卒業式まで残り一ヶ月。私は私に出来る事を考える。そしてそれを先輩に伝える。これからの私は違うのだとその時証明されればきっと何かが変わると信じたいから、その為に私は、これから先の先輩がいない未来の事を考えなければならない。
 今までも何回か先輩が卒業した後の事を想像しようとした事はあったけど、どれも実感が無かったというか、深く考えようともしないで終わっていた。
 今思えばあの時の私は、先輩と居る今がとても幸せで、先輩と居る間は同じように前を向けている様な気持ちになれていた分、ダメな所を意識しないで済んだから、無意識に考えない様にしていた様にも思う。でももうそんなのはおしまい。向き合わないといけない。未来の予定を立てないと、高橋君のように。

「未来か……きっと結局断れないで色々やってるんだろうなぁ。生徒会とか……私に、出来るかな」

 断れないのは悪い事じゃないって、先輩は言ってくれた。良い所だって。だったら問題は、私の意識の話。前向きに取り組む、未来の話。
 毎日毎日考えて、紙にリストアップしていく。今までの私について、これからの私について、先輩への想いについて、二人の今後について……思いつく限りの先輩へ伝えたい事全部、とにかく書き出して、そこからどうやって言葉にしていくか繋げて文章にしていった。それを何度も何度も読み込んで暗記する。きっと私の事だからパニックになってうまく話せなくなってしまうだろうと思ったから。
 絶対に失敗したくない。だって最後のチャンスだ。先輩に会える、気持ちを伝えられる最後のチャンス。そう意気込んでいるうちに一ヶ月という期間はあっという間に過ぎていき、私はついに卒業式当日を迎えていた。
 式が終わると、各クラスで最後のホームルームを終えて、三年生は同級生や後輩達と挨拶をする為に自由に校内に残っている。ここが先輩と話せるタイミングだとずっと離れた所で様子を見ていた訳だけど、先輩はやっぱり先輩で、ずっと誰かに囲まれていてなかなか出ていくタイミングが掴めないでいた。
 先輩の卒業を、同級生も、後輩も、先生も、みんなが祝い惜しんでいる。みんなが最後のこの機会を先輩と過ごしたがっている。きっと私より先輩と親しい人達だろう。私より今の時間を必要としてる人も沢山居るはずだ。だって岡部先輩だもん。岡部先輩との最後だもん……。

「何してんの?」
「! 高橋君……」

 裏庭に居る先輩を校舎の影からこっそり様子を窺っている私に声を掛けたのは、呆れ顔の高橋君だった。

「いいの? 行かなくて」
「行くよ! 行くけど、みんなも先輩と話たいよなって……」
「え、今更遠慮? てか事前に約束とかしてないの? 話あるんですけど的なさ」
「……だって、先輩に気にさせたら悪いかなって……」

 歯切れの悪い私の答えに、はぁ〜と、高橋君は大きな溜息をつく。

「ま、いいけど。俺ら生徒会は生徒会室に来てもらう約束取り付けてるんで」
「!」
「岬さんは一人でここで悩んでれば? どうせいつ行ったって先輩が一人になる事ないだろうし、今行かないならずっと行けないだろうけどね」
「…………」

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、高橋君は私に言う。

「つーか岬さんの覚悟ってそんなもんだったの?」

 ——そんな、そんな訳ない!
 グッとお腹の底から力が込み上げてきて先輩の方を見る。
 本当にそうだ、こんな所でグズグズしていてどうするのだ。そんなの何も変わらない私のままだ。そんな私じゃない。先輩に見せたいのは、変わった私!
 心が決まると自然と足は動き出していた。先輩の元へと。
 
「岡部先輩!」

 心を込めた、大きな声が口から飛び出した。こっちを見てと先輩の名前に思いを乗せる。すると先輩はハッとした顔でこちらを向いてくれて、集まりの中から抜け出して来てくれた。

「岬さん、久しぶり」
「………っ」

 以前と変わらずニッコリ笑ってくれた先輩が私の名前を口にした事で、心に触れられた様な心地がした。感情が揺れて、騒つき始める。
 先輩が手にしていたのは卒業証書。胸には桃色の花のコサージュがついていて、そこに書かれた“ご卒業おめでとう”という文字が目に飛び込んできた。
 その瞬間、思い返される先輩との思い出の数々。きっかけの百円玉といちごみるく、裏庭の花壇の水やりに、二人で残って仕事をした放課後の教室、生徒会室を出て先輩から初めて気持ちを話してもらえた、あの最後の日——。
 ……本当に、先輩は今日、卒業しちゃうんだ……。

「せ、先輩……」

 先輩に言いたい事が沢山あった。沢山用意もしてきた。まずはご卒業おめでとうございますって伝えて、それで先輩に私は変わったからって、だから大丈夫だって、それで、それでっ、

「先輩っ、」

 それで、先輩に……先輩は、もう、これで最後で、これでもう、会えなくなっちゃうなんて……っ、先輩が、卒業しちゃうなんて……っ、

「嫌……っ」
「!」
「先輩が、卒業しちゃうなんて嫌……! まだ一緒に居たかったのに、それなのにもう会えないなんて嫌です……!」

 ボロボロと、涙と一緒に想いが溢れでる。こんな事言うつもりはこれっぽっちも無かったのに。だって私はちゃんと沢山の伝えるべき言葉を集めきて、暗記してきた分は頭の中に入っていて、それで、そう、証明を、しないといけない!

「わ、私! これからもきっと色んなお手伝いをすると思いますっ、でもそれは私の意思で、私のやりたい事として頑張ります! だから学級委員長だって居ないならまたやるし、生徒会だって私で出来るなら入ろうと思う。だって、先輩が教えてくれたからっ、先輩が、なりたい自分を見せてくれたからっ」

 先輩は、いつも前を向いた答えを見つけてくれて、私だけでは辿り着けない未来まで連れていってくれた。先輩は、いつも私を気遣ってくれて、嫌だと言えない私のダメな部分を知りながら、それすらも私の良い所だと受け入れて考えてくれた。
 先輩はいつも、明るい方へ連れていこうと考えてくれる、素敵な人。私の大好きな人。

「私も、先輩みたいになりたいからっ、先輩みたいになって今度は私がっ、私が先輩を助けます! 頑張る先輩を支えていきたいっ。私が、私が先輩には見つけられない未来まで、先輩を連れて行きたい!」

 だから、だからっ、

「これからも、私と一緒に居て下さい……!」
「…………」

 ——すると、頭の上に感じる、優しい手のひらの温もり。
 泣きじゃくってボロボロになった顔あげると、眉尻を下げて困った様な表情をする先輩の顔が目に入った。
 ……あ、これは、すごく迷惑を掛けてしまったのかも……。
 そんな現実に一瞬で頭が真っ白になったその時、先輩の瞳から溢れたのは一粒の涙。

「……先輩?」
「うん……うん、ごめん。俺、かっこ悪いな」

 そして、ぎゅっと先輩の両腕に包み込まれると、ドクンドクンと先輩の心臓の鼓動を感じた。

「俺、ずっと後悔してて……好きなのに、なんで勇気が出せなかったんだろうって。好きだから、怖かったんだって、こんな気持ち、初めてだった」
「…………」
「一人で考えさせてごめん。俺の代わりに勇気を出してくれて、ありがとう。これからは隣で……こんな俺だけど、隣で、一番傍にいさせて下さい」
「……はい、お願いします」

 顔を上げて見つめ合う先にあったのは、お互いの涙でグチャグチャの顔。思わず笑ってしまった私に先輩もつられる様に笑い出して、周囲のみなさんからのおめでとうという声が青い空に吸い込まれていった。
 初めて言葉に出来た本当の気持ちは思っていた形とは全然違う、格好悪くて不器用な言葉だったけれど、そんな言葉でもちゃんと先輩まで届ける事が出来たのだ。
 それは私の知らない、先輩にも想像出来なかった、新しい未来の形だった。