実力を見抜いていたからこそ、今があるんじゃ無いでしょうか」

少しでも良い方向に話をしようとしたが、鹿島さんの表情は晴れない。

「それはどうかな。
俺が言ってしまったことが結局裕一の将来を縛ってしまったんじゃ無いかって、聞いて思ったよ。
本当に楽しんでいるんだろうか、本当にその道で良かったのか。
俺はもう裕一には本当の気持ちを聞くことは出来ない。
きっともし聞いても、あいつは申し訳ないと思って素直には言わないだろうけど」

難しいな、そう呟いて鹿島さんは俯く。
私は勉強机の椅子に座っていたが、同じラグの上に座って鹿島さんに向かい合う。

まだ出逢って一週間も経っていない。
なのに偶然にも鹿島さんを知る、それも近しい後輩の阿部さんに出逢った。
阿部さんの話す内容からは、鹿島さんへの尊敬とそして罪悪感が痛いほど伝わって、それだけ人に好かれていた人だとよくわかった。
友達の多い人だった、明るい人だった、努力家だったと聞かされ、きっと彼は容姿が美しいだけではなく彼は人を惹きつける魅力、そういうものがあるのだと確信する。
芸能人にはなくてはならないもので、私はそれが羨ましい。
いや、もう幽霊になった彼にその思いを抱くのは間違っているのかもしれないけれど。

「阿部さん、今でも鹿島さんを慕っていたじゃないですか。
罪悪感だけでこれだけ有名になるなんて事、出来ないと思いませんか?」
「あいつは素質がそもそもあったんだ」
「だからそれを気付かせるきっかけになったのは鹿島さんでしょう?
確かに後悔しているんだろうなと言うのは話を聞いていてわかりました。
でもあんなに眩しいほど自分の仕事に誇りを持っているんですよ?
自分が育てたくらいに威張って、自慢の後輩だと思えば良いじゃ無いですか」

私からするとそんな先輩と後輩の関係は羨ましい限りだ。
絶対に阿部さんは後悔せずに、努力して今の立場にいると思う。
それは鹿島さんだって誇るべき事では無いだろうか。

私の憤りが伝わったのか、じっと鹿島さんは私を見た後吹きだした。

「知世の考え方いいな。
そうだよな、ミュージカル俳優で有名なあの阿部裕一を見つけたのは俺だって思おう」
「そうですよ。
ちょっと歌っただけで見抜くなんて。
もしかしたら鹿島さんって芸能プロダクションの社長とかやれてたかもしれないですね」
「ははは、ほんと生きてたらどんな大人になってたんだろうな、俺」

鹿島さんは笑っているが一緒に笑っていた私の顔はその言葉に動きを止める。
今の私の発言、あまりに無神経すぎたのでは。
そんな私が内心うろたえているのを見抜いたように鹿島さんは優しい表情を浮かべた。

「まだ知世に出逢ってそんなに経ってないけど、知世のおかげでずっと気になってた裕一の気持ちを知ることが出来た、ありがとう」

頭を下げられ、いえ、そんなとしか返せない。
だって私が何かしたわけじゃ無い、ただたまたま阿部さんがタイミング良く来ただけで。

「きっとこうやって俺が成仏出来るように、心残りを減らしてくれているのかな」
「それは誰がですか?」
「んー、神様?
いや、知世様だな」

最後鹿島さんはおどけた。
一番辛いのは突然五年後に飛ばされたような鹿島さんだろう。
それも自分が成仏出来るためになんて考えなきゃいけないし、私はそれを望んでいるわけで。
いや、早く鹿島さんは成仏させるべきなんだ。
このままこの世界にとどまっている方がおかしい。
本当の心残りを無くしてあげることがきっと私に出来ること。

「とりあえずきっと良い方向に向かってますよ」
「死んでて良いも悪いも無いけどさ」
「それを言ったら巻き込まれた私は一体」
「ごめん、知世様しか頼れないので!」

手を合わせ頭を下げ、私を鹿島さんが拝む。
そろっと鹿島さんは視線を上げて私の様子をうかがった。
その様子に思わず笑ってしまう。
これもきっと計算だ。

「なるべく早く動きたいとは思ってますから」
「よろしくお願いいたします」

また仰々しく頭を下げた鹿島さんと顔を合わせ笑う。
彼の人柄、過去を少しでも知れたことで、やはり早く成仏させてあげたいという気持ちを強くさせた。