わたしは、湊から視線をはずして、海へと投げた。やっぱり海はきれいで、にくらしい。
「先生たち……、先生たちもさ」
「うん」
「なんで、わたしばっかりに頼るかなあ。よろしくー、じゃないってば……。そんなん、わたしに言われても困るし……」
「うん」
「だいたい遠藤さんも――」
空が海が青いと、死にたいと、そう思った遠藤さんは。
「わたしに謝る必要ないんだよ。感謝する必要もないのに、ありがとうって言ってくるしさ! やめてよ、罪悪感えぐいから!」
ノートのコピーを渡しに行くたびに、ありがとう、とかすかに笑ってくれる遠藤さん。見殺しにしそうになったわたしに、そんな笑顔向けないでよ。
これ以上なつかれて中学みたいなことになったら嫌だな、とか思っちゃうわたしが最低すぎて、気持ち悪くなるじゃん。ただひたすら、自分が汚いものみたいに見えてくる。お礼なんて言われる資格、わたしには、ないのに。
「わたし、そんないい子じゃない……っ!」
「たぶん、遠藤さんは本当に、うれしかったんだと思うよ」
鼻を鳴らしながら、わたしは湊を見る。湊はわたしじゃなくて、海を見ていた。湊が嫌いな、夕焼けに燃やされる海。
「のどか、必死に遠藤さんを止めてたし。だれかに、死なないで、生きていて、って言ってもらえたことは、うれしかったと思うよ」
わたしはぽかんと湊の横顔を見つめて、くちびるをかんだ。
「……やだやだ、湊がムダにやさしい」
「ムダなの?」
「ムダじゃないけど」
ぼろぼろと涙がこぼれるから、やめてほしい。
いい子じゃないよ、わたし。
それでも、湊は首をふる。
「いじめてるか、ずっと傍観決め込んでるクラスメイトしかいないんだから。その中じゃ、のどかは一歩リードしてるんじゃない?」
「うわ、なにその最底辺争い」
「まあ俺もなにもしてこなかったし、その最底辺なんだけど」
「湊も、遠藤さん助けたじゃん」
「一応ね。でもそれまで、関わってこなかったし」
「なんで?」
つい訊いていた。湊だったら、わたしみたいにまわりのことを気にしないで、遠藤さんを助けていてもおかしくなかったから。だって、わたしのことも、何度も気づかって助けてくれたし。
「遠藤さんが、俺には近寄ってほしくないって思ってたから」
その言葉が意外で、わたしは、え、と目を丸めた。
「俺がいっしょにいると、余計に須川さんがいらつくから、近寄らないでって。実際言われたことはないけど、そういうこと考えてそうだったから、近寄らなかった」
意味がわからなくて一瞬考えてしまったけれど、なるほどと理解する。湊はモテるから、そんな湊に助けられたんじゃ、須川さんたちの嫉妬を買うってことか。遠藤さんも、わたしと同じで須川さんの顔色をうかがっていたんだ。
わたしはうなりながら、膝の上に乗せた鞄におでこをつける。
なんなんだよ、須川さん。そこまで遠藤さんが気を使わなくちゃいけないほど、須川さんって偉いの? 同じ高校生のくせに。
「……遠藤さん、大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ。遠藤さんは、そこまで弱くないと思う」
「えー?」
顔の位置をすこしずらして、湊を見上げる。やっぱり湊は、海を見ている。
「あと、のどかも、大丈夫」
「えええ? なにが?」
「今回は、俺と半分こだから」
意味がわからなくて、「うん?」と訊き返す。
てか、半分こて。かわいいな。
「遠藤さんを助けたのは、俺も同じ。依存されたとしても、俺と半分にわけられる。中学のときよりは負担少ないんじゃない? ノートのコピー、俺も手伝うよ」
「まじ?」
「まじ。教室でハブられるなら、俺もいっしょにハブられるし」
「……それでも湊、なんにも苦じゃなさそうなのが怖い」
「まあ、だれに嫌われても困らないし」
「うわ、メンタル鬼つよ」
ふふっと笑った。なにがあっても、湊はこの無表情のままを貫いていそうだ。いいなあ、まわりに合わせてご機嫌うかがいの笑顔をふりまいているわたしとは、大ちがい。
そっかあ、半分こかー。なんだか笑えてくる。
「半分こなら、わたしも楽かも」
「でしょ」
「うん」
海がすこしずつ、夜の藍に染まっていく。遠くに電車の明かりが見えた。もう四十五分経ったらしい。けっこう、あっという間だった。もうすこし、話していたい気もするけれど、そんなことまで望めない。もうすこし、いっしょにいたいなんて言ったら、湊を困らせるだろう。
もし、わたしが湊の恋人だったなら、そんなわがままも許してもらえたのかな。
そんな考えを振り切るように、わたしはベンチから立ち上がった。
「ごめんね、湊。変な話聞いてもらって」
「ううん」
電車の明かりが近づいてくる。まぶしくて、目を細めた。
――大丈夫。
今度はちゃんと、そう思えた。だって、湊と半分こだ。
「みなとー、ありがとうー。今度なんかお礼するねー」
湊はゆっくりまばたきをして、わたしを見た。
「助けてもらいっぱなしは、嫌だもん。なんか好きなお菓子とかある? 買ってくるよ」
「とくにない」
「えー? ならほかに、してほしいことない?」
「ない」
甲高いブレーキ音を鳴らして、電車が止まった。望みがなにもないなんて、遠慮されているんだろうか。ああでも湊が無欲なのは、っぽいなあ。
扉がぱっかりと開かれる。
「じゃあ、なにかお願いごとができたら、教えてよ。それまで保留ね」
湊には今日含めて、ずーっと助けられてばっかりだ。ちゃんとお返しをしないと、わたしも気持ち悪くなってしまう。恵んでもらうだけなんて、人間関係のバランス悪いでしょ。
なんで湊って、こんなにやさしいのかなあ。ほかの女子にもこんな感じ? 美里は、わたしにだけ湊はやさしい、なんて言ってたけどさ……。
「また明日」
「ん」
乗り込んで、振り向いた。ひらひらと手をふると、湊も片手をあげた。四十五分前は、ここで湊に手を引かれたんだ。思い出してしまって、なんだか恥ずかしくなってくる。
――指先、きれいだなあ。
その指を、柊木先輩の指と絡めたりするんだろうか。
がたん、と揺れて、電車は動き出す。しばらく手をふりつづけてから、ふうと息をついた。扉に背をあずけて、目を閉じる。
――駄目だよ、わたし。
深呼吸を繰り返す。湊には、柊木先輩がいる。出しゃばっちゃいけない。これ以上、彼に近づいちゃいけない。そう自分に言い聞かせる。そうじゃないと、わたしの気持ちは駄目な方向に舵を切ってしまいそうだったから。
それから遠藤さんを思い浮かべる。
明日のノートを渡すときは、もうすこし、声をかけてみようか。
「先生たち……、先生たちもさ」
「うん」
「なんで、わたしばっかりに頼るかなあ。よろしくー、じゃないってば……。そんなん、わたしに言われても困るし……」
「うん」
「だいたい遠藤さんも――」
空が海が青いと、死にたいと、そう思った遠藤さんは。
「わたしに謝る必要ないんだよ。感謝する必要もないのに、ありがとうって言ってくるしさ! やめてよ、罪悪感えぐいから!」
ノートのコピーを渡しに行くたびに、ありがとう、とかすかに笑ってくれる遠藤さん。見殺しにしそうになったわたしに、そんな笑顔向けないでよ。
これ以上なつかれて中学みたいなことになったら嫌だな、とか思っちゃうわたしが最低すぎて、気持ち悪くなるじゃん。ただひたすら、自分が汚いものみたいに見えてくる。お礼なんて言われる資格、わたしには、ないのに。
「わたし、そんないい子じゃない……っ!」
「たぶん、遠藤さんは本当に、うれしかったんだと思うよ」
鼻を鳴らしながら、わたしは湊を見る。湊はわたしじゃなくて、海を見ていた。湊が嫌いな、夕焼けに燃やされる海。
「のどか、必死に遠藤さんを止めてたし。だれかに、死なないで、生きていて、って言ってもらえたことは、うれしかったと思うよ」
わたしはぽかんと湊の横顔を見つめて、くちびるをかんだ。
「……やだやだ、湊がムダにやさしい」
「ムダなの?」
「ムダじゃないけど」
ぼろぼろと涙がこぼれるから、やめてほしい。
いい子じゃないよ、わたし。
それでも、湊は首をふる。
「いじめてるか、ずっと傍観決め込んでるクラスメイトしかいないんだから。その中じゃ、のどかは一歩リードしてるんじゃない?」
「うわ、なにその最底辺争い」
「まあ俺もなにもしてこなかったし、その最底辺なんだけど」
「湊も、遠藤さん助けたじゃん」
「一応ね。でもそれまで、関わってこなかったし」
「なんで?」
つい訊いていた。湊だったら、わたしみたいにまわりのことを気にしないで、遠藤さんを助けていてもおかしくなかったから。だって、わたしのことも、何度も気づかって助けてくれたし。
「遠藤さんが、俺には近寄ってほしくないって思ってたから」
その言葉が意外で、わたしは、え、と目を丸めた。
「俺がいっしょにいると、余計に須川さんがいらつくから、近寄らないでって。実際言われたことはないけど、そういうこと考えてそうだったから、近寄らなかった」
意味がわからなくて一瞬考えてしまったけれど、なるほどと理解する。湊はモテるから、そんな湊に助けられたんじゃ、須川さんたちの嫉妬を買うってことか。遠藤さんも、わたしと同じで須川さんの顔色をうかがっていたんだ。
わたしはうなりながら、膝の上に乗せた鞄におでこをつける。
なんなんだよ、須川さん。そこまで遠藤さんが気を使わなくちゃいけないほど、須川さんって偉いの? 同じ高校生のくせに。
「……遠藤さん、大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ。遠藤さんは、そこまで弱くないと思う」
「えー?」
顔の位置をすこしずらして、湊を見上げる。やっぱり湊は、海を見ている。
「あと、のどかも、大丈夫」
「えええ? なにが?」
「今回は、俺と半分こだから」
意味がわからなくて、「うん?」と訊き返す。
てか、半分こて。かわいいな。
「遠藤さんを助けたのは、俺も同じ。依存されたとしても、俺と半分にわけられる。中学のときよりは負担少ないんじゃない? ノートのコピー、俺も手伝うよ」
「まじ?」
「まじ。教室でハブられるなら、俺もいっしょにハブられるし」
「……それでも湊、なんにも苦じゃなさそうなのが怖い」
「まあ、だれに嫌われても困らないし」
「うわ、メンタル鬼つよ」
ふふっと笑った。なにがあっても、湊はこの無表情のままを貫いていそうだ。いいなあ、まわりに合わせてご機嫌うかがいの笑顔をふりまいているわたしとは、大ちがい。
そっかあ、半分こかー。なんだか笑えてくる。
「半分こなら、わたしも楽かも」
「でしょ」
「うん」
海がすこしずつ、夜の藍に染まっていく。遠くに電車の明かりが見えた。もう四十五分経ったらしい。けっこう、あっという間だった。もうすこし、話していたい気もするけれど、そんなことまで望めない。もうすこし、いっしょにいたいなんて言ったら、湊を困らせるだろう。
もし、わたしが湊の恋人だったなら、そんなわがままも許してもらえたのかな。
そんな考えを振り切るように、わたしはベンチから立ち上がった。
「ごめんね、湊。変な話聞いてもらって」
「ううん」
電車の明かりが近づいてくる。まぶしくて、目を細めた。
――大丈夫。
今度はちゃんと、そう思えた。だって、湊と半分こだ。
「みなとー、ありがとうー。今度なんかお礼するねー」
湊はゆっくりまばたきをして、わたしを見た。
「助けてもらいっぱなしは、嫌だもん。なんか好きなお菓子とかある? 買ってくるよ」
「とくにない」
「えー? ならほかに、してほしいことない?」
「ない」
甲高いブレーキ音を鳴らして、電車が止まった。望みがなにもないなんて、遠慮されているんだろうか。ああでも湊が無欲なのは、っぽいなあ。
扉がぱっかりと開かれる。
「じゃあ、なにかお願いごとができたら、教えてよ。それまで保留ね」
湊には今日含めて、ずーっと助けられてばっかりだ。ちゃんとお返しをしないと、わたしも気持ち悪くなってしまう。恵んでもらうだけなんて、人間関係のバランス悪いでしょ。
なんで湊って、こんなにやさしいのかなあ。ほかの女子にもこんな感じ? 美里は、わたしにだけ湊はやさしい、なんて言ってたけどさ……。
「また明日」
「ん」
乗り込んで、振り向いた。ひらひらと手をふると、湊も片手をあげた。四十五分前は、ここで湊に手を引かれたんだ。思い出してしまって、なんだか恥ずかしくなってくる。
――指先、きれいだなあ。
その指を、柊木先輩の指と絡めたりするんだろうか。
がたん、と揺れて、電車は動き出す。しばらく手をふりつづけてから、ふうと息をついた。扉に背をあずけて、目を閉じる。
――駄目だよ、わたし。
深呼吸を繰り返す。湊には、柊木先輩がいる。出しゃばっちゃいけない。これ以上、彼に近づいちゃいけない。そう自分に言い聞かせる。そうじゃないと、わたしの気持ちは駄目な方向に舵を切ってしまいそうだったから。
それから遠藤さんを思い浮かべる。
明日のノートを渡すときは、もうすこし、声をかけてみようか。