「蒼汰? なんでここに?」

 車で待ってるって言ってたのに……。

「ごめんアリサ。朝比奈さんがどういう状況か予想できたからきちゃった」

 蒼汰はそう言ってニッコリと笑って見せた。
 
「私を笑いに来たの?」

 朝比奈さんはベッドの上で胡坐をかき、人目も憚らずワインをビンごと口に咥える。
 酔いと羞恥が混ざりあい、自暴自棄気味だった態度に磨きがかかる。
 彼女からしたら、この状況は好ましくないだろう。

「そんなはずないだろう?」
「じゃあ何しに来たのよ」
「話を聞きに。いろいろと溜まってるんだろう? 俺が聞かないでどうする」
「それそれ。その優しさが憎いのよ」

 朝比奈さんは蒼汰を睨む。
 単純な憎しみではない。
 愛憎入り乱れた複雑な視線。
 
「悪いな。女性に優しいのは(さが)なんだ。許してくれ」

 言葉とは裏腹に、一切悪びれずに言い切った。
 言われた朝比奈さん本人も、側で聞いていた私も、彼があまりにあっさりと彼女の恨み節を躱すので目が点になる。
 
 一体どうしたのだろう?
 あんなキザな台詞を吐けるような男だっけ?
 
「そのふざけた言い回しも昔から変わらないわね。私がヤケ酒に走ると、いつもそうやって茶化しにくるんだから」

 驚きっぱなしの私とは裏腹に、朝比奈さんはクスクスと笑い出す。
 
「当たり前だろ? 一体何年の付き合いだと思ってるんだ?」

 蒼汰はそう言って歩き出す。
 彼と朝比奈さんのあいだには私が立っているが、彼は目で合図をしてとなりを通り過ぎる。

「ちょっとだけ我慢してね。これで終わらせるから」

 彼はすれ違いざま、耳元で囁いた。
 私がその言葉の意味を完全に理解しきる前に、彼は私の背後へと進んでいく。
 
「蒼汰……ごめんなさい」

 背後から聞こえてきた朝比奈さんの声は、いつもの彼女の声だった。
 酒で酔いつぶれているわけでも、ヤケになって自暴自棄になっているわけでもない。
 いつもの冷静な彼女の声。

「一体何を……」

 私はそう言って振り向き、後悔した。
 見なければよかったと思った。

 振り向いた先では、蒼汰と朝比奈さんが抱き合っていたのだ。
 蒼汰の背中が私に向けられ、朝比奈さんの申し訳なさそうな表情が私に向けられる。
 私はつい目を瞑ってしまう。
 なんだか見てはいけない気がした。

「これが最後だよ朝比奈さん。なんでも言いたいことを言ってくれ」

 蒼汰の声がする。
 目を瞑っているせいか、より声が大きく聞こえた。

「私はずっと君が好きだった。ひたむきに頑張る姿、一人の女性を想い続けて邁進する君の姿に惚れてしまった。アリサさんが亡くなって落ち込んでいる姿、AIを使った彼女の再生を思いついた時の姿、そのどれもが私の中に降り積もり、恋心となった。そして毒にもなった。永遠に叶わないはずの恋。叶えてはならない恋。ずっと我慢してきた、ずっと言えなかった」

 私は恐る恐る目を開けた。
 なぜなら彼女の声が震えていたから。
 私が目を開けた時には、朝比奈さんは顔を彼の胸に押しつけていた。
 
 なんだろうこの気持ち。
 彼女の気持ちは知っていたはずなのに、こうして言葉にして聞くと複雑な気持ちになる。
 蒼汰は私を選ぶだろう。
 それは分かっているのに、どうにも胸の内がモヤモヤした。

「うん、全部知ってる。全部知ってて利用した。だから悪いのは俺なんだ。アリサをこの世に再び呼び戻すために、俺は朝比奈さんの気持ちを利用したんだ。最低だろう?」

 蒼汰は利用という単語を口にした。
 私には分かる。
 わざとだ。わざと嫌われるような言葉を使っている。

「そうやって私の気持ち区切りをつけさせようとしてくれるところも嫌い」
「分かってるさ。でもこうしないといけない時が来たんだ」

 蒼汰はそう言って朝比奈さんの耳元に唇を近づける。
 
「君が俺をどう思っても、それは君の自由だ。だけど俺はどんなことになってもアリサを選ぶ。だからこれで最後だ。最低の男だと罵ってもらってもかまわない。これ以上アリサに嫌な思いをして欲しくない」

 蒼汰の声はとても小さかった。
 たぶん私には聞かせたくなかったのだろうが、残念ながらこの高性能な耳はそんな彼の声を拾ってしまった。
 こんな高性能な体を作った朝比奈さんを恨んでほしい。
 
 私は蒼汰の決意を聞いて胸が暖かくなる。
 気がつけば胸の内のモヤモヤは晴れて消え去っていた。

「本当にズルい男よね」
「ああ。ズルくて最低の男だ」

 そう言って二人は体を離す。
 蒼汰はベッドから離れ、私の隣に並ぶ。

「アリサさん、蒼汰、あらためてごめんなさい。私は自分の気持ちに嘘をつけなかった。二人の好意に甘えてしまった」

「私はもう大丈夫です。どっちかといえばこの男が最低なだけですから」
「手厳しいな~」

 蒼汰が苦笑いを浮かべる。
 世間一般から見たら、きっと蒼汰は最低な男なのだろう。
 だけど私と朝比奈さんにとってはそうではない。
 かけがえのない存在なのだ。

「もし朝比奈さんが嫌じゃなかったら、これからも私たちとの関係を続けてくれませんか?」
「良いの?」
「ダメだったらこんな提案しません」

 朝比奈さんはやや驚いた様子で目を丸くする。
 きっと今日でお別れだと思っていたのだろう。
 
 ちょっと複雑だが、彼女が蒼汰に手を出さないのであれば、彼女は私にとっての貴重な理解者となる。
 せっかくの繋がり。
 彼女という色を私は手放したくなかった。

「アリサが良いなら構わないさ」

 最後に蒼汰がそう言って踵を返す。
 
「今度は家に遊びに来い」

 蒼汰は私の肩を抱き、それだけ言い残して廊下に出る。
 突然肩を抱かれた私は、無いはずの心臓が跳ね上がった気がした。

 私たちはそのまま無言で朝比奈邸を出て、車に乗り込んだ。
 家に帰る途中、私は朝比奈さんのある言葉を思い出していた。
 彼女はこう言っていた「私はどうすれば愛されるの?」と。
 あれはどういう意味だろう?
 単純に、蒼汰に愛されるかどうかの話ではない気がした。
 もっと奥深いなにか……。

「そういえば彼女の家、物凄い豪邸だろう?」
「うん。あれって自分で建てたの?」
「いやいやまさか。あれは彼女の実家だよ」

 あれが実家?
 彼女はどこぞのお嬢様なのか。

「彼女のお父さんは政界の偉い人だったんだ。母親はその秘書をやっていた。両親とも忙しくて、ほとんど家に帰ってこなかったらしい。だから彼女はあの豪邸にいつも一人だった」

 なるほど納得がいく。
 彼女の「私はどうすれば愛されるの?」という言葉は、きっと幼少期の想いがつい口から出たものだったのだろう。
 しかし彼は説明の中で”だった”と言った。
 つまり彼女の両親は……。

「朝比奈さんのご両親はどうしてるの?」
「さあね」
「どういうこと?」
「行方不明のままなんだよ。十年前ぐらいかな? 趣味の登山に出かけたっきり帰ってこなくなった」
 
 十年前に山で遭難していて、生きている可能性は限りなく低いだろう。
 そっか、朝比奈さんはあの無駄に広い豪邸でずっと一人……。

「私、たまには遊びに行こうかな」
「是非ともそうしてやってくれ。俺としても二人が仲良くなってくれるなら嬉しいからね」

 私は蒼汰の願いを聞きながら、バックミラー越しに遠ざかっていく朝比奈邸を、ぼんやりと眺めていた。