言祝ぎの子 参 ー国立神役修詞高等学校ー



「久しぶり、薫」


控えめに微笑んだ芽に、昔の面影が重なる。


「……久し、ぶり」


うん、と嬉しそうに頷いた芽は気恥しげに首の後ろを摩った。



「うわ、マジでどっちがどっちか分かんねぇ」



ふたりの間に首を突っ込みまじまじと顔を見比べるその少年の頭を芽が叩いた。

何なのこの失礼なやつ。

出会って数分しか経っていないけれど、直ぐに迷惑な奴のカテゴリーに分類した。



「おい阿呆共」



また別の声が聞こえた。今度は女の声だった。芽が降りてきた階段の上の方に座って本を読んでいる。

肩につくくらいのボサボサの黒髪で顔も長い前髪で隠れている。声を聞いていなければ女だと気付けなかっただろう。



斎賀(さいが)先生が早く教室へ帰ってこいとキレてる迎えに行ってこいと叱られた私まで巻き込むな」



変な喋り方だ、早口でまるで句読点がないみたいだ。



「ごめん嬉々(きき)。すぐ戻るよ」



振り返った芽が代表してそう答えた。



「行こっか、薫」


芽は右腕をこちらに差し出そうとして不自然に手を止めた。止めた手を直ぐに引っ込めて曖昧に笑う。


「こっちだよ」と歩き出した芽の後ろを数歩遅れて歩いた。





「今日からこのクラス────と言っても一クラスしかないが、このクラスに編入することになった神々廻薫くんだ。仲良くするように。ほら、時間やるから適当に交流深めろ」


人間の皮を被っている熊みたいだ。

中等部二年の担任門澤(もんざわ)斎賀《さいが》に抱いた第一印象はそんな感じだった。ガタイのいい体に鋭い目付きはどこかの組員さながらだけれど、歴とした神職で神修の教員らしい。

遅刻したことで早速拳骨を頂戴し、禄輪のそれよりも強烈だったので直ぐに逆らうとまずい人なんだと理解した。

厳つい外見の割には学生には好かれているらしく「斎賀っちょ!」なんて気安く呼ばれていた。そう呼んでいるのは一人だけのようだけれど。


横一列に並べられた机で、右隣が芽そして自分で左隣はあの騒がしい迷惑な男だった。



「俺諏訪(すわ)宙一(そらいち)! 小学校では"そらちー"って呼ばれてたんだけど、こいつら頑なに呼んでくれなくてさ。薫はそらちーって呼んでくれな。好きな食べ物は白米と白米に合うおかず、つまり食いもんなら何でも! あ、強いて言うなら中華好き! 趣味は漫画とゲームで、最近はマリオの八面クリアした! 薫マリオやったことある? 今度通信しようぜ〜。で、好きな女の子のタイプはポニーテールが似合ううなじの綺麗な子で……」



身を乗り出して矢継ぎ早にそう話す宙一の言葉を最初の一行以外は聞き流す。



「宙一、ちょっと落ち着きなよ。薫が迷惑そうな顔してる」

「分かってるって〜。芽と同じ顔だからその顔には慣れてる!」

「胸張って言うことじゃないでしょ」




芽の静止も聞かず、八面のラスボスがいかに強かったのかを語り出したので、やはり聞き流した。


「宙一は中等部から入学したんだよ」


興味はないので返事はせずそれも聞き流す。


「奥が玉富(たまとみ)嬉々(きき)。嬉々は俺と同じで初等部からいるんだ。困った時は嬉々か俺に聞いてね」


ちらりと奥に目を向けると、嬉々は我関せずといった態度で黙々と本を読んでいる。

嬉々はちらりとこちらを一瞥して、すぐに本へ視線を戻した。



「口も愛想も悪いけどいい子だよ」

「自分のことを棚に上げてよく言えたものだな」

「ふふ、じゃあ自分で自己紹介しなよ」



人のいい笑みを浮かべそう言った芽に、嬉々は苛立たしげに舌打ちをした。

ガシガシと頭を搔くとひとつ息を吐いて睨むようにこちらを見た。



「……玉富嬉々だ宜しくやるつもりは無い」

「仲良くしてね、だって」

「お前の頭はお花畑か除草剤ぶち撒いて欲しいなら先にそう言え」


隣の宙一があひゃひゃと妙な笑い方で笑い転げる。嬉々が本の角で宙一を殴った。どんがらがっしゃんと椅子ごと倒れて、それでもなお笑い続ける。




禄輪のオッサン、なんでこんな所に行けって言ったの。




心の底から「帰りたい」と願ったのは生まれて初めてだ。





生まれて初めての学校生活は思った以上に退屈で、決まりも多くて面倒だった。


それに加えて入学してからもう二週間はすぎたと言うのに、廊下ですれ違う度に他学年からの視線がうるさい。

閉鎖的なこの学校で編入生は珍しく、なおかつ自分が神々廻芽の兄弟────呪しか持ち合わせない呪われた弟なのが理由なのだろう。

遠巻きに見られることも、影でヒソヒソと噂されることも慣れている。生活する場所が変わったからと言って、自分に対する周りの視線も変わるなんて期待はしていない。


どうせここでも同じ、そう思っていたはずなのに────。



「なあなあ芽、数学の宿題見せて〜」


背後からおぶさるようにのしかかるその男は、甘える猫のように擦り寄った。

人との距離感を知らないのかと疑いたくなる。


「なんだよ芽、ちょっと今日冷たくね? 薫みたいだぞ〜」


最初は無視していたけれど、そろそろ頭にきた。



「……よく本人の前で悪口言えるねお前」

「本人? あれ、もしかして」



ガラガラと教室の前の扉が開いて、芽が入ってきた。


「おはよ、朝から元気だね二人とも」


そう言って右端の自分の席に着く。

宙一は目を見開いた。



「うわっ、また間違えた! お前薫か!」

「何、また俺と薫間違えたの宙一」

「いやだって、マジでお前らそっくり過ぎなんだもん! ドッペルゲンガーかよ!」




似過ぎなお前らが悪い、と開き直った宙一は「とりあえず薫でもいいから宿題みせて!」と瞳を潤ませて顔の前で手を合わせる。

ふいと顔を背けると「薄情者ーッ!」と肩を揺すられた。



背丈が自分よりも少し高くなり声が低くなったこと、昔よりも少し落ち着きが出たこと以外、芽は前と変わらなかった。学校生活や寮生活のことは積極的に教えてくれるし、休み時間も話しかけてくる。ただ芽はたまに、とても困ったように笑うようになった。

嬉々は初日から相変わらずで必要な時以外は一切話しかけてこず自ら会話にも混ざってくることもない。休み時間は殆ど本を読んで過ごし、たまにノートに何かを書き込んでいる姿を見た。

一番厄介なクラスメイト諏訪宙一はというと、二週間もすぎたと言うのに未だ自分たち双子の見分けがつかず、一日二三回はこうして間違えてくる。間違えたからと言って悪びれる様子もなく、むしろ開き直るくらい図々しい。


それなら他の学年のように遠巻きにして見られた方がまだマシだと思うほど、いつでもどこでも宙一は騒がしかった。



「薫、宙一、嬉々。そろそろ清掃行こ。遅れたらまた斎賀先生の拳骨だよ」

「ゲッ、まだ数学写せてないのに! 芽〜、薫が意地悪する〜!」

「宿題は自分でやるものだよ。俺に甘えても意味ないからね」

「……チッ、使えねぇな」

「お、喧嘩する? 喜んで買うよ」



そういえば昔も些細なことでよく喧嘩していたなと思い出す。人当たりがいいくせに、昔から自分よりも喧嘩っ早かった。




結局最後は芽が折れて、その晩に金平糖を持って泣きながら謝りに来る流れが多かった。

この馬鹿みたいに能天気な宙一を中心に、教室はいつも煩かった。


早く帰りたい思う気持ちは、初日と変わらずずっとある。









「────おーい、めぐ……薫! 次振替授業で詞表現基礎だから演習場だぞ」


その日の三限目の終わり、頬杖をついてぼうっと黒板を見上げていたら、宙一が顔を覗き込んできた。

一瞥して溜息をつき視線を逸らす。



「あっ、今俺の顔みて溜息つきやがったな!? シツレーな奴!」

「宙一、置いてくよ」

「待てよ芽! 薫が誘ってんのに無視する!」



ジタバタとその場で足踏みした宙一に芽は困ったように笑う。



「薫は次自習だよ。ほら……次実習系の授業だし」

「あ、そっか。悪ぃ薫! じゃ、また後でな!」



ドタバタと教室を出ていったその後ろ姿をみらりと見れば、不安そうな表情を浮かべてこちらを見つめる芽と目が合う。



「……早く行けば」

「……うん」



また困ったように笑った芽は、名残惜しそうに教室を後にした。





編入する前に禄輪からいくつか制約を聞かされた。

その中の一つに、神修在学期間中は実習系の授業に参加してはいけない、というものがあった。それはもちろん自分の言霊の力が呪に偏っていることが理由だ。

禄輪の元で稽古したとはいえ、完璧に調節ができるようになった訳ではない。呪が暴走してしまった際に周りの生徒に危害が及ばないための措置なのだろう。


禄輪はその措置に納得がいっていないようだったけれど、必要な祝詞は禄輪から習っているし、長期休暇で帰った際は遅れた分の稽古をつけてもらうことになっている。

何も望んでいないし期待もしていない、不便もない。なんの問題もない。


俺自身がそう思っているのに、どうして禄輪のオッサンや芽が気に病むんだろうか。



禄輪も芽も昔からそういう所があった。未だによく分からない。


自分の事じゃない、他人事のはずなのに。他人事なら放っておけばいいのに。




四限目が始まる鐘が鳴り響き机につっ伏した。




二学期にひと月遅れで編入したのもあって、あっという間に二学期が終わり、薫は二週間の冬休みを禄輪のもとで過ごした。芽はというと実家に帰っている。

修業祭のあと、帰りの車の中でまた困ったように笑った芽に「一緒に帰らない?」と誘われたが断った。

帰ったところで居場所は無いし、喜んでくれる人も会いたいと思う人もいない。

それよりも禄輪のもとで、参加出来なかった授業の遅れを補うために稽古をつけてもらう方がよっぽどいい。



一年で一番忙しい大晦日と元旦を宿題をしたり自主練をしながら過ごしていると、忙しさで若干やつれた禄輪が三箇日が終わった頃に部屋に顔を出した。


「すまん薫、待たせたな。やっと落ち着いた」


疲れた顔で座った禄輪。


「別に忙しいの分かってるし。明日からでもいいよ稽古。今日は休んだら?」

「薫……お前大人になったなぁ……学校で同級生に良い刺激を貰ってるんだな」

「……断じて良い刺激ではない」

「ははっ、楽しそうでなによりだよ。そうだ、これ。お前宛に届いてたぞ」



そう言って懐から手のひらサイズの葉書を取り出した禄輪は薫に手渡した。



【あけましておめでとうございます。寒い日が続いてるけど、元気にしてますか。禄輪さんにもよろしくお伝えください。また学校で】

達筆でお手本のような丁寧な字は芽のものだ。


【やっほー薫! あけおめことよろ! 冬休みはどっか遊びに行った? お土産期待してま〜す! あと休み明けに宿題写させて〜】

読みにくい汚い字に文面ですら軽薄さを感じるのは間違いなく宙一だろう。


【謹賀新年 素晴らしい一年でありますよう心からお祈りいたします。今年もよろしくお願いいたします。】

手書きではなく印刷された既製品で、玉富嬉々という名前だけが手書きだった。間違いなく嫌々かついでに送ってきたのだと分かる。




三者三様の個性の出た年賀状だった。


「もう友達できたんだな。薫は送ったのか?」

「……送ってない」

「そりゃいかんな。後で持ってきてあげるから、書いて出しなさい。じゃあ稽古始めるか」


立ち上がった禄輪にバレないように溜息を零すと年賀状を引き出しの奥にしまった。