くわしいことはあとで連絡するね、と言う先輩と連絡先を交換する。メッセージアプリのアイコン上に、おしゃれな先輩の写真が映っていた。さすが先輩だ。

 そこまできて、先輩は「あっ!」と声をあげた。

「そうだ。わたし、湊くんを呼びにきたんだった。さっき先生が探してたんだよ。もう、すっかり忘れてた!」

 先輩があわてて、湊の背中を押す。

「ごめん、のどかちゃん。湊くん借りてくね」
「どうぞどうぞ。借りてたのはわたしのほうなので」
「合宿のこと、夜までには詳細送るから!」
「ありがとうございます」

 先輩と湊に、ひらひらと手をふった。ふたりが見えなくなるまで、わたしはぼんやりと立ち尽くす。

「あー――……」

 ひとりになって、ため込んでいた息をこぼした。視線を下に移して、その先にある右手を開いたり閉じたりを繰り返す。わたしが伸ばすのに戸惑った手。さらりと湊に触れられる、先輩の白い指。

 わたしはトモダチ。先輩は恋人。

 わたしは、ただのクラスメイトとして、合宿に参加する。そこだけは間違えちゃいけないことだ、と。自分の心に刻んで歩き出す。さっさと帰ってお菓子でも食べよう。ああでも夏休みの宿題を終わらせるのが先か。わたしは、宿題は最初のうちに終わらせるタイプだ。

 だけど、宿題は最後まで残しておくタイプだろう美里の声が上から降ってきて、わたしは足を止めた。

「のどかー! 学園祭準備、もう終わったー?」

 顔を上げれば、美里が三階の窓から手をふっていた。さっきも同じことを聞かれたなと思いながら、わたしも声を張る。

「終わったよー!」
「あー、また行けなかったー。ごめーん!」

 ちょっとそこで待ってて、と叫ばれて、わたしはおとなしく指示に従う。しばらくすると、美里が走ってきた。

「部活いいの?」
「うん。ちょうど休憩入った。というか、さっき、湊たちといた?」

 見られていたのか。なんとなく、居心地が悪くて、わたしはあいまいな笑みを浮かべた。美里のことだから、からかってくるんだろうな、と思った。でも美里は、予想に反して妙に真剣な表情をつくってみせた。

「ねえ、のどか。大丈夫なの?」
「なにが?」
「いやあ、ほら、ネタにしてきたわたしが言うことでもないんだけどさあ、ほら、ね?」

 あいかわらず、美里は核心を突くだけの思いきりがないらしい。だけど今回のそれは臆病というより、やさしいからだと、わたしは知っている。それに言いたいことはわかった。わかったからこそ、不安になった。

 もうここまできて、「ちがいますー」なんてことは言えないだろう。わたしは眉をさげて訊ねる。

「わたしって、けっこうわかりやすい……?」

 つられたのか、美里も困った顔になった。ふだん明るい彼女なだけに、そういう顔をすると深刻さが増して見える。

「まあ、けっこう?」
「それは……、まずいな。先輩に申し訳ないや」

 自分の頬をぺたぺたと触る。隠さなきゃと思っているのになあ。彼氏に言い寄る女がいるなんて、先輩は嫌だろう。これ以上、先輩を悲しませたくない。

「てか、そうじゃなくて。のどかがしんどくない? 大丈夫? って話なんだけど」

 美里が肩をつかんできたから、驚いて目を丸くする。

「え、わたし?」
「そう。先輩より、のどかの心配してる。わたし、先輩のことはよく知らないし、のどかのが大事だもん」

 ふわっと胸にあたたかさが吹き込む。美里は、どうやら本気でわたしの心配をしてくれているらしい。

「湊もさあ、愛想なかったらいいのに、のどかにはやさしいじゃんか。そういうの、余計にしんどそうだなあって、わたしなんかは見ていて思うわけですよ」
「湊はだれに対しても、あんな感じでしょ」
「いーや、ちがうね。のどかは特別」

 それを聞いて、うれしいのか悲しいのか、わたしにはわからなかった。湊がわたしを特別扱いしてくれているとして、それってどういう意図があるの。だって、つきあってるのは柊木先輩だし。

 ――湊は、わたしのこと、どう思っているんだろう。

 希望を持ってしまいそうになったから、わたしは首をふる。

「湊とは、ただのオトモダチです」

 きっぱりと言い切った。

 司書の草本先生が言っていた。言葉は強いのよ、って。「ただのオトモダチ」そう言い続けていれば、きっとそのうち、言葉の力に影響されて心も変わってくれるだろう。

 美里はしかめっ面をして、それからわたしの背中をばしんと叩いた。

「のどか、なんか相談あったら言ってよ?」
「ありがとー、頼りにしてます」
「うむ、くるしゅうない」
「なにそれ」

 わたしは、柊木先輩には及ばない、へっぽこな笑顔をつくった。