桜となる頃、また君と。

 外から学校に向かう途中であろう小学生たちの元気な声が聞こえ始める。横になったままゆっくりと目を開いていくとそこにはまだ寝ている彼女の姿。



 こうして間近で彼女の顔を見ると、まつ毛は長く本当に端正な顔立ちをしている。



「んー? 海? どうしたの?」



 突然目を覚ますみきちゃんに思わず驚いて顔を反対に背けてしまう。



「か・・・い? わ! どうして私たち抱き合ってるの!」



「みきちゃんが寝ているときに僕に抱きついてきたから・・・」



 顔を背けたまま話す僕。今、彼女の方を見て話すのは少し難易度が高い。



「え、あ!ご、ごめんね」



「い、いやいいんだよ」



「ねぇ、海こっちを向いて?」



 そう言われたので、顔を彼女の方に向ける。満面の笑みで僕の目を見てくる彼女。



「な、なに?」



「いや、こうして海と寝られて幸せだな〜って思って」



 言葉に出されると恥ずかしくてつい目を逸らしてしまいたくなる。徐々に彼女の顔が僕に近づいてきたので、あまりの恥ずかしさに目を瞑ってしまう。



 数秒後、僕の唇にはほんのり温かな柔らかいものが触れる。驚きで目を開けると、目を閉じながら顔を真っ赤にしたままキスをしているみきちゃん。



 くっついていた唇が少しずつ離れていく...



「ご、ごめんね。どうしてもしたくて・・・」



「あ、いや、うん。大丈夫だよ」



 急な展開すぎてまともに呂律が回らない。僕の顔は今どんな表情をしているのだろうか。恥ずかしい。



「ごめんね。嫌だった?」



「い、嫌なわけないよ!むしろ、う、うれしい」



 徐々に消え入りそうな声になっていく僕。本当なら、もう一回僕からキスをしたいが、そんな勇気は当然なかった。



 まるで初々しい恋人かのような僕ら。でもまだ正式には付き合ってはいない。早くこの思いを彼女へと伝えなければ...



「ねぇ、海?私たちさ、付き合・・・」



「ごめん」



「え、私振られたの・・・」



 見る見るうちに顔が青白くなっていく彼女。



「違う違う!僕から告白したいんだ。僕らの思い出のあの公園で。だから今日の十三時にあの公園に来てほしい」



 そう告げると彼女の顔に笑みが戻っていくのを見て感じ取れた。



「わかった。待ってます」



 気恥ずかしさも含みつつ、僕らは自室を出て下に向かっていくのだった。
 みきちゃんと家で別れてから一人駅前へと歩く。以前は歩きすぎて倒れてしまったので、その反省を活かして今日は電車を使うことにする。



 もちろんイヤホンを耳につけ音楽を聴きながら最寄りの駅へと向かう。五分ほどで最寄りの駅に着き、電車が来るまで近くのベンチに腰掛け、携帯でどうやって告白しようかググる。



 いくらググってみてもいまいちピンとくるものがなかったので、諦めてブラウザを閉じるとちょうど良く電車が風とともにホームに流れ込んでくる。



 比較的電車の中は空いていたので席に座り、音楽に身を任せて目を閉じる。待ち合わせの駅はここから四駅と近いので本格的に寝ることはできない。



 音楽を聴いているうちにどうやら目的の駅に到着したらしく、慌てず電車から降りる。平日の昼間ということもあり、駅はそこまで人で溢れてはいなかった。



 むしろ、この時間帯にここにいる自分の方が変な気持ちがして止まなかった。



 約束の十分前に着き、辺りを見回すがどうやら想太はまだ来ていないらしい。



 五分もすると、いつの間にか街は人で溢れかえっていた。この駅は僕たちが住んでいる場所で一番栄えている駅なので、当然といえば当然。



 こんなにたくさん人がいてもいずれ人は亡くなってしまうのだと考えると、人は儚い生き物だなと感じてしまう。



 人生にはもちろん楽しいことだって山ほどあるだろう。しかし、どんなに優れている人でも待っているのは『死』、これだけは人間である限り抗うことのできない運命。



 僕はまだ十六年しか生きていないので、人が生きていく上での存在意義というものがなんなのかわからない。



 あと十年時間が経てば、果たしてその答えは見つかるのだろうか。どちらにせよ僕は今、この瞬間を生きている。先のことなんて誰にもわからない。なら、この一瞬一瞬を大切に生きなければならないのかもしれない。



 川のように進んでいる時間の流れに身を任せるように。あぁ、今日も空が綺麗だ。
「ごめんごめん、遅くなった!」



 想太がついたのは待ち合わせ時間の五分後だった。どうやら走ってきたらしく額からは汗が流れていた。



 一体どこから走ってきたのだろうかと気になったが、あえて聞かないことにした。僕の醜い嫉妬心を出したくはなかったから。



「いいよ、そこまで待っていないから。とりあえずどこかお店に入ろう」



「そうだな。静かな喫茶店とかにするか」



「喫茶店でいいの?」



「おう、どうした?嫌なら別なところにするけど」



「いや、想太ならもっと賑やかな場所にするかと・・・」



「親友の恋愛相談だぞ! 静かな場所に限る!」



 まさか、想太の口からそんな言葉が出てくるとは思わず、感心してしまう。前までの想太なら、気にせず自分が行きたい場所にしていたのに...親友として彼の成長が嬉しく感じる。



 想太と駅前の道を歩きながら雰囲気の良さそうな喫茶店に入り、オレンジジュースとカフェオレを頼む。僕は心臓が弱いので、カフェインは控えないといけないためコーヒーやエナジードリンク類は飲むことができない。



 想太とこうして向かい合って真剣な話をするのはこれが初めてかもしれない。



 滅多にないシチュエーションに緊張してしまいそう。相手は想太なのに...



「それで、何を聞きたいんだい。海くん!」



 待ってましたと言わんばかりの表情の想太。頼もしい反面、本当に大丈夫かという不安な面も見えてくる。



「実は今日告白しようと思うんだ。今朝そう告げてきた」



「おぉ、随分急だな。ところで朝わざわざそのことを告げに会いに行ったのか?」



 昨日や今朝のことを全て話すのは恥ずかしすぎる上に、彼女も絶対に嫌がると思ったので、少し内容を省いて想太に説明する。
「なるほどな。それで、どう告白したらいいかわからないってことか」



「う、うん」



「そんなの海の気持ちをぶつければいいんだよ!俺もそうだったから」



 これは相談する相手を間違えてしまったかもしれない...一花にすればよかったと後悔し始める。



「それは想太だからできたことであってさ・・・僕には」



「言えてるかもな・・・あ!ならさ、海の家花屋なんだから花でも一緒に渡してみたら?」



「いいかもね、それ。一度帰って花選んでみるよ。それとさ・・・」



「ん?どうした?」



「告白するならもちろん直接だよね・・・」



 正直、これが一番気になっていた。多分、みきちゃんは僕のことを好きだと思う。でも、いざ告白となるとなかなか勇気が出せない。



 今朝、啖呵を切って情けないのは承知の上だが、恋愛未経験の僕にはかなりハードルが高いのだ。



「えらい弱気だな。もちろん直接の方がいいけど、無理なら自分の気持ちをメールに込めて、『付き合ってください』ってことだけを直接言えばいいんじゃない?直接も嬉しいけど、メールならいつまでも残り続けるしな」



 想太の名案に思わず、いつの間にか手元に届いていたオレンジジュースを一気に飲み干してしまう。



「さすが、想太。想太に聞いてやっぱり正解だったよ!」



 さっきまで心の中で想太に文句を言っていた自分を殴りつけてやりたい。



「当たり前だろ!親友なんだから。それより時間大丈夫か?」



 時間を確認するとお店の時計の針は十一時半を差している。今から一度家に戻って花を選ぶので、みきちゃんとの待ち合わせ時間まで割と時間ギリギリ。



「そろそろ出ないとまずいかも」



 二人で席を立ち上がり、領収書を手にしてレジに向かう。今回は僕の誘いだったので僕がお金を払うことにした。



 店員さんに千円札を手渡し、お釣りを財布にしまう。『ご馳走様でした』と店員さんに告げ、扉を開ける。



 "チリンチリン"となるベルの音が『いってらっしゃい』と僕の告白を勇気づける、そんな音に聞こえた。
「なぁ。俺もさ、いちに花あげようかな・・・ついていってもいい?」



「もちろんいいに決まってる」



 僕が来る時に乗ってきた電車とは反対方向に向かう電車に二人で乗り込み、街一番の花屋に向かう。



 電車に揺られながら、僕らは互いに携帯の画面と向き合っていた。僕は告白の雰囲気について、想太は恋人に送る花についてネットでググっていた。
 

 電車を降り、隣を歩く想太はなんの花がいいのか、未だに一生懸命に携帯を使って調べていた。



 彼の隣には花屋の一人息子がいるのにもかかわらず...



「ねぇ、想太。花のことなら僕に聞けばいいんじゃないの?これでも一応花屋の息子なんだけど・・・」



「あ!そうだった、すっかり忘れてた。なんで気付かなかったんだろう」



 どの花にするか話しているうちに、外にまで花が並んでいる大きな花屋が見えてくる。



 中に入るとお客さんが花を見たり、匂いを嗅いだりと微笑ましい表情を浮かべながら花を選んでいる。お客さんたちに混じり僕たちも数ある選択肢の中から、自分たちの花を選び始める。



 店内には数えきれないほどの花があり、色や本数でも花の持つ意味は大きく変わってくる。



 例えば、薔薇の一本と七本では全く意味合いが変わってしまう。薔薇一本の意味が『あなたしかいない』に対し、七本の意味は、『ひそかな愛』とまったく違うのだ。



 それを全て覚えるのは父さんであっても至難の業だそうだ。それほど花にはたくさんの種類や意味があるので、父さんは興味深いと言っているが、僕には全くわからない。



 僕は無難にみきちゃんへは薔薇をプレゼントしたいので、赤い薔薇を一本手に取る。意味は...あなたしかいない。



「なな、海。どれがいいか全くわからない・・・どれがいいかな」



「そうだなー、二人は付き合ってもう長いから『ストック』って花はどうかな?」



「ストック?なんだそれ聞いたことすらない花だな」



「普通は聞かないよね。でもね、花屋だと使いやすくて重宝するくらいなんだよ」



「そうなのか? 花言葉ってやつもあるの?」



「もちろん、花言葉は『永遠の美』『愛情の絆』『求愛』って意味があってね、大切な人のプレゼントにもいいんだ」



「海がそこまで言うなら間違いないな! これにするわ!」
 二人とも大切な人に送る花が決まったので、大事に花を抱えレジへ持っていく。



「おぉ、どうしたお前ら二人揃って花なんて持って・・・ん?もしかしてお前ら」



 僕らの手にしている花を見て気付いたのだろう。さすがは花屋の店主。その場で綺麗にラッピングまでしてもらい、お金を払おうと財布を取り出す。



「父さん、会計はいくら?」



「ん?お金はいらんぞ。それよりも二人とも頑張れよ!それとこれは男同士の秘密な」



 顔の前に人差し指を立ててシーっと、"秘密"だと語りかけてくる父さん。



「おじさん、ありがとう!」



「父さん、ありがとう!」



「こら、秘密だって。母さんにバレるだろ。さっさと行きなさい」



 父さんの目には涙が溜まっている気がしたが、気のせいだろう。一度家で服を着替えたかったので、想太とはここでお別れ。



「海、頑張れよ!あとで電話待ってるから」



 嬉しそうに笑う彼の顔を見るだけで、少しずつ僕の中から勇気が湧いてくる。



「うん。必ず電話する。それじゃ、また明日学校で」



「おう、明日からカップル登校だな!」



 彼を見送りながら僕はその場で一度深呼吸をする。想太の姿が徐々に小さくなっていく。彼にこの後電話するときのリアクションが楽しみで仕方がなかった。



 自室に戻り、フード付きのジャケットをクローゼットから取り出し羽織る。机の上には昨日、みきちゃんからもらったばかりの黒い鳳蝶のキーホルダー。



 そのキーホルダーを落とさないように手に取り、ジャケットのポケットに入れる。



 キーホルダーなので本来はどこかに付けるべきなのだが、なぜかこのキーホルダーはお守りとして持っておきたかった。これからもどこかに付けることはないだろう。



 玄関に置かれている等身大の鏡で、身だしなみをしっかりチェックしてから関の扉を開ける。



 影に包まれた家の廊下に、パッと外から差し込む太陽の光が僕諸共明るく照らす。



 無性に両親の顔を見て、勇気をもらいたかったので、もう一度店に顔を出しに行く。



 丁寧な手付きで花の余分な部分をハサミで切り取っている母。どこかに寄贈するのか、色々な種類の花たちを一つの芸術品として束ねている父。



 花に真摯に向き合っている二人の姿は、僕にとって自慢すべきくらい尊敬している。今まで何度も見てきた姿だったが、今日のこの姿だけは絶対に忘れてはいけないような気がした。



「父さん、母さん。いってきます!」



 その時二人がどんな表情で、どんな言葉を僕にかけてくれたのか、もう僕は覚えていない。
「どうしよう。お母さん、服が決まらないよ〜」



「何よ、そんなにそわそわして落ち着きがないわね。いつも服で迷うことなんてないでしょ!」



「だって、今日海に告白されるんだもん!そりゃ、そわそわしちゃうよ」



「あらあら、ようやく希美の片思いが成就する日がきたのね」



 "告白"という言葉を聞き、母の顔がさっきまでとは全く別の顔になっていく。まるで、自分自身が恋をしているかのように。



 私は海に片思いをしてかれこれ七年経過している。最初は大切な幼馴染だったのが、私の名前のことがあってから常に私を守るかのように側に居続けてくれた彼。



 そんな彼に恋をするのに時間はかからなかった。小学生の頃は恋とは言っても"好き"という感情だけでそれ以上のものは何も求めてはいなかった。



 しかし、中学に上がるにつれ周りが付き合い始め、自然と私の中にも海と付き合いたいという気持ちが芽生え始めた。意識し始めた私は、海を振り向かせるために色々な手を使ったが、どれも効果なし。



 中学の頃の海は、何かに取り憑かれたような、恋とは無縁みたいな表情をよくしていた。ただ恋に興味がないのかと思っていたが、時々私のする行動に顔を赤く染め恥じらいを見せる彼。



 一体どうして彼がそこまで恋から逃げているのか。それと小学生の頃はさほど気にはならなかったが、海はいつも体育を見学していた。



 小さい頃から喘息持ちだからと母からは聞かされていたが、そのことについて海に聞くといつも海は、両手を合わせ指をいじり始めていた。
 その日はたまたま熱が三日間下がらなかったので、近くの大きい病院に診察に行っていた。先生からはただの熱だから、薬を飲めば良くなるよと言われ、待合室で待っている時だった。



 遠くの廊下を歩き診察室へと入っていく男子中学生。一目でそれが誰だかわかった。



 本来なら盗み聞きは絶対にしてはいけないのだが、どうしても彼の苦しみがなんなのか知りたかった私は、ドアに耳を当て話を聞くことにした。生憎周りに人はおらず、集中して中の声を聞くことに専念できた。



「海君・・・今はとても安定しているよ・・・油断は禁物だからね」



「・・・僕はあと・・・どれくらい生きられるんですか?」



 絶句した。詳しい部分は聞き取ることができなかったが、彼は確実に『どれくらい生きられるのか』を聞いていた。信じたくなかった。



 でも思い返してみれば辻褄が合うことに、冷や汗が身体中から止まらなかった。



 熱を出して病院に行っていたのを忘れて無我夢中で海の家へと走る。若干熱が原因で視界が歪んで見えたが、気にならなかった。そんなことよりも海のことで頭がいっぱいだった。



 海の両親は私のただならぬ様子に驚いていたが、私の一言で顔色が変化する。嘘であってほしかったが、二人のその表情が本当だと物語っていた。



 海パパはお店があるからと言い、私は海ママと話をすることになった。最初は何も語ろうとしなかったが、とうとう諦めたのか本当のことを話し出した海ママ。



 ショックだった。余命はないけれど、運動したり走ったりしたら命に関わるなんて、普通に生活する上でも大変なのに、私や想太、いっちゃんに気を遣わせないために隠し続けてきたなんて...信頼されていないという悲しさよりも海の辛さが、中学生の私の未熟な心には重すぎた。



 みんなと外で遊びたいけれど遊べない辛さ、走ることのできないもどかしさ。彼はそれを我慢しながらこれまで私たちに気づかれないように、生きてきたことを考えると涙が止まらなかった。



 自分には何もしてあげられないという悔しさが詰まった涙だった。
 最後に海ママはこれだけは約束してほしいと言われた。『一人で抱えきれなかったら想太くんや一花ちゃんに話してもいいけれど、絶対に海には知っていることはバレないでほしい。それと海とは今まで通り接してほしい。それが海がみんなに隠していた理由だから』と。



 私は海ママに必ず約束は守ると誓い、その日は家に帰った。目が腫れて赤くなっている私を見て母はとても心配していたが、黙ったまま部屋に行き、出せる分の涙を思いっきり出した。



 人間の体は不思議だ。何時間も涙を流すことが可能なのだから。



 その日の夕食は水しか喉を通らなかった。後から聞いた話だが、私の両親は私たちが小さい頃から海の心臓のことは知っていたらしい。



 翌日にはすっかり熱も下がり、腫れた目のまま海と並んで中学校に向かった。海には『どうしたの?その目』と言われたが、映画で感動したとかそれらしい理由をつけてごまかしたはず。



 隣にいる海は今でも不安と戦っているのだと考えると、涙は昨日枯らしたはずなのにまだ出てくるそんな感覚だった。



 当然学校に着いても頭の中は海のことばかり、授業も全く聞いておらず先生には心配され保健室に行くよう言われる始末。



 寝不足だったこともあり、保健室ではぐっすりと眠ることができ、気付けば放課後になっていた。帰ろうと思い、立ち上がるとそこには想太といっちゃんの姿。どうやら、海はお店の手伝いで先に帰ったらしく、私の体調をとても心配していたと二人から聞く。



「なぁ、希美。お前今日変だぞ?」



「なんかあるなら私たちに話してね?」



 その言葉に耐えきれなくなった私は二人に昨日聞いた全てのことを話した。話を聞いた二人は私と同様に驚きの色で隠せない表情をしていて、目からは溢れるばかりの涙を流していた。



 保健室の先生はたまたま会議でいなかったらしく、私たち三人はグラウンドから聞こえてくる楽しげな部活動の声とは裏腹に、悲しげな涙を嘆き泣きあった。