次の日から先輩は、本当に自分の仕事の手伝いを頼んでくれる様になった。
だから私は先輩を頼れる様になったし、先輩の傍にいられる様になって、私と先輩は顔を合わせる機会を作る様になっていった。一日一回、ちょっとした声掛けをするだけの日もあれば、放課後一緒にお互いの雑務をこなしたり、教室でゆっくり話したり。
先輩が作ってくれたきっかけのおかげで今のこの状況がある。毎日の中に先輩との時間がどんどん増えていくほどに、私は落ち込んだり、悪い方へ考え込んだりする事が自分の中で減っていく様に感じた。先輩と居る時間が、私は大好きだった。
「岬さん、お疲れ様ー」
クラスに顔を出してくれた岡部先輩に、私は急いで入り口へと向かう。
「お疲れ様です!」
「今日は何か仕事ある?」
「あー、一応放課後回収したノートを理科準備室に持っていく仕事が……」
「じゃあ手伝うよ。教室で待ってて」
そして、じゃあねと爽やかな笑顔を残して去っていく先輩を見送ってみんなの元へ戻ると、ニヤニヤと私を見る彼女らの視線が私に張り付く。
「岡部先輩じゃーん。最近仲良いね」
「や、その、仲良いというか、お世話になってるだけで……」
「えーまたまた、ご謙遜を」
ニヤニヤが止まらないみんなに一体何と返せば良いのだろう……本当に、私が先輩にお世話になりっぱなしなだけなのだ。
今のこの状況があるのも、先輩が一緒に居る理由を作ってくれたから。いつも先輩は私には辿り着けない答えを見つけてくれて、それを簡単に現実にしてくれる。先輩の近くで先輩を知れる事が嬉しい。知れば知るほど尊敬するし、私の中のなりたい先輩像の解像度が上がっていく日々。
「岡部先輩ってさ、人懐っこいっていうか、人を愛してるよね」
「愛してるって……! でも分かるっ、人類みんなに優しくしてくれそう」
「性別とか関係無い感じすごいよね、女に飢えてる感じ無いの爽やかすぎてもはや男子高校生じゃない」
「なんだろ? 少しも意識してないか、逆に女馴れしてて普通になってるのか」
「…………」
岡部先輩について、みんなはあーでもない、こーでもないと話している。先輩についてのあれやこれを、憶測で語るのはやめて欲しかった。先輩はみんなが思ってるよりもっと素敵で素晴らしい人なのに……先輩をそういう括りでまとめて面白おかしく言われるのは嫌だった。
「てか、三年生って今受験の追い込みかける時期じゃないのかな。岡部先輩ってそういう素ぶり無いよね?」
「!」
そういえば、確かにそうだ。先輩だって受験生なはずなのに学校の事で忙しくしてばかり。しかもそこに私の面倒をみる事も加わって……。
先輩って大丈夫なの?と、当然知ってるだろうと私に尋ねるみんなに、私は答える事が出来なかった。もしかしたら私は先輩にとんでもない事をさせてしまっているのではと気づいたら、頭が真っ白になってしまって、返せる言葉すら見つからなくなってしまったのだ。
先輩は私が思っている以上に毎日大変な思いをしているのかもしれない。私に構ってる時間なんて本当はこれっぱっちも無いのに、先輩は良い人だから断れないでいたのかも……私が先輩に変な事を言ってしまったばっかりに。
メッセージ画面を開くと、先輩に、“ノートはクラスの子が手伝ってくれる事になったので大丈夫になりました。わざわざ聞きに来て下さったのにすみません、ありがとうございました”という文面を送信する。始めから一人で運べば良かったものを……と、先程の自分にすごく腹が立った。すっかり先輩に頼り癖がついている。
するとすぐに返事が届いて、そこには、“じゃあ終わったら生徒会室来れる? ちょっと手伝ってもらいたくて”と書いてあり、脳で考えるよりも早く分かりましたの返事を打っていた。先輩のお役に立てるのであればいつでもなんでもやりたいと思うし、それを私は嬉しく思うのだ。
理科準備室にノートを届けると、その足で先輩の居る生徒会室へと向かった。ドアの前に立ち、コンコンとノックをすると中から返事があったのでそっと開く。すると、
「先輩どうでした? 使用許可は……あれ?」
真ん中に置かれた長机に座ってなにやら作業をしている人が一人。それ以外には誰も見当たらない状況に、
「し、失礼しました……」
開いた時と同じ様に、そっとドアを閉めようとすると、作業をしていたその人が待って待ってと慌ててこちらに向かってくる。
「岬さんじゃん! 入って入って」
「!」
そして腕を引かれるままに中へ入ると、長机に並ぶパイプ椅子の一つに腰をおろすよう指示されたので大人しく従う事に。
ニコニコと、私を引っ張っていったその人も元の位置に戻ると、私と彼の目があった。
あれ? この人……。
「二年生、だよね?」
「そう! 高橋です」
「高橋君……えっと、岬です」
「知ってる知ってる。岡部先輩のお気に入りの」
「…………」
「あれ? 怒った? 大丈夫大丈夫、俺も岡部先輩のお気に入りだから!」
あははっ、と、楽しそうに笑う高橋君の機嫌の良さになんだかついていけない。で、結局岡部先輩はどこに居るんだろう。
「岬さんさー、先輩に手伝いで呼ばれたんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあこれ、五枚ずつの左肩留めね」
「あ、はい」
渡されたプリントの束の上から五枚ずつを取り、言われた通りホチキス留めをしていく。あれ? 私、先輩に呼ばれてここに来たんだよね……?と頭を過ったけれど、生徒会のお手伝いをするのだから先輩がいようがいまいが関係無いじゃないかとすぐに作業に集中した。
プリントと向き合い黙々と作業する中、室内にはパチン、パチンという音と、シャッシャッと何かを描いている様な音だけが響いている。何を描いているのだろうと高橋君の手元を覗くと、そこにはシャープペンシルで描かれた何かの下書きの状態の絵があった。私の視線に気づいた高橋君が、気になる?と私に尋ねる。
「これ、ポスター描いてんの」
「ポスター?」
「ほら、廊下で走るの禁止! とか、手洗いうがいをする事! とかあんじゃん? そういうやつ」
「へー! 高橋君が描いてるんだ」
絵が上手なんだね、と言うと、美術部なもんで、と、照れた様子も無く高橋君が答える。
「岡部先輩に頼まれてさ。生徒会のポスター作って〜って。あの人めっちゃ絵が下手なんだよ」
「そうなんだ!」
「他に描いてくれる人が居ないんだって言われたら仕方ないな〜みたいな。そしてそのままずるずる生徒会に引き込まれた」
やれやれと語る高橋君だったけど、なんとなく嬉しそうにも見える彼の様子に私も頷きながら共感した。先輩から頼まれるのは嬉しい事なのだと、私と同じ様に高橋君も感じているのが伝わってきて、なんだか仲間を見つけたような嬉しさがあった。
「でもさ、先輩今年で卒業じゃん? 来年度の生徒会どうするかな〜と思って」
「……そっか」
「会長とか、色々他にも頑張ってた人は居るけどさ、でもやっぱり先輩が居なかったらこんな楽しく無かったなって思うから。先輩が居なくなった生徒会とかどうなんだろと思うし」
「…………」
先輩が、居なくなった後。先輩が卒業した後、取り残された学校生活。
それはきっともうすぐやって来る未来の話だけど、まだ私には実感が無かった。先輩が居なくなった後、私はどうなっているのだろう。
「で、なんだけど。岬さんさ、来年一緒に生徒会やらね?」
「! わ、私?」
いきなりなんだと驚く私に、高橋君はニッコリ笑ってうんうんと頷く。
「やめちゃおうかなとも思ったんだけど、やっぱり折角先輩が頑張って残してくれたものを見ない振りするのも嫌だなぁと思って。だったら信頼出来る人増やして俺のやりやすいようにすればよくね? と」
「で、でも、なんで私……?」
だって同じクラスになった事も、話した事も無い人だ。今知り合った人なのに。
「そりゃあ、岬さんの事先輩が信頼してるからに決まってんじゃん!」
「!」
「よく聞くよ、岬さんの話。同じ二年だろって俺にも聞いてくるし。岬さんは真面目で誠実な人だって聞いてるから、色々困った時助けて貰えるかなーって」
「……っ、」
まさか、先輩がそんな風に私の事を思ってくれていたなんて……そんな嬉しさと共に、でも私なんかがその期待に応えられる訳が無いという当たり前の現実がのしかかる。きっと迷惑を掛けてしまうし、そんな事になったらと思うだけで辛くて、心が重くなる。高橋君の期待を……先輩の評価を裏切る未来しか見えない。
出来ない……私には出来ない。やりたくない。
「お願い、岬さん! お願いっ!」
「…………」
やりたくない……けど。
「う、うん。分かっ、」
「高橋、やめろ」
だから私は先輩を頼れる様になったし、先輩の傍にいられる様になって、私と先輩は顔を合わせる機会を作る様になっていった。一日一回、ちょっとした声掛けをするだけの日もあれば、放課後一緒にお互いの雑務をこなしたり、教室でゆっくり話したり。
先輩が作ってくれたきっかけのおかげで今のこの状況がある。毎日の中に先輩との時間がどんどん増えていくほどに、私は落ち込んだり、悪い方へ考え込んだりする事が自分の中で減っていく様に感じた。先輩と居る時間が、私は大好きだった。
「岬さん、お疲れ様ー」
クラスに顔を出してくれた岡部先輩に、私は急いで入り口へと向かう。
「お疲れ様です!」
「今日は何か仕事ある?」
「あー、一応放課後回収したノートを理科準備室に持っていく仕事が……」
「じゃあ手伝うよ。教室で待ってて」
そして、じゃあねと爽やかな笑顔を残して去っていく先輩を見送ってみんなの元へ戻ると、ニヤニヤと私を見る彼女らの視線が私に張り付く。
「岡部先輩じゃーん。最近仲良いね」
「や、その、仲良いというか、お世話になってるだけで……」
「えーまたまた、ご謙遜を」
ニヤニヤが止まらないみんなに一体何と返せば良いのだろう……本当に、私が先輩にお世話になりっぱなしなだけなのだ。
今のこの状況があるのも、先輩が一緒に居る理由を作ってくれたから。いつも先輩は私には辿り着けない答えを見つけてくれて、それを簡単に現実にしてくれる。先輩の近くで先輩を知れる事が嬉しい。知れば知るほど尊敬するし、私の中のなりたい先輩像の解像度が上がっていく日々。
「岡部先輩ってさ、人懐っこいっていうか、人を愛してるよね」
「愛してるって……! でも分かるっ、人類みんなに優しくしてくれそう」
「性別とか関係無い感じすごいよね、女に飢えてる感じ無いの爽やかすぎてもはや男子高校生じゃない」
「なんだろ? 少しも意識してないか、逆に女馴れしてて普通になってるのか」
「…………」
岡部先輩について、みんなはあーでもない、こーでもないと話している。先輩についてのあれやこれを、憶測で語るのはやめて欲しかった。先輩はみんなが思ってるよりもっと素敵で素晴らしい人なのに……先輩をそういう括りでまとめて面白おかしく言われるのは嫌だった。
「てか、三年生って今受験の追い込みかける時期じゃないのかな。岡部先輩ってそういう素ぶり無いよね?」
「!」
そういえば、確かにそうだ。先輩だって受験生なはずなのに学校の事で忙しくしてばかり。しかもそこに私の面倒をみる事も加わって……。
先輩って大丈夫なの?と、当然知ってるだろうと私に尋ねるみんなに、私は答える事が出来なかった。もしかしたら私は先輩にとんでもない事をさせてしまっているのではと気づいたら、頭が真っ白になってしまって、返せる言葉すら見つからなくなってしまったのだ。
先輩は私が思っている以上に毎日大変な思いをしているのかもしれない。私に構ってる時間なんて本当はこれっぱっちも無いのに、先輩は良い人だから断れないでいたのかも……私が先輩に変な事を言ってしまったばっかりに。
メッセージ画面を開くと、先輩に、“ノートはクラスの子が手伝ってくれる事になったので大丈夫になりました。わざわざ聞きに来て下さったのにすみません、ありがとうございました”という文面を送信する。始めから一人で運べば良かったものを……と、先程の自分にすごく腹が立った。すっかり先輩に頼り癖がついている。
するとすぐに返事が届いて、そこには、“じゃあ終わったら生徒会室来れる? ちょっと手伝ってもらいたくて”と書いてあり、脳で考えるよりも早く分かりましたの返事を打っていた。先輩のお役に立てるのであればいつでもなんでもやりたいと思うし、それを私は嬉しく思うのだ。
理科準備室にノートを届けると、その足で先輩の居る生徒会室へと向かった。ドアの前に立ち、コンコンとノックをすると中から返事があったのでそっと開く。すると、
「先輩どうでした? 使用許可は……あれ?」
真ん中に置かれた長机に座ってなにやら作業をしている人が一人。それ以外には誰も見当たらない状況に、
「し、失礼しました……」
開いた時と同じ様に、そっとドアを閉めようとすると、作業をしていたその人が待って待ってと慌ててこちらに向かってくる。
「岬さんじゃん! 入って入って」
「!」
そして腕を引かれるままに中へ入ると、長机に並ぶパイプ椅子の一つに腰をおろすよう指示されたので大人しく従う事に。
ニコニコと、私を引っ張っていったその人も元の位置に戻ると、私と彼の目があった。
あれ? この人……。
「二年生、だよね?」
「そう! 高橋です」
「高橋君……えっと、岬です」
「知ってる知ってる。岡部先輩のお気に入りの」
「…………」
「あれ? 怒った? 大丈夫大丈夫、俺も岡部先輩のお気に入りだから!」
あははっ、と、楽しそうに笑う高橋君の機嫌の良さになんだかついていけない。で、結局岡部先輩はどこに居るんだろう。
「岬さんさー、先輩に手伝いで呼ばれたんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあこれ、五枚ずつの左肩留めね」
「あ、はい」
渡されたプリントの束の上から五枚ずつを取り、言われた通りホチキス留めをしていく。あれ? 私、先輩に呼ばれてここに来たんだよね……?と頭を過ったけれど、生徒会のお手伝いをするのだから先輩がいようがいまいが関係無いじゃないかとすぐに作業に集中した。
プリントと向き合い黙々と作業する中、室内にはパチン、パチンという音と、シャッシャッと何かを描いている様な音だけが響いている。何を描いているのだろうと高橋君の手元を覗くと、そこにはシャープペンシルで描かれた何かの下書きの状態の絵があった。私の視線に気づいた高橋君が、気になる?と私に尋ねる。
「これ、ポスター描いてんの」
「ポスター?」
「ほら、廊下で走るの禁止! とか、手洗いうがいをする事! とかあんじゃん? そういうやつ」
「へー! 高橋君が描いてるんだ」
絵が上手なんだね、と言うと、美術部なもんで、と、照れた様子も無く高橋君が答える。
「岡部先輩に頼まれてさ。生徒会のポスター作って〜って。あの人めっちゃ絵が下手なんだよ」
「そうなんだ!」
「他に描いてくれる人が居ないんだって言われたら仕方ないな〜みたいな。そしてそのままずるずる生徒会に引き込まれた」
やれやれと語る高橋君だったけど、なんとなく嬉しそうにも見える彼の様子に私も頷きながら共感した。先輩から頼まれるのは嬉しい事なのだと、私と同じ様に高橋君も感じているのが伝わってきて、なんだか仲間を見つけたような嬉しさがあった。
「でもさ、先輩今年で卒業じゃん? 来年度の生徒会どうするかな〜と思って」
「……そっか」
「会長とか、色々他にも頑張ってた人は居るけどさ、でもやっぱり先輩が居なかったらこんな楽しく無かったなって思うから。先輩が居なくなった生徒会とかどうなんだろと思うし」
「…………」
先輩が、居なくなった後。先輩が卒業した後、取り残された学校生活。
それはきっともうすぐやって来る未来の話だけど、まだ私には実感が無かった。先輩が居なくなった後、私はどうなっているのだろう。
「で、なんだけど。岬さんさ、来年一緒に生徒会やらね?」
「! わ、私?」
いきなりなんだと驚く私に、高橋君はニッコリ笑ってうんうんと頷く。
「やめちゃおうかなとも思ったんだけど、やっぱり折角先輩が頑張って残してくれたものを見ない振りするのも嫌だなぁと思って。だったら信頼出来る人増やして俺のやりやすいようにすればよくね? と」
「で、でも、なんで私……?」
だって同じクラスになった事も、話した事も無い人だ。今知り合った人なのに。
「そりゃあ、岬さんの事先輩が信頼してるからに決まってんじゃん!」
「!」
「よく聞くよ、岬さんの話。同じ二年だろって俺にも聞いてくるし。岬さんは真面目で誠実な人だって聞いてるから、色々困った時助けて貰えるかなーって」
「……っ、」
まさか、先輩がそんな風に私の事を思ってくれていたなんて……そんな嬉しさと共に、でも私なんかがその期待に応えられる訳が無いという当たり前の現実がのしかかる。きっと迷惑を掛けてしまうし、そんな事になったらと思うだけで辛くて、心が重くなる。高橋君の期待を……先輩の評価を裏切る未来しか見えない。
出来ない……私には出来ない。やりたくない。
「お願い、岬さん! お願いっ!」
「…………」
やりたくない……けど。
「う、うん。分かっ、」
「高橋、やめろ」