三月三十一日付で萩野先生が退職されるという話を耳にして私は愕然とした。私は萩野先生から何も聞いていなかった。
どこか裏切られたような気持ちになって、その週の水曜日、私は音楽室へ急いだ。
「私はこう見えて六十です」
そういうことじゃない、と私は萩野先生を軽く睨んだ。
「このピアノともお別れかと思うと少し寂しいですね」
愛おし気にピアノを見つめて言った先生に、私の存在はピアノ以下だと言われた気がして、悔しいような悲しいような気持ちになった。
「どうしました?」
「なんでもありません」
この日の曲はショパンの『華麗なる大円舞曲』だった。中学校に入学したときには知らなかったピアノ曲の名前を随分と覚えてしまった。
スピードに乗って楽し気に華やかに先生の指が鍵盤の上で踊る。
「あっという間でした。そして、これからもあっという間です。日々を大切にしなさい、藤田」
「先生に言われなくても大切にしています」
「そうでしょうか。若い人にはわからないのでしょう」
萩野先生はやや寂し気に笑った。
「来週末は終業式ですね」
先生のピアノを聴けるのもあと一度だ。
回る。回る。ワルツの音に乗って、様々な感情がぐちゃぐちゃに回る。思い出と一緒に回る。私はとても踊れない。
この一年、どんなときも私を支え続けたのが萩野先生のピアノだった。技術が飛び抜けているわけではないと思う。ただ、先生の音には深いところで心と繋がる何かがある。私に寄り添い続けてくれたピアノの音。
「マル」の死以来、私は二度目の涙を先生の前で流した。
華やかなワルツの終わりは余計にわびしくなる。
「藤田はもう大丈夫ですよ。気づいていないだけで少しずつ君は変わり始めている。「マル」も私も君から消えるわけではない。心を許せる友だちも得た。君は、大丈夫」
本当だろうか。私は少しは強くなったのだろうか。
結奈とは素直に気持ちを話せる仲になった。だからと言って、先生のいない日々をちゃんと過ごしていけるだろうか。
ううん。いけるだろうかじゃない。先生は退職される。私も萩野先生から卒業しなくてはならないんだ。
***
最後の水曜日がきた。
私は萩野先生に、
「今日は先生の一番好きな曲が聴きたいです」
と頼んだ。
萩野先生は、
「そうですね……」
と長い指で顎をさすり、ふっと力を抜いた。
先生の指から音があふれ出す。
軽やかで気まぐれに弾むメロディー。誰もがどこかで聞いたことがあるだろう曲に私は驚いた。
この曲が萩野先生の好きな曲?
主旋律が伸びやかに展開する。晴れた日に感じるような清々しさ、ささやかな幸せがあふれる。
短調への転調がもたらすドラマティックな波乱はほんのひととき。
嵐は去って陽射しが戻り、訪れるのはまた軽やかで楽しさに満ちた時間。
ドヴォルザーク、『8つのユーモレスク』第7番。
これまで萩野先生の弾く色々なピアノ曲を聴いてきた。その中ではこじんまりとしたこの曲を、なぜ先生は選んだのだろう。
私を置いて先生はもう一度弾き出す。
私の中に音が満ちる。繰り返し、心地よく。あくまでもささやかに。軽やかに。いたずらな風のように。
私は音を噛みしめる。萩野先生の大切な曲を心にゆっくりと刻んでいく。
先生が選んだ理由はわからない。でもそれは些細なことだ。先生の奏でる音がすべて。
自然と私の口もとがほころぶ。私もこの曲が好きだと思った。
苦しさや悲しさはあってもそれは一時のこと。明日はまたきっと元通り。
五回目を弾き終えて、先生は静かに手を止めた。
まだ聴いていたい。
その言葉を私はのんで、精一杯の笑顔を作った。
「いい曲ですね」
「そうでしょう」
萩野先生は穏やかに微笑んだ。まだ私には到底できない深みのある笑みだ。
「こんな人生がいいなと思うんですよ、私は。人生は楽しいものであってほしい。苦しみも辛さもあるからこそ、楽しく、心地よく終えるのがいい」
「……先生。まだ六十ですよ」
「ははは。そうですね。まだ二十年は生きられますね」
私の心にユーモレスクの曲が鳴り響く。先生の音がこだまする。
これでいいのだ。
「先生、ありがとうございました。どうかお元気で」
「藤田も元気で」
私はぺこりと頭を下げると廊下に出た。
音が。
たくさんの思い出と共に、私に降りつもる。
ときにやさしく、ときに悲しく。
私は胸の前でぎゅっとそれらを抱きしめた。
私は先生を忘れない。先生からもらった音を忘れない。だから、大丈夫。
私にはまだまだ長い道のりがある。ときに苦しくてへたり込んでしまうかもしれない。でもきっと乗り越えていける。この「おと」があれば。
出会いも別れもすべて糧にして、私はまた一歩を踏み出す。
了
どこか裏切られたような気持ちになって、その週の水曜日、私は音楽室へ急いだ。
「私はこう見えて六十です」
そういうことじゃない、と私は萩野先生を軽く睨んだ。
「このピアノともお別れかと思うと少し寂しいですね」
愛おし気にピアノを見つめて言った先生に、私の存在はピアノ以下だと言われた気がして、悔しいような悲しいような気持ちになった。
「どうしました?」
「なんでもありません」
この日の曲はショパンの『華麗なる大円舞曲』だった。中学校に入学したときには知らなかったピアノ曲の名前を随分と覚えてしまった。
スピードに乗って楽し気に華やかに先生の指が鍵盤の上で踊る。
「あっという間でした。そして、これからもあっという間です。日々を大切にしなさい、藤田」
「先生に言われなくても大切にしています」
「そうでしょうか。若い人にはわからないのでしょう」
萩野先生はやや寂し気に笑った。
「来週末は終業式ですね」
先生のピアノを聴けるのもあと一度だ。
回る。回る。ワルツの音に乗って、様々な感情がぐちゃぐちゃに回る。思い出と一緒に回る。私はとても踊れない。
この一年、どんなときも私を支え続けたのが萩野先生のピアノだった。技術が飛び抜けているわけではないと思う。ただ、先生の音には深いところで心と繋がる何かがある。私に寄り添い続けてくれたピアノの音。
「マル」の死以来、私は二度目の涙を先生の前で流した。
華やかなワルツの終わりは余計にわびしくなる。
「藤田はもう大丈夫ですよ。気づいていないだけで少しずつ君は変わり始めている。「マル」も私も君から消えるわけではない。心を許せる友だちも得た。君は、大丈夫」
本当だろうか。私は少しは強くなったのだろうか。
結奈とは素直に気持ちを話せる仲になった。だからと言って、先生のいない日々をちゃんと過ごしていけるだろうか。
ううん。いけるだろうかじゃない。先生は退職される。私も萩野先生から卒業しなくてはならないんだ。
***
最後の水曜日がきた。
私は萩野先生に、
「今日は先生の一番好きな曲が聴きたいです」
と頼んだ。
萩野先生は、
「そうですね……」
と長い指で顎をさすり、ふっと力を抜いた。
先生の指から音があふれ出す。
軽やかで気まぐれに弾むメロディー。誰もがどこかで聞いたことがあるだろう曲に私は驚いた。
この曲が萩野先生の好きな曲?
主旋律が伸びやかに展開する。晴れた日に感じるような清々しさ、ささやかな幸せがあふれる。
短調への転調がもたらすドラマティックな波乱はほんのひととき。
嵐は去って陽射しが戻り、訪れるのはまた軽やかで楽しさに満ちた時間。
ドヴォルザーク、『8つのユーモレスク』第7番。
これまで萩野先生の弾く色々なピアノ曲を聴いてきた。その中ではこじんまりとしたこの曲を、なぜ先生は選んだのだろう。
私を置いて先生はもう一度弾き出す。
私の中に音が満ちる。繰り返し、心地よく。あくまでもささやかに。軽やかに。いたずらな風のように。
私は音を噛みしめる。萩野先生の大切な曲を心にゆっくりと刻んでいく。
先生が選んだ理由はわからない。でもそれは些細なことだ。先生の奏でる音がすべて。
自然と私の口もとがほころぶ。私もこの曲が好きだと思った。
苦しさや悲しさはあってもそれは一時のこと。明日はまたきっと元通り。
五回目を弾き終えて、先生は静かに手を止めた。
まだ聴いていたい。
その言葉を私はのんで、精一杯の笑顔を作った。
「いい曲ですね」
「そうでしょう」
萩野先生は穏やかに微笑んだ。まだ私には到底できない深みのある笑みだ。
「こんな人生がいいなと思うんですよ、私は。人生は楽しいものであってほしい。苦しみも辛さもあるからこそ、楽しく、心地よく終えるのがいい」
「……先生。まだ六十ですよ」
「ははは。そうですね。まだ二十年は生きられますね」
私の心にユーモレスクの曲が鳴り響く。先生の音がこだまする。
これでいいのだ。
「先生、ありがとうございました。どうかお元気で」
「藤田も元気で」
私はぺこりと頭を下げると廊下に出た。
音が。
たくさんの思い出と共に、私に降りつもる。
ときにやさしく、ときに悲しく。
私は胸の前でぎゅっとそれらを抱きしめた。
私は先生を忘れない。先生からもらった音を忘れない。だから、大丈夫。
私にはまだまだ長い道のりがある。ときに苦しくてへたり込んでしまうかもしれない。でもきっと乗り越えていける。この「おと」があれば。
出会いも別れもすべて糧にして、私はまた一歩を踏み出す。
了