「どうしてって言われてもね。君を探しにきたんだけどね」

「なんで探しにきたの?まだ授業中だよ。サボっちゃだめだよ」

「僕にとって君が、『大切な人』だから・・・それに、君だってサボってるじゃないか」

 彼の言っている意味を理解するのに、5秒ほど時間を要してしまった。

 人は不意打ちをつかれると、思考が完全に止まってしまうらしい。5秒間の間、私の頭は真っ白な景色で埋め尽くされていた。

「え、え? どういうこと? 大切な人って何?」

 眉間に眉を寄せ、いかにも困った表情の彼。"何を言っているんだ"と無言の圧をかけられている気もする。

「さっき授業でしていただろう。『大切な人』についての授業を。僕の大切な人が君だってことだよ」

 どうして私なんだろうか。私たちの唯一の繋がりと言ったら、隣の席であることくらいしかないのに。

 授業のペアワークで話すこともあるが、それ以上の会話はない。それなのに、どうして彼にとって私は大切な人なんだろうか。

「なんで私なの?」

「それを僕が発表する前に、君が教室を抜け出してしまったんだ。だから、僕も君がいないところで発表しても意味がないから、抜け出してきた。意外とすぐに見つけられたけどね」

 左右に分けられた彼の黒い髪から、のぞかせるおでこにじんわりと汗をかいていることは黙っておこう。

 きっとそれは、彼の優しい嘘のような気がするから。

「答えは教えてくれないの?」

「うーん。どうだろう。今な気もするし、今じゃない気もする。まずは、僕の話よりも君の話を聞きたいな。胸に抱えてる大きな悩みを・・・」

 私の悩み...彼は気付いているのかもしれない。うまく隠してきたつもりだったのに...

「私ね、悠のことが好きだったんだ。でも、悠に彼女ができて・・・」

 一度も目を逸らさずに、私の話を聞いている彼。なぜか、彼にはスラスラと胸中を話せてしまう。

「私ね、ある時から北見先輩の顔がもう1人の私に見えちゃって・・・怖いの。なんでこんなふうになっちゃったんだろう」

「君は・・・いや、梓さんは彼のことが本当に好きだったのかい?」

 悠が発表の時、言っていたことと同じことを聞いてくる彼。私には理解できない。私はこの数年間、ずっと悠のことが好きで、大事で家族同然だと思っていた。

 それの何が間違いなのだろうか。この感情のどこか好きではないのだろう。

「わ、私は悠のことが好きだよ」

「そうか。君は、彼と口付けをしたいと思うかい?それが、答えだと思うよ」

 口付け...所謂キスってことだろうか。染井君らしい言い回しに、少しだけ頬が緩んだ。

 悠とキス。小さい頃は、してみたいと思っていた。きっとそれは、興味本位によるもので相手は悠でなくても問題はなかった。

 今は?今、私は悠とキスがしたいと思っているのか。いや、そんなことは頭の片隅にも存在していなかった。

 確かに悠は、昔とは違って可愛さは抜けていき、すっかりかっこよくなってしまった。でも、それとこれとは別。

 仮に悠の方からキスを迫られたりでもしたら、私は拒んでいたかもしれない。いや、断っていた。

 私には中学生の弟がいるが、弟に迫られるのと同じような感覚なのだ。

「ようやくわかったようだね」

 彼の一言で現実に引き戻される。全て最初からわかっていたかのような涼しげな顔に、ほんの少し苛立ちが募ってしまった。