朝比奈さんとの密会を終えてから一週間後の朝、私の携帯がけたたましく鳴る。
 画面を見ると朱里からだった。

「もしもし」

 私は恐る恐る電話に出た。
 時刻は朝八時。いままで彼女からこんな朝早くに電話が来たことなどなかったのだ。
 
「朱里が!?」 

 電話の主は朱里ではなかった。
 電話口の声は落ち着いた女性の声で、どうやら近くの青山病院の看護師らしく、今朝、朱里が救急車で運ばれてきたようだった。

「朱里は無事なんですか?」
「はい、命に別条はありません」
「でも、どうして私に?」
「申し訳ありません。獅子堂さんにご家族がいらっしゃらないようでしたので、連絡先が唯一登録してあったこちらにお電話させていただきました。アリサさんでお間違いないでしょうか?」
「そうです! いまから伺っても?」
「是非いらしてください」

 私は急いで準備する。
 季節は秋、そろそろ冷えてくる頃だ。
 ちょっとは厚着していかないと……。

「アリサ、どうしたんだ?」
「朱里が病院に運ばれたみたいで……」
「分かった、車を出す」

 蒼汰は私の一言で全てを察し、上着を羽織って車のキーをポケットに流し込む。
 私たちは急いで車に乗り込み、病院へ向かった。



「ここか?」
「うん」

 車を降りた蒼汰が青山病院を見上げる。
 
「どうしたの?」
「ごめん。なんでもない」

 蒼汰の態度を不思議に思いながらも、私は彼をおいて朱里の病室に急ぐ。
 受付で事情を説明し、エレベーターで五階まで上がる。
 確か病室は……あった!

 ちょうど突き当たりの病室。
 
「失礼します」

 私はドアをノックして中に入る。
 返事は待たなかった。
 
 病室は個室だった。
 朱里は窓際にあるベッドの上で横になっている。
 

「朱里?」

 一応声をかけてみる。
 返事はない。
 看護師から電話がかかってきた時点でわかっていたことだ。
 朱里の頭部には包帯が巻かれ、左腕にも包帯が巻かれていた。
 一体何があったのだろう?

 コンコン

 病室のドアがノックされ、看護師さんが入ってきた。
 看護師は四十代くらいの女性で、やや恰幅が良い。
 
「え!? えっと、貴女がアリサさん?」
「はい。そうです」

 声から今朝の電話の人だと分かった。
 しかしどうして驚くのだろう?
 もしかしてこんなに早く来るとは思っていなかったのだろうか?

「あの、私の顔に何かついてます?」

 まじまじと私の顔を凝視する彼女に尋ねる。
 なんであれ初対面の人に顔をジロジロ見られるというのはいい気がしない。
 
「あ、すみません。失礼なことを……」
「いえ、それより朱里の身に何があったんですか?」

 まずは彼女のこと。
 一体彼女に何があった?

「朱里さんは今朝六時ごろ、ランニング中に車に撥ねられて運ばれてきました。頭部を強く打ったせいか意識が戻っていませんが、命に別状はないためこちらに運ばせていただきました」

 看護師は事務的な説明をする。
 それを聞いてホッとした。
 まだ意識が戻っていないのは残念だが、とりあえず命に別条はないらしい。

「そうですか……」

 ホッとした私は力が抜けてしまい、病室の丸椅子に座る。
 
「あの一つお聞きしても?」
「良いですよ?」

 彼女は私を見た時から何か様子がおかしかった。
 私がAIだとバレてしまったのだろうか?

「アリサさんは朱里さんとどういうご関係ですか?」

 唐突に尋ねられた彼女との関係。
 まあそうか。
 彼女の連絡帳に入っていた連絡先は私だけ。
 そして駆けつけた私は見た目、二十代前半。
 ちょっと尋ねたくなるのも分かる。

「彼女の姉です」

 友達と答えようと思ったのに、姉と答えてしまった。
 ああほら、看護師さんが戸惑ってる。

「ああすみません。言葉の綾で、本当は彼女の……」
「良かった」

 私は最後まで言えなかった。
 言い切る前に、看護師さんが言葉をかぶせてくる。
 良かった?
 一体何が?

「実は彼女のご家族、全員この病院で亡くなってて……。私はここでの勤務も長いものですからその……言葉の綾でもなんでも、朱里さんに頼れる相手がいることが良かったなと思ったもので」

 そうか、ここがもっとも朱里の家から近いのだから、ここに運ばれてくるのは当たり前だ。しかも大病院。ここから移ることもない。
 だとしたら、彼女がどうして私の顔をジッと凝視していたのか予想がついた。
 彼女がここでの勤務が長くて、朱里のことを知っているなら当然……。

「あの、どうして先程私を見て驚いていたんですか?」

 一応尋ねてみる。
 きっと答えは決まっている。
 
「……少々言いにくく、失礼に当たると思いますが構いませんか?」
「ええ構いません」

 もうこの前置きで答えは言っているようなもの。

「アリサさんが、朱里さんの亡くなったお姉さんにそっくりだったんです。それになんの因果かお名前まで……」

 やっぱりそうだ。
 彼女は”アリサ”を知っている。

「そうですか……。でも、私は別人です。いなくなってしまった彼女の姉ではないんです」
「もちろん! それは分かっています。すみません失礼な話を……」
「いえ、こちらから聞いたことですし」

 看護師さんは申し訳なさそうに頭を下げ、病室を後にする。
 私は看護師を見送ると、ベッドで眠っている朱里の頬を慎重に撫でた。
 柔らかい頬。
 童顔な彼女は、眠っていると本当に子供みたい……。

「あれ?」

 私は気づけば泣いていた。
 涙が頬を伝う。
 なんの涙だろう?
 友人が車に轢かれたショック?
 それとも故人に間違われたこと?

 違う違う。
 この感情はそういうものではない。
 私は知っている。
 いま朱里に対して感じてるこの感情を私は知っている。
 感情と言うとちょっと違うかもしれないこの気持ち。
 
 そっか私……。
 本当の家族が無事なのを確認できてホッとしているんだ。
 ホッとして出てきた涙。
 私の中のアリサの思考パターンが、朱里のことを本当の妹のように認識しているのだ。
 もしかしたらアリサの思考パターンが、彼女と友人関係を構築できた理由の一つなのかもしれない。
 
「私が彼女を家族のように思うことは間違っているのかな?」

 私はこの難問を、病室の外にいる彼にぶつけた。