美肌、色白、スレンダーとよく言われる私は、完全に調子に乗っていた。というか、勘違いしていた。
若作りとまではいかなくとも、それなりに小綺麗にしていればとりあえず第一印象はクリアだろう。
実際に好意的に見てくれる人は何人かいた。が、自分のタイプではない人だといまいちモチベーションが上がらず、「期待持たせても悪いし」と早い段階で食事の誘いすら断っていた。別に告られたわけでもないのに、だ。
そして、さらに気づいた。
このままずっと結婚できなかったら、実家に居続けるのか?
それだけは絶対に嫌だ。
なぜなら、私は両親が離婚しており、母方祖父と叔母がいた。
え、叔母? と思ったあなたは察しがいい。
私の叔母。未婚でこれまで一度も実家を出たことがなく、祖父と母とも折り合いが悪く、酷いとヒスを起こして暴れる。
ちなみに私の父は婿養子で、私が2歳のときに離婚が成立。
私の母は結婚してから新居で生活していたが、ホームシックになり3ヶ月くらいで実家に戻ってきたらしい。
父からすれば、「話が違うやん」だろう。肩身の狭い思いをしながらの同居は苦痛だったに違いない。まあ、そんな父は銀行員だったようだが、金遣いが荒いところがあった模様。離婚の決定打になった理由を母は未だに教えてくれないが、少なからず金銭トラブルもあったようなことは風の噂で聞いた。父から私と妹の誕生日やクリスマスプレゼントが届いたときも、母と祖父母は即送り返していた模様。かすかな記憶としてその時の状況は断片的に覚えてはいるが、父の顔は正直全く覚えていないし、写真も1枚も残っていない。母子手帳の父の欄には修正液で消したあとが残っていて、幼ながらにショックだったことは覚えている。
で、話を戻す。叔母についてだが、叔母いわく「あんたの母親の離婚と私の縁談の時期が重なって、両親(私の祖父母)になかなか切り出せなかった。でも、言わなきゃと思って思い切って話したら、『姉が大変なときに勝手なこと言うな! 可哀想だろ!』って怒鳴られた。同じ職場で出会った人で、遠方に転勤が決まったからついてきてほしいと言われたんだけど、親を捨ててでも一緒についていく覚悟ができなかったから泣く泣く別れた」らしい。
つまり、私の母のせいで結婚できなかったのだと、長年の恨みつらみが積もり積もって、私の妹の結婚が決まったときも「式には出てやらない!」と暴れ、私が3度目の転職で勤務3日目の頃、急に家事のやり方が気に入らないとキレて「お前なんかどうせまたすぐ辞めるんだろう!生意気なんだよ!」と言って出勤前に殴る蹴るの暴行、グーパンで殴られたときにコンタクトが吹っ飛び片目が充血、青痰できた状態で仕事に行ったことがあった。メイクで何とか隠したが、それを母に言ったら「警察は大事になるからダメ。病院行くなら、殴られたって言ったら絶対にダメ。穏便に済むよううまく誤魔化して」と言われて「あ、もう無理だ。家出よう」と思わぬ形で実家脱出計画を企てることになった。
しかし、現時点では貯金がない。
実家暮らしなら貯まるというのは、幻想だ。非正規雇用、しかも当時は時給の仕事だから月によって給料が変動。転職する前は月給だったが、これもまた薄給で自転車操業状態……。正規採用ならボーナスあるからその分早く貯まるんだろうな、と思いながらも正規になる気は起きずにいた。実家にいながらも、車のローンの支払いやガソリン代、保険やその他諸々の経費払っていたら給料ほとんど残らず。でも、貯めなきゃと一念発起。
翌年に雇用形態が変わり、月給になったこともあり一人暮らし関連の本を読み漁り、内覧に行ったりした。手順をノートにまとめ、リストを作成し、資金を貯める。
とりあえず、シェルターを確保したい。
そう思い、不動産屋で見積もってもらった初期費用を目安に、3ヶ月くらいかけて資金をかき集め、賃貸を契約した。このとき、実は背中を押してくれた親族がいた。
もう一人の叔母だった。
「よく決断したね。もし本気で一人暮らし始めたいって言うなら、おばちゃんが保証人になってあげるから」
これはかなり大きかった。実家の叔母に殴られたから家を出るんじゃない。思えば、家を出たいと思っていたのは大学4年の頃。
卒業のタイミングで出たいと母に打ち明けたら、全力で止められ就活も失敗。何とか祖父のコネ?で勤めた仕事を4年半でリタイヤするときも(失恋、鬱、交通事故が続いて廃人同然)、辛抱が足らんと追い打ちをかけられ一時は職場のトイレでカッターナイフを持ち込みリスカ、アムカが止められずいた。このままだと自我が崩壊すると思い、心療内科にお世話になることに。幸い、対処が早期だったことと大学で心理学を専攻していたこともあり、専門家の話は入りやすく自分を取り戻すのに時間はかからなかった。そんなこんなで非正規雇用ばかりの31歳、とうとう実家以外に居場所を見つけた。しかし、このことは当時母は何も知らない。
実は、部屋だけ先に契約しながら、しれっと実家で生活を3ヶ月ほど続けていた。今のままではまだ生活できないからだ。
家具家電がそろい、部屋の荷物を新居に運び出すまでは。で、大型家電は現金値引きの配送無料のところでお願いし、その他は近くのホームセンター等で揃えた。
家賃はもったいなかったけど、月4万でお釣りが来るならギリできた。
自分だけの部屋。そして、住民票の異動。
初めての一人暮らしは、なかなかスリリングなスタートだった。とある日の遅番の日を狙って、「今日からここで生活します」と写真つきで母にLINEを送り以降無視。
というか、協力してくれた叔母が母を全力で叱り飛ばしてくれた。
母は私が「勝手に家出してしまった」と泣いたそうだが、「家出じゃない。ちゃんと報告してるじゃん。それにいい大人がいつまでも実家にいるほうがおかしい。だいたいね、もっと前からそうしたいって言ってたのに頭ごなしに姉ちゃんが反対するからこうなったんじゃん。いい加減解放してあげな。やっと自由になれたんだから、絶対に勝手に会いに行ったらだめ。連絡するのもだめ。わかった?伝えたいことがあれば私に言って」と釘を差してくれたようだ。
風向きが変わったのは、いつからだろうか。
決断するだけじゃなくて、実際に行動してからだったように思う。
私は31歳にして、ようやく「実家暮らし」を卒業できたのだった。婚活に不利な条件は、ないに越したことはない。それを一つ消去できたのは、かなり大きな第一歩だ。