湊は夏祭り以降、文化祭の準備にも写真部の活動にも、姿を見せなくなった。
そもそも文化祭の準備はそう何回もあるものじゃない。影絵の劇も形になってきたから、もうあとは夏休み明けでいいかということで話はまとまってきた。この準備が終わってしまえば、わたしが夏休み中に湊と会う機会はほとんどない。それなのに、湊は来ない……。
「三糸さん、今日は大丈夫そう?」
「うん。ありがとう」
「体調悪くなったら言ってね」
例の写真騒動があってからは、ずっと遠巻きに見ていただけのクラスメイトたちが、わたしにそっと声をかけてくるようになっていた。わたしが、いじめのせいで倒れたと思っているんだろう。
わたしが彩を助けたときと同じだ。さすがに、目の前で追い詰められた様子を見せられると、手を差し伸べずにはいられないらしい。彼らだって、やさしさを秘めた傍観者だった。
須川さんもさすがに怯んだのか、あれ以降目立って絡んでくることはない。
――まあ、倒れたのはみんなっていうより、湊がきっかけなんだけど。
あの日感じた、湊の感情。そして夏祭り以降、姿を消した湊。あれは、なんだったんだろう。湊になにが起きているんだろう。考えるだけで、胸が苦しくなる。
「のどか、無理してない? 大丈夫?」
帰り道。今日は準備も早く終わったから、図書室でのリフレッシュタイムを過ごしても、まだ一時を過ぎたあたりだった。分かれ道まで来て心配そうな顔をする彩に、わたしは笑みを浮かべる。
「平気だよ」
「湊くん、今度は来てくれるといいね。もう文化祭の準備も、あと二日くらいでいいって話だし。最後くらいは」
「うん、そうだね……」
「のどか。無理だけはしちゃ駄目だよ。絶対」
「ふふ、心配しすぎだって」
「するよ。友だちだもん」
言い切る彩に、わたしはぽかんとした。それから、じんわりと胸の奥からあたたかさが広がって、「ありがとう」と微笑む。
わたしたちは手をふって別れた。最近になってようやく知ったのだけど、彩は電車通学ではなく、徒歩通学だった。学校と海との間にある住宅街の中に、彼女の家はあるそうだ。
ひとりになると、わたしはイヤホンを耳につっこみ、世界を閉ざす。
駅まで歩いて改札をくぐると、ホームはがらんとしていた。図書室で過ごしている間にクラスメイトたちは帰っている子が多いから、ここで鉢合わせする可能性は低い。いつものように普通列車が来るのを待った。
海を眺めて、ポケットからスマホを取り出す。昨日湊に送ったメッセージには、既読すらついていなかった。
いったい、なにが起きているんだろう。
教室での写真騒動のとき、須川さんはなんて言ってたっけ。夏祭りで、なにに湊は驚いて逃げ出したんだろう――。
記憶をたどっていると、普通列車が甲高い音を立ててホームにやってきた。冷気を放出しながら開けられた扉の奥に、身をすべり込ませる。すみの席に座り、窓から海を見つめた。青い。
スマホを握りしめる。トーク画面を開いてみるけど、変化はない。
そうやって、何度も海とスマホの画面の間で視線が行き来しているうち、イヤホンでかけている音楽越しに、見知った駅名が聞こえた。片耳だけイヤホンをはずして、繰り返される駅名を聞く。やがて、ゆっくりと電車が止まったのは、なにもない小さな駅のホームだった。
湊の最寄り駅。ここから家が近いって、言っていたはず。ここでおりれば、会えるのかな――。
「あ」
いつか、湊とわたしが座っていたホームのベンチに人影を見つけて、わたしは思わず車両をおりた。相手も、わたしに気づいて驚きに染まった顔をあげる。
「あれ、のどかちゃんだ」
「柊木先輩……」
おりたはいいけれど、ホームにひとり座っていた柊木先輩を前に、どうすることもできずに立ち尽くす。背後で扉のしまる音がした。電車はまたのろのろと走り出す。
先輩はわたしを見つめて、首をかしげた。
「のどかちゃんも、この駅なの?」
「あ、いえ、わたしは」
「もしかして、会いに来た?」
誰に、とは言わなくてもわかる。わたしは迷ってから、ゆっくりうなずいた。
「そっか。わたしも同じだよ。ちょっと話さない?」
柊木先輩は、ベンチのとなりのスペースをぽんと叩く。おずおずとそこに腰をおろせば、ふたりで海を眺める形になる。夏風がさわさわと前髪を乱して通り過ぎていった。
湊が部活にも来ていないというのは、柊木先輩から教えてもらったことだった。部長として恋人として、先輩も放っておけないはず。
「先輩、湊に会ってきたんですか……?」
先輩は首をふる。
「ううん。まだ」
「え、でも」
先輩は、わたしが来る前から、ここに座っていた。いつから、ここにいたの?
「二本前の電車でここに来て、ずっと座ってる。笑えるでしょ」
いつも穏やかに微笑んでいる先輩が、自嘲の笑みを浮かべた。その表情にも、発言にもわたしは目を見開く。普通列車は本数が少ない。二本前といえば、けっこうな時間ここにいたことになる。
「湊くんにね、会いに行っていいかな、ってメッセージ送って、でも返事がなくて。もし返事があったら、すぐ家まで押しかけてやろうって思って、ここで待ってたんだけど」
「ずっと、ですか?」
「うん。ストーカーみたいだよね」
「い、いえ、そんな。先輩は、彼女さんですし」
わたしは、ベンチから投げ出した足先を見つめた。なんで電車おりちゃったのかな。なにをしようって言うんだろう。
湊も湊だ。こんな美人な恋人が心配してくれているのに、なんで返信しないの。こんな暑いなか、ひとりで待ってくれているのに。わたしのメッセージはともかく、柊木先輩のメッセージには返信しなさいよ。
灰色のコンクリートの地面に、どこからか青葉が吹き込んできて、わたしはつま先でざりっと踏みつけた。
「のどかちゃん、湊くんのこと好きでしょ」
なんの前触れもなく、先輩が断言した。
そもそも文化祭の準備はそう何回もあるものじゃない。影絵の劇も形になってきたから、もうあとは夏休み明けでいいかということで話はまとまってきた。この準備が終わってしまえば、わたしが夏休み中に湊と会う機会はほとんどない。それなのに、湊は来ない……。
「三糸さん、今日は大丈夫そう?」
「うん。ありがとう」
「体調悪くなったら言ってね」
例の写真騒動があってからは、ずっと遠巻きに見ていただけのクラスメイトたちが、わたしにそっと声をかけてくるようになっていた。わたしが、いじめのせいで倒れたと思っているんだろう。
わたしが彩を助けたときと同じだ。さすがに、目の前で追い詰められた様子を見せられると、手を差し伸べずにはいられないらしい。彼らだって、やさしさを秘めた傍観者だった。
須川さんもさすがに怯んだのか、あれ以降目立って絡んでくることはない。
――まあ、倒れたのはみんなっていうより、湊がきっかけなんだけど。
あの日感じた、湊の感情。そして夏祭り以降、姿を消した湊。あれは、なんだったんだろう。湊になにが起きているんだろう。考えるだけで、胸が苦しくなる。
「のどか、無理してない? 大丈夫?」
帰り道。今日は準備も早く終わったから、図書室でのリフレッシュタイムを過ごしても、まだ一時を過ぎたあたりだった。分かれ道まで来て心配そうな顔をする彩に、わたしは笑みを浮かべる。
「平気だよ」
「湊くん、今度は来てくれるといいね。もう文化祭の準備も、あと二日くらいでいいって話だし。最後くらいは」
「うん、そうだね……」
「のどか。無理だけはしちゃ駄目だよ。絶対」
「ふふ、心配しすぎだって」
「するよ。友だちだもん」
言い切る彩に、わたしはぽかんとした。それから、じんわりと胸の奥からあたたかさが広がって、「ありがとう」と微笑む。
わたしたちは手をふって別れた。最近になってようやく知ったのだけど、彩は電車通学ではなく、徒歩通学だった。学校と海との間にある住宅街の中に、彼女の家はあるそうだ。
ひとりになると、わたしはイヤホンを耳につっこみ、世界を閉ざす。
駅まで歩いて改札をくぐると、ホームはがらんとしていた。図書室で過ごしている間にクラスメイトたちは帰っている子が多いから、ここで鉢合わせする可能性は低い。いつものように普通列車が来るのを待った。
海を眺めて、ポケットからスマホを取り出す。昨日湊に送ったメッセージには、既読すらついていなかった。
いったい、なにが起きているんだろう。
教室での写真騒動のとき、須川さんはなんて言ってたっけ。夏祭りで、なにに湊は驚いて逃げ出したんだろう――。
記憶をたどっていると、普通列車が甲高い音を立ててホームにやってきた。冷気を放出しながら開けられた扉の奥に、身をすべり込ませる。すみの席に座り、窓から海を見つめた。青い。
スマホを握りしめる。トーク画面を開いてみるけど、変化はない。
そうやって、何度も海とスマホの画面の間で視線が行き来しているうち、イヤホンでかけている音楽越しに、見知った駅名が聞こえた。片耳だけイヤホンをはずして、繰り返される駅名を聞く。やがて、ゆっくりと電車が止まったのは、なにもない小さな駅のホームだった。
湊の最寄り駅。ここから家が近いって、言っていたはず。ここでおりれば、会えるのかな――。
「あ」
いつか、湊とわたしが座っていたホームのベンチに人影を見つけて、わたしは思わず車両をおりた。相手も、わたしに気づいて驚きに染まった顔をあげる。
「あれ、のどかちゃんだ」
「柊木先輩……」
おりたはいいけれど、ホームにひとり座っていた柊木先輩を前に、どうすることもできずに立ち尽くす。背後で扉のしまる音がした。電車はまたのろのろと走り出す。
先輩はわたしを見つめて、首をかしげた。
「のどかちゃんも、この駅なの?」
「あ、いえ、わたしは」
「もしかして、会いに来た?」
誰に、とは言わなくてもわかる。わたしは迷ってから、ゆっくりうなずいた。
「そっか。わたしも同じだよ。ちょっと話さない?」
柊木先輩は、ベンチのとなりのスペースをぽんと叩く。おずおずとそこに腰をおろせば、ふたりで海を眺める形になる。夏風がさわさわと前髪を乱して通り過ぎていった。
湊が部活にも来ていないというのは、柊木先輩から教えてもらったことだった。部長として恋人として、先輩も放っておけないはず。
「先輩、湊に会ってきたんですか……?」
先輩は首をふる。
「ううん。まだ」
「え、でも」
先輩は、わたしが来る前から、ここに座っていた。いつから、ここにいたの?
「二本前の電車でここに来て、ずっと座ってる。笑えるでしょ」
いつも穏やかに微笑んでいる先輩が、自嘲の笑みを浮かべた。その表情にも、発言にもわたしは目を見開く。普通列車は本数が少ない。二本前といえば、けっこうな時間ここにいたことになる。
「湊くんにね、会いに行っていいかな、ってメッセージ送って、でも返事がなくて。もし返事があったら、すぐ家まで押しかけてやろうって思って、ここで待ってたんだけど」
「ずっと、ですか?」
「うん。ストーカーみたいだよね」
「い、いえ、そんな。先輩は、彼女さんですし」
わたしは、ベンチから投げ出した足先を見つめた。なんで電車おりちゃったのかな。なにをしようって言うんだろう。
湊も湊だ。こんな美人な恋人が心配してくれているのに、なんで返信しないの。こんな暑いなか、ひとりで待ってくれているのに。わたしのメッセージはともかく、柊木先輩のメッセージには返信しなさいよ。
灰色のコンクリートの地面に、どこからか青葉が吹き込んできて、わたしはつま先でざりっと踏みつけた。
「のどかちゃん、湊くんのこと好きでしょ」
なんの前触れもなく、先輩が断言した。