「今日の朝さ、猫がいたんだ」

 私は、脇道に入っていく彼の後ろ姿を追う。

「猫?」
「うん。道に行儀よく座って、尻尾揺らしてんの。で、俺と目が会ったら、急にどっかに歩いていく。なんか気になったから、後をつけてみたんだ」
「暇なの?」
「うるさい、朝練のために余裕持って早起きしてんだよ」
「ごめん、冗談」
「……で。猫の後つけてたら、いいとこ見つけたってわけ」

 彼はそう言いながら、迷路のように細い道を迷いなく進んでいく。

 ひっそりとしたその道は、たしかに猫の通り道に相応しいなあと思った。歩いていると、自分も猫になったような気分がしてくる。でも私は方向音痴だから、きっと、彼がいないとこんな迷路は進めない。

 路地が終わって、視界が開けた。

「ほら、見てみ」

 彼が指さしたのは、小さな神社だった。その(やしろ)の小ささに反して、立派な桜の木がすっくと境内で背を伸ばしている。私は目を瞬いた。

「わ……」
「な? いいところだろ? 人もいないし、写真撮り放題」

 そよそよと風が吹くたび、花が揺れる音がする。昼間よりも柔らかくなった夕方の日差しが、花の間からこぼれ落ちて地面を彩る。

 私はカメラのシャッターを押した。

 写真部の顧問から、カメラはいつでも手放さないように、と言われていた。写真にしたいと思う一瞬は、生まれてからすぐに消えてしまう。撮りたいと思ったら、すかさずシャッターを押す。一瞬を逃してしまわないように。

 青い空、白い花、柔らかな日差し。

「――ん、さっきより、いい感じ」
「猫に感謝だな」

 彼は誇らしげに笑う。その顔は、「猫にも、俺にも、感謝しろ」と言っている。

「ありがと。連れてきてくれて」
「おう!」

 ふと、足元の水たまりが目に入る。
 空を映した水面に、花びらが浮かんでいた。

 私はしゃがんで、その光景を小さなカメラ越しに見る。角度を変えて、何枚か撮った。

 風が吹くと水面の世界が揺れ、またしばらくして静寂を取り戻す。新しく落ちた花びらで、小さな波紋が生まれる。

「いい感じ、かも」

 つぶやいたとき、ふっと隣で彼の笑い声がした。