「昨日はごめん」
つぎの日の図書室。湊はなんでもない顔をして現れた。先に集まっていたわたしと彩、美里はぽかんと目を丸める。
「だ、大丈夫だったの……?」
「なんでもないよ。須川さんに驚いただけ。あと写真、いつ撮られてたのかわからなくて、びっくりしたから」
驚いたって……、そんな言葉で済ませられるようなことじゃなかったのに。わたしたち女子組は顔を見合わせた。
「今日は部活あるから、そっち行ってくる」
湊は軽くそれだけ言って、図書室を出て行ってしまった。残されたわたしたちは、呆然とする。
「湊のやつ、うそついてるよね? 絶対そんな軽い感じのじゃなかったもんね? いや、わたしはのどかたちから聞いただけで見てないから、なんとも言えないけど」
そんな美里に、彩がこくこくとうなずく。
「深刻そうだったよ、絶対」
「どうしちゃったのかなあ……って、まあ、あんなうわさ流されたんじゃ、さすがの湊もまいっちゃうかなあ」
え?
わたしは美里の言いぶりに、あわてて彼女の肩をつかんだ。
「ちょっと待って。美里、湊のうわさ知ってるの? 昨日、須川さんが言ってたこと」
「へ? あ、ああ、うん。ちらっとうわさ聞いただけなんだけど」
なにそれ。早く言ってよ!
わたしは肩をつかむ手に力をこめた。だって、なにがあったのか、わたしにはまったく理解できていなかったから。そんな状態で、湊にかける言葉なんて見つかるわけない。知らなきゃ、と思った。
「なんなの? 湊、それで困ってるんでしょ? いったいなにが」
「あー、ちょっと待って、のどか。ストップストップ!」
美里がどうどう、と手で制す。わたしはむっとした。彩はハラハラとした顔でわたしたちを見守っている。
「のどか、ほんとに知りたい?」
「だって、知らなきゃ、湊になんて言えばいいかわからないよ」
だけど美里は困り顔で頭をかいた。
「んー、なんていうかさ……これ、けっこう下世話なうわさなんだよね……」
「え?」
「だから、そのぉ、湊はあんまり、このうわさを広められたくないと思うんだ。湊が昨日逃げたってことは、うわさは突拍子もないつくり話って言えないかもだし……。それを勝手に話すのは、どうなのかなあって」
美里がわたしをうかがうように見る。
「のどか、本当に知りたい?」
今度は、言葉に詰まってしまった。湊が嫌がったうわさを、聞いていいのかどうか。
美里も本気で訊いてきている。わたしにも湊にも気遣って……、そういうやさしさが、美里からあふれていて、わたしの心を鎮めていった。それでも簡単に決められることじゃなくて、わたしは時間をたっぷり使った。そうして、けっきょく首を横にふった。
「やっぱり、いい。話さないで」
気になるけど、湊が嫌がることはしたくない。中庭で放火魔がどうのこうのと話していた須川さんの会話も、湊はわたしに聞かせたくないようだった。それと昨日のうわさがつながっているのかすらわからないけど、湊が嫌がるなら聞かないほうがいいだろう。
「そっか。……のどかは、本当に湊のこと好きなんだねえ」
「……かもね、でも湊には、柊木先輩がいるし」
わたしはふいと目をそらして、窓の向こうを見る。好き、だけど、わたしにはなにもできないや。
「のどか、大丈夫……?」
彩が眉をさげて、わたしを見た。となりでは、美里も同じような顔をしている。
「だいじょ――」
言いかけて、きゅっと口を結ぶ。ふたりに心配をかけないように、大丈夫と言いたかったけど、はああああ、と重い息をつく。そう、ぶっちゃけて言えば、まったく。
「大丈夫では、ないかな……。しんどい」
そうこぼした瞬間、美里が「のどかー!」と抱きついてきた。彩はわたわたしたけれど、思い切ったように、ひしっとわたしと美里に抱きついた。
「うわあ、なに、ふたりとも!」
「だって、のどか、そりゃしんどいよ。しんどくて当たり前よ。乙女心やばいね」
「のどか、いい子。幸せになってほしい」
「えええ? ありがとう……?」
ふたりの体温と、真綿のようなやさしい感情に包まれて、わたしは笑った。そんなにいい子じゃないよ、わたし。恋人いる男を好きになっちゃったわけだし。そう思うけど、ふたりの感情が心地よかった。
「もうさ、どっか遊びに行こうよ、のどか! 気分転換しよ! せっかくの夏休みだもん。あ、ほら、来週お祭りあるじゃん。いっしょに行かない?」
美里がスマホのカレンダーを見ながら言った。たしかに、来週は夏祭りだ。思い出していると、彩も「あたしも行きたい」と控えめながらしっかりと手をあげた。
「もち! いこいこ! どうせだから湊も誘おうよ」
「いや、湊は柊木先輩と行くんじゃない?」
つっこんだわたしに、美里が「あぅあ」と妙な声をあげる。急にやる気を削がれたみたいに、へろへろと肩を落としてしまった。
「やりにくいなあ、彼女持ち男子……って、やば。部活はじまるわ。とりあえず、のどかと彩は夏祭り決定ね!」
びしっと指を立てて言うと、あわただしく美里は図書室を出て行った。彩も「わたしも教室行ってくる」と鞄をつかむ。
「のどかは、今日はおやすみするよね?」
「うん……ちょっと、行く気力がないかな。ここで待ってる。彩、ほんとにひとりで平気?」
「うん、がんばってくる。いってきます」
《緊張》を抱えながら微笑む彩に、わたしは手をふった。強くなったなあ、彩……と、胸にじんわりしみた。
さすがに昨日の今日で、わたしは文化祭準備に顔を出すことはできなかった。人形づくりグループとしての役目はもう終わっているんだから、参加しなかったとしても、だれもわたしを責めないだろう。でも彩だけを教室に放り出すのは申し訳なくて、一応図書室までは来てみたというわけだ。
それに、湊のことも心配だったし。
思ったより、湊はふつうの態度だった。拍子抜けするほどに。でも昨日の湊は、確実におかしかったんだ。嫌なことがあったなら、言ってくれればいいのに。相談でもなんでも乗るつもりで、わたしは今日ここに来たはずだった。
――うまくいかないなあ。
湊への謎が深まっていくばかり。夏休みがはじまる前のほうが、湊との距離が近かったように思える。
「しんどい」
窓にもたれかかって、つぶやいた。
つぎの日の図書室。湊はなんでもない顔をして現れた。先に集まっていたわたしと彩、美里はぽかんと目を丸める。
「だ、大丈夫だったの……?」
「なんでもないよ。須川さんに驚いただけ。あと写真、いつ撮られてたのかわからなくて、びっくりしたから」
驚いたって……、そんな言葉で済ませられるようなことじゃなかったのに。わたしたち女子組は顔を見合わせた。
「今日は部活あるから、そっち行ってくる」
湊は軽くそれだけ言って、図書室を出て行ってしまった。残されたわたしたちは、呆然とする。
「湊のやつ、うそついてるよね? 絶対そんな軽い感じのじゃなかったもんね? いや、わたしはのどかたちから聞いただけで見てないから、なんとも言えないけど」
そんな美里に、彩がこくこくとうなずく。
「深刻そうだったよ、絶対」
「どうしちゃったのかなあ……って、まあ、あんなうわさ流されたんじゃ、さすがの湊もまいっちゃうかなあ」
え?
わたしは美里の言いぶりに、あわてて彼女の肩をつかんだ。
「ちょっと待って。美里、湊のうわさ知ってるの? 昨日、須川さんが言ってたこと」
「へ? あ、ああ、うん。ちらっとうわさ聞いただけなんだけど」
なにそれ。早く言ってよ!
わたしは肩をつかむ手に力をこめた。だって、なにがあったのか、わたしにはまったく理解できていなかったから。そんな状態で、湊にかける言葉なんて見つかるわけない。知らなきゃ、と思った。
「なんなの? 湊、それで困ってるんでしょ? いったいなにが」
「あー、ちょっと待って、のどか。ストップストップ!」
美里がどうどう、と手で制す。わたしはむっとした。彩はハラハラとした顔でわたしたちを見守っている。
「のどか、ほんとに知りたい?」
「だって、知らなきゃ、湊になんて言えばいいかわからないよ」
だけど美里は困り顔で頭をかいた。
「んー、なんていうかさ……これ、けっこう下世話なうわさなんだよね……」
「え?」
「だから、そのぉ、湊はあんまり、このうわさを広められたくないと思うんだ。湊が昨日逃げたってことは、うわさは突拍子もないつくり話って言えないかもだし……。それを勝手に話すのは、どうなのかなあって」
美里がわたしをうかがうように見る。
「のどか、本当に知りたい?」
今度は、言葉に詰まってしまった。湊が嫌がったうわさを、聞いていいのかどうか。
美里も本気で訊いてきている。わたしにも湊にも気遣って……、そういうやさしさが、美里からあふれていて、わたしの心を鎮めていった。それでも簡単に決められることじゃなくて、わたしは時間をたっぷり使った。そうして、けっきょく首を横にふった。
「やっぱり、いい。話さないで」
気になるけど、湊が嫌がることはしたくない。中庭で放火魔がどうのこうのと話していた須川さんの会話も、湊はわたしに聞かせたくないようだった。それと昨日のうわさがつながっているのかすらわからないけど、湊が嫌がるなら聞かないほうがいいだろう。
「そっか。……のどかは、本当に湊のこと好きなんだねえ」
「……かもね、でも湊には、柊木先輩がいるし」
わたしはふいと目をそらして、窓の向こうを見る。好き、だけど、わたしにはなにもできないや。
「のどか、大丈夫……?」
彩が眉をさげて、わたしを見た。となりでは、美里も同じような顔をしている。
「だいじょ――」
言いかけて、きゅっと口を結ぶ。ふたりに心配をかけないように、大丈夫と言いたかったけど、はああああ、と重い息をつく。そう、ぶっちゃけて言えば、まったく。
「大丈夫では、ないかな……。しんどい」
そうこぼした瞬間、美里が「のどかー!」と抱きついてきた。彩はわたわたしたけれど、思い切ったように、ひしっとわたしと美里に抱きついた。
「うわあ、なに、ふたりとも!」
「だって、のどか、そりゃしんどいよ。しんどくて当たり前よ。乙女心やばいね」
「のどか、いい子。幸せになってほしい」
「えええ? ありがとう……?」
ふたりの体温と、真綿のようなやさしい感情に包まれて、わたしは笑った。そんなにいい子じゃないよ、わたし。恋人いる男を好きになっちゃったわけだし。そう思うけど、ふたりの感情が心地よかった。
「もうさ、どっか遊びに行こうよ、のどか! 気分転換しよ! せっかくの夏休みだもん。あ、ほら、来週お祭りあるじゃん。いっしょに行かない?」
美里がスマホのカレンダーを見ながら言った。たしかに、来週は夏祭りだ。思い出していると、彩も「あたしも行きたい」と控えめながらしっかりと手をあげた。
「もち! いこいこ! どうせだから湊も誘おうよ」
「いや、湊は柊木先輩と行くんじゃない?」
つっこんだわたしに、美里が「あぅあ」と妙な声をあげる。急にやる気を削がれたみたいに、へろへろと肩を落としてしまった。
「やりにくいなあ、彼女持ち男子……って、やば。部活はじまるわ。とりあえず、のどかと彩は夏祭り決定ね!」
びしっと指を立てて言うと、あわただしく美里は図書室を出て行った。彩も「わたしも教室行ってくる」と鞄をつかむ。
「のどかは、今日はおやすみするよね?」
「うん……ちょっと、行く気力がないかな。ここで待ってる。彩、ほんとにひとりで平気?」
「うん、がんばってくる。いってきます」
《緊張》を抱えながら微笑む彩に、わたしは手をふった。強くなったなあ、彩……と、胸にじんわりしみた。
さすがに昨日の今日で、わたしは文化祭準備に顔を出すことはできなかった。人形づくりグループとしての役目はもう終わっているんだから、参加しなかったとしても、だれもわたしを責めないだろう。でも彩だけを教室に放り出すのは申し訳なくて、一応図書室までは来てみたというわけだ。
それに、湊のことも心配だったし。
思ったより、湊はふつうの態度だった。拍子抜けするほどに。でも昨日の湊は、確実におかしかったんだ。嫌なことがあったなら、言ってくれればいいのに。相談でもなんでも乗るつもりで、わたしは今日ここに来たはずだった。
――うまくいかないなあ。
湊への謎が深まっていくばかり。夏休みがはじまる前のほうが、湊との距離が近かったように思える。
「しんどい」
窓にもたれかかって、つぶやいた。