「聞いたわよ。競りで負けて泣いて帰ったって。あんまり恥ずかしいこと、しないでくれる?」
「あなたとは、全く関係ありませんけど」
「あぁ、それもそうだったわね。だけど、三上恭平の孫がお金に苦労してるなんて、あまり聞こえのいい話しじゃないでしょ。いつまでもあの人の名前で金になる男漁りしてるだなんて。恥を知りなさい」
「あなたの価値観だけで、勝手な話をしないでもらえます?」
「やってることを外から見れば、そうだと言ってるのよ。分かってやってんでしょ」

 吐き捨てるように言われ、拳に力が入る。
なんて言い返せば、分かってもらえるのだろう。
そもそも私の存在を自分にとっての害悪としか思っていない相手に、話なんて通じるの?

「あら、怖い顔。やっぱり可愛くないわね。声かけるんじゃなかった」

 彼女の指には他のおばさま方と同様に、ぎったぎたに大粒の宝石をはめた指輪がいくつもつけられていた。
だけど唯一、右手の薬指にだけはなにもつけていないことに、何かが引っかかる。

「ねぇ、どうしてその指にだけ、指輪をしてないの?」
「え? なんですって?」

 急に不機嫌を顕わにした彼女の背後から、見知らぬ若い男女が顔をのぞかせる。

「あら、おばあさま。珍しいのね。誰とお話ししていらっしゃるのかしら」

 現れたのは私より年下の、まだ大学生っぽい二人組だった。
お揃いで仕立てたような白とグレーのスーツを着ている。
おばあさまは私と接触している現場を本気で見られたくなかったのか、それまでと打って変わってにっこりと愛想笑いを浮かべ、私に紹介を始めた。

「彼女は豊橋紅。この子は想よ。よろしくね」

 二人のツンとした雰囲気が、いかにも意地の悪そうな感じだ。
指輪の話、そらされちゃったな。

「二人とも、私のかわいい孫なの」

 そう言うと彼女は、彼らの肩を愛おしそうに抱き寄せた。
目の前に私というもう一人の孫がいるのに、穏やかに微笑んでみせる。
だけど私だって、この人と血のつながりがあることを、他の誰にも言いたくないし、知られるのも不愉快だ。
それは彼女にしても同じ考えだったらしく、私たちは一番大切なことに口をつぐむ。

「紅。この子はね、佐山商事の息子さんと一緒にこの会場に来てるのよ。あなたも少しは見習いなさい」

 紅と呼ばれた女の子は、肩まで伸びた明るい栗色の髪をふわりとなびかせた。

「佐山商事? あぁ、あの軽そうな男か。次男でしょ。会社継ぐわけじゃないし」
「そこから人脈広げなさい。あれくらいの最低ラインは維持してほしいわね」

 紅を一瞥し、おばあさまは立ち去る。
その背中に彼女はボソリとつぶやいた。

「そんなこと、言われなくても分かってるって」

 隣にいた想はフンと鼻で笑う。
イヤな感じ。
いずれにしても、関わりたくない。

「じゃ、私はこれで」

 おじいちゃんの絵を前にして、なんて展開だ。
ムカムカする。
紅と想の姉弟を残して、私も足早にそこを立ち去った。
オークション開始時間には、まだ少し時間がある。
私は入場制限のある特別会場から、一般会場へと足をのばした。
ここなら佐山CMOもいないだろうけど、あのバアさんと孫たちもいない。

 アートフェス一般会場の即売品を、ゆっくりと見て回る。
到底手の出せないような高額品から、手ごろな値段のものまでずらりと並んでいた。
それぞれのギャラリーが取り扱う作品の雰囲気から店の個性や得意分野が分かって、見ているだけでも面白い。

 一階展示場に比べ、人の少ない二階展示場をゆっくりと見て回る。
二階会場は宝石や海外からの出展で、自由に出入り出来るとはいえ、賑やかな一階会場とは随分と雰囲気が異なり落ち着いていた。
ふと視界に入ったギャラリーの受付に、白磁の置きものを見つけた。
丸く平らな作りのペーパーウェイトで、白地に大きく花の模様が型押しされ、鮮やかに彩色されている。

 おじいちゃんの作品だ! それも2つ! 
私は勢いに任せ、それに飛びついた。

「これ! これ、どうしたんですか!」

 受付に座っていた女性は、びっくりして顔をあげた。

「これ! これ下さい。2つともです。青とオレンジの両方、全部! いくらです? 他にも在庫ありますか? いくらで譲っていただけます?」
「あ、あの……。申し訳ございませんが、こちらは売り物ではございませんので……」
「じゃあ、これください。これが欲しいんです。買います。売ってください」

 受付の女性二人は、困ったように顔を見合わせた。

「あの、こちらは売り物ではないので……」
「どなたにお願いすればよろしいですか? どうしてもこれが欲しいんです」

 受付のお姉さんたちが困っているのも分かるし、自分だって無茶言ってるのも分かってる。
だけどここで引き下がってしまえば、もう絶対に手に入らない。
男性の営業マンが間に入って、別の作品をすすめてくれたりしたけど、私だって、簡単に引き下がるわけにはいかない。

「お願いします。どうしてもこれが欲しいんです!」

 作品としては日の目をみることのない代物だ。
しばらく押し問答をくり返していたら、奥から人が出てきた。
あの紅と想だ。

「何を騒いでいるのかと思ったら、一体なんなの」
「ここ、あなたたちのブースだったの?」
「そうよ。ここはおばあさまが趣味で始めたギャラリーなの」

 最悪だ。
冷静さを取り戻した私は、ようやくギャラリーの中を見渡す。
アンティークの雑貨や食器、宝飾品などが並ぶ、よくある店だ。
だけどそれならば、なおさらこの作品は取り戻さねば。
私は背筋をピンと伸ばすと、改めて交渉に入った。

「これが売りものでないんだったら、私にくださらない? どうしても手に入れたい品なの」

 紅はフンと笑うと、髪色と合わせたようなミルクティー色のカラーでネイルされた爪を伸ばし、二つのうちのオレンジが主体で色づけされた方を手に取った。