「全部燃えて、黒い焼け跡しか残らない。俺はずっと、あの日から、焼け跡の上を歩いてるみたいだった。暗くて、寂しくて――」

 わたしは湊を見て、立ち上がった。見上げてくる湊の手を引く。

「夕焼けのあとは、暗いだけじゃないよ」

 うつむく湊の手を引いて歩き出す。病院を出ると、もうすっかり夜だった。たしかに暗い。だけど、夜は闇しかないわけじゃない。空を見上げて、わたしは苦笑する。こんなときでも、世界は、やさしくない。天気も思いどおりにはいかないものだ。

「まだ、くもってるなぁ……。でも、晴れ間もあるよ。見て、湊」

 湊がゆっくりと顔をあげる。

 指さす先には、重たい雲の隙間から星が見えていた。空のほんの一部でしかない。だけどたしかに、闇夜に光る星がある。

「足もとばっかり見ていたら、真っ暗だけどさ。夜は星がある。真っ暗じゃない。空を見上げたら、光もあるよ」
「空……」
「うん。晴れたら、もっと空は明るくなるよ。それに、この町には海もあるから。月の光も星の光も海が反射して、ほかの町よりもっと明るいと思う。それから、ほら、銀河鉄道の夜とか、すごいきらきらした旅じゃんか。夜だって、まぶしいくらいに光ってる」
「……くもってるけど」
「今日はね! でもあそこは晴れてるから!」

 びしっと晴れ間に指を突きつける。湊は唯一の晴れ間を見上げて、無言になった。言葉が届けばいいなと願いながら、わたしはその横顔を見つめて、微笑む。

「夕焼けも、きれいな夜を準備する時間だと思ったら、ちょっとはマシにならないかな。……でも、嫌いなら嫌いで、仕方ないとも思う。無理に好きになる必要はないよ」
「じゃあ俺は、どうすればいいの」

 わたしは、つないでいた指に力を込める。

「怖かったら、わたしがとなりにいてあげる……ってことで、どうですか」
「のどかが?」
「ひとりは怖いって、言ってたでしょ。ふたりでいれば、なんとかならない?」

 わたしは、わたしの目もとをとんとんっと叩く。

「夕焼けが嫌なら、わたしを見て」

 言ってからすこし恥ずかしくなって、笑う。頬が熱くなっているような気がするけれど、夜だから、わかりにくいだろう。夜の暗さは、役に立つこともある。

 湊はわたしを見つめて、つぶやいた。

「そんなこと言ったら、俺、毎日夕方はのどかのことしか見ないよ」
「……まじか、やっぱ恥ずかしいかも」
「駄目なの?」
「うーん……でも、まあ、いいよ! 了解! わたし、湊のお願いごとをひとつ聞くって約束してたしね。あれまだ保留だったし、これで消化ってことにしよう」

 いままで、わたしのことは湊がずっと助けてくれていた。お返しができるのなら、それでいい。よし任せろ、と開いている手で胸を叩く。すると湊は数回まばたきをして、うなずいた。

「夜も怖いから、今日みたいにくもっていたり、雨が降っていたりする日は、晴れるまでのどかが、いっしょにいてくれる?」
「うんん……? が、がんばってみるよ……、できる範囲で。でも夜か……えっと、電話とかでも、いいかな」

 必死に考えて言うと、湊はさらりと言った。

「ごめん、冗談。そこまで迷惑かけないから」

 真顔で言う冗談は、冗談に聞こえないんです。

 わたしはむっとした。むっとしたから、大口を叩いてみる。

「いいよ、晴れるまでいっしょにいるし。雨の日は、ずっと湊のとなりにいる」
「無理しなくていいよ」
「湊だって、我慢しなくていいよ」
「……じゃあ、折衷案」

 湊の指先に力がこもる。

「今日だけは、夜明けまで、俺のとなりにいて」
「……うん。いいよ」

 わたしもぎゅっと握り返した。

 わたしたちは並んで、小さな星空を見つめた。そうしていると、どれくらい経った時か「湊!」と泣きそうな声がして、女の人が走ってきた。朝香さんだ。彼女は湊に体当たりのような抱擁をして、ぽろぽろと涙をこぼした。朝香さんからあふれる感情は、不安もあったけれど、ぶわっと湊もわたしもひっくるめて包み込むようなあたたかさがあった。

 それからは、すこしあわただしかった。とにかく今日はゆっくり休むこと、事情はまた後日聞くから、と顧問の先生は学校に帰っていった。学校では写真部のみんなが待っているだろうから、先生も大変だろう。

 三糸さんも学校にもどろう、と先生に言われたけれど、わたしは断った。その代わりに、朝香さんの車に乗って、湊の部屋に泊めてもらうことになった。

 朝香さんだってとても不安で聞きたいこともたくさんあったと思うのに、泣いたのは最初だけで、あとは静かに微笑んで、わたしと湊のしたいようにさせてくれた。

 わたしたちは、湊の部屋で、カーテンを開いた窓にもたれて座った。湊の右手と、わたしの左手はつないだままで。電気もつけずに、静かに呼吸をする。

 湊の心が傷ついた過去は、変えられない。ずっとつきまとうし、なかったことにはならないだろう。わたしに過去を変える力があるのなら、つらかった出来事をいくらでも消してあげたいと思うけれど、あいにく、そんな力はない。

 だけど、世界をどうこうする力はなくても、変えられることはある。

 足もとだけを見ていたら真っ暗でも、視線を上げれば星空がある。ほんのすこし顔をあげれば、同じ世界でも、ちがって見えてくることだってあるから。暗闇しかないと諦めて上を向くことを忘れなければ、きっとわたしたちは、このつれない世界でも生きていける。

「湊はこれから、どうしたい?」

 わたしの言葉に、湊は迷う。窓にこつんと頭をぶつけて、たくさんの空白のあとにつぶやく。

「まだ、わからない」
「うん。じゃあいっしょに探そう」

 したいこと。やりたいこと。

「わたしもまだ、よくわからないからさ。大学も行きたいところないし。どんな仕事がしたいかとか、先のことはよくわからない。でもひとまずは、文化祭を彩と美里と湊と、楽しみたいっていうのは、たしかかな」
「……うん。俺も、それは同じかも」

 湊がふいに、わたしを見た。電気もつけない部屋だけど、雲間から顔を出した月明かりで、湊の表情はわかる。あいかわらず、静かな瞳。言葉を探すように、ゆっくり口を開く。

「俺は、よく、わからないんだ、自分のこと。……だけど、のどかは、たぶん、特別だと思う」
「たぶん、ってなに」
「のどかが、俺のことを助けてくれるから、特別なのかもしれないし。でも、それだけじゃないような気もする、から……いまは、まだ、わからないんだけど」
「じゃあ、ちゃんと見つけてよ、湊の心」
「……すこし、時間がほしい」
「うん。待ってる」

 でも、なんとなく、わかるよ、わたし。そんなに時間はかからない。

 わたしは湊の瞳を見て、微笑んだ。やっとすこしだけ、湊の感情も伝わってきた気がする。ふわふわとして、あいまいだけど、わたしをなでる感情は、きっと、湊にとって意味のあるものだから。それに湊が気づくまで、待つよ。