持ってきているとはいえ何をするのかと皆で困惑した顔をしても、彼は着替えてきてと急き立てるだけ。
仕方が無いのでわざわざ建物で利用する更衣室まで移動する。
更衣室も普通クラスとは別にこの建物にある。
どうしても撮影されたりするのを防止してほしいという芸能クラス側からの要望からだ。

鹿島さんは部室に残ったまま。
みんなといるので声を出すわけにも行かず、さっさと着替えて戻ると男子は既に戻っていた。

「ここの部活がどう進んでいるかわからないので僕のウォーミングアップを皆でしよう。
まずは軽くストレッチ」

皆で阿部さんの言われるがままストレッチし、彼は次に部屋に置いてあるエレクトーンの前に座ると、鍵盤を叩きながら一人ずつ発声をさせた。
そして一人一人にダメ出しする。
唯一OKをもらったのは颯真だけ。
颯真は誇らしげだが、先輩達はムッとしている。
それはそうだ、ここにいる人間は大なり小なり演技をして活躍できることを夢見ている学生達なのだから。

「工藤くん、かなり身体作ってるよね、養成所はやっぱり厳しい?」
「そうですね、長時間ダンスして歌うので」
「演劇が舞台かドラマなのかってあるけれど、やっぱり発声は基本だし大事。
声がしっかり通るかは存在感にも繋がるから必須だよ。
ということで、全員用意したマットの上に腹ばいになって。
そして腕立て伏せのような体勢をとって下さい」

いつの間にか阿部さんがヨガ用のマットを人数分用意してくれていて、それを各自敷く。
そして言われたとおりの体勢をとるけれどかなりこれはきつい!

「そのまま顔を正面に上げて。
はい、そのままで声を出して!」

エレクトーンの鍵盤を阿部さんが一つ叩き私達がその音の声を出せば、苦しいのに何故かしっかりと声が出て、皆の声が一気に重厚感を増した。
とても身体は苦しいのに何故声はしっかりでるの?

「はい、体勢戻して良いよ。
なんで声がよく出るかというと、腹筋、しっかりお腹から発声できたせいなんだ。
今までも意識してやってたと思うけど、やっぱり立ってやるのでは限界があるからね。
こうやって本当の意味でお腹を意識しながら発声する練習は、慣れるまで必要だと思う。
長くやると手や腕が痛くなって思わず喉を絞めるから、やるのは適度に」

阿部さんのレッスンはそれこそあっという間だった。
家でも出来るような基礎の基礎を固める方法を教わり、それも自分の発声が一気に変わる瞬間を味わえたせいで、皆は妙にテンションが上がっていた。

「阿部さん!時間があるならまだ色々話せないですか?」

帰る準備をする前に颯真が阿部さんに声をかけ、

「良いよ。今日はこの後何も無いし。
外は面倒だから部室でこのまましゃべろうか」

阿部さんの返事に颯真が諸手を挙げて喜んだ。
先輩方は残念そうにしていたが帰らないと行けないらしく、私はどうしようかと思っていたら、

「もし知世に時間があるなら、まだ裕一の話を聞きたいんだけど良いかな」

横から鹿島さんの声がして、私は彼を見ずに小さく頷いた。

結局三人だけ、というかプラス鹿島さんという状態で残ることになり、各自椅子を適当に引っ張ってきて向かい合って座る。
飲み物は皆持ってきているのでそれを飲みながら、早速颯真が色々と質問を初めている。

「でもてっきり阿部さんってドラマとかそっち方向に行くんだと思ってました」

颯真は昔から阿部さんのファンだった知識を全開にして話すと、阿部さんは苦笑いする。

「実はさ、これは外では話していないことなんだけど」

その前置きに私達は前のめりになって聞く体制になった。

「中学三年の時にね、仕事が二つ来たんだ、ドラマの端役とミュージカルの準主役。
その頃はドラマというかテレビで活躍したいと思ってたから、やっぱり選ぶならドラマだと思ったんだ。
以前からちょこちょこ出しては貰ってたけど、名前も無いとかあっても台詞が少ないとかで。
今回のは一応ゴールデンタイム、だけど1回だけの出演。
対してミュージカルは規模は小さいけど有名だし、期間はそこまで長くない。
ミュージカルは事務所に言われて渋々受けたものだったんだ。
それがまさか準主役に抜擢されるとは思わなくて。
事務所は時期が被るからどちらでも良いって言うんだけど、やっぱりドラマをやりたいし、正直ミュージカルなんて経験無いから荷が重くて」

わかります、と颯真は相づちを打っている。
私からすれば同じような歳でこうも二人とは差があるのかと思い知らされるけれど、それが実力なのだ仕方が無い。
悔しくないと言えば嘘になるけれど。
鹿島さんを横目で見てみれば阿部さんの見える位置で、部屋の壁に寄りかかって腕を組んで聞いているようだった。

「でね、相談したんだ先輩に」
「そういう相手がいるの良いですね、事務所の先輩ですか?」
「いや、この高校の先輩。
僕が中三の時に彼は高一だったんだけど」

それですぐに気付いた。
その相談相手ってもしや。

「その相談相手は?有名な人なんですよね?」

阿部さんは眉を下げて、そうだね、と小さく言う。