最後の一文字まで君を想う

 デート2日目。待ち合わせも面倒になっていて、今日は現地集合。一夜消費して考えたデートコースはこうだ。

 近くに有名な小動物カフェが出来たのでそこに行く。その後に漫画喫茶で時間を潰して解散。カフェばっかりにはなってしまうが今時の高校生はそんなもんだろう。

 カラオケも考えたが俺が苦手なので却下した。流行りの音楽を知らないどころか合いの手すらできる気がしない。よってデートコースは小動物カフェから漫画喫茶という流れに決まった。

 目的地に着くと一足先に栞がいたようで手鏡で前髪をいじっている。

「お待たせ」

「おはよ、氷室くん。デートなんだから男子は先に着いとかないと」

「男女差別反対だ。栞は女なんだから俺の言う通りにしろ」

「いい性格しすぎでしょ」

 無駄口を叩きつつ小動物カフェに入る。ドアにかけられていたベルがカランカランと音を鳴らし、(ほの)かに野生的な匂いが鼻を撫でる。

「わっ!うさぎ!かわいいー」

 店に入ると是非も言わさずスリッパに履き替え一直線にウサギの元に向かう。が、ウサギに伸びた手は店員さんに止められ消毒や説明などをさせられていた。

 説明が終わると基本自由にして良いらしく、ハムスターなどのいるショートゲージを見るもよし、ちょこちょこ動き回るウサギと戯れるのもよしらしい。

「膝に乗ってる!見て!写真撮って!ほらっ!」

 早速ハイテンションで呼びかける栞をスマホでカメラに映す。自然に栞の姿に目がいく。深緑のジャンバーにジーパン。見たことのないダンディな組み合わせにベージュのニット帽。いつもより少し赤みの濃い唇はセクシーでカッコいい。

 俺よりクールなのやめて欲しい。メイクの仕方が違うのか、いつもより鋭い目つきは小悪魔感がある。

「何で小動物カフェにしたの?氷室くんにしちゃ可愛すぎるんだけど」

「雨の日にうさぎ見たいって言ってたの思い出してな。あとフリータイムのカラオケより安いし」

 ぐでーっとした顔のウサギを撫でながら栞はコクコクと頷く。それなりに満足していただけたらしい。

「でも氷室くんの気遣いってたまに怖い」

「悪かったな。良い性格してるんだ」

「さっきのちょっと根に持ってるじゃん」

 栞は「ねー」なんて何も知らないウサギに語りかけている。微笑ましいことこの上ない。

 栞の周りにはウサギが2、3匹マーキングしているのに対し、俺は残念ながら一匹も寄り付いてくれない。

「なんか俺嫌われてね?」

「氷室くんの近づいてくるなオーラは他の追随(ついずい)を許さないからね。この子たちも分かるんだよ。氷室くんには近づかないでおこうって」

「何だそれ、悲しすぎる。来世ではもうちょっと人に優しくするか」

「来世なんだ」

 今世はもう諦めてる。来世に期待だと考えながら栞の太ももに鎮座しているウサギに目をやる。

 サラサラな毛並みは真っ白なのに、クリッとした瞳だけは真っ赤に染まったウサギは、ショートケーキのいちごを彷彿とさせる。カフェというだけあってメニューもあり、ウサギたちにも食べられるようなお菓子が買えるらしい。

「このジャガイモスティックって言うの買うか」

「へー、私たちだけじゃなくて氷室くんも食べれるんだ」

「ナチュラルに俺と栞の間に壁作るなよ」

 最近栞の毒舌に拍車がかかっている気がしないこともないが、気のせいだと思おう。それか心を開いてくれた証だ。

 ポジティブ思考を巡らせながらジャガイモスティックとやらを貰うとゾロゾロとウサギたちがやってくる。

「コイツら……俺は召使(めしつかい)じゃねーぞ」

「そんなこと言いながら食べさせてあげるんだね」

「可愛いんだからしゃーねぇ」

 だってこんな可愛い顔で見つめられたら無理だ。チョクチョクと前歯で噛みながら食べ進める。何この可愛い生物。

「私にもちょーだーい」

「ああ、うん」

 ジャガイモスティックが入った紙コップを栞の方に持っていくが取ろうとしない。

「あー」

 栞の方を向くと口を大きく開けている。どうやら食べさせろということらしい。平日ということもあり、人はごく少数なのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

はあく(はやく)

「分かったよ」

 ポテトを口に運んでいくとウサギのようにちょっとずつ噛んで食べ進めていく。何この可愛い生き物。

「ふふん、ありがとね」

 栞とウサギに餌付(えづ)けを終えた俺たちはショーケースに入っているハムスターを見にいくことにした。

「かっわいいー!」

 イメージ通り歯車的なのをぐるぐると走って回すハムスター。少しふくよかなボディで動き回るその姿は小学生の運動会のような和やかさがある。

「良かったら触ってみますか?」

「いいんですか?!」

 店員に声をかけられ嬉しそうに飛び跳ねる栞は、ウサギと大差のない可愛いし奥ゆかしさがある。

 店員さんがゲージを開け、ケースから脱出したハムスターはちょこんと栞の手のひらに収まった。ピンクの細い手でがっしりと栞の手を掴む。大丈夫。まだ嫉妬してない。

「可愛いねっ」

「だな」

「あー、可愛いなー」

 ハムスターと俺を交互に見ながら栞は呟く。俺と比べて可愛いって言ってるのなら大抵のものは可愛いだろ。ゴリラですら可愛いと言われかねない。

「可愛いなぁ」

「分かったって」

 何度も俺の方をチラチラと見ながら呟くので強めに相槌を打ち読点を打とうとする。

「違うの!そういう時は私の方が可愛いよって言ってくれなきゃ!」

 初デート2日目の俺には無茶な要求だろ。あれは俺に可愛いって言って欲しかったのか。どう見ても俺よりハムスターの方が何倍も可愛いぞ。と訴えてるのかと思った。栞は今からでも遅くないと目で訴えかけてくる。

「私の方が可愛いよ」

「違うっ!」

 ハムスターを落とさないように両手で大切に抱えながら左肘でつっついてくる。ほんと、可愛い。今日これしか言ってない気がする。

 もう少しハムスターを愛でた後、ショートケースに返し、元いた場所に戻る。ウサギのインパクトが強くて気づかなかったがネコも中には何匹か混ざっている。

 その中に一匹、端の方でこちらを見つめる黒猫を見つけた。紺青(こんじょう)色のつぶらな瞳に吸い込まれるように足が向かった。

「どうしたんだ。お前。混ざらないのか?」

 俺がしゃがみ込んで会話を試みると、「ミャー」と言う相槌が返ってくる。と、後ろから足音が聞こえてくる。

「ニャーオ」

 俺の隣にしゃがみ込んだ栞が本格的に会話し始めた。黒猫は困ったようにすぐ近くの壁まで後ずさる。

 その気持ちはすごく分かる。急に話しかけてくる人から距離を置く姿に自身を重ねると愛着が湧いてきた。

「なんか氷室くんみたいだね」

「俺もちょうど思ってたところだ」

「初めて話しかけた時にキョロキョロするとことか」

 バレてたのか……。努めて冷静に返したつもりだが栞の目は欺けなかったらしい。

「最近はそうでもないだろ?許してくれ」

「まっ、私としては男友達の1人や2人使って欲しいところではあるんだけどね。これからが心配だよ」

 出た。友達いないやつ可哀想って思考。その思考がすでに俺からしたら可哀想なのだ。

「俺は今まで友達を作らずに17年過ごしてきてんだ。友達ってあれだろ?一緒じゃないとご飯も食べられない。トイレも行けない。移動教室すら1人でできない。そんな弱小生物になり下がるつもりはないね」

「すっごい早口だ!」

 2人で苦笑しながら見つめ合う。俺の孤立ゆえの至高たる思考に賛同したのか黒猫が俺の足に自分の毛をなすりつける。

「お前も分かってくれるのか……そうだよな。群れるのは弱い奴がすることだもんなー」

「私今まで猫にこんなに気持ち悪い語り掛けをしてる人見たことないよ。見たくもなかった」

 どうやら栞は共感してくれないらしい。別に支持が欲しいわけじゃないので問題ないけど。俺は唯一の理解者を膝に抱えて撫でる。

 かすかな獣臭とそれを上書きするように高いシャンプーの匂いがする。黒い艶のある方は違い、ピンクの肉球は愛らしい。

「よしよし。猫ってこんな感じの手触りなんだな。ふわふわしてツヤツヤしてる」

「本当に氷室くんに似てるよね。黒いとことか」

「腹黒ってことか?悪口じゃん」

 性格は悪くないだろ。ほら、いい性格してるし、俺。現実逃避をしていると栞が説明をしてくれる。

「違う違う。いや違くもないけど……ファッションセンスとか、真っ黒じゃん。氷室くんの髪の毛もふわふわでツヤツヤだし」

 そう言って栞が俺の髪をポンポンと撫でる。避けようとしたが膝の上に黒猫を乗せているので断念した。

「極度の面倒屋店長こと俺でもリンスだけは毎日やってるからな。じゃないと朝起きたら爆発してんだよ」

「見てみたいかも」

 近くにあったブラッシングを手に取り毛(づくろ)いしながら会話する。

「すごい、クセになりそう」

「氷室くんって思ったより動物好きなんだね。私より楽しんでるじゃん」

 確かに栞はウサギから愛想を尽かされ、シカト祭りだ。

「悪い、栞も触るか?」

 手をどけて黒猫を見せる。俺の驚きの毛繕いスキルにより、明かりを反射し(つや)に文字通り磨きがかかっている。

「ううん、大丈夫。猫の毛好きなの?」

「触るのは結構好きかもな。ただ飼うとなれば話は別だ」

「そうなんだ……私の髪の毛ならいつでも触り放題だよ?」

「んな気持ち悪い趣味ねえよ」

 拒絶したのが不服だったのかむすっとした顔でこちらを見てくる。視線が怖いので自然に口からフォローが漏れる。

「なんだ、その……綺麗だとは思うぞ」

「えへへ、触る?」

「触らないって」

 その後はやけに自分の髪の毛を触らせたがる栞をあしらってカフェを出た。次は漫画喫茶。ここから徒歩数分で行ける名の知れた漫喫だ。

「次はどこ行くの?」

「漫画喫茶。すぐそこだ」

漫喫(まんきつ)ね」

 最近の子は漫画喫茶のことを漫喫と略すらしい。その理論だと久遠は最近の子じゃないな。てか漫喫って絶対、満喫と掛かってるだろ。誰が考えたかも知らないダブルミーニングに感心しながら街中を歩く。

 二つ程信号を挟んで裏道に入ると想像より数段オシャレな店が見えてきた。白い壁に筆記体で書かれた店名だけだと美容院か何かにしか見えない。

「おお……」

 栞も感嘆の声が漏れ出ている。店を教えてくれた久遠には感謝しないと。そういや久遠と遊ぶ件もあったな……。

 俺が先導しつつ中に入る。ホテル顔負けのオフィスに暗めの照明。流れているジャズが安息を与えている。

「2人用1部屋ですね。部屋にあるパソコンやコンセントは使って頂いて大丈夫です。読んだ漫画はまたある場所に返してください」

「分かりました」

 ルームキーと漫画一覧表を貰い部屋に向かう。

「漫喫だけどネカフェみたいだね」

「兼ねてるっぽいな。漫画だけじゃなくて小説もあるぞ」

「漫喫に来た意味ないじゃん」

 栞は苦笑しながら近くにあった小説を二、三冊手に取った。どの口が漫画喫茶を語ってるんだ。

 ドアを開けると1人用のソファーが一つ。ヨギボーらしき物が一つにカウンターテーブルが壁に貼り付けられていて、椅子が横並びに二つある。想像よりも広い。テーブルの上にはパソコンも一台開いた状態で置かれてあった。

「思ったより広いねー。クッションもーらいっ!」

「俺は小説取ってくる。ジュースも飲み放題らしいから何か取ってこようか?」

「ほんと?じゃあブランドコーヒーお願い」

「俺特製のブラッドコーヒーおみまいしてやる」

 笑い声を聞きながら俺は小説を借りに行く。何十個と言う本棚が並べられていて、本棚コーナーと部屋コーナーに分かれているようだ。小説や雑誌、参考書にもちろん漫画など、いろいろな種類の本が並べられている。

 本屋や図書室なんかで自分が持っている本を見つけた時の興奮は何にも変えられない。それだけでテンションが上がるのだから一種の薬物だ。

 流れるように小説コーナーに入り、読んだことのない小説を3冊ほど手に取る。片手が塞がってしまったのでコーヒーだけ片手に栞のもとに戻った。

「はい、コーヒー」

「ありがとー。氷室くん何の本持ってきたの?」

「ミステリー小説かな。一気に読むならこれに限る」

「ミステリー小説は推察の時間あってでしょ!休み時間に読んで授業中に考察するの」

 俺の持ってきた本の表紙を見ながら問題発言をこぼす。休み時間に推理小説を読むと犯人を深読みしすぎて授業は頭に入らないし、板書は伏線を並べた考察ノートになるからやめた方がいい。

「授業中に事件のことしか考えられなくなるから読まないんだよ。授業が頭に入ってないだろそれ」

「私はいいんですー。複素数なんて使いませーん」

「複素数って何だっけ……」

 微分法だの積分法だのわかんねえっつーの。どんな法律だよ。栞は他にも俺が持ってきた本を見ている。俺の持ってきた本は全て推理小説だ。

「あっ!これ私も持ってきたよ!一緒に読んで考察しよ!」

「良いな。どうせだし罰ゲームつけよう」

「じゃあ……何でも一つ言うこと聞く!」

「ありきたりだけどそんなもんか」

 2人して目が合うと優しい眼差しで睨み合う。俺も栞も負けるつもりなど毛頭無い。真剣に本と向き合う。

 微かに流れるジャズもページを開けば聞こえてこない。いつもより丁寧に、ゆっくりと文字を追いかける。不自然な表現描写を見逃さないよう、トリックやアリバイを全て疑う。

 半分が過ぎ、主人公と容疑者候補たちのアリバイも回収し終えた頃、ここら辺でと言わんばかりに栞がぱたんと本を閉じた。

「よし、じゃあ第一回考察大会開始!」

 自慢げに花を高くする栞は、私はもう犯人が分かりましたよと顔に書いてある。俺は自信満々の栞に先制攻撃を仕掛ける。

「俺はこの主人公に付き纏ってるやつが犯人だと思う」

「私はこの主人公の友達かなー」

 その後も一章を読み終えるごとに考察大会が開かれた。犯人の予想が被ったり、俺がアリバイ偽装に気づいたりもしたが、結果は……

「私の勝ち!ほらねー。怪しかったもん!」

「マジか……どんでん返しが凄すぎる」

 「もう一戦!」と言いたいほど悔しいが男として負けを認めないわけにはいかない。ここは素直に罰ゲームを受けることにする。

「で、何をすれば良い?」

「うーん、そうだなー。あんまり考えてなかった」

「おい考案者」

 見切り発車もいいとこだ。と言ってる俺も物語に集中し過ぎて何も考えてなかったので人のことは言えない。栞のことだしジュースやら晩飯やらを奢られそうだ。

 財布の中に何円入っていたか記憶から引っ張り出していたが栞のお願いは予想を大きく外れてきた。

「じゃあ相性占いしよっか。ちょうどパソコンあるし。もし私たちの相性が良かったらどうする?」

 上目遣いで聞いてくる栞に胸が跳ねる。そのせいか答えるのに時間がかかった。

「どうもしねーよ。むしろ悪かった時を考えたほうがいい」

 俺の返答が気に食わなかったのかムッとした顔でパソコンの前の椅子に座った。

「てか相性占いで何すんの?誕生日?星座?」

「これです!血液型占い!」

「血液型って……」

 人間が4パターンで分けられるわけない。もうちょっとバリエーションが無いとリアリティにかかると思うのは俺だけでは無いはず。

 血液型の相性占いとかパターンが16通りしかない。人の交友関係が16通りであってたまるか。いや、関わらないという関わりを入れるなら17通りとも言えるか。なんて考えてしまう。

「いいじゃん血液型、赤い糸って感じしない?」

「そんな血で塗れた赤い糸いやだろ」

「はーい、罰ゲームは絶対でーす」

 まだ怒りが冷めてないのかドゲのある声で否定された。栞は『血液型 性格』とキーボードで打ちリズムよくエンターキーを押した。

「この『血液型別性格と恋愛相性』っての見よ!氷室くんって血液型何?」

「O型」

「ぽいね。何にも属さない感じ」

「全世界のO型に謝れ」

 怒りのパラメーターが下がった栞はいつもみたいに毒舌で俺を攻撃する。怒ってるとはいえ、俺も反撃の手は緩めない。

 この遠慮のなさは初めて会った時にも感じた気がする。第一印象と大きく変わった気がしていたが、根っからの部分は元から同じだったみたいだ。

「えーっと、O型の人はおおらかで存在感抜群……リーダーシップを発揮することも……氷室くん。嘘はよく無いよ」

「俺は正真正銘O型だ。確かにおおらかでも存在感抜群でもリーダーでもないけどO型だ」

 細かいこと気にするし存在感はもちろん無い方。リーダーなんて、もってのほか。自分がO型か不安になるレベルだ。

「1人は好きだが孤独は嫌いだって」

「孤独も大好きだ」

 と言うか孤独と1人の違いはいったい何なんだ。俺は1人でさっきの黒猫が孤独ってイメージでいいのだろうか。

「お腹すいたと眠いが口癖……ちょっと近いね」

「言うほど近いか?」

 俺の口癖は「はいはい」と「期待すんなよ」ってところか、割りかし似てるな。めんどくさい的なニュアンスを含んでいるところが。

「と言うか栞はなんなんだよ」

「私はA型だよ。えーっとね、几帳面で真面目、優しくて控えめだって」

「くっそ、なんかちょっと納得できるのが腹立つな」

 栞は「残念だね」なんて笑ってくる。いや、どこが優しいんだ。栞の体に本当に控えめな血が流れているのだろうか?全くと言っていいほど腑に落ちない。

 そういや前にもそんな感覚に(おちい)ったことがあったな。花言葉の時だったか、大胆不敵と言われた久遠はまさに的中。俺はアルミストローマニアみたいな名前の花が誕生花だった。花言葉は小悪魔的誘惑だとかでズレていた感じがする。

 俺は占いブレイカーなのだろうか。違う、これは情報セレクションバイアス的なアレだ。選んだ情報が(かたよ)ってる的なやつ。

「自分っぽいのだけ選んでるだろ。俺にも見せてみろ。ほら、好きな人には意地悪で少し口が悪くなるだって」

 適当に目に入った文を読み上げる。的中したのか俯いて目を合わせようとしない。好きな人に意地悪。そう言う人がいるのだろうか、胸の奥がモヤっとする。

 そんな気持ちと栞から目を逸らすように次の文を読む。

「たまに自分ルールが発動するだって。これはあるよな」

「嘘?無い無い」

「いや、昨日、次は俺の番とか言ってデート案組まされたんだがそれは自分ルールじゃないのか?」

「うっ……」

 (ひる)んだ栞に追い討ちをかけるようにどんどん下にスクロールする。すると相性占いの記事に移行した。

「おっ、一番相性がいいカップルの血液型は……O型男子とA型女子…………」

 俺が読み終えると同時に沈黙が流れる。急に顔が熱くなる気がした。栞の顔も赤くなっている。

 部屋に流れる曲よりも自分の心臓の音の方が大きく聞こえる。どんどん早くなる鼓動を抑えるようにゆっくり息を吐いた。

「悪いってことはなさそうだな……」

「そうだね……」

 俺はそれ以上何も言わずにソファーに戻った。照れ隠しだと言われても仕方がない。でもしょうがないじゃないか。相性がいいなんて言われて何も思わない年頃でもないのだ。いやでも意識してしまう。

 栞も本を手に取ってはいるが俺と同じように物語に入り込めてはいないのかキョロキョロ辺りを見回している。

 栞も俺の視線に気付いたのか目が合う。たった数秒、互いの距離は5メートル弱。レンズ越しに繋がった視線は離れることなく、時間が引き延ばされたように感じる。

 心臓が波打つ音が聞こえる。栞の息遣いが鼓膜に伝わる。俺の想いが伝わりそうで怖い。ああ、俺多分、栞のことが《《好き》》だ。

 自覚と共に顔を本に逸らす。おそらく俺の顔は真っ赤だ。まだ鼓動も少しばかり早い。栞が声を掛けてこないことが救いだった。

 それからはいつものように本を好きに読んだが、俺はほとんど頭に入らなかった。好きだと自覚すればするほど、複雑に絡み合った感情が押し寄せる。

「帰ろっか」

「そうだな。そうしよう」

 いつもより静かな栞のことも気になったがそれを気遣える余裕は持ち合わせていなかった。

「今日は楽しかったよ!ありがと!」

 店から出てすぐ、満足げな笑顔を向けてくれる。早く1人になりたいという気持ちとまだ栞といたいという気持ちが拮抗する。そしてまた、そんな気持ちに思考が妨げられる。

「楽しんでくれたんなら万々歳だ」

「なんか氷室くんちょっと変?」

 なんの躊躇もなく距離を縮めてくる栞を俺は見続けることしかできない。後ろに下がろうとする足がもつれる。

「そんなことないだろ」

 自分でも分かる。はぐらかす言葉もいつもより力がないし、本調子でもない。そっと、栞の白い手が俺のおでこに当てられる。

「熱くない?大丈夫?」

「気のせいだって」

 柔らかくて冷たい栞の手のひらを払いながら話を変える。それと同時に駅につき、会話しながら電車に乗る。

「そういや一昔前の本読んでたよな」

「そうだね。読んだことなかったから」

「有名だったろ?読んだことなかったのか?」

 超がつくほどの有名作品。マウントを取っているわけでも誇張でもなく、本好きじゃなくても名前は知ってる作品のはずだ。

「前に言わなかったっけ?本読み始めたのここ2年前ぐらいからなんだ」

 栞の家の本棚には最近の本がほとんどを占めていたことを思い出す。それと同時にあのノートも……。明るい話をしているのが不思議なぐらいのノートだったはずだ。電車に揺られながらそんなことを考える。

「あのさ……」

 間が悪く、俺が口を開けたと同時に栞がバイバイっ!と駅のホームに駆けていく。俺も小さく手を振り返す。どっとぶり返す疲れを感じながら俺達のデートが終わった。

 俺たち3人の歯車はこの日を境に別のものへと変わっていった。
 久遠とデートの約束をした日から一ヶ月後。やっとテストや久遠の部活が落ち着いたことで遊園地デートを誘われた。約束を取り付けるのに一ヶ月かかる久遠の忙しさには目を回す。

 いろいろあっても笑顔で部活をできているのだから、忙しいぐらい気にすることではなさそうだけど。

 久遠の家のインターホンを押すと、音が鳴るより早くドアが開けられ、久遠が家から飛び出す。誇張抜きで心臓が飛び出そうなぐらいびっくりした。

「待ってましたー!行きましょーう!」

「テンション高いな……遊園地はまだ先だぞ」

「あっ、そっか」

 急に真顔になるのは、わざとなのか天然なのか。テンションがジェットコースターしている久遠に続き駅に向かう。

 薄ピンクのトレーナーに白色のオーバーサイズシャツ、水色のワイドパンツと女の子らしいファッションだ。いったい数年前の久遠はどこに行ってしまったのだろうか。

「へへっ、可愛いでしょ?」

「まあ、うん」

 特に面白いネタも思い浮かばなかったので生返事で答える。

「そんな率直に褒めないでよ!蓮が素直とか雨降るじゃん!」

「おい、それどう言うことだ」

 そもそもそれ矢とか雪とか降るやつだろ。雨なら普通に降っちゃうぞ。久遠と歩きながら空を見上げると、残念降るわけありませんと言いたそうに太陽が照り続けている。

「まっ、今日は多少の嘘もつきながら遊ぼうってことね」

「説明されても意味分かんないんだけど」

 でも確かに一ヶ月待たされた約束の日に雨ってのは嫌だよな。『嘘をつきながら遊ぶ』の意味が一つも分からないけど久遠に合わせるとしよう。

 乗り換え4回の遠出だ。混んではいなかったが、久遠の乗り間違いや、駅に降り忘れたりしたことで目的地に着くまでに結構な体力を消費した。

 久遠が逆方向の特急に乗った時は正気かと目を疑ったレベルだ。

「蓮が逆方向乗るから遅れちゃったじゃん」

「逆方向乗ったのは久遠な。俺は電車を3回逃した以外に罪は無い」

「それも中々の罪だけどね」

 方向音痴が2人になったことで余計に時間がかかった。既に30分ほど予定より遅れている。3人寄れば文殊の知恵と言うが壊滅的な人が集まっただけじゃ酷くなるだけなのだ。

 高めのチケットを買い、写真を撮ってから園内に入場する。聞いたことあるような洋楽がスピーカーから爆音で流れていて、久遠のテンションは再び上がっていた。

「最初は何に乗ろっか?蓮に乗る?非力すぎて無理か」

「取り敢えず調子から降りろ」

「えー、蓮に乗るチャレン()ジしよーよ!」

 蓮で掛けているつもりなのだろうがゴリ押し過ぎるのと無理矢理なのとで酷い有様だ。

「遊園地来たんだからジェットコースター乗るだろ、普通。あと久遠が俺に乗ることは無いから安心しろ」

「ちぇーっ」

 少し不貞腐れている久遠は俺の意見お構いなしに右へ左へ進んでいく。曲がり角にある看板が指差すアトラクションを見て、本日二回目、俺は自分の目を疑った。

 流石に気のせいだろうと、機嫌が治り鼻歌混じりに歩く久遠に着いていく。結果、自分の目が正しかったと信じざるおえなくなった。

「ここ行くのか?マジで?」

「行きます。高校生がお化け屋敷ぐらいで怖いなんて言わないでね」

「いや……まあ、俺はいいけど」

 俺が心配しているのは久遠の方だ。小学生6年生の修学旅行。こことはまた違う遊園地のお化け屋敷に入った時のことだった。6人班で2人ずつ行くことになり俺は久遠と組まされたのだが、久遠の驚きは阿鼻叫喚と表現するのに相応しかった。

 耳鳴りしそうなほど高く、大きな声で叫び、俺の名前を呼ぶや否や服の中まで入り込んできた記憶がある。お化け役の方が驚くレベルで取り乱し、そのあとは俺が付きっきりで久遠を宥めたのだ。

 掘り返した嫌な記憶を埋め直しつつ、流石に高校生だし大丈夫だろうと不安を落ち着かせる。

 待ち時間は20分らしい。休日ということもありこの遊園地もそれなりに人が多い。これぐらいは許容範囲だからいいが、2時間以上は流石に待たされたくない。

 久遠はこういう待ち時間に慣れてるのだろうか。友達と何度も来ているなら慣れるのも頷ける。

「友達ともよく来るのか?」

「うん、遊園地は割と来るよ。って言っても一年に1回か2回だけどね」

 遊園地《《は》》ってことはお化け屋敷自体はあまり回数を重ねてないのだろう。俺は心の中で克服していてくれと神頼みする。

「へー、そりゃわざわざ遊園地まで来るのも面倒か」

「だね。基本カラオケかショッピングモールかな」

 久遠も普通の高校生になったのなら良かった。なんて普通の高校生になれなかった俺が思う。

「メイクにイヤリングに、アニキュアに香水に、女の子って本当に大変なんだから」

「だろうな。マジ男子でよかったわ」

「最近の男子もメイクする人いるけどね」

 そうなのか、ピアスとか香水をしている男性は見たことあるけどメイクもするのか。レベルが高すぎて付いていける気がしない。

 軽くため息をつきながら少しずつ前に進む。

「俺がもし女子だったとしてもメイクなんてしてる気しないな」

「そんな感じするよね。しおりんと似てる」

「でもこの前一緒に遊んだ時メイクしてたぞ。久遠がプレゼントしてたやつで」

 初心者用な上、ほとんど初めてなのにも関わらずそれなりに上手だった気がする。

「やっぱりそっか……大切な日に使ってって言ったもんね」

 久遠が俯きながら嬉しさと悲しさを混ぜ合わせた複雑な顔でため息をつく。

「久遠の言う通り使ってくれてるんなら良かったじゃん」

 久遠は俺の言葉に「だね」と短く返事し、キョロキョロしながら前の方を見出した。おそらく緊張し始めたのだろう。手をすりすりと合わせ恐怖を紛らわせている。

「どうした?怖いならやっぱ辞めとくか?」

「わっ、私だって成長するんだから。これぐらいは余裕だよ。でも気絶した時はよろしくね」

 青ざめた顔で笑顔を作る。何をムキにななっているのか。俺も別にお化け屋敷はあまり好きじゃないし、久遠が頑張る理由がわからない。久遠なら頑張ることに理由なんかいらない!なんて言いそうだが。

 数分後、とうとう俺たちの番がやってきた。既に久遠は左腕を強く握っている。割と痛い。

 黒いカーテンを潜れば一気に寒くなる。朧げに光るライトが僅かに道を照らして、先を示す。

「蓮、いる?いるよね?」

「いなかったら久遠が今掴んでる腕は何なんだよ」

蓮根(れんこん)かな」

 実はこいつ割と余裕なんじゃないだろうか。でも腕を掴む強さとブルブルと震えてる指で余裕が無いことぐらいは分かる。

 俺が少し先行し辺りを見回す。壁に塗りたくられた真っ赤な血文字や端っこに落ちているボロボロのクマの人形。雰囲気はありきたりなおかげでまだ俺は大丈夫だ。

「ねぇ、蓮、いる?」

「いるって、大丈夫。死にはしないから」

 久遠は随分まいっているようで俺を盾に隠れながら進む。古い井戸の隣をゆっくりと歩いた。何となくだがここから何か出てきそうな気がする。

 そう思った時だった。上から人の腕が落ちてきた。俺は声も出せずに硬直する。

「蓮の腕が!嫌だ!殺される!蓮!蓮!」

「俺の腕じゃねえ!」

 久遠は俺の腕をちぎりそうな勢いで掴み、コアラみたいにしがみつく。そんな久遠を強引に引っ張るように連れて行き、出口近くまで来た。久遠は既に半泣きだ。

 墓場のように両サイドに墓があり、地蔵やら石で作られた狐やらが連立している。さっきの所で自分の予想が当てにならないことは分かった。俺は何が起こっても大丈夫なよう気を引き締める。

 出口の明かりが見えたと同時にパンっと風船が破れたような音がし、墓の下から無数の手が出てくる。久遠は俺を後ろに押し倒し、無言で出口まで一直線に走っていった。

 俺はと言えば、驚きと久遠に押されたショックで腰が抜け、膝に力が入らないせいで出口から出るまでに転けそうになった。

 のれんを抜ければ昼の明るさで目がやられる。元々を細い目にいっそう睨みをきかせて久遠を探す。

 少し歩けば久遠が少し先でうずくまっていた。俺は後ろに押し出されたことを思い出し、作戦を思いつく。

 俺は静かに久遠の背後に近づくと、小さく丸まる久遠に「わっ!」と急に大声で驚かせた。

「何っ?!あっ、蓮か……本当、本当に怖かった。死ぬかと思った」

 いまだに久遠の目にハイライトは入っていない。相当怖い思いをしたのだろう。

「蓮は何で大丈夫なの?」

「いや、割とビビってたぞ。声に出なかっただけで」

 久遠のように死ぬだの殺されるだのは思わないが寿命は縮んだと思う。腕が落ちてきた時に少なからず3年は縮んでる。

「あれ、そう言えば腕ついてるじゃん」

「当たり前だろ。途中で誰かさんに引きちぎられそうになったけどな」

「やっぱり!逃げて正解だったんだ。私ならちぎられてたかも」

 平静を取り戻し始めた久遠に、ちぎろうとしてたのは久遠なんだが。とは言えず、もどかしい気持ちだけが残る。

 その後は昼食をとり、パレードを見たりジェットコースターに乗ったりして時間を潰した。

 栞が好きだと自覚してから、久遠と2人で遊ぶことについて後ろめたい気持ちがなかったと言えば嘘になる。だが、いざ遊んでみると楽しいと言う気持ちの方が(まさ)った。

 友達が少ないので断定はしかねるが、友達との距離感というのが1番腑に落ちる。ジェットコースターにもう一回乗ろうとはしゃぐ久遠を見ていたら尚更だ。

 久遠に連れられジェットコースターを何周もしていると、体にガタが来始め、今はベンチでチュロスを食べながら休憩中だ。

「あー、楽しかった。次何乗ろっか?もう一回ジェットコースター?」

「マジ、1人で行ってくれ。ギブだギブ」

 俺は負けましたと両手を挙げる。食べたチュロスが今にも出てきそうなぐらいには気分が悪い。

「でも両手挙げてるじゃん。またわーってしたいんでしょ?」

「んなわけあるか。ジェットコースターに乗りたくて手を挙げてるわけじゃないんだわ」

 そんなワイワイとはしゃぐ子供みたいな無邪気な心も澄んだ瞳も持ち合わせちゃいない。口にチョコを付けた久遠を横目に深く一息つく。

「もう体力ないの?中学の時はあんなに走れる体力あったのに。最近走ってないでしょ」

「そりゃそうだろ。運動部じゃないと走らないって。筋肉が落ちてるからか体動かすのがしんどい」

「なんかおじいちゃんみたいだね」

 昔に比べたら筋肉も無くなったしある意味おじいちゃん状態と言えるだろう。心肺機能はほとんど落ちていないのだが筋肉がもうダメだ。この一年動かなすぎた。

「運動しなきゃなー」

「言ってるだけでやらないでしょ」

「ご名答。でも一応シャトルランは100回超えてんだからな。元長距離選手の面目は保ててるはずだ」

「私85回だよ?」

 バケモンじゃねーか。と喉元まで出ていたが何とか飲み込む。代わりに対して思ってもいない褒め言葉をさらりと吐く。

「流石は一年でレギュラー入りしただけあるな。今はキャプテンなんだよな?」

 この前に栞から聞いた記憶がある。俺の知らないうちに久遠と栞も相当仲良くなっているみたいでよかった。

「うん、三年生が引退しちゃったからねー。来年は受験だよ?」

「志望校決めなきゃ話になんないから、何とかしなきゃだな」

 来年受験か……。この前の懇談でも先生に志望校は早く決めておかないと取り返しのつかないことになるとか言われたな。家族での夕食でもここ数回は俺の大学の話ばかりだ。そういえば父さんが今日は店を予約してるって言ってたな。

 俺が落ち着いたのを見計らってか、久遠が立ち上がり観覧車を指差す。もう4時半、最後の締めとしてはこの上ない最適解だ。久遠が観覧車のようなしんみりした物を選ぶことに違和感を覚えたが、成長っていうのはそういう物なのだろう。

 まだライトアップされていない観覧車は人気がないのか、到着するとすぐに乗ることが出来た。

「さっきの話の続きなんだけどさ、蓮って大学どこ受けるか決まってないんだよね?」

 久遠は徐々に上がっていく風景を見ながら話を戻し、質問をしてきた。

「そうだな。親からは上の方行けって言われてるけど、正直わからん」

「私も。親が中途半端に成功しちゃってるから厳しんだよ」

 確か久遠の父は区長を務めていて、親の間じゃ結構な有名人だ。何度か見たことがあるが威厳があり、勤勉という言葉が似合う人だった。

「国公立目指すのはいいとして上すぎるとしんどいんだよねー。今は近くの大学の二番手か三番手ってことで話はついてるんだけどそれでもギリギリだよ」

 久遠の疲れがため息となってゴンドラに吐き出される。

「俺の母さんも国公立推しなんだよなー。父さんはあんまり口うるさくないから今は何とかって感じ」

 気づけば観覧車は折り返し地点に着いていて、1番高い位置に来ている。夕日が街を赤く染め、久遠の顔が朱色に溺れる。

「すっごい高いよ!あそこら辺が私たちの家だよね!」

「そうか?こっちじゃね?」

「嘘だあ、絶対こっち」

 俺と久遠で全く違う方向を指差す。それがおかしくて2人で同時に吹き出した。

「駄目だ、方向音痴と方向音痴じゃ分からないや」

「俺を方向音痴にするな。音痴なのは歌だけだ」

「確かに蓮の歌は酷そうだね」

 カラオケに行ったことがないので分からない。けどそんなやつは十中八九音痴だ。観覧車が終盤に差し掛かる。カラオケの話も終わり、少し間が空いた。俺と久遠じゃ珍しい沈黙だ。その沈黙を消すかのように加音が質問してくる。

「蓮ってさ、告白されたことあるの?」

「同じようなことこの前にも聞かれたな。一回だけな。中学の後輩」

「ああ、あの子か。本当にそれだけ?」

 久遠が覗き込むように聞いてくる。

「それだけだ。てか、あの子かって知ってるのか?」

「うん、何回か遊んだことあるよ。最近はあんまりだけど、学校で会ったら話すし。多分連絡先も繋いでたよ」

 もう久遠の交友関係が広すぎて怖い。弱みの一つや二つ、なんなら三つや四つぐらい掴まれてそうな気がしてくる。

「あの子も報われないよねー。蓮のこと諦めらんなくてこの高校入ったのに、いざ来てみればしおりんっていうラスボスがいるんだから」

 急に栞の名前を出されて、ドキリとする。それを隠すように俺は外を眺めると、もう地面はすぐそこにあった。

「あの子、この学校だったのか」

「そうだよ、蓮が陸上続けてると思ってたら辞めてたらしくて結構ショックだったらしいよ。ま、今は楽しく美術部やってるらしいけどね」

「そうか、それなら良かった……それ俺に言っていいやつか?まだ俺のこと諦めてないんじゃ?」

 声に出した瞬間に自惚れすぎだと自覚した。今のは自意識過剰すぎる。調子にのっていたのは久遠だけじゃなかったみたいだ。

「はー、どれだけ自分に自信あるの。でも陸上辞めても応援はしてるって言ってたよ。良かったじゃん」

 久遠のフォローが余計に心に沁みる。いったい何を応援してるんだと聞きたいが運悪くここで観覧車は終了。話の流れはストップしてしまった。

「ふー、楽しかった。じゃ帰ろっか」

 行きのように方向音痴2人で不安だったが、案外道を覚えていて、すんなりと帰路に着いた。もうすぐ俺たちの家が見えてくる頃だ。

 隣り合って進む。もう夕日も身を隠して、残り香だけが空に赤みを残している。何度も通った道。俺たちの間に会話は無く、久遠が話を振ってくれなければ今日一日中持たなかったと分からされる。

 本当に俺は人付き合いが苦手だ。久遠がいなければ今以上に愛想が悪かっただろう。何か迷っているような久遠を横目に俺は家に向かう。

 小さな公園の横を通った時、久遠がポンと俺の方を叩いた。

「どうした?」

「ちょっと話しよ」

 いつもは無理矢理にでも会話する相手と目を合わせたがる久遠が、今は俺から目を逸らし続けている。

 それに、今までだって容赦も遠慮もなく久遠は話を振ってきたのだ。かしこまった言い方に違和感しかない。

 何となく自分なりに予想を立てながらも公園に入る。ここは人通りはほとんど無いが、ごく稀にバイクや自転車が通る公園だ。小学生の頃はよくここで久遠と遊んだ気がする。

 久遠は何も言わずにベンチに腰掛けたので、俺は久遠の正面にある鉄棒にもたれかかった。

「ここ、久しぶりだね」

「そうだな。小学生以来?」

「ううん、違うよ。ここで泣いてた私を蓮が助けに来てくれたの覚えてる?その時以来」

 久遠は握った自分の手を見ながら、思い出を語るように指摘した。

「そんなこともあったな」

「うん、あったの。凄く嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった」

 久遠は何か言いたそうに下唇を噛む。この空気、一度味わったことがある。相手が言いたいことを言う勇気を振り絞っている時間。永遠に感じられる程の長い時間が動き出せば、もう取り返しのつかないことになる。

 顔を赤くし、手を強く握りながら、勇気を振り絞るように久遠は俯いている。

 さっき自分を自意識過剰だと(さげす)んだところだ。自惚れていると自傷を図ったばかりだ。それでも直感する。これから久遠がすることは––

「私ね、蓮からいっぱい色んなものを貰ったの。夢も道も、勇気も」

 決心がついたように口を開けば、出てくるものは俺への感謝。ただ、久遠が言いたいのはそれじゃないことぐらい分かる。

「私!蓮のことが好きっ!ずっと、ずっと前から好きだった。だからっ––」

「ごめん…………」

 久遠の告白に、俺は途中から割って入る。最後まで言わせてやれと、そう思う。最後まで聞いて、しっかり答えるのがお前の仕事だと、言い聞かせたはずなのに、俺は自分が傷つくのを恐れて、久遠を傷つけた。久遠の顔が怖くて見れない。

「ごめん……久遠の気持ちは凄い嬉しい」

 気づいていた、久遠の好意に。見ないふりをしていた、久遠の想いを。はぐらかしていた、今この時を。言葉にすればすぐに分かる。こんな慰め、今の久遠には何の意味も持たないことも。

「それでも……それでも俺は」

「いい、言わないで。分かるから。分かってたから。私が入る隙なんて、無かったんだよね」

 顔を上げた俺の目に久遠の表情が映る。眉を八の字に傾け、澄んだ涙が久遠の頬を撫でる。唇を優しくつむぎ、溢れ出す感情を殺そうとしているようだった。久遠は袖で何度か涙を拭いて、公園の出口へと向かって行った。

 声を押し殺しながら泣く久遠の背中が、俺の心に氷柱(つらら)を突き刺す。体から血が出た方がいっそ楽なのにと、だから俺を殴ってくれと、いない誰かに叶わぬ願いをする。

 今なら『嘘をつきながら遊ぶ』の意味が分かる。俺も久遠も自分の想いに嘘をついて、気付かないふりして今日を過ごしたのだ。

 もう一度、去る久遠に目をやった。その時、バイクのハンドルの音が小さく聞こえた。嫌な予感、嫌な想像、嫌な結末。気づけば久遠の方に走り出していた。

 久遠はまだ気づいていない。俺にも、バイクにも。多分久遠は俺の返事を受け入れるのに精一杯なんだ。

 久遠が道路に一歩踏み出すと同時にバイクが俺の視界の中に入る。届けと伸ばした手、鳴り響くブレーキの音––

「危ないやろが!急に飛び出して来おって、前見ろ!」

 間一髪、俺の手は久遠の背中に届き、力一杯久遠を引っ張った。バイクに乗ったお爺さんはチッと舌打ちをした後、去って行った。

 久遠は何が起こったか分かっていないようで、俺に引っ張られた勢いのまま、地面に寝転がっている。

「大丈夫か?」

「大丈夫だから、いいよ。ありがと」

 今まで聞いたことないほど冷たい声で俺を突き放す。当たり前だ。久遠は立ち上がるとすぐにしゃがみ込んだ。

 何事かと見てみれば、久遠の右足が酷く腫れている。青く膨れ上がり、出血もしている。おそらく打撲だ。

「大丈夫じゃないだろそれ。送るから」

「っ……いいって……辞めてよ」

 俺は久遠の言葉を聞かずに久遠の前に背を向けてしゃがみ込む。

「辞めてって、本当に……辞めてよ……」

 久遠はそう言いながら、俺の背中に泣きつく。あの足で帰ることが出来ないのは分かっているのだろう。

 俺は持ち上げると、とりあえず俺の家に向かう。久遠は力強く俺の背中にしがみついている。

「優しくしないでよ……諦めらんないじゃん。俺には乗せないって言ってたくせに」

 何度もそう言う。俺だって、久遠を傷つけたくはなかった。それでも。仕方ないじゃないか。俺には、俺にはもう、諦められない人ができてしまったのだから。

 鼻水を啜る音が、背中を掴む手の熱さが、後ろから聞こえる泣き声が、首元に感じる涙の冷たさが、その全てが俺を思ってくれた証で、叶わぬ恋の証だった。

 家に着くと玄関に久遠を座らせ、リビングからテーピングと保冷剤を持ってくる。久遠の前にかがみ込むと靴と靴下を脱がせた。

 優しく保冷剤を当ててテーピングで固定する。終始、久遠は静かに泣いていた。

「ねえ、何で優しくするの?」

 静かな家に、消えそうな声でそう言う。

「決まってるだろ。大切だからだ。俺は久遠とは付き合えない。でもそれが助けない理由にも見捨てる理由にもならない」

 俺は上からもう一度テーピングを重ねながら答える。ポタポタと俺の手に涙が落ちてくる。何で俺は女の子を泣かせてしまうのだろうか。

「あーあ、駄目だな私、失恋しちゃった。諦めさせてくれない蓮なんか大嫌いなんだから」

 久遠は足を立てたまま、寝転がる。涙を止めようとしているのだろう。まだ鼻声だ。

「でも久遠も分かってただろ。今告白しても無理なことぐらい」

「酷いこと言うね。でも、うん、分かってた。それでも蓮に教えてもらったから。好きな事からは逃げない方が良いって」

 久遠が部活を続けると決めた日のことを言っているのだろう。久遠はちゃんと向き合って、ちゃんと形にしたのだ。

「それに吊り橋効果とかでバグったりしないかなって」

「バグったりって……」

 あれほどまでに久遠がお化け屋敷に行きたがってたのはそんな理由があったのか。テーピングが終わると久遠の横に腰を下ろす。

「蓮は、告白するの?」

「久遠を振ったからにはしなきゃだよな……」

 好きな人がいるからと振っておいて、自分は告白しないなんて正直言ってクズだ。相手が勇気を振り絞ってくれたなら、振った側もそれなりに示さなきゃいけない。距離が近いなら尚更。

「久遠、なんか良い方法あるか?」

「それ私に聞く?しかも振った相手に恋愛相談とか正気じゃないでしょ」

 俺と久遠が揃って苦笑する。まさに正論。俺は正真正銘クソ野郎だ。

「俺には友達が1人しかいないんだよ。察せ」

「じゃあ蓮に聞くけど、もし私がいい方法があるって言ったら蓮はそれを使うの?それで本当に想いが届くと思うの?」

 久遠は起き上がって、いつものように俺の目を見る。

「届かないな……」

 そうだ、自分が言葉にしなきゃ意味がない。それぐらい。俺にだって分かる。

「はい、約束ね。明日しおりんに告白すること」

「ああ……明日っ?!」

 突き出された小指に小指を近づけると、逃がさないと捕らえられる。約束は強制らしい。

「失恋は全部私が持っていってあげるから、最悪振られても私のとこに来たら笑顔で振ってあげるし」

「久遠も振るのかよ」

 そんな打算的な覚悟で挑むなと言うことだろう。久遠には本当感謝しかない。こんな俺を許してくれて、力を貸してくれて。最高の友人だ。

 2人で玄関に座っていると家のドアが開いた。仕事帰りの父さんが車の鍵をクルクルと回しながら入ってくる。

「おお、蓮、ここに居たのか。これから母さんと外食だ。久遠ちゃんは……怪我大丈夫?送っていくから車乗りな」

 父さんの提案で久遠を家に送り、そのまま外食に向かった。



「久しぶりねー、蓮」

「毎回言ってる」

 赤いドレスでドレスコードを突破した母さんはいつも通り俺に挨拶をぶつける。

「毎回言ってるって言うのも毎回言ってるよな」

 父さんが席に座り、俺も後に続く。久遠といつも通り別れられたからか落ち着いている。

「ふぅー」

 今日1日の苦労を吐き出すと、「どうしたの」と母さんが聞いてくる。

「別に、ちょっと疲れただけ」

 約束通り明日告白するとなると考えることと考えたくないことで潰されそうだ。そもそも栞が俺のことをどう思っているのかすら分からない。好きなのだろうか?そもそも好きって何だろうか?

「はー、好きって何だよ……あっ」

「ねえ、葵さん答えてあげなよ。好きって何かだって」

 運悪く1番聞かれたくない人に聞かれてしまった。もうあとは野となれ山となれだ。俺にはどうすることもできない。

「恋愛小説読んだことあるんだったら何となく分かるんじゃないか?人それぞれだってことぐらい」

「1番面白くない回答だな」

 サラダを摘みながらツッこむ。ありきたりすぎて参考にすらならない。

「じゃあ俺の思ってることを正直に話してやろう。俺が思うに好きってのは形を決めることなんだ。さっき言ったように好きなんて人それぞれ。その型を自分で決める。それが好きってやつだ」

「その好きの形が私なのね?」

 父さんは無言で顔を赤くする。いい歳して辞めてくれ。高校生は親のそういうの1番見たくないんだよ。

「つまりだ。蓮が栞ちゃんを選んでも久遠ちゃんを選んでも、好きなことには変わらない。そう思うな」

「はいはい」

 センチメンタルでロマンチックなことを言った割に何となくしか掴めない。そう言うものなのだろうけど。

「恋愛もそうだけど勉強もしっかりね。ずっと言ってるけど私は国公立推しだからね。葵さんは何も言わないかもだから私はしっかり言います」

 母さんの勧める大学はこの地域でも頭ひとつ抜けている大学だ。俺の学力じゃ不可能と言われても仕方ない。そんなレベルに行かせようとか怖いとしか思えない。

 俺は1週間に一回の家族団欒をしながら明日のことを思い、胃もたれするのだった。
 翌日。俺は授業が終わり次第図書室に向かい、いつものように栞を待っていた。

 スマホの「今日図書室行くよー」と、スタンプと一緒に送られているトーク画面を見ながらため息をつく。

 今日告白しなければならないのかと思うと足がすくむ。告白の言葉も伝えたい気持ちも、全てが曖昧模糊で霧のようだ。

 ただ、そこに存在しているという事実だけがやけに鬱陶しく心の(わだかま)りとして居残り続けている。

 久遠もこういう気持ちだったのだろうか。そうやって勇気を出し、フラれ。理想が理想でしかなくなって。

「フラれたくないなあ……」

 ダサい本音が胃の底から這い上がってくる。昨日も碌に眠れていない。自信も確信も無いのによく告白なんて出来るよな。なんてぼーっとした頭で悪態をついていると電話がかかってきた。

『もしもし、蓮?』

「どうした、今余裕ないんだけど」

『だと思った、なので私が勇気づけてあげようと思います!』

 昨日ぶりの久遠の声はいつも通りで、その通常通りの違和感と、久遠の安心感が俺の耳を傾けさせる。

「頼んでいいか、悪いな。このままだと告白する前に体壊しそうなんだよ」

『安心して、しおりんは絶対蓮の告白を断ったりしないから。考えてみて?しおりんに蓮以外の選択肢あると思う?』

「根拠が酷いな。一理あるけど」

 クラスが違うので学校の栞を見る機会は少ないが、男っ気があるとは思えない。流石にデートまでして彼氏がいるってオチも信じられない。もしすでに彼氏がいるなんて言われたら泣いてしまう。

『大丈夫だから、きっと、蓮としおりんはうまくいくよ……』

 スピーカーから沈んだ声が聞こえる。そうだ、久遠だってまだ割り切れているはずないのだ。それなのにこうやって励ましてくれている。

「そうか、ありがとうな。感謝してる」

『へへっ、今ならまだ間に合うよ?』

「本当に、ありがとう……」

『話、聞けし』

 久遠の言葉に苦笑すると、スマホからも小さく笑い声が聞こえてくる。

『私もう部活だ。頑張ってね!』

「おう」

 電話が切れると、久遠の声に代わりに沈黙が流れる。気づけば先ほどのような不安も少しは軽くなった気がする。

 俺はもう一度伝える言葉を復習しながら、栞が来るのを待った。

「あれ?氷室くん本読んでないじゃん、熱?」

 栞の声に無意識下で背筋が伸びる。栞の指摘は真っ当だ。いつも本を読んで待っているのだから手持ち無沙汰で座っているのは違和感があるのだろう。

「ちょっとな。てか俺は熱でも読むぞ。なんてったって文豪だからな」

「作者に失礼でしょ、エホッ」

 咳き込む栞の正論パンチを真に受けながら、緊張を隠すように平然を装う。

「咳大丈夫か、栞が熱なんじゃ?」

「大丈夫だよ、夏風邪だから」

「もう冬だろ」

 今は12月目前。気温も下がり、テストが終われば冬休みが始まる頃だ。現実逃避しながら告白のタイミングを見計らう。

 栞とのデート2日目に好きだと自覚してから、何度も図書室で時間を過ごした。出会ったのもこの部屋だ。

 だからと繋げるのが正解なのだろうか。俺はこの図書室で告白したいと思った。既に栞はいつもの席に着いていて、時計の音だけが俺の行動を急かす。

 デートの誘い的なのはスラリと出来た筈なのに、喉の奥がつっかえたようで声が上手く出せない。

「もう冬休みだね、どこ行こっか?」

「行くことは決まってるんだな」

「どうせ暇でしょ?氷室くんは来年受験生だし遊べるうちに遊んどかないと」

 雑談のようにカバンから本を取り出しながら栞は会話を促す。学生鞄から出てきた本には俺がプレゼントしたブックカバーが付けられていて、それだけで嬉しくなる。

「そうか、そう言えば栞は大学どこ受けるんだ?」

「んんっ、大学かー、まだ決まってないんだよね……出来れば国公立かな、安いし」

「国立の方が安いもんな」

 告白を後回しにしているだけの会話でも充分に満足している。一歩前に進みたいとも思うけど、全て失われるならこのままでもいいと思ってしまう。

 だが、失敗したぐらいで人間関係変わるものじゃないと信じたい。実際、俺と久遠の関係が変わったとは思えない。

 ならば俺は、久遠と絡めた指の温もりを忘れないうちに挑戦する。久遠がここまでお膳立てしてくれたのだ。

 父さんも言っていたじゃないか。好きというのは形を決めることだと。なら今からその形を決めよう。ここからは自分の力でするしかないんだ。

「なあ、栞、話がある」

 俺は恐る恐る確認するように口を開ける。

「どうしたの、告白?」

「あっ、いやっ」

 図星を突かれて、全力で動いていた心臓が跳ねる。これは脈無しの合図だったりしないだろうか。自分の力で解決すると決心したばかりだが久遠からのアドバイスが欲しくてたまらない。

 でも、ここを(のが)したら逃げだと思われる。ならはぐらかす選択肢は無い。久遠も言っていた。自分の言葉じゃないと伝わらないと。俺は息を小さく吸って、想いを口にする。

「そうだ……。俺と付き合って欲しい。栞が好きだ。この世の誰よりも」

 面と向かって栞の顔を見つめながら、愛の告白を謳う。栞は目を丸め、驚きながらも俺から視線を逸らした。

 下唇を優しく噛んで、何かを堪えたような顔をする。そんな栞の顔の一コマを見るごとに恐怖と不安で潰されそうになる。

「…………私なんかで、良いのかな……?」

「ああ、栞がいい。栞じゃなきゃ嫌だ」

 今まで押さえつけていた気持ちは、一度蓋を経って仕舞えば案外すんなりと言葉になった。言葉にするまでは霧だった想いが、大きさそのままに、密度だけを増やして心を埋め尽くす。

「……お願いします。私も、大好きです」

 出会った日のように、栞の白い手が俺の腕に添えられる。俺は振り解かず、そっと握り返した。栞の瞳には小さな雫が光っていて、俺の鼻水も決壊寸前だ。

 そんな互いの顔を言葉も交わさずに眺め合っていた。届いた想いが、報われた願いが、2人の手を通じで繋がっている気がする。

 冷たいチャイムの音が鳴るまで握られていた手は暖かくて、その手を離した時の栞の寂しそうな顔が愛らしい。

「帰ろっか」

「だな」

 短い会話の後、校舎を出ると強い木枯(こが)らしが、ビューッと2人の間を縫っていく。

 無言の帰り道は珍しく居心地が悪くて、会話の糸口は先ほどの風に飛ばされ見つからない。

 何気ない話題はないかと思考していると、不意に左手が握られる。

「ふふっ、付き合ったことない氷室くんには早かったかな?」

 恥ずかしそうに顔を赤くしながら強がる栞にカウンターを喰らわせるため、握られた手を恋人繋ぎにする。

「どうした?この繋ぎ方の意味知らない?」

「知ってますー、こっ、恋人繋ぎでしょ。知ってるよ、綾波栞の(じゅん)は純粋の純なんだから」

「綾波栞のどこに純があるんだよ」

 ツッコミはするが、はぐらかしている栞の耳は真っ赤で、本当に可愛らしい。少しばかり栞の右手の温度が上がった気がする。

「ねえ、私のこと、この世で1番好きなんでしょ?どんなところが好きなの?」

 栞のどこが好きか。そんな問い、考えるまでもなく出てくる。

「俺を知りたいって言ってくれたことかな。そりゃ、話が合うとか、可愛いとか、そう言うのは山ほど……星ほどある。でも、多分それが1番の理由」

「よくそんな恥ずかしげもなく歯の浮く言葉言えるよね。んんっ、流石元ポエマー」

 目も合わせてくれない程に照れながら言われても説得力がない。俺を知りたいと言ってくれた時、気持ちが昂ったのを忘れてはいない。思い返せばその時に始まったんだと思う。

「次は栞の番だぞ」

「私はね、2人で歩いている時に車道側を歩いてくれるのが好き。歩くスピードを合わせてくれるのが好き。私が落ち込んでたら、何か行動しようとしてくれるのが好き。なんだかんだ私を助けてくれるのが好き。泣いてたらなにも言わずに胸を貸してくれるのが好き」

 淡々と挙げていく栞の褒め言葉にむず痒い気持ちになる。栞は前を見ながら、一息吸うと、続けた。

「そんな、蓮くんが大好き」

 最後の言葉に息が詰まる。栞に下の名前で呼ばれるのは違和感があって視線が吸い寄せられる。

「付き合ったんだし良いでしょ?」

 ひひっと白い歯を見せて笑顔を向けられる。この子が彼女になったんだと思うと今なら空も飛べる気がする。

「ああ、いいぞ。しおりん」

「気持ち悪いやめて」

 辛辣な栞の言葉を受けながら駅に降りる。俺たちは駅のホームに着くと手を離し、チラチラと互いに視線を交わしながら、ぎこちなくも楽しい時間を過ごした。

 栞と別れると昨日今日と変わったことが多すぎて唖然としたが、告白成功のガッツポーズだけは電車の中でしておいた。

 家に着くと流れるようにベッドに埋もれる。久遠にありがとうと何度目かの感謝のメールを送り、枕に顔をめり込ませた。

 何度も頭をよぎる例のノートの謎。俺はまだ、栞の秘密に踏み出す勇気はない。でも、栞が一歩でも歩み寄ってきた時、もたれかかってきた時に支えてやれるようにしたい。

 そんなことを考えていると、気づけば夢に浮く泡沫(うたかた)と化していた。

––ピコンッ

 着信音に目を覚ますと久遠からの返信が来ていた。

『そっか、上手くいったんだね。末永くお幸せに!!』

 久遠が心からそう思っているのかは分からない。もしただ分かろうとしているだけなら俺はなんと返すのが正解なのだろう。

 スマホをいじりながらリビングに向かうと父さんが夕飯を作っていた。

「蓮、告白は成功したのか?」

「俺は父さんが怖いよ」

 味噌汁を菜箸でつつきながら、父さんはエスパーかのように聞かれたくない質問をしてくる。

「やっぱりそうか。ま、好きにしたらいいさ。でも玲さんは怒らせないでくれよ。勉強怠ったら俺が怒られるんだから」

「はいはい」

 久遠には久遠のおかげだよ。と返信した。栞と付き合った思うとニヤケが止まらない。もう冷め切った左の手のひらを見ながら、明日からの日々を楽しみに過ごすのだった。
 12月24日、クリスマス前日。俺は分厚いロングコートのポケットに手を突っ込みながら栞が来るのを待っていた。

 街は赤と緑の2色が視界のほとんどを占めていて、向こうにはクリスマスツリーが生き生きと輝いている。

 街中に溢れかえるカップルを眺めながらソワソワしていると、「蓮くーん!」と後ろから栞の声が聞こえてきた。

「おはよ、寒いねー」

「マジ寒いな。いくら冬だからって寒いにも程がある」

 栞もガクブルと震えている。ピンクと白のモコモコのボアジャケットに身を包みながら、分厚い手袋で身体中を覆っている。

 なんかこう全体的に丸っこくて可愛い。深緑のニット帽にジーパンの組み合わせは、子供っぽさを薄めていて、濃いめの赤い口紅がファッション全体をまとめている気がする。

「じゃあ、水族館行こっか」

 ニコッと口角を上げる栞に頬を赤くする。もしかすると、耳まで赤いかも知れないがそれは寒いせいだ。そういうことにしておこう。

「だな。でも水族館とかじゃなく遊園地とかならクリスマス仕様を楽しめかも知れないのに良かったのか?」

「うーん、別にクリスマスとかあんまり気にしてないからね。蓮くんもあんまり興味ないでしょ?」

「まあ、確かに。水族館は室内だしそれでいいか」

 前日から決めていたことだがこんなにバッサリクリスマスを切り捨てるとは。クリスマスとデートは何かしらの関係があるみたいなのは舞い上がりすぎだったのだろうか。

「水族館とか初めてなんだよねー」

「俺も子供の頃に一回だけ行ったような気がするけどほとんど初心者かな」

 小学生に上がったかどうかの時期だ。記憶は薄い。まだ家族が同居していた頃の話で、父さんの小説のワンシーンにもなっていたはず。

「ジュゴンとかいるんだって!蓮くんは見てみたいものとかある?」

「俺はそうだな。無難だけどイルカショーは見てみたい気がするかも」

 詳細は思い出せないが、昔見た時に驚いた記憶だけはやけに残っているので、もう一度見ておきたい気がする。

「エホッ……いいかもね」

「まだ咳、治ってないのか?無理しなくてもいいんだぞ」

「全然気にしなくて大丈夫だよ。それより蓮くんこそずっとポケット突っ込んでるじゃん。ほら、こっちの手袋貸してあげるから」

 そう言って栞は右の手袋を差し出してくる。

「いや、これであったかいから大丈夫だって。それに2人とも片手だけとか変だろ」

「うるさいなー。とりあえずつけて」

 栞に押し負け、俺は暖かいポケットの中から両手を外に出す。手袋をつけると、左手をすぐさま捕まえられる。

「これで両方あったかいし変な目でも見られないでしょ?」

「いや、変な目では見られるだろ」

 それに嫉妬的な目でも見られている気がする。恥ずかしさと嬉しさが、俺たちのように手を繋いでいるのを感じていると、気づけば水族館に着いていた。

 それなりの額を払い中に入ると、青暗い光が水槽の中を灯す。手袋を栞に返し、再び繋がれた手を引いて奥に進む。

「可愛い!アレだよね、ニモってやつだよね」

「クマノミって名前らしいな。そういえばこのオレンジの体に白いラインが何本入っているかによって名前って変わるらしいぞ」

「そうなんだ、この子はサンモ?」

 ニモが2本だから、3本はサンモって安直過ぎるだろ。

「3本はカクレクマノミだな。あとニモも3本だからカクレクマノミだし」

「へー、知らなかった」

 魚の説明欄を読んである栞から相槌が返ってくる。初めての水族館に興味津々のようだ。

 熱帯魚ゾーンが終わると小さい水槽がいくつも並んでいる場所に出た。クラゲやらウツボやらが一匹ずつ入っている。

「このクラゲピンクだよ!ハナガサクラゲだって。綺麗だね」

 名の通り花色の笠から何本もの足が生えていて、漂う姿は花火にも見えるし風鈴にも見える。

「クラゲって脳がないんだって。だから透明でも綺麗に見えるらしい」

「脳がないってどうやって動いてるの?」

「全身が神経になっていて、反射的に行動してたはず」

 全身が神経だと思うとボンヤリと浮かぶその姿にも、比喩仕様のない独特な形にも、納得がいく。

「だからクラゲってすぐ刺してくるのかな?」

「そうかも知れないな」

 クラゲを一通り堪能すると、ウツボやウナギなどの魚たちをほとんど素通りで水中トンネルに向かった。

「ウナギとかは見なくていいのか?」

「ちょっと怖くない?ウナギとかって。目も細いし、蓮くんみたいじゃん」

「親近感湧いていいだろ」

「それ蓮くんだけだから」

 笑い笑われながら角を曲がると2人して息を呑んだ。トンネル水槽には数多の魚が悠々(ゆうゆう)と泳いでいた。

 クマノミのように一匹の派手さはないものの、多くの小魚が群をなして光を散らし、エイが雄大に空を飛ぶ景色は壮絶としか言いようがない。

「凄いね……これ」

「うん……なんかもう、凄いな」

 先程まではあまり人も気にならなかったが、見どころなのか俺たちと同じように何人か立ち止まっていた。

 進めば進むほど自分が水中にいるような感覚に襲われる。息も忘れるような世界に、俺たちの会話はなく、ただ繋がれた手だけが互いを感じさせる。

 右を見れば岩陰から見え隠れする名の知らない魚。上を見れば初めて見るエイの裏側。左を見れば愛おしい人の目を輝かせる横顔がそこにある。

 トンネルを抜けると、2人で目を合わせた。言葉も出ないとはこのことだと思う。

「エイの裏ってあんな感じだったんだね。ニンマリ笑顔だった」

「俺も初めて見た。おっ、向こうにジュゴンいるって」

「ジュゴンとペンギンだけは目に焼き付けておかないと」

 ペンギンの可愛さは分かるけどジュゴンはいまいちピンとこない。なんて思いながら栞に連れられジュゴンとご対面する。

 顔の中心にまん丸の鼻が2つ。離れたタレ目はぬいぐるみを連想させる。ふっくらとしたわがままボディも想像以上に可愛い。

 垂れた口で海藻を頬張る姿はどこか幼さがある。

「見て見て、蓮くん」

 栞の声に視線をやると、栞は目を細めながら口をへの字にしている。見るからにジュゴンの真似だろう。

「くくっ、似てるぞ。体型とか」

「そこじゃないっ!」

 腹をつつかれながらも声を殺して笑う。俺の姿に栞はつつく力をすこし強めた。

「悪かったって、冗談だよ」

「本当にもう……」

 ジュゴンを眺めながら一息つく。目の前では今もジュゴンは海藻を貪っている。

「んんっ、ジュゴンなんて写真以外で初めて見たよ。見れて良かったー」

 栞は咳払いをしながら、早くも今日の感想を呟く。

「ジュゴンって絶滅危惧種らしいな」

「さっきから思ってたんだけど蓮くんって魚好き?」

「なんで?」

 栞が一直線に俺の目を見て質問してくる。なんとなく意図が分かりつつも質問で返した。

「だって、クマノミの時もクラゲの時も何かしらの豆知識持ってたし」

「たまたまだろ」

「嘘だー、もしかして昨日覚えてきたの?」

 図星をつかれ、言葉が出てこない。昨日、少しでも楽しんで貰おうとスマホで色々調べてきたのだ。魚にさほど興味は無い。

「やっぱり、可愛いとこあるじゃん」

「知ってるか?実は水族館に混泳している小魚たちってサメとかエイとかに食べられてることもあるんだぞ。だからさっきのトンネルの所でももしかしたら……」

「聞きたくなかった!からかったのはごめんじゃん!」

 さっきのやり返しと俺をからかってきたようだが、まだ俺をからかうにはすこし早かったな。

「水族館って見てるだけで楽しいよね」

「だな、栞といるからかも知れないけど想像以上に楽しめてる」

 俺が思ったことを率直に言うと、栞は恥ずかしそうに俯いた。どうやら前半がクリティカルヒットしたようだ。

「不意打ちずるいよ。もう、さっさとペンギン見るよ、ウツボ君」

「誰だよ。ウツボ君、日曜日のアニメに出てきそうな名前だな」

 そそくさとペンギンを見に行く栞に後ろからついてゆく。因みにウツボは海のギャングと言われているが、性格は臆病らしい。見た目だけ怖いとかどこの氷室くんだよ。

 寒い中、一度室内から出ると正面に大きなガラス張りの柵が見えた。中にはいろんなサイズのペンギンが水に飛び込んだり、(くちばし)で体を掻いたりしていた。

「かっわいいー!!ヨチヨチ歩いてるよ」

「アイツとか滑ってるぞ、腹冷たくないのかな?」

 説明欄にはコウテイペンギンと書かれていて、ペンギンと言われて真っ先に思い浮かぶスタンダードな種類だ。

 黒い体に白の腹、首筋の黄色いライン。俺よりファッションセンスがあるといっても過言ではない。

「蓮くん、あれ子供じゃない?ふわふわのやつ!」

「そうだろうな。ふわふわしてて可愛い」

 顔はまだ白く、グレーの羽毛が身体中を覆っている。サイズも小さく、一生懸命親ペンギンについていく姿は見ものだ。

「私もふわふわしてるんだけどどう思う?」

「可愛いと思うぞ。柵乗り越えて紛れてきたらなお可愛い」

「ヤバいやつじゃん」

 なんて会話をしていると、飼育員さんが高台に登っているのが見えた。ペンギンたちは餌やりだと分かったのかその高台の下に集まってくる。すでに可愛い。

「ほら栞、昼飯の時間だぞ」

「行かないから。でもお腹すいたな。おっとこんな所に食べごろのウツボが」

 にひっと悪い笑みを浮かべてこちらを見る。食べごろのウツボ言うな。

「意味不明寸劇やめろ」

「ふふっ」

 気づけば餌付けが始まっていて、放り投げられる小魚を長い嘴が捕える。親ペンギンが子供に分け与えている様子はまさに感激だ。

 みるみるバケツの中の小魚が減っていき、二杯目のバケツも減り始めていた。

「ペンギンってこんな食うんだな」

「だね、もうちょっと少食だと思ってた。意外かも」

 食べ終わったペンギンたちは、またヨチヨチと坂を登ったり、食後の運動にと水に飛び込んだりしていた。

「階段降りたら下からも見れるんだってよ」

「エホッ……そうなんだ、見てみよっか」

 地下は水槽が見えるようになっていて、さっきのトンネル水槽のように感じる。地上では短い足で少しずつ進んでいたが、水中を動き回る姿を見ていると同じ動物とは思えない。

「早いね。私泳げないから嫉妬しちゃうよ」

「栞って泳げないんだな」

 数ヶ月前に運動は壊滅的みたいなことを聞いたことがあった。その才能を水中でも遺憾なく発揮しているみたいだ。

「蓮くんは?」

「俺はクロールと平泳ぎぐらいなら、まだできる方」

 背泳ぎとか頭こんがらがって何やってるか分からなくなってくる。バタフライに関しては溺れてるだけだろあれ。

「なんでも出来るじゃん」

「そんなことないぞ。野球とかサッカーは応援してる方が得意だ」

「チーム競技だからね」

 さも他のチーム競技は出来ないような言い草だがそんなことはない。ラジオ体操なら出来る。

「こうやって泳いでるの見てると鳥みたいだよね」

「みたいも何もペンギンは鳥だろ」

「流石の豆知識だね」

「これは一般常識だ」

 栞は「いやいや、徹夜の賜物だよ」なんて言いながら屋内に俺の手を引っ張っていく。そろそろイルカショーの始まる時間だ。行くなら急いだ方がいい。

「んんっ、じゃあイルカショー見よっか。急がないとこれ逃したらもう無いからね」

 前半の部が次で終わり、イルカの休憩に入るらしい。後半の部は5時からなので待てない。栞いわくまだやりたいことがあるらしいし。

 「だな」と短く返事し、2人で歩いてゆく。栞は時々咳がみながらも徐々に歩くスピードを速めている。ちょっと遅れるぐらい気にすることじゃない。だから俺には栞が無理しているようにしか見えなかった。

「んんっ、ちょっと靴紐結んでいい?」

 栞は深い息をつきながらしゃがみ込む。顔色が悪いようには見えないし、熱っぽいとも思わないが、疲れているようには見える。

「栞、ちょっと休憩しないか?」

 俺はあからさまに鎌をかける。

「大丈夫だって。私は全然……」

 栞はやられたと言わんばかりに俺を見る。俺は休憩を提案しただけ。それに大丈夫と答えたのだから、無理しているのは明確だ。

「行くぞ。別にイルカショーとか見ても見なくても変わらん」

 強制的に空いていたベンチに座らせる。栞はだんまりを決め込んでいる。俺は自販機で水を買い、栞に手渡す。

 栞はゴクゴクと飲み、ふうーと深い息を吐いた。どこか思い詰めたように強くペットボトルを握っていて、なんと声をかけようか迷う。

「ごめんね……最近調子悪くて……」

「別に謝ることじゃないだろ。それなら無理した方を謝ってほしい」

「無理したっていいじゃん、蓮くんが私を気遣ってるみたいに私だって蓮くんのこと想ってるんだよ」

 悲しさと自分に対する怒りが混ざった声を栞が放つ。栞の言ってることは正論で、俺の自分よがりの気遣いだってことも分かってる。

 それでも、それが栞が無理していい理由にも、それを許容できる理由にもならない。

「その思いは嬉しいけど、それで俺が不快になってちゃ本末転倒だろ。イルカショーか栞かなんて考えるまでもないし」

「蓮くんが私のことを思っていることは分かってる。それでも、無理してでも私は蓮くんと思い出作りしたいの」

 2人で夕日を見た日、あの日も確か思い出にこだわっていた気がする。なぜそこまで記憶にこだわるのかは分からない。

 ただ、理解できないから否定するのもおかしな話だ。俺は頭の中で妥協案を組み立てる。

「じゃあ、イルカショーじゃなくなんかお土産でも買うか。それなら体力もそんなに使わないだろ」

「それでいいの?」

「ああ、断然な」

 10分ほど休憩した後にショップに向かう。いろんな魚が焼印されたクッキーや、ペンギンのぬいぐるみ、チンアナゴのボールペンなどが並べられている。

 その色鮮やかな景色に、体力の回復した栞は欲望の赴くまま商品を見ている。

「これお揃いにしようよ」

 栞が持ってきたのはピンクと青の大きいイルカのぬいぐるみで、二つくっつけることでハート型になるものだった。

 値段に派手さも相まって、嫌だという感情が顔に出てしまう。

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん」

「違うんだ、流石にその……それはちょっと派手すぎるだけだから」

 ムスーっと頬を膨らませながら、イルカたちを棚に戻す。

「このキーホルダーとかならお揃いでもいいからさ」

「うーん、蓮くんってお揃い嫌なの?」

「嫌というよりちょっとうわって思うかな。小物は別だけど」

 全身ペアルックとか見るとどうしても思うところはある。ただ、本当にキーホルダーやアクセサリーのお揃いに関して思うことはない。

「流石はひね室くんだ。まあ私もどうしてもってわけじゃないからね。いつかお揃いタトゥーすることで許します」

「絶対やらないからな。あと誰だよひね室くん」

 結局お揃いで何かを買うということはなく、クリスマスプレゼントとして栞に子ペンギンのぬいぐるみを買ってあげただけとなった。

 外に出ると肌を指すような冷たい空気が吹き抜ける。もうとっくに太陽は沈み、イルミネーションが活躍の場だとはしゃいでいた。

「やりたいことがあるって言ってたよな。もう遅いけど大丈夫か?」

「うん、なんだったら遅くないと出来ないから。ということで……」

 どういうことでなのかは分からないが、栞がカバンの中から何かを取り出そうとしている。日にち的にもクリスマスプレゼントだろう。

「はい、これ、ブレスレット。使い方わかる?」

 差し出されたのは赤茶色のミサンガのような物だった。

「手首に巻くやつだよな。でもなんでブレスレット?」

「蓮くんお洒落から無縁だし、どうせなら小物から興味を持ってほしいなーって」

 早速俺の腕に巻き付けながら理由を話す。付けられた腕を見ると明るくなったというか、どこか色が出たような気がする。

「じゃあ俺からも、さっきのぬいぐるみはノーカンってことでこれあげる」

 そう言いながら俺もカバンからプレゼントを取り出す。

「ありがとう!これリップだよね、なんでリップ?」

「久遠のアドバイスだな」

 久遠いわく、「しおりんはメイク初心者で、リップの減りが1番早いからそれがいいと思う!」らしい。

 おすすめのメーカーまで教えてもらい、この日に間に合うようにネット注文したのだ。詳しくは分からないがサラサラしているタイプらしい。

「やっぱりかー、流石は東雲さんだよ。ほら蓮くん、私はブレスレットつけてあげたよ」

 栞は目を瞑り、唇を突き出す。キスしてしまいたいぐらいには無防備で可愛い。

 俺はリップの蓋を開け、左手で栞の頬を支えながらゆっくりと薄ピンクの唇をなぞった。

 リップを塗っているだけなのに心臓はバクバクしている。

「終わったぞ。目開けていいっ……むっ……!」

 声をかけたと同時に俺の後頭部は栞の両手により、屈ませられる。そのまま俺の唇は栞の唇までもっていかれた。

 キスと理解するまで時間は掛からなかった。そして、理解してから体が反応するまでの時間もほんの刹那。

 多分顔は赤い。ここだけ夏みたいに暑い。ここからどうなるのかが怖い。一瞬の驚きと、数年分の喜びが綾を成す。

 唇が離れた時の栞の顔は照れと嬉しさで熱っていて、あっけからんと見惚れる俺も同じような顔をしているだろう。

「へへっ、良いリップでしょ?」

「あっ、ああ、良いリップサービスだった」

「リップサービスの意味違うじゃん」

 俺の漏れた感想はス《《リップ》》したが、頭が回らなくなるぐらいには困惑した。

「次は蓮くんからしてくれると嬉しいな」

「期待はすんなよ」

「それ聞いて期待しない方が難しいよ」

「はいはい」

 普段より少し濃い自分の唇を触りながら、俺のクリスマスは幕を閉じた。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア