自由って素晴らしい。
思えば大学生になっても日没までに帰ってこいという親の元で育った私に、まともな交友関係が築けるはずもなかった。
大学2年生の夏、サークルを通じて出会った初めての彼氏は2つ年上、実は高校も部活も同じだったという偶然の一致から距離が縮まり、私からの告白で交際がスタートした。その彼氏と金沢までドライブデートに出かけた。遠方なので当然帰りは遅くなる。高速飛ばして市内に入る頃、時刻は夕方4時。まだまだこれからというところで母から電話。正直出たくなかったが「出ていいよ」と彼が言うので仕方なく通話ボタンを押した。
「ちょっと、どこにいるの?もうすぐ夕飯の時間だから手伝ってよ。早く帰ってきなさい」
「!?」
ありえない。
スピーカーフォンにもしていないのに、母のバカでかい声は受話器からダダ漏れ。
「帰ろうか?」
「え、でも……」
「いいよ、また次の機会にしよう」
ものすごく気まずかった。そして、こんなことが続けばうまくいくものも行くわけがなく。2ヶ月後に振られて、自分の部屋で泣いていた時に母が放った言葉は。
「そうやってメソメソするから振られたんだわ」
と吐き捨てるように言った。あの顔は、「ざまあみろ」と言っている表情だったのを私は今でも忘れない。この時と、私が就活がうまく行かずに夜な夜な枕を濡らしていたときは実家の叔母ですら私に同情してくれていた。当時は「あんな奴に負けるな」「私みたいになったらいかん」「あいつは平気で人を傷つけることばかり言う。おばあちゃんなんてあいつのこと悪魔っていってたわ」「人の幸せが面白くないんだよ。自分は結婚失敗してるから」などだいぶ私の心情に理解を示すような言動すらあり、実際に母と口論になった時も「自分の娘によくそんな酷いこと言えるな!だから旦那ともうまくいかんかったんやろ!自分が幸せじゃないからって、人の幸せに水さすようなことするんじゃないわ!それでも親か!」とものすごい剣幕でキレていた。見方によっては叔母も被害者意識をもつのは仕方のないことだと思うし、決して支離滅裂なことを言っているわけでもない。叔母はキレると手がつけられなくなる。でも、その背景には深い深い傷として残るような過去の、消化されるべき感情を逆撫でするような出来事が幾度となくあったのだろうと推察した。理解はするけど、理性を失った叔母がやったことははっきり言って刑事事件にもなりかねない。叔母は人の気持ちがわからないわけではなく、寧ろわかりすぎるからこそ苦しいのだろう。さらに、正義感が強いので、黙って見過ごせないところもある。高ぶる感情をコントロールするのがどうしても難しく、気がついたら手が出ていた……と事が起こってからものすごい罪悪感に苛まれるらしい。そんな機能不全家族のもとで生活するには、とうの昔に限界を超えていた私。31歳、最後のチャンスと腹をくくり、水面下で実家脱出計画を遂行したのは、今となっては良い思い出だ。ちなみに、母のことは今でも嫌いである。でも、無理に好きにならなくてもいいと思った。親子だから一緒にいなければいけないわけじゃない。いたくなければ、物理的に距離をとればいい。ただそれだけのことを実行するのに、どれだけ時間を費やしていたことか。もっと早くやっておけばよかったことの第1位と言っても過言ではない。
実家を出てから結婚するまでの約3年は、最後の1年を現在の夫と出会い過ごしたおかげで、元彼の顔すら思い出せないくらい色褪せていてびっくりした。約8年。引きずっていた失恋の痛みは、夫の手をとった瞬間にどこかへ行った。
一人暮らしは最高に楽しかった。友達も泊まりに来て夜通し喋り倒したり、夫も何度か泊まりに来たり、一緒に旅行にも行った。職場の人と飲み会で夜遅くなっても、誰も文句は言わない。こういう時間が、ずっと欲しかった。それを実現できたことが、さらに自身の行動を変えた。親から解放されるって、何て幸せなんだと感じた。もちろん、生活の面では苦しいこともあったが。非正規雇用でも、実家暮らしを脱出できる。そして、それが次の目標に向かう大きな力になった。
今まで漠然とした「結婚」。
自分の家庭をもちたい。家族になれる人に出会いたい。婚活に望む姿勢を変えた途端、婚活の方法にも変化が生まれた。
もっと効率よく、自分に合った人に出会いたい。婚活パーティーから、マッチングアプリに移行し、私の新たな婚活が始まった。