あの日に邂逅を果たしてから、俺と片桐翡翠は、月に2度程、あの船で写真を撮るようになった。
 
 待ち合わせはいつも、ゆりかもめの汐留駅だった。そこからゆりかもめに乗って、俺達はいろいろなところへ行った。

 一緒に写真を撮り始めてから、気がついたことがある。それは、場所によって、集まる人種が違うということだった。

 制服を着た高校生のグループや、大学生のカップルが多いのは、ベンチが多くて綺麗な景色が見られる場所。池にかかった趣深い橋の上には、ギターケースを背負ったミニスカートのJK、手を繋いだ年配の夫婦や、寄り添いあう大人のカップル。大きな石がある公園の入り口には、待ち合わせ場所だからか特にいろいろなひとたちがいた。それぞれが、それぞれの幸せを楽しんでいた。

 もちろん俺達も、時には制服にリュックサックのまま、時にはパーカーを着込んで、そうしておそろいのカメラを首からぶら下げて、走り回っていた。

 それは、雪のかけらが桜の花びらになってからも、3年生になりクラス替えがあってからも、続いていた。

 学校で会話することは無かったけれど、俺の名前より先に片桐の名前を見つけて、それから少し下に行ったところに俺の名前を見つけて、僅かにほっとした事は、俺だけの秘密だ。

 学校を終えて、放課後。今日も俺たちは、船に乗っていた。

 梅雨前の若干湿ったぬるい風が、俺達の髪を撫でるように流れていく。もう、6月だった。

 学校でも、受験、なんて単語が耳を掠める機会が増えて、何となく、勉強しなくては、と思うことも増えていた。そんな時期なのにこうして遊んでいていいのか、と思う自分もいるけれど、片桐を理由にして俺は写真を撮ることを続けていた。

 片桐も、何も言わずに月に2回、この場所で俺と一緒に写真を撮っている。まぁ、片桐は頭いいからな、そんなことを考えながら片桐の横顔に目をやった。

 相変わらず、色素の薄い綺麗な横顔だった。片桐は何故だか黒のジャケットを着ていた。俺なんか、もう白の半そでシャツ一枚だというのに。暑くないのだろうか。

 片桐翡翠という人間は、とても不思議だった。俺の機嫌をすぐに見抜いてしまうほどには大人であり、けれどうまくいかないと黙ってしまうくらいには子どもでもあり、寡黙なくせにとても色彩豊かな人だった。俺にはない世界を彼は見ていたのかもしれない。

 本当のところはどうだかなんて分からないけれど、ただ一つはっきりしていることは、俺と片桐は酷く感性が似ている、ということだった。一緒に写真を撮れば、大抵同じ場所でシャッターを切る。シャッター音が被った回数なんてのは、もう数えきれない。けれど、俺達の撮った写真は、色味も雰囲気もかなり違っていた。



「片桐は何でそんな綺麗な色で写真を撮れるんだ?」



 俺と片桐のカメラは、奇しくも同じ種類のもので、色違いなだけだった。色彩設定やホワイトバランス、絞りなどの設定を同じにすれば、同じ写真が撮れるんじゃないか、などと安易に思った俺は、片桐に尋ねた。



「そんなこと、ないよ? 僕には菅野君の撮った写真の方が、綺麗に見える」



 その言葉に、ドクン、と心臓が大きく飛び跳ねた。そうして気づく。
 俺は、今まで誰かに俺の写真を褒めてもらったことなどなかったのだと。

 うわ、何だこれ。くすぐったくて、恥ずかしくて、でも、嬉しくて。

 目を何度か瞬いて、如何にか気持ちを落ち着かせようとする。それでも、口元に灯る笑みは誤魔化しきれない。



「嘘つけ、お世辞なんていらねぇんだけど」

「本当だってば。なんでそんな風に世界を切り取れるのか、僕が教えて欲しいくらい」



 天邪鬼な俺に、片桐はにこりと笑ってそう言った。その笑みが、酷く美しくて、俺はパッと俯いた。

 反射で俯いたものだから、何かして誤魔化さなければと今撮ったばかりの写真を表示させる。

 不思議だ。さっきまではどんな工夫をしても物足りなく見えていたというのに、片桐に褒められただけで、俺の切り取った世界が鮮やかに色づいて見える。まるで、水彩絵の具をちりばめたような、そんな色彩。

 ああ、俺の世界は、こんなにも美しかったんだ、と。

 そう思えたのは、いつぶりだろう。そんなことを考えている俺に向かって、カメラのシャッター音がした。



「……いい顔」



 カメラ越しににやりと笑った片桐は、俺に向かったまま、もう一度シャッターを切る。



「盗撮すんなよ!」

「ちょっとくらい、いいじゃん」

「こっちも撮るからな!?」



“            ”



 カメラのシャッター音が二つ、世界に響いた。

 そうして、俺は思う。

 これが、これこそが、俺の『青春』なのではないか、と。
 今までの俺は、好きなものを好きだと言えずにただ押し込んで、自分を騙して『青春』というものを身に纏っていたつもりだった。周りに同調して、自分を犠牲にして、その結果得た「男子高校生としての平凡」を『青春』と名付けていた。

 でも、それは間違っていたのかもしれない。
 今まで『青春』だと思っていたものは『青春』ではなかった?



「片桐」

「何?」

「俺、あの雪の日、この船の上でお前と出逢えてよかったよ」



 いつもだったら、恥ずかしくてこんな言葉、決して言えない。けれど、今の俺は、不思議な高揚感に囚われていたし、様子を見る限り、きっと片桐もそうだと思った。



「僕のほうこそ」



 俺のこっぱずかしい台詞に対してそう言った片桐は、その瞳を三日月形に弛めて大きく笑った。