夜半過ぎ、自室の寝台にて翠鈴は目を覚ます。隣に、劉弦がいないのを確認して自分自身に呆れてしまう。毎夜ふたりは同じ寝台で寝ている。そのことに慣れすぎて、隣にいないだけで寂しくて目覚めてしまうのだ。
今夜彼がここへ来られなかったのは、国の端で嵐をともなう雷雲が発生したからだ。深刻な事態にならないよう念のため現地へ行くと伝言をもらった。だから彼が来ないのはわかっていて眠りについたというのに、たったひと夜のことでも寂しく思う自分がおかしかった。
寝台を出て窓際に立ち、布幕をそっと開ける。彼に会えないのは仕方がないけれど、せめて彼を彷彿とさせる月を目にしようと思ったのだ。
でも残念ながら窓の外に月は浮かんでいなかった。
翠鈴はしばらく考えてから寝所を出る。控えの間で気持ちよさそうに寝息を立てている蘭蘭のそばを通り部屋を出た。今が何刻かはわからないが月が傾いているのだろう。中庭からなら見られるかもしれない。
途中廊下で、人の話声がするのを耳にして足を止める。首を傾げながら行ってみると、普段から人が行かない廊下の突き当たりに、華夢と彼女の父親、黄福律がいた。
「わざわざなんだ? このような場に呼びだして」
黄福律が不機嫌な声を出した。
「お父さまは、いつも屋敷にいらっしゃらないじゃないですか。私の部屋は女官がおりますし」
「……で、話とはなんだ?」
秘密めいたふたりのやり取りに、翠鈴の胸がひやりとする。人目をはばかる黄親子の話が、穏やかな内容でないのは確かだった。
「お父さま、どうにかしてください! このままではあの女が皇后さまになってしまいます。もうすでに後宮内では、あの女が皇后さまで決まりって雰囲気なんですよ。私、そんなの耐えられない。お父さまは宰相でいらっしゃるんだから、その力で早く私を皇后さまにしてください」
華夢が苛立った声で訴える。なるほど、ここのところ彼女がしょっちゅう実家に帰っていたのは、後宮にいたくないからという理由のほかに、父親にこのことを言いたかったからなのだ。
福律が苦々しげに口を開いた。
「政はそのように単純なものではない。そもそもの原因は、お前があの小娘に先を越されたからだろう? 翡翠の手の使い手であり宿命の妃でありながら、陛下の寵愛を受けらなかった自分を恥じよ」
「それは……」
父親からの冷たい言葉に華夢は口ごもる。そこへ福律はたたみかける。
「陛下は今珍しいおもちゃに夢中になっていらっしゃるだけのこと、そのうちに飽きるだろう。そしたら今度こそ陛下の寵愛を勝ち取るのだ。そうすればすべてがうまくいく」
「でも……」
華夢は自信なさげに言って沈黙する。
はっきりと返事をしない華夢に、福律が舌打ちをした。
「使えん娘だ。今まで最高の教育を施したというのにすべて無駄にしやがって! だがそうだな……」
そこで言葉を切って思案する。しばらくしてなにかを思いついたように口を開いた。
「私に考えがある。成功すればお前は永遠に陛下の皇后でいられるだろう」
「お父さま、本当ですか?」
父親からの言葉に華夢が弾んだ声を出した。
「ああ、だからお前は私の言う通りにするのだ。詳細は追って伝える」
「わかりましたわ、お父さま!」
その言葉を聞いて、翠鈴は慌ててその場を後にした。
足音を立てないようにして、自分の部屋の寝所へ戻り、心を落ち着けるため窓の布幕の間から月のない夜の空を見上げた。鼓動が不吉な音を立てていた。福律が口にした『考え』がいったいどのようなことなのか、見当がつかなくて不安だった。なにかとても嫌な予感がした。
今夜彼がここへ来られなかったのは、国の端で嵐をともなう雷雲が発生したからだ。深刻な事態にならないよう念のため現地へ行くと伝言をもらった。だから彼が来ないのはわかっていて眠りについたというのに、たったひと夜のことでも寂しく思う自分がおかしかった。
寝台を出て窓際に立ち、布幕をそっと開ける。彼に会えないのは仕方がないけれど、せめて彼を彷彿とさせる月を目にしようと思ったのだ。
でも残念ながら窓の外に月は浮かんでいなかった。
翠鈴はしばらく考えてから寝所を出る。控えの間で気持ちよさそうに寝息を立てている蘭蘭のそばを通り部屋を出た。今が何刻かはわからないが月が傾いているのだろう。中庭からなら見られるかもしれない。
途中廊下で、人の話声がするのを耳にして足を止める。首を傾げながら行ってみると、普段から人が行かない廊下の突き当たりに、華夢と彼女の父親、黄福律がいた。
「わざわざなんだ? このような場に呼びだして」
黄福律が不機嫌な声を出した。
「お父さまは、いつも屋敷にいらっしゃらないじゃないですか。私の部屋は女官がおりますし」
「……で、話とはなんだ?」
秘密めいたふたりのやり取りに、翠鈴の胸がひやりとする。人目をはばかる黄親子の話が、穏やかな内容でないのは確かだった。
「お父さま、どうにかしてください! このままではあの女が皇后さまになってしまいます。もうすでに後宮内では、あの女が皇后さまで決まりって雰囲気なんですよ。私、そんなの耐えられない。お父さまは宰相でいらっしゃるんだから、その力で早く私を皇后さまにしてください」
華夢が苛立った声で訴える。なるほど、ここのところ彼女がしょっちゅう実家に帰っていたのは、後宮にいたくないからという理由のほかに、父親にこのことを言いたかったからなのだ。
福律が苦々しげに口を開いた。
「政はそのように単純なものではない。そもそもの原因は、お前があの小娘に先を越されたからだろう? 翡翠の手の使い手であり宿命の妃でありながら、陛下の寵愛を受けらなかった自分を恥じよ」
「それは……」
父親からの冷たい言葉に華夢は口ごもる。そこへ福律はたたみかける。
「陛下は今珍しいおもちゃに夢中になっていらっしゃるだけのこと、そのうちに飽きるだろう。そしたら今度こそ陛下の寵愛を勝ち取るのだ。そうすればすべてがうまくいく」
「でも……」
華夢は自信なさげに言って沈黙する。
はっきりと返事をしない華夢に、福律が舌打ちをした。
「使えん娘だ。今まで最高の教育を施したというのにすべて無駄にしやがって! だがそうだな……」
そこで言葉を切って思案する。しばらくしてなにかを思いついたように口を開いた。
「私に考えがある。成功すればお前は永遠に陛下の皇后でいられるだろう」
「お父さま、本当ですか?」
父親からの言葉に華夢が弾んだ声を出した。
「ああ、だからお前は私の言う通りにするのだ。詳細は追って伝える」
「わかりましたわ、お父さま!」
その言葉を聞いて、翠鈴は慌ててその場を後にした。
足音を立てないようにして、自分の部屋の寝所へ戻り、心を落ち着けるため窓の布幕の間から月のない夜の空を見上げた。鼓動が不吉な音を立てていた。福律が口にした『考え』がいったいどのようなことなのか、見当がつかなくて不安だった。なにかとても嫌な予感がした。