——ピッ ガシャンッ

「岡部ー! 先生が準備室来て欲しいって呼んでる!」
「マジか。分かった、ありがとう!」

 自動販売機から出てきた飲み物を取り出した先輩は、少し離れた所から声を掛けるその人の方を向きながらお釣りをポケットにしまうと、足早に廊下の奥へと向かって行った。
 さて、次は私の番だと五百円玉を入れる。私が買うのはいつものいちごみるく。高校の自動販売機は普段の外で買う時よりも値段が安くて、なんとペットボトル一本百円なのである。お小遣いの中でやりくりする身としてはとても助かる価格だ。
 ガシャンと出て来たいちごみるくを取り出して、お釣りを手に取る。百円がいち、に、さん、し…….。

「……あれ?」
 
 一本百円のいちごみるくに五百円支払うと、お釣りは四百円なはず。今私の手元には百円が五枚。一枚多い。
 ……あ、もしかして!
 ハッとして思わず先に買っていた先輩が去っていった方へと目をやる。もしかしたらこれはさっきの先輩が取り忘れた分のお釣りなのではと思ったからだ。だって先輩は呼ばれて急いでいた。だから確認しないでそのまま行ってしまったのだろうと思う。そうだ、きっとそう!
 ……けれど、そこにはもう先輩の姿は無い。
 どうしよう……どうする?

「あのー、次良いですか?」
「! あ、す、すみません……っ」

 背後からの声掛けに振り返ると、いつの間にか後ろには二人ほど人が並んでいて慌てて私はその場を去った。全然気付かなかった……なんて邪魔で失礼な事をしてしまったんだろう。本当に私はグズなんだから。
 ズンと落ち込む心のまま手の中にある百円を確認する。やっぱり五枚あった。数え間違いじゃない……本当にこれどうしよう。
 このまま貰うなんて事は出来ない。もしかしたらさっきの先輩が気付いて取りに戻ってくる可能性だってあるけど、でも、落とし物です、なんてメモをして置いておける様な物でも無い……せめて学年が分かればなんとか……確か名前は……そう、岡部って呼ばれてた。そうだ、すごい、岡部先輩。多分そう、よく覚えてた私!

 よし、解決策が見えたぞと、早足で教室へ戻るとそこにはいつもの友達たちが集まって話していて、「おかえりー」と戻った私を迎え入れてくれた。

「またいちごみるくじゃん。ブレないねー」
「うん、そうなんだけど……あのさ、ちょっと聞きたい事があって」
「なになに?」
「岡部っていう名前の先輩知ってる人居る?」
「? 岡部先輩?」

 そう言って首を傾げると、キョトンとした表情をして私を見る。答えてくれた一人がじゃない。ここに居るみんながだ。

「岡部先輩って、三年の?」
「三年生なの?」
「え、あのよく見る人だよね?」
「?」
「ほら、生徒会とかやってんじゃん。うちらが一年の時もやってたよ」
「よく校内パトロール的なことしてるよね」
「行事の時忙しそうにしてる」
「良い人そう」
「分かる。かっこいい」
「え、ああいう人がタイプなの?」
「絶対優しいじゃん。優しさが一番」
「えー、私もっと強めの人のが良いかも」

 ガヤガヤと、そのまま気づけば好みの男性の話に話題は移り変わってしまって、岡部先輩についてもう一度口にする様なタイミングが無くなってしまった。
 あとで三年生で生徒会の岡部先輩って言えば先生なら分かるかな……出来れば早く返したいから今すぐ行けたら良かったんだけど、どのクラスか探すほどの時間はないし、さっきなんか先生に呼ばれてた感じだったし……。
 グズグズと、今行動に移せない理由ばかり頭に浮かんでくる。本当に私ってダメな奴だなと思うと、百円玉が一枚だけ入っているポケットが重かった。
 知らない振りが出来てしまえばいいのに、それが出来ないのも私がグズでダメな奴だから? でも、そのまま貰ってしまったらそれはズルくて嫌な奴だ。そんな人間にはなりたくない……。
 はぁ……と、気づかれない様に小さく溜息をつく。やるしかない。やるしかないのだ。だって私が見つけてしまったのだから。


 そして、迎えた放課後。授業が終わったタイミングで先生に岡部先輩についての情報は聞き出せた為、先輩が帰ってしまう前にと急いで教室を出た。三年五組。それが岡部先輩の居る教室だ。
 ——けれど、もう教室は目と鼻の先という距離で、私は足踏みしている。だって三年生の教室のフロアって………なんか怖い。
 心なしかジロジロと見られている気がする。そりゃあそうだ、知り合いがいる訳でも無いのに二年生がこんな所をうろついてるんだもん……変な目で見られるだろう。誰かと来られればよかったんだけど、私のせいなのにこんな事に付き合わせて帰りが遅くなってしまったら申し訳なくて、結局誰にも言えなかった。言えば来てくれるのは分かってるのに、それなのに言えない。言えなかった。
 どうしよう、どうする? 誰か助けて……!

「どうしたの?」
「!」

 自分の足の先を見つめて固まっていた私に掛けられた尋ねる言葉。高い位置から降って来た私より低いその声には聞き覚えがあって、ハッと顔をあげると、無意識に私は呟いてた。

「お、岡部先輩……」
「? そうだけど……」

 誰?と、先輩が声に出さずともそう思っているのがありありと伝わってきて、恥ずかしさに飛び上がりたい気持ちを握りしめた手のひらの中にギュッと押し留める。そこにはやっと出番がやって来た百円玉も一緒に入っていた。

「あ、あのっ、これっ……」

 恐る恐る私が差し出したそれを見て、先輩はまたしても浮かべるはてなマーク。

「これっ、昼休みに自動販売機に残ってて、先輩の忘れ物なんです……!」
「? 俺の?」
「はい! だからどうぞ!」

 やった! 言えた!
 良かった、これで終わりだとやりきった気持ちでニコニコしながら先輩が百円を受け取ってくれるのを待っていた。待っていた……けど。

「……先輩?」
「え? あ、うん……え? それでわざわざ届けてくれたの?」
「? はい」
「えー、ありがとう……でもいいや、貰って下さい」
「……へ?」
「わざわざごめんね、こんな所まで持ってきてもらって申し訳ない。だからこれは君が使って下さい。お礼の気持ちです」
「え? いや、え? お、お礼?」

 いや、いやいやいや!

「でもこれ先輩のです! ちゃんと先生にも聞いたし先輩で間違いないです!」
「そうだよね? 知り合いでも無いのにわざわざなんて良い子なんだろうと思って。そもそも俺気づいてなかったんだしいいんだよ。受け取って。百円で申し訳ないけど」
「! そんな、そんな事は……っ! え、で、でも……っ」
「はい。じゃあ俺この後用あるから行くね」
「え……!」

 そして、私の手を包むようにギュッと握らせると、ニッコリ笑った先輩はさっぱりとした様子で去って行ってしまって……まさかこんな事になるなんてと、私は一人、その場で途方に暮れてしまった。握られた拳の中にはまだあの百円玉が入っていた。