とっぷりと日が暮れて、灯籠の明かりが灯る長い廊下を翠鈴は梓萌に続き歩いている。廊下に並ぶ貴妃たちの部屋から、くすくすという笑い声が聞こえていた。皇帝の夜の寝所へ召されているというのに、翠鈴が普段着の作務衣を着ているからだ。
夜のお召しまでに翠鈴を美しく着飾らせると気合い十分で女官の詰め所へ行った蘭蘭は、結局、着飾るのに必要な紅も白粉も香も手に入れることはできなかった。
しょんぼりとして帰ってきた彼女に話を聞くと、他の女官たちに妨害されたのだという。どうにか手に入れられたという石鹸で翠鈴は終い湯に入った。
さっぱりとして部屋へ戻るとなんと蘭蘭が、しくしくと泣いているではないか。今夜のために白菊から届けられた衣装が泥まみれだったのだという。
おそらくは届けられる過程で誰かにわざと汚された、つまり嫌がらせを受けたのだろう。
『蘭蘭、泣かないで。大丈夫、なんとかするから』
翠鈴はそう言って彼女を慰めた。とはいえ、代わりの衣装を準備できるはずもなく、故郷から持ってきた代えの作務衣を着るしかなかったのである。
梓萌は、作務衣姿の翠鈴に、一瞬眉を寄せたもののはなにも言わなかった。
そして彼女に続き歩いている翠鈴を見て妃たちが、特に驚く様子もなく笑っていることを考えると、衣装をダメにした犯人は彼女たちの中の誰か、あるいは皆なのかもしれない。
「よくあんな成りで陛下の元へ行けるわね」
「さすが緑族、恥知らずもいいとこだわ」
聞こえてくる言葉はひどいものだが、まったく気にならなかった。
もとより寵愛など望んではいないのだ。着る物などどうでもいいから早く皇帝に会って故郷の村に帰りたい。
長い廊下を梓萌はゆっくり進む。
もっと早く歩いてくれればいいのに、と翠鈴は内心で思っていた。
もちろん早く会えたからといっても今夜中に帰ることはできないだろう。でも気持ちが逸ってしまうのはどうしようもなかった。
やがて前方に大きな龍が描かれた巨大な朱色の観音開きの扉が見えてくる。その先が後宮と皇帝の寝所を繋ぐ渡り廊下だ。扉のそばの部屋はひときわ豪華な扉を持つ一の妃の部屋だった。
扉の前に華夢が立っている。
桃色のひらひらとした衣装を身につけて薄化粧を施し、寝る前とは思えないほど美しく着飾っている。まるで彼女が皇帝の夜の寝所へ召されるかのようだった。
翠鈴たちが彼女の前まで来ると、艶々の唇を開いた。
「こんばんは、翠鈴妃さま」
梓萌が足を止めた。
「こんばんは……華夢妃さま」
戸惑いながら翠鈴は答える。声をかけられたことが意外だった。
「声をかけられたわ」
「さすがは華夢妃さま、私たちとは心構えが違うわね」
「なんと言っても皇后さまになられる方ですもの」
妃たちが囁き合う中、華夢は翠鈴のすぐそばまでやってくる。花のような甘い香りが強くなった。
一瞬、翠鈴は身構える。なにか好意的でない仕打ちを受けるのでは?と思ったからだ。でもそうではなく、彼女は口もとに笑みを浮かべて翠鈴の手を取った。
「そう固くならなくて大丈夫よ。皇帝陛下はお優しい方ですから」
その言葉に翠鈴は肩の力を抜く。彼女は翠鈴の緊張をほぐそうとしてくれているのだ。
「ありがとうございます、華夢妃さま」
答えると、華夢妃はにっこりと微笑んで、少し声を落とした。
「ここだけの話、陛下は気分がすぐれないことがおありです。妃がお伺いしても寵愛する気になれない時は下がるようにおっしゃいます。もしそうなってもあなたが罰を受けることはありませんから、安心して部屋を出てくださいね」
あらかじめ翠鈴が寵愛を受けることはないとわかっていて、その際の振る舞い方をおしえてくれているのだ。さすがは皇后候補と言われるだけのことはある。慈悲深く思慮深い助言に、翠鈴は頷いた。
同時に内心で不安になる。
彼女は、妃というだけでなく翡翠の手の使い手なのだ。その彼女の口から『気分がすぐれないことがある』という言葉が出たからだ。
皇帝の具合があまり良くないという噂は本当のようだ。皇帝は国の平穏のためになくてはならない存在だというのに、その彼が健やかでないということが心配だった。なにか自分にできることはないだろうかと翠鈴は考えを巡らせる。誰かの不調を耳にしたときのくせだった。
でもすぐに相手は人ではなく龍神なのだと思い出し、落胆する。龍神を癒やすことができるのはこの世にただひとり、翡翠の手を持つ者だけなのだ。
「では参りましょう」
梓萌がまた歩き出す。翠鈴もそれに従った。
朱色の扉の前まで来ると、ギギギと音を立てて扉は開く。翠鈴はごくりと喉を鳴らした。固くならなくてよいと華夢に言われたばかりだが、それは無理な話だった。
真っ暗な廊下を梓萌が手にしている蝋燭の光を頼りにひたりひたりとゆっくり歩く。
次第に少し不思議な感覚に陥っていく。一歩一歩皇帝に近づくたびに空気が澄んでいくような、心が清らかになっていくような心地がした。まるでこの暗い廊下の先は天界につながっていて、心の中の汚いものをすべて捨てていくようなそんな感覚だ。
永遠にも思えるような長い廊下を抜けた先に、今度は深い緑色の大きな扉が見えてくる。梓萌がその前に立ち、足を止めて振り返った。
「この先が皇帝陛下の寝所にございます」
そして声を低くした。
「よいですか? 先程の華夢妃さまのお言葉を忘れないように。皇帝陛下から下がるようにというお言葉をいただいたら、しつこく食い下がったりせずに、すぐに部屋を出るように。私は扉の外に控えておりますから」
まるでそうなると決まっているかのように彼女は言う。
翠鈴は頷いた。
「わかりました。すぐに下がります」
はっきりと答えると、梓萌は安心したように息を吐いて扉の方へ向き直り声を張り上げた。
「百の妃、緑翠鈴妃さま参られました」
静まり返った廊下に、梓萌の声が響く。
扉が、音もなくゆっくりと開いた。
梓萌が一歩下がり翠鈴を見る。ここから先はひとりで行けということだろう。
大きく息を吸い一旦心を落ち着けてから一歩を踏み出す。中へ入ると背後で扉が閉まった。
部屋の中は清廉な空気に満ちている。灯籠は中央にひとつだけのはずなのに、天蓋付きの寝台に座る存在をはっきりと見ることができた。
――寝台に座る男性は、鋭い目でこちらを見ている。銀の長い髪は冷たい輝きを放ち、漆黒の瞳は見つめているだけで吸い込まれそうな心地がする。逞しい体躯、そら恐ろしいほどに整った顔立ち、他者を寄せ付けない存在感。彼が現皇帝、劉弦帝で間違いない。
事前に梓萌から聞いていた作法ではすぐに床に膝をついてこうべを垂れ、彼の言葉を待たなくてはならない。でも翠鈴はそうすることができなかった。
どうしてか、身体が動かない。
胸の奥が熱くなって、彼とははじめて会うはずなのに、懐かしいような不思議な感情に支配される。強く心を惹きつけられるのを感じていた。
皇帝が訝しむように目を細めた。
「そなたが、百の妃か?」
低い声音で問いかけられる。夜の寝所を訪れた妃が、簡易な服を着ているのを不思議に思っているのだろう。
咎めるような冷たい視線に、震えながら突っ立ったまま口を開くことができなかった。その翠鈴をジッと見つめて皇帝がゆっくりと立ち上がる。一歩一歩こちらへやってくる。
心臓が飛び出てしまいそうだった。梓萌や華夢の口ぶりから、寝所に入ってすぐに下がるように言われるもの思い込んでいたのに、まさかそれ以外のやり取りがあるとは想像もしていなかったから、どうしていいかわからない。
互いの息遣いを感じる距離まで来て、彼はぴたりと足を止める。少し甘い高貴な香りが翠鈴の鼻を掠めた。怖くてたまらないのに、目を逸らすことができなかった。
「そなた……」
言いかけて口を閉じ、彼は眉間に皺を寄せる。その仕草に、翠鈴はハッとした。彼の体調が優れないという話を思い出す。
「陛下、お加減が……?」
思わずそう問いかけて、手を伸ばす。彼の頬に指先が触れたその刹那、どくんと鼓動が大きく跳ねて、指先が焼けるように熱くなった。
「あ……」
あまりの衝撃に目を見開き膝を折ると、崩れ落ちる身体を、皇帝が抱き止めた。そのまま至近距離で見つめ合う。すぐ近くにある彼の瞳に、翠鈴の胸の奥底にあるなにかが強く反応する。
「そなた」
彼の手が頬に触れる。また鼓動が大きな音を立てて、翠鈴は熱い息を吐いた。うねるような衝動が、身体中を駆け巡り、息苦しささえ感じるくらいだった。
頭と心、指先が痺れるような感覚にどうにかなってしまいそうだ。これ以上は耐えられない、翠鈴がそう思った時、皇帝の唇が動いた。
「そなたが、私の宿命の妃だ」
その言葉の意味を翠鈴が理解するより先に、逞しい腕に抱き上げられる。
「つっ……!」
息を呑み目を閉じて彼の首にしがみついた。
彼は翠鈴を軽々と腕に抱いたまま、寝室を横切る。目を開くと、大きな寝台に寝かされていた。天蓋を背にした皇帝が翠鈴の両脇に手をついている。
「陛下……」
皇帝の寝台の上にふたりでいる。予想もしなかった展開に、羞恥を覚えて身をよじる。
「私……」
その翠鈴の髪をなだめるように大きな手が撫でた。彼の持つ冷たい空気とは裏腹に、驚くほど優しい手つきだった。また視線を絡ませると、不思議な感情に支配される。
彼とは初対面のはずなのに、こうなることは、生まれた時から決まっていたと感じている。
「怖くはない、大丈夫だ」
顎に添えられた彼の指先が唇を辿る感覚に、翠鈴の背中が甘く痺れる。
ゆっくりと近づく彼の唇。目を閉じると同時に、熱く唇を奪われた。
夜のお召しまでに翠鈴を美しく着飾らせると気合い十分で女官の詰め所へ行った蘭蘭は、結局、着飾るのに必要な紅も白粉も香も手に入れることはできなかった。
しょんぼりとして帰ってきた彼女に話を聞くと、他の女官たちに妨害されたのだという。どうにか手に入れられたという石鹸で翠鈴は終い湯に入った。
さっぱりとして部屋へ戻るとなんと蘭蘭が、しくしくと泣いているではないか。今夜のために白菊から届けられた衣装が泥まみれだったのだという。
おそらくは届けられる過程で誰かにわざと汚された、つまり嫌がらせを受けたのだろう。
『蘭蘭、泣かないで。大丈夫、なんとかするから』
翠鈴はそう言って彼女を慰めた。とはいえ、代わりの衣装を準備できるはずもなく、故郷から持ってきた代えの作務衣を着るしかなかったのである。
梓萌は、作務衣姿の翠鈴に、一瞬眉を寄せたもののはなにも言わなかった。
そして彼女に続き歩いている翠鈴を見て妃たちが、特に驚く様子もなく笑っていることを考えると、衣装をダメにした犯人は彼女たちの中の誰か、あるいは皆なのかもしれない。
「よくあんな成りで陛下の元へ行けるわね」
「さすが緑族、恥知らずもいいとこだわ」
聞こえてくる言葉はひどいものだが、まったく気にならなかった。
もとより寵愛など望んではいないのだ。着る物などどうでもいいから早く皇帝に会って故郷の村に帰りたい。
長い廊下を梓萌はゆっくり進む。
もっと早く歩いてくれればいいのに、と翠鈴は内心で思っていた。
もちろん早く会えたからといっても今夜中に帰ることはできないだろう。でも気持ちが逸ってしまうのはどうしようもなかった。
やがて前方に大きな龍が描かれた巨大な朱色の観音開きの扉が見えてくる。その先が後宮と皇帝の寝所を繋ぐ渡り廊下だ。扉のそばの部屋はひときわ豪華な扉を持つ一の妃の部屋だった。
扉の前に華夢が立っている。
桃色のひらひらとした衣装を身につけて薄化粧を施し、寝る前とは思えないほど美しく着飾っている。まるで彼女が皇帝の夜の寝所へ召されるかのようだった。
翠鈴たちが彼女の前まで来ると、艶々の唇を開いた。
「こんばんは、翠鈴妃さま」
梓萌が足を止めた。
「こんばんは……華夢妃さま」
戸惑いながら翠鈴は答える。声をかけられたことが意外だった。
「声をかけられたわ」
「さすがは華夢妃さま、私たちとは心構えが違うわね」
「なんと言っても皇后さまになられる方ですもの」
妃たちが囁き合う中、華夢は翠鈴のすぐそばまでやってくる。花のような甘い香りが強くなった。
一瞬、翠鈴は身構える。なにか好意的でない仕打ちを受けるのでは?と思ったからだ。でもそうではなく、彼女は口もとに笑みを浮かべて翠鈴の手を取った。
「そう固くならなくて大丈夫よ。皇帝陛下はお優しい方ですから」
その言葉に翠鈴は肩の力を抜く。彼女は翠鈴の緊張をほぐそうとしてくれているのだ。
「ありがとうございます、華夢妃さま」
答えると、華夢妃はにっこりと微笑んで、少し声を落とした。
「ここだけの話、陛下は気分がすぐれないことがおありです。妃がお伺いしても寵愛する気になれない時は下がるようにおっしゃいます。もしそうなってもあなたが罰を受けることはありませんから、安心して部屋を出てくださいね」
あらかじめ翠鈴が寵愛を受けることはないとわかっていて、その際の振る舞い方をおしえてくれているのだ。さすがは皇后候補と言われるだけのことはある。慈悲深く思慮深い助言に、翠鈴は頷いた。
同時に内心で不安になる。
彼女は、妃というだけでなく翡翠の手の使い手なのだ。その彼女の口から『気分がすぐれないことがある』という言葉が出たからだ。
皇帝の具合があまり良くないという噂は本当のようだ。皇帝は国の平穏のためになくてはならない存在だというのに、その彼が健やかでないということが心配だった。なにか自分にできることはないだろうかと翠鈴は考えを巡らせる。誰かの不調を耳にしたときのくせだった。
でもすぐに相手は人ではなく龍神なのだと思い出し、落胆する。龍神を癒やすことができるのはこの世にただひとり、翡翠の手を持つ者だけなのだ。
「では参りましょう」
梓萌がまた歩き出す。翠鈴もそれに従った。
朱色の扉の前まで来ると、ギギギと音を立てて扉は開く。翠鈴はごくりと喉を鳴らした。固くならなくてよいと華夢に言われたばかりだが、それは無理な話だった。
真っ暗な廊下を梓萌が手にしている蝋燭の光を頼りにひたりひたりとゆっくり歩く。
次第に少し不思議な感覚に陥っていく。一歩一歩皇帝に近づくたびに空気が澄んでいくような、心が清らかになっていくような心地がした。まるでこの暗い廊下の先は天界につながっていて、心の中の汚いものをすべて捨てていくようなそんな感覚だ。
永遠にも思えるような長い廊下を抜けた先に、今度は深い緑色の大きな扉が見えてくる。梓萌がその前に立ち、足を止めて振り返った。
「この先が皇帝陛下の寝所にございます」
そして声を低くした。
「よいですか? 先程の華夢妃さまのお言葉を忘れないように。皇帝陛下から下がるようにというお言葉をいただいたら、しつこく食い下がったりせずに、すぐに部屋を出るように。私は扉の外に控えておりますから」
まるでそうなると決まっているかのように彼女は言う。
翠鈴は頷いた。
「わかりました。すぐに下がります」
はっきりと答えると、梓萌は安心したように息を吐いて扉の方へ向き直り声を張り上げた。
「百の妃、緑翠鈴妃さま参られました」
静まり返った廊下に、梓萌の声が響く。
扉が、音もなくゆっくりと開いた。
梓萌が一歩下がり翠鈴を見る。ここから先はひとりで行けということだろう。
大きく息を吸い一旦心を落ち着けてから一歩を踏み出す。中へ入ると背後で扉が閉まった。
部屋の中は清廉な空気に満ちている。灯籠は中央にひとつだけのはずなのに、天蓋付きの寝台に座る存在をはっきりと見ることができた。
――寝台に座る男性は、鋭い目でこちらを見ている。銀の長い髪は冷たい輝きを放ち、漆黒の瞳は見つめているだけで吸い込まれそうな心地がする。逞しい体躯、そら恐ろしいほどに整った顔立ち、他者を寄せ付けない存在感。彼が現皇帝、劉弦帝で間違いない。
事前に梓萌から聞いていた作法ではすぐに床に膝をついてこうべを垂れ、彼の言葉を待たなくてはならない。でも翠鈴はそうすることができなかった。
どうしてか、身体が動かない。
胸の奥が熱くなって、彼とははじめて会うはずなのに、懐かしいような不思議な感情に支配される。強く心を惹きつけられるのを感じていた。
皇帝が訝しむように目を細めた。
「そなたが、百の妃か?」
低い声音で問いかけられる。夜の寝所を訪れた妃が、簡易な服を着ているのを不思議に思っているのだろう。
咎めるような冷たい視線に、震えながら突っ立ったまま口を開くことができなかった。その翠鈴をジッと見つめて皇帝がゆっくりと立ち上がる。一歩一歩こちらへやってくる。
心臓が飛び出てしまいそうだった。梓萌や華夢の口ぶりから、寝所に入ってすぐに下がるように言われるもの思い込んでいたのに、まさかそれ以外のやり取りがあるとは想像もしていなかったから、どうしていいかわからない。
互いの息遣いを感じる距離まで来て、彼はぴたりと足を止める。少し甘い高貴な香りが翠鈴の鼻を掠めた。怖くてたまらないのに、目を逸らすことができなかった。
「そなた……」
言いかけて口を閉じ、彼は眉間に皺を寄せる。その仕草に、翠鈴はハッとした。彼の体調が優れないという話を思い出す。
「陛下、お加減が……?」
思わずそう問いかけて、手を伸ばす。彼の頬に指先が触れたその刹那、どくんと鼓動が大きく跳ねて、指先が焼けるように熱くなった。
「あ……」
あまりの衝撃に目を見開き膝を折ると、崩れ落ちる身体を、皇帝が抱き止めた。そのまま至近距離で見つめ合う。すぐ近くにある彼の瞳に、翠鈴の胸の奥底にあるなにかが強く反応する。
「そなた」
彼の手が頬に触れる。また鼓動が大きな音を立てて、翠鈴は熱い息を吐いた。うねるような衝動が、身体中を駆け巡り、息苦しささえ感じるくらいだった。
頭と心、指先が痺れるような感覚にどうにかなってしまいそうだ。これ以上は耐えられない、翠鈴がそう思った時、皇帝の唇が動いた。
「そなたが、私の宿命の妃だ」
その言葉の意味を翠鈴が理解するより先に、逞しい腕に抱き上げられる。
「つっ……!」
息を呑み目を閉じて彼の首にしがみついた。
彼は翠鈴を軽々と腕に抱いたまま、寝室を横切る。目を開くと、大きな寝台に寝かされていた。天蓋を背にした皇帝が翠鈴の両脇に手をついている。
「陛下……」
皇帝の寝台の上にふたりでいる。予想もしなかった展開に、羞恥を覚えて身をよじる。
「私……」
その翠鈴の髪をなだめるように大きな手が撫でた。彼の持つ冷たい空気とは裏腹に、驚くほど優しい手つきだった。また視線を絡ませると、不思議な感情に支配される。
彼とは初対面のはずなのに、こうなることは、生まれた時から決まっていたと感じている。
「怖くはない、大丈夫だ」
顎に添えられた彼の指先が唇を辿る感覚に、翠鈴の背中が甘く痺れる。
ゆっくりと近づく彼の唇。目を閉じると同時に、熱く唇を奪われた。