「あれ、ぼくなにしてるんだろう」



 数秒後、彼は目を覚ましたかのように目を見開いた。"あぁ本当に海は消えてしまったんだな"と感じるほど、さっきまでの大人っぽさはなく、私の生徒たちと同じようなあどけなさを身に纏った普通の小学生に戻ってしまった。



「君がね、教室を見たいって言うから連れてきたの」



「そうなの! ありがとー!」



「どういたしまして」



 少し頬を赤らめながら私を上目遣いで見上げている。



「せ、せんせーのおなまえはなんていうの? それにこのおもちゃはなに?」



 彼の手には海にプレゼントした黒い鳳蝶のキーホルダーが握られていた。何もかも覚えていないんだもんね...忘れきれない気持ちが胸を締め付ける。



「先生のお名前は希美だよ! そのおもちゃはね、先生からこの小学校に来た君へのプレゼントだよ!」



「え、いいの! ありがとうきみせんせー! たからものにする!」



 大切そうに握りしめ、私に笑いかけてくるその笑顔は海が笑った時の顔、そのものだった。泣きそうになるのをグッと堪え、最後に聞かなければいけないことがある。それは...



「先生にも君の名前教えてほしいな〜」



「いいよ!ぼくのなまえはね・・・・・」



 雨が降っている中を二匹の蝶々が空へ向かって羽ばたいている。交わりながら空から降ってくる雨に逆らうかのように、遠くの晴れ渡っている空に向かって。



 それはまさに雨に打たれて散っていく桜の花びらのような美しくも儚い舞いだった。