《不安》《疑惑》《不審》

 ざらりとした感情の感触に、わたしはにっこり笑顔をつくった。

「はい、お久しぶりです! 休みの日まで部活おつかれさまです。わたしは、さっきまで文化祭の準備してたんですよ」

 柊木先輩もにっこり微笑んだ。とてもとても美人な微笑みだ。

「ああ。湊くんから聞いたよ。影絵の劇だっけ? 銀河鉄道の夜」
「そうなんです。友だちが主役の声を当てるので、わたしも気合い入っちゃって」
「そっかー。楽しみだね」

 はい、と満面の笑みでうなずく。笑顔でいれば、たいていうまくいくはずだから。

 柊木先輩は「銀河鉄道の夜、ね。わたし、あの話好きだよ」と言ったあと、ストラップをつけて首から提げているカメラを示した。

「写真部もね、文化祭で星をテーマに展示作品をつくるんだ」
「へえ、星ですか」
「そう。夏休み最後に合宿するの。ほら、合宿用の宿泊棟があるでしょ。あそこに泊って、夜まで撮影大会するんだよ。一泊二日」

 宿泊棟なんて、うちの学校にあったっけ。帰宅部のわたしには縁がなさすぎてわからない。でも柊木先輩によると、部活に入っている生徒はけっこうお世話になっているらしい。

「顧問の先生が、星を撮るためのいいカメラを貸してくれることになってるんだ」
「楽しそうですね。合宿かあ。青春って感じしますね、いいなあ」

 うーん、やっぱりわたしも部活に入っておくべきだったかな。いまさらだけど、高校生としての華の部分を取り逃してしまっているような気になってきた。でももう二年生だし、本当にいまさらだ。

「あ」

 ふいに湊が声をあげた。わたしと柊木先輩が、湊を見る。湊はあいかわらずの表情のままで、言った。

「のどかも、合宿来る?」

 へ、と妙な声が出た。理解するのに二秒ほどかかって、あわてて首をふる。

「え、いやいやいや、なんで? 写真部の合宿でしょ?」
「でもモデルが必要だから」
「モデル?」

 話が読めないわたしに、あー、と柊木先輩が笑って説明を加えた。

「湊くんね、ひとを撮るのが苦手だろうってこの前、先生に言われてて。こう、なんというか……パッションが伝わってこないって」
「パッション……は、たしかに湊はないですね」
「でしょう?」

 そんなことを言われていても、湊は怒ることもすねることもなく、静かな表情。うん、やっぱりパッションはない。湊自身がそんなだから、撮る写真にもパッションが現れないのかもしれない。

「だけどね、のどかちゃんの写真は、生き生きしてていいねって、褒められてて」
「わたしの? え、待ってください。そんなのいつ……」
「炭酸飲んでる写真」
「あ……、ああああっ! あれか!」

 たしかに、撮られたことがあった。かっと頬に熱が集まる。

「あれ、盗撮じゃん!」
「あとで許可もらった」
「あげたっけ⁉」
「もらった……と思う」

 い、いや、たしかにあのとき、湊かっこいいな……って思ってたら、うやむやなまま終わったような気もする。ちゃんとダメって言っておくべきだった。恥ずかしい。両頬に手を当てれば、やっぱり、じんわりと熱を持っている。

「大丈夫だよ。のどかちゃんかわいく写ってたし。写真部でも大好評だったから」

 柊木先輩がフォローしてくれるけど、この恥ずかしさはどうにもならないです。ていうか、部員みんなに見せたわけ?

 湊に、じとっとした視線を送る。だけど湊は、一切気にしない顔。

「で、来る? ほかにも何人かモデル来るから、のどかだけ特別扱いってわけじゃないし」
「そうなの……?」

 不安になって、一応、柊木先輩を見る。先輩もうなずいた。

「モデルとして、部員以外にも三人参加予定だよ。合宿費だけ、ちょっと出してもらうことになるんだけど。のどかちゃんさえよければ、おいで」

 おいで、と、先輩はやわらかな笑顔で言う。でも、その言葉を素直に受け入れてはいけないと、わたしの体質が教えてくれていた。

 彼女がにじませているのは、《不安》。そりゃあそうだ。恋人が、合宿に女の子を誘うなんて。嫌に決まってる。先輩の不安が、わたしの胸にまで暗い雲をもたらす。

 わたしは、わたしの意志を曲げないと決めた。だけど時と場合によっては、折れなければいけないことを知っている。わがままを突き通してばかりでは生きていけない。わたしは、柊木先輩を傷つけるようなことはしたくない。ここは、断るべきだ。

「ありがとうございます。でも、せっかくだけど、今回は」
「のどかちゃん」

 柊木先輩が、わたしの言葉をさえぎった。

「来たい? 来たくない?」
「え……」
「のどかちゃんの気持ちを当ててあげようか」

 先輩は笑顔のまま、つぎの言葉を言い切った。

「のどかちゃんは、合宿に来たいと思っている」

 図星だ。ぐっと言葉に詰まった。だって、合宿って楽しそうだなって思っちゃったんだもん。帰宅部のわたしには、縁がない行事。青春で、いいなあって。

 それに、湊が誘ってくれたことだから――。

 柊木先輩は、ふふっと楽しそうに笑った。

「当たりでしょ? 湊くんが誘ったってことは、そういうことだよ」
「そういうこと、って?」
「湊くんは、相手がしてほしいことしか提案しないの」

 わたしは、湊を見た。あいかわらず、湊がなにを考えているのかわからない。

 だけど、そっか。たしかに、湊はいつもわたしが求めている言葉をくれる。体調悪いときは「大丈夫?」って言ってくれるし、弱音をこぼしたいときは「聞くよ」って言ってくれた。今回も、わたしがうらやましがっているから、誘ってくれたってことか。

「ね? だからおいでよ。部長としても、湊くんがいい写真を撮れるモデルが来てくれるのは、うれしいよ」

 部長として。じゃあ、恋人としては?

 柊木先輩は微笑んだまま、「どう?」と首をかしげている。でも感情に、うそはつけない。

 先輩は、すごくいいひとなんだ。部長として、先輩として、自分の心は隠して相手を気遣うことができる。わたしは、先輩が好きだ。ここで断るのは、先輩のやさしさを無駄にする気がした。

「合宿、行きたいです」

 わたしの言葉に、先輩は「うん、了解!」とうなずいた。