インターホンを押すと、やや弱ったトーンの朝比奈さんの声がして、ドアの鍵が開けられた。
「お邪魔します」
私はドアを開けて中に入る。
ドアの先には壁に寄りかかった状態の朝比奈さんが立っていた。
紫のネグリジェ姿で、元々あった色気にさらに磨きがかかっている。
内心、蒼汰を連れてこなくて良かったと思いつつ、異様に広い玄関で靴を脱ぎ、用意されていたスリッパに足を通す。
「何の用かしら?」
朝比奈さんの目はやや赤く腫れていた。
「突然お邪魔しちゃってすみません。どうしても今朝の答えを聞きたくて」
私は正直に告げた。
理由を聞いた朝比奈さんは一度大きくため息をつき、黙って手招きをして廊下を歩いていく。
その足取りはどこか覚束ない。
寝起きなのかお酒を飲み過ぎたのか、それとも両方なのか。
廊下の左右には絵画がいくつも飾られていて、それらを金のランプが怪しく照らし出す。
普通の蛍光灯の明かりではなく、やや古いオレンジ色の明かりが廊下の奥まで続く。
そんなお洒落な廊下をゆらゆらと歩く朝比奈さんは、やはりお酒を飲んでいるようだった。
彼女の後を歩くと、アルコールの香りがする。
私は私で悩んでいたように、彼女は彼女でいろいろ考えることがあるのだろう。
お酒に逃げたくなるほどに……。
「入って」
朝比奈さんは廊下の右手にある部屋のドアを開ける。
彼女に続いて部屋に入ると、そこは寝室だった。
部屋の中央には、まるでどこぞのお姫様かのような天蓋付きベッドが鎮座する。
そしてベッド脇の丸テーブルの上には、彼女の足取りをフラフラにしたワインがビンごと置かれている。
グラスが見当たらないことから、彼女はそのまま飲んでいたことになる。
「ここが朝比奈さんの寝室?」
「そうよ」
「なぜここに?」
「それはね……」
朝比奈さんの言葉が途切れたかと思うと、背後から急に体が押された。
「キャ!」
「静かに」
ベッドにうつぶせに倒れた私の背中に、火照った柔らかい感触が擦りつけられる。
決して重くはないが、むせかえるような香水とワインの香りにクラクラする。
どうやら私は朝比奈さんに押し倒されたらしい。
男ならこの一連の流れで理性など吹き飛んでしまうだろうが、私はただただ恐怖した。
初めて人間相手に怖いと思った。
異質な怖さだ。
「仰向けになって」
朝比奈さんは震える私の耳元で囁く。
ゾクりとするような、色っぽい声色。
まるで男を誘惑するように、ねっとりとした声だった。
「聞こえなかったの?」
「……いえ」
私は恐る恐る仰向けになった。
少し体を浮かせた朝比奈さんは、右手で私の顔をつかむ。
痛みはない。
ゆっくり品定めするように、優しく撫でてくる。
「この顔ね……蒼汰はこういうのがタイプなのよね」
朝比奈さんは完全に酔っているのか、独り言のように何度も同じセリフを繰り返す。
彼女のやや透け感のあるネグリジェ越しに、肉感的な肢体が視界に飛びこんでくる。
「私はどうすれば愛されるの?」
もう何分経っただろう?
私の顔から始まって全身をくまなくまさぐられた後、彼女は突然正気に戻ったように呟く。
その声はやや湿っていた。
私は少し乱暴に上に乗る彼女を押しのけ、距離をとる。
ようやく解放された私は、部屋を見渡す余裕ができた。
間接照明に照らされた妖艶な寝室は、アロマの香りに満たされ寝心地は良さそうだった。
しかしやや怖いものを見てしまった。
私が天井に視線を向けた時、天蓋に何枚もの写真が貼られていた。
「これって……蒼汰?」
「ええ、そうよ」
私の呟きに、朝比奈さんは静かに答えた。
ベッドの天蓋いっぱいに、十数枚の蒼汰の写真が貼られていたのだ。
どれもここ最近のものではない。
一番古い写真なんて、きっと蒼汰は二十代前半ぐらいだろう。
その写真を見て思い至った。
彼女がどれだけ長い年月彼を愛していたのかを。
絶対に手に入らない恋をしながら、恋敵となる私を制作していたのだ。
愛する彼と共に……。
ああ……なんて惨い。
それなのに彼女は今朝、私に謝ったのだ。
どれだけ自分を抑え込んでいたのだろう?
血の涙を流しながら、私たちを見ていたに違いないのだ。
「朝比奈さん……落ち着きました?」
「乱暴してごめんなさい。私、帰って来てから寝たりワイン飲んだりを繰り返していたの。だから電話にも気づかなかった」
色っぽい格好とは裏腹に、泣き腫らした彼女の顔はせっかくの美貌を台無しにしてしまっている。
しかしどうして彼女は、ここまで蒼汰にある意味依存してしまったのだろう?
「さっきのは……?」
「ちょっと正気じゃなかったの。貴女を見ていたら、溢れる気持ちが抑えられなくなってしまって」
彼女はさっき「私はどうすれば愛されるの?」と言っていた。
その答えが私の造形にあると心のどこかで思っていたのだろう。
でもそれはもういい。
問題は上にある。
「蒼汰の写真は一体なんなの?」
「これはずっと私が隠し撮りしてコレクションしていたものよ。これが無いと眠れないの」
問題はこっち。
彼女の蒼汰依存は重症だ。
蒼汰の私に対するそれより強いかもしれない。
でもおかげで理解できた。
雑木林の中での最後の問答の時、どうして彼女は答えなかったのか。
彼女の中で、蒼汰への想いだけは誤魔化すことのできない本物だった。
だから彼を諦めるという誓いをたてることができなかった。
だけれど彼を愛しているからこそ、いまの幸せそうな彼の日常を壊したくないとも思っているに違いない。
なにせ蒼汰にとっては十年ぶりに叶った生活だ。
それを誰より近くで見てきて、誰よりもその想いの強さを知っているからこそ、彼女はいま板挟みになって苦しんでいる。
自分の気持ちと蒼汰の願い。
優劣つけ難い感情に挟まれていた。
「後は俺が聞こう」
寝室の入り口から声が聞こえた。
振り向くとそこには、腕組をした蒼汰が立っていた。
「お邪魔します」
私はドアを開けて中に入る。
ドアの先には壁に寄りかかった状態の朝比奈さんが立っていた。
紫のネグリジェ姿で、元々あった色気にさらに磨きがかかっている。
内心、蒼汰を連れてこなくて良かったと思いつつ、異様に広い玄関で靴を脱ぎ、用意されていたスリッパに足を通す。
「何の用かしら?」
朝比奈さんの目はやや赤く腫れていた。
「突然お邪魔しちゃってすみません。どうしても今朝の答えを聞きたくて」
私は正直に告げた。
理由を聞いた朝比奈さんは一度大きくため息をつき、黙って手招きをして廊下を歩いていく。
その足取りはどこか覚束ない。
寝起きなのかお酒を飲み過ぎたのか、それとも両方なのか。
廊下の左右には絵画がいくつも飾られていて、それらを金のランプが怪しく照らし出す。
普通の蛍光灯の明かりではなく、やや古いオレンジ色の明かりが廊下の奥まで続く。
そんなお洒落な廊下をゆらゆらと歩く朝比奈さんは、やはりお酒を飲んでいるようだった。
彼女の後を歩くと、アルコールの香りがする。
私は私で悩んでいたように、彼女は彼女でいろいろ考えることがあるのだろう。
お酒に逃げたくなるほどに……。
「入って」
朝比奈さんは廊下の右手にある部屋のドアを開ける。
彼女に続いて部屋に入ると、そこは寝室だった。
部屋の中央には、まるでどこぞのお姫様かのような天蓋付きベッドが鎮座する。
そしてベッド脇の丸テーブルの上には、彼女の足取りをフラフラにしたワインがビンごと置かれている。
グラスが見当たらないことから、彼女はそのまま飲んでいたことになる。
「ここが朝比奈さんの寝室?」
「そうよ」
「なぜここに?」
「それはね……」
朝比奈さんの言葉が途切れたかと思うと、背後から急に体が押された。
「キャ!」
「静かに」
ベッドにうつぶせに倒れた私の背中に、火照った柔らかい感触が擦りつけられる。
決して重くはないが、むせかえるような香水とワインの香りにクラクラする。
どうやら私は朝比奈さんに押し倒されたらしい。
男ならこの一連の流れで理性など吹き飛んでしまうだろうが、私はただただ恐怖した。
初めて人間相手に怖いと思った。
異質な怖さだ。
「仰向けになって」
朝比奈さんは震える私の耳元で囁く。
ゾクりとするような、色っぽい声色。
まるで男を誘惑するように、ねっとりとした声だった。
「聞こえなかったの?」
「……いえ」
私は恐る恐る仰向けになった。
少し体を浮かせた朝比奈さんは、右手で私の顔をつかむ。
痛みはない。
ゆっくり品定めするように、優しく撫でてくる。
「この顔ね……蒼汰はこういうのがタイプなのよね」
朝比奈さんは完全に酔っているのか、独り言のように何度も同じセリフを繰り返す。
彼女のやや透け感のあるネグリジェ越しに、肉感的な肢体が視界に飛びこんでくる。
「私はどうすれば愛されるの?」
もう何分経っただろう?
私の顔から始まって全身をくまなくまさぐられた後、彼女は突然正気に戻ったように呟く。
その声はやや湿っていた。
私は少し乱暴に上に乗る彼女を押しのけ、距離をとる。
ようやく解放された私は、部屋を見渡す余裕ができた。
間接照明に照らされた妖艶な寝室は、アロマの香りに満たされ寝心地は良さそうだった。
しかしやや怖いものを見てしまった。
私が天井に視線を向けた時、天蓋に何枚もの写真が貼られていた。
「これって……蒼汰?」
「ええ、そうよ」
私の呟きに、朝比奈さんは静かに答えた。
ベッドの天蓋いっぱいに、十数枚の蒼汰の写真が貼られていたのだ。
どれもここ最近のものではない。
一番古い写真なんて、きっと蒼汰は二十代前半ぐらいだろう。
その写真を見て思い至った。
彼女がどれだけ長い年月彼を愛していたのかを。
絶対に手に入らない恋をしながら、恋敵となる私を制作していたのだ。
愛する彼と共に……。
ああ……なんて惨い。
それなのに彼女は今朝、私に謝ったのだ。
どれだけ自分を抑え込んでいたのだろう?
血の涙を流しながら、私たちを見ていたに違いないのだ。
「朝比奈さん……落ち着きました?」
「乱暴してごめんなさい。私、帰って来てから寝たりワイン飲んだりを繰り返していたの。だから電話にも気づかなかった」
色っぽい格好とは裏腹に、泣き腫らした彼女の顔はせっかくの美貌を台無しにしてしまっている。
しかしどうして彼女は、ここまで蒼汰にある意味依存してしまったのだろう?
「さっきのは……?」
「ちょっと正気じゃなかったの。貴女を見ていたら、溢れる気持ちが抑えられなくなってしまって」
彼女はさっき「私はどうすれば愛されるの?」と言っていた。
その答えが私の造形にあると心のどこかで思っていたのだろう。
でもそれはもういい。
問題は上にある。
「蒼汰の写真は一体なんなの?」
「これはずっと私が隠し撮りしてコレクションしていたものよ。これが無いと眠れないの」
問題はこっち。
彼女の蒼汰依存は重症だ。
蒼汰の私に対するそれより強いかもしれない。
でもおかげで理解できた。
雑木林の中での最後の問答の時、どうして彼女は答えなかったのか。
彼女の中で、蒼汰への想いだけは誤魔化すことのできない本物だった。
だから彼を諦めるという誓いをたてることができなかった。
だけれど彼を愛しているからこそ、いまの幸せそうな彼の日常を壊したくないとも思っているに違いない。
なにせ蒼汰にとっては十年ぶりに叶った生活だ。
それを誰より近くで見てきて、誰よりもその想いの強さを知っているからこそ、彼女はいま板挟みになって苦しんでいる。
自分の気持ちと蒼汰の願い。
優劣つけ難い感情に挟まれていた。
「後は俺が聞こう」
寝室の入り口から声が聞こえた。
振り向くとそこには、腕組をした蒼汰が立っていた。