目を閉じた。ザァ、と水が流れる音がした。

 俺の右手には、ずしりと重厚感のある空っぽの無機物が乗っている。まるで張り付いてしまったみたいに強張る指をこじ開けるように、ゆっくりと開いていく。

 小指、薬指、中指……突然右手が軽くなる。そうして束の間、ぼちゃん、と重たい水の音がした。

 正真正銘の空っぽが手の上にへばりついていた。

 閉じていた瞼を開けばそこには、相も変わらずただ、薄汚れた空気だけが、俺を取り巻いている。



 ああ、これで、約束を守れた。

 なのに、どうして。
 何故、お前は消えてくれない?
 吐き出す煙に紛れて、どっかに消えてくれねぇかな。

 そんなことを思いながら、はぁ、と憂鬱を吐き出した、刹那。



「——……やっと、逢えた」



 耳朶を揺らした、柔らかな声。
 優しくて、そうして、俺が待ち望んでいた、その声の輪郭。

 火花が散ったような感覚。
 大きく鳴った心臓に押されるように、振り返った。



 “        ”



 カメラのシャッター音が、聴覚を支配した。
 俺の中の気体が全部、口から一瞬で零れ出た気がした。

 これは、夢だ。
 そうでなければ、どうして。



 “久しぶり”



 どうして——……目の前で、お前が、笑っているというんだ。

 その緑青の硝子みたいな瞳を三日月形に弛めて、柔らかく笑うその姿から、目を離せなくなった。

 酷く精巧で、リアルな夢だな、と脳裏の片隅でそう思った。

 俺たちを包み込むのは、白い、白い世界。
 それはまるで、写真の中みたいで。

 お前、前に言ってたよな。



「写真っていうのはさ、時を止めて保存する魔法だよ」

 だから、切り取られた景色は、ずっと消えないよ。



 今よりも、もっと純粋な笑顔でそう言ったよな。

 本当に、時間が止まっていくみたいだ。ここが、写真の中だったらいいのに。

 でも、お前の望みは、違うんだよな。

 最期に言葉を交わした時のことが脳裏に浮かぶ。そうして、その後、脳裏に木霊するのはお前の声で再生されたあの約束。



「          」



 俺はさ、お前との約束を守ろうとしてるんだよ。

 なのに、何で。
 何でお前は、それを、また俺に見せるんだ?




 ギリ、と奥歯から音がした。

 俺たちを繋いだ、たったひとつの、すべて。

 それはお前の両の手に支えられて、嫌になるほどちゃんと、そこに在る。

 たった今、俺の指の隙間から落ちていった、そうして、お前の瞳となって音を鳴らした、俺たちの夢の箱。

 『青春』の煌めきと未来への希望が詰め込まれた、儚くて美しい色とりどりの思い出。



 ————……ああ、俺は、あの約束に今も縛り付けられている。