駅から見えた、湊の姿を追いかける。たしか、この道だ。
土地勘のない場所を走るなんて不安だったけど、足は前へ前へと押し出される。スマホをにぎりしめていた。見つからなければ、電話してみようと思って。でもできれば、自分の目で見つけて彼のもとまでたどり着きたかった。そうじゃないと、いけない気がした。
小さな駅に見合った細い路地がつづく。じりじりと太陽の光を浴びた地面からたちのぼる熱気に、額にも首筋にも汗が伝う。
湊は、どこ。
首を巡らせたとき、横道にその姿を見つけた。
「湊!」
ふり絞った声に、湊がこちらを見る。のどか、と小さくつぶやく彼の声が久しぶりで、きゅっと胸のあたりが苦しくなった。学校で見るカッターシャツじゃない。お祭りのときよりもラフなTシャツ姿が見慣れなくて、落ち着かない。それでも息を大きく吸い込んだ。
「湊、そこ動かないで!」
「え、うん……」
気を抜けば、またどこかにふらりと消えてしまいそうで、怖かった。わたしは急いで湊のもとまで駆けた。湊は指示どおりに、わたしを待っている。でも、目の前まで来てみて、なんて言えばいいのかわからなくなった。
ひとまず、息を落ち着かせるために、呼吸を繰り返す。そんなわたしの首に、ひんやりと冷たいものがあてられて、「ひっ」と叫んだ。湊の持つ、炭酸飲料のペットボトルだった。
「あげる。汗すごい」
「……あ、ありがとう」
おずおずと受け取ると、前に教えてあげた炭酸飲料と同じだった。はまったんだろうか、ちょっと笑える。ふたを開けると、小気味いい音がした。刺激とともに喉の奥へと流し込む。気持ちいい。
「のどか、なんでいるの」
あなたに会いに来た、とは言えなくて、わたしは「あー」とか「うー」とかうなってみせる。湊は何度かまばたきしてから、わずかに首をかしげてみせた。
「うち、来る? ここ暑いし」
本当は、言いたいことはたくさんあったはずなんだ。部活にも来ないなんて大丈夫なの、とか。夏祭りでなにがあったの、とか。柊木先輩にくらいメッセージ返しなさいよ、とか。それでも、どれから言えばいいのかわからなくて、わたしは湊の提案に一旦うなずいた。
湊の家は、道を入ってすぐのところにあった。きっとここからなら海がよく見えるだろうな、という小さいけれどきれいな家。お邪魔します、とおずおずと玄関に足を踏み入れる。奥からひょっこりと、四十代くらいの溌剌とした女のひとが顔を出した。
「おかえり、湊。あら、その子は?」
「クラスメイト」
「あらあら、そうなの!」
ぱっとそのひとは顔を綻ばせた。とても明るい笑顔だ。
「湊がお友だちを連れてくるなんて、珍しいわね! どうぞ、ごゆっくり」
あわててわたしは頭を下げる。湊に案内されて階段をのぼって、部屋に入った。机とベッド、最低限のものしかない、湊らしい部屋だった。冷房で冷やされた室内に、肌がぶるりとふるえる。
「あのひとは、朝香さん」
湊は勉強机の椅子に座って、わたしにはベッドに座るよう示す。朝香さん、と繰り返しながら、改めて湊をじっと見た。
部活も休むくらいだから、ひどく思い詰めてやつれてしまってはいないだろうかと思っていたけれど、湊はいたって元気そうだった。元気……というか、いつもどおりの静かな態度だ。それでいいような、悪いような、もやもやとした思いが渦巻く。
「湊に写真部に入るように勧めたのが、お母さんなんだっけ」
「そう、朝香さんはハハオヤ。だけど実際は、俺の叔母さん」
え?
「養子なんだ、俺」
ぴくりとわたしの肩が動く。でもなにも言えなくて、湊を見つめた。いまは、なにも感じない、湊の瞳。
形のいい薄いくちびるから、さらさらと彼の声が流れる。
「父親は、小学生のときに出ていった。母親は、その二年後に死んだ。で、いまは朝香さんが俺を引き取って育ててくれてる」
いつもの平坦な声だった。でもわたしは、急な単語に、頭の整理が追いつかなかった。
養子、と口の中でつぶやいて、飲みこもうとする。なにか言おうとして口を半開きにするけれど、なんの言葉も出てこない。
「一湊湊って、へんな名前ってよく言われるけど、叔母さんに引き取られてから一湊って名字になったんだ。朝香さんは、海がてんこもりでいい名前ね、って言ってたけど」
そこで湊は言葉を切って、まばたきをすることすら忘れていたわたしに首をかしげる。
「そういう話を、のどかは聞きに来たんじゃないの?」
わたしは、言葉に詰まってしまった。たしかに、湊のことを知りたかった。
須川さんの言葉に反応した理由が、夏祭りで姿を消した理由が、その過去の話にあるのかもしれない。わたしが知りたいと思っているから、湊は話そうとしているんだろう。たぶん、とても繊細な部分の話なのに。
「……湊は、話すのが嫌じゃないの?」
「べつに。のどかが知りたいなら、聞かせるだけ」
あいかわらず、わたしが望むことをしてくれるらしい。それでもわたしは口ごもる。簡単に聞いていいような話にも思えなかった。
「いいよ、隠すことでもないし」
わたしが迷っているのを察したのか、湊はそう言った。勉強机に肘をつきながら、自分の話なのに、どこか別の世界にいる他人の話をするような身軽さで、戸惑いもなく、彼は過去を語りはじめた。
土地勘のない場所を走るなんて不安だったけど、足は前へ前へと押し出される。スマホをにぎりしめていた。見つからなければ、電話してみようと思って。でもできれば、自分の目で見つけて彼のもとまでたどり着きたかった。そうじゃないと、いけない気がした。
小さな駅に見合った細い路地がつづく。じりじりと太陽の光を浴びた地面からたちのぼる熱気に、額にも首筋にも汗が伝う。
湊は、どこ。
首を巡らせたとき、横道にその姿を見つけた。
「湊!」
ふり絞った声に、湊がこちらを見る。のどか、と小さくつぶやく彼の声が久しぶりで、きゅっと胸のあたりが苦しくなった。学校で見るカッターシャツじゃない。お祭りのときよりもラフなTシャツ姿が見慣れなくて、落ち着かない。それでも息を大きく吸い込んだ。
「湊、そこ動かないで!」
「え、うん……」
気を抜けば、またどこかにふらりと消えてしまいそうで、怖かった。わたしは急いで湊のもとまで駆けた。湊は指示どおりに、わたしを待っている。でも、目の前まで来てみて、なんて言えばいいのかわからなくなった。
ひとまず、息を落ち着かせるために、呼吸を繰り返す。そんなわたしの首に、ひんやりと冷たいものがあてられて、「ひっ」と叫んだ。湊の持つ、炭酸飲料のペットボトルだった。
「あげる。汗すごい」
「……あ、ありがとう」
おずおずと受け取ると、前に教えてあげた炭酸飲料と同じだった。はまったんだろうか、ちょっと笑える。ふたを開けると、小気味いい音がした。刺激とともに喉の奥へと流し込む。気持ちいい。
「のどか、なんでいるの」
あなたに会いに来た、とは言えなくて、わたしは「あー」とか「うー」とかうなってみせる。湊は何度かまばたきしてから、わずかに首をかしげてみせた。
「うち、来る? ここ暑いし」
本当は、言いたいことはたくさんあったはずなんだ。部活にも来ないなんて大丈夫なの、とか。夏祭りでなにがあったの、とか。柊木先輩にくらいメッセージ返しなさいよ、とか。それでも、どれから言えばいいのかわからなくて、わたしは湊の提案に一旦うなずいた。
湊の家は、道を入ってすぐのところにあった。きっとここからなら海がよく見えるだろうな、という小さいけれどきれいな家。お邪魔します、とおずおずと玄関に足を踏み入れる。奥からひょっこりと、四十代くらいの溌剌とした女のひとが顔を出した。
「おかえり、湊。あら、その子は?」
「クラスメイト」
「あらあら、そうなの!」
ぱっとそのひとは顔を綻ばせた。とても明るい笑顔だ。
「湊がお友だちを連れてくるなんて、珍しいわね! どうぞ、ごゆっくり」
あわててわたしは頭を下げる。湊に案内されて階段をのぼって、部屋に入った。机とベッド、最低限のものしかない、湊らしい部屋だった。冷房で冷やされた室内に、肌がぶるりとふるえる。
「あのひとは、朝香さん」
湊は勉強机の椅子に座って、わたしにはベッドに座るよう示す。朝香さん、と繰り返しながら、改めて湊をじっと見た。
部活も休むくらいだから、ひどく思い詰めてやつれてしまってはいないだろうかと思っていたけれど、湊はいたって元気そうだった。元気……というか、いつもどおりの静かな態度だ。それでいいような、悪いような、もやもやとした思いが渦巻く。
「湊に写真部に入るように勧めたのが、お母さんなんだっけ」
「そう、朝香さんはハハオヤ。だけど実際は、俺の叔母さん」
え?
「養子なんだ、俺」
ぴくりとわたしの肩が動く。でもなにも言えなくて、湊を見つめた。いまは、なにも感じない、湊の瞳。
形のいい薄いくちびるから、さらさらと彼の声が流れる。
「父親は、小学生のときに出ていった。母親は、その二年後に死んだ。で、いまは朝香さんが俺を引き取って育ててくれてる」
いつもの平坦な声だった。でもわたしは、急な単語に、頭の整理が追いつかなかった。
養子、と口の中でつぶやいて、飲みこもうとする。なにか言おうとして口を半開きにするけれど、なんの言葉も出てこない。
「一湊湊って、へんな名前ってよく言われるけど、叔母さんに引き取られてから一湊って名字になったんだ。朝香さんは、海がてんこもりでいい名前ね、って言ってたけど」
そこで湊は言葉を切って、まばたきをすることすら忘れていたわたしに首をかしげる。
「そういう話を、のどかは聞きに来たんじゃないの?」
わたしは、言葉に詰まってしまった。たしかに、湊のことを知りたかった。
須川さんの言葉に反応した理由が、夏祭りで姿を消した理由が、その過去の話にあるのかもしれない。わたしが知りたいと思っているから、湊は話そうとしているんだろう。たぶん、とても繊細な部分の話なのに。
「……湊は、話すのが嫌じゃないの?」
「べつに。のどかが知りたいなら、聞かせるだけ」
あいかわらず、わたしが望むことをしてくれるらしい。それでもわたしは口ごもる。簡単に聞いていいような話にも思えなかった。
「いいよ、隠すことでもないし」
わたしが迷っているのを察したのか、湊はそう言った。勉強机に肘をつきながら、自分の話なのに、どこか別の世界にいる他人の話をするような身軽さで、戸惑いもなく、彼は過去を語りはじめた。