結局彼からは聞けずじまいだったが、私の制作においてアリサの思考パターンが入れ込まれているのは確実だ。
蒼汰にもう一度尋ねるのもいいが、前みたいに倒れられてはたまらない。
そこで私は勝手に、彼の連絡先にあったとある女性の番号に連絡をした。
前に工場の見学に行った際に会った、朝比奈さんだ。
蒼汰と一緒に活動し続けている彼女なら、答えを知っているはず。
そう思って私がメッセージを送ったところ、二人で会うのを快諾してくれたので、蒼汰に朱里に会いに行くと嘘をついて家を出る。
視界に映るのは灰色の街。
高田との会談から帰った日の夜に、約束通りシステムを解除してもらった。
これで私の視界に映るのは現実のみとなる。
私はやや色のない街を眺めながら、この街に色彩を取り戻そうと決意を新たにした。
待ち合わせ場所は朝比奈さんの指定した喫茶店。
ここから歩いて行ける距離だ。
街をこうして歩いている間にも、私は様々なものに反応する。
ちょっと背の高い男性を見れば心がときめいたり、綺麗な花を発見すればずっと見ていたくなる。
こんなのは普通の女の子なら当然の反応かもしれないが、今の私にはすべてが疑わしく思える。
私が感じているものすべてが、アリサの思考パターンの賜物なのではないかという疑念。
それがずっと頭の中に居座っている。
「ここね」
喫茶店は家から歩いて二十分。
辿り着いた喫茶店の名前はマウンテン。
いかにもその辺にありそうな名前のお店だ。
個人で経営しているような大きさで、小さめなコンビニ程度だ。
「いらっしゃいませ~」
入店するとまあまあ高齢のおじさまが席を案内してくれた。
他の店員がいないところを見るとマスターかな?
「ここで待ち合わせしてるんですけど……」
「ああ、でしたらこちらへ」
そう言ってテーブル席に案内された。
ルイボスティーはおいていないそうなので、大人しく紅茶を注文する。
紅茶が到着してから五分ほど経過した時、お店のドアが開いた。
「ごめんアリサさん」
「大丈夫ですよ」
入ってきたのは朝比奈さんだった。
彼女は蒼汰と二人三脚で、自殺防止プログラムの開発に携わっていた女性だ。
年齢は蒼汰と同じくらいだろう。
やや濃い目の化粧に胸元の開いた服、三十代前半とは思えないほど短いスカートを履いているお陰で、妙な色気をばら撒いていた。
工場で会った時とは随分印象が異なる。
「随分と印象が変わりますね」
「まあね、流石にプライベートではお洒落するよ」
朝比奈さんはクスクス笑いながら席につき、慣れた様子でコーヒーを注文した。
「そういうアリサさんこそ、随分と表情が豊かになったんじゃない? 何か変化でもあった?」
私は視線を落として自分の握りしめられた手を見る。
変化、変化か……。
どのくらいの変化を変化と呼ぶのだろう?
毎日新しいことばかりの私にとって、毎日が変化であり、不変だと思う。
私にとって大きな出来事なんて……。
「ごめんごめん。そんなに難しく考えなくてもいいのよ」
朝比奈さんは私の様子を見て焦ったように訂正する。
変な気を使わせてしまった。
「私にとっては全てが変化なんです」
これは本当だ。
ずっと部屋から出なかった私にとっては全てが新鮮で、全てが大きな変化なのだ。
いろんなものを見て、いろんな話を聞いて、いろんな人に会った。
「そう、良かった。私は心配してたの。あの部屋から出て、上手くやれてるかがね」
彼女は心配していたらしい。
それもそうか。
彼女は蒼汰と一緒に私を開発した一人。
私は彼女にとってほとんど娘みたいなもの。
「なんとかやれてますよ。蒼汰も優しいし」
彼は本当に優しい。
それは私がアリサの姿をしているから?
それとも彼は、誰にでも優しいのだろうか?
「それはそうと、今日は何の話があって連絡してきたの?」
朝比奈さんは話を切り替え、本来の目的を尋ねる。
「あの、知ってたらでいいんですけど……。私が作られる過程で、アリサの思考パターンのようなものって入れたりしてますか?」
私は緊張しつつも、しっかりと尋ねた。
いま一番知りたかったこと。
私の中ではほとんど確定だったけれど、やはり開発者の口から直接聞きたい。
「……入れてないわ。アリサの思考パターンなんて入れ込みようがないもの。彼だって否定したんじゃないかしら?」
私の予想は大きく外れた。
てっきり入れ込まれているものとばかり……。
「そうですか……。技術的に入れられないということですか?」
「そうなるわね。人間の思考パターンを情報として入れ込むのは不可能に近い」
朝比奈さんは断言した。
不可能に近いと。
つまり不可能ではない。
「聞きたかったのはこのこと?」
「はい。お時間ありがとうございました」
「良いのよ。こっちも貴女の状態が確認出来て嬉しいから」
私と朝比奈さんは同時に立ち上がり、お会計を済ませて喫茶店を出る。
「今日はわざわざありがとうございました」
「またね」
私たちは各々帰路につく。
今日一番の収穫は、朝比奈さんが百パーセント信用できる人ではないということだ。
人間だれしも絶対の信用なんてないのかもしれないが、少なくとも彼女は信用に値しない。
彼女は嘘をついた。
私がアリサの思考パターンの話を持ち出したとき、彼女の表情は嘘をつく人間のそれだった。
私の中のデータベースにある、嘘をつく人間の視線の動きと彼女の表情が適合する。
「私の中にアリサの思考パターンが入っているのは確実……だけど朝比奈さんが嘘をついた理由は分からない」
私は帰りの道すがら、思考を巡らす。
アリサが賢かったことを願おう。
そんな考えが浮かんで一人苦笑いを浮かべ、彼女の嘘の理由に思いを馳せる。
私が知っている限り、彼女が悪い人間だとは思えなかった。
まだ実際に会うのは二回目だが、それでもなんとなくそう思えたし、蒼汰が長年一緒に仕事している人だ。悪い人間だとは思いたくない。
そうなると彼女が嘘をついていた理由は一つになる。
蒼汰が知らなかったのを見ると、私のためというよりも蒼汰のための嘘である可能性が高い。
彼が自然と私のことをアリサだと思えるように?
それとも彼が知ってしまうと困ることがあるとか?
いろいろ考えるが、これ以上理由が出てこない。
もう一度尋ねたところで、彼女が素直に話すとは思えない。
これ以上は分からないのかも……。
「君も私も謎に包まれ過ぎじゃないかな?」
私は一人、虚空にぼやいた。
蒼汰にもう一度尋ねるのもいいが、前みたいに倒れられてはたまらない。
そこで私は勝手に、彼の連絡先にあったとある女性の番号に連絡をした。
前に工場の見学に行った際に会った、朝比奈さんだ。
蒼汰と一緒に活動し続けている彼女なら、答えを知っているはず。
そう思って私がメッセージを送ったところ、二人で会うのを快諾してくれたので、蒼汰に朱里に会いに行くと嘘をついて家を出る。
視界に映るのは灰色の街。
高田との会談から帰った日の夜に、約束通りシステムを解除してもらった。
これで私の視界に映るのは現実のみとなる。
私はやや色のない街を眺めながら、この街に色彩を取り戻そうと決意を新たにした。
待ち合わせ場所は朝比奈さんの指定した喫茶店。
ここから歩いて行ける距離だ。
街をこうして歩いている間にも、私は様々なものに反応する。
ちょっと背の高い男性を見れば心がときめいたり、綺麗な花を発見すればずっと見ていたくなる。
こんなのは普通の女の子なら当然の反応かもしれないが、今の私にはすべてが疑わしく思える。
私が感じているものすべてが、アリサの思考パターンの賜物なのではないかという疑念。
それがずっと頭の中に居座っている。
「ここね」
喫茶店は家から歩いて二十分。
辿り着いた喫茶店の名前はマウンテン。
いかにもその辺にありそうな名前のお店だ。
個人で経営しているような大きさで、小さめなコンビニ程度だ。
「いらっしゃいませ~」
入店するとまあまあ高齢のおじさまが席を案内してくれた。
他の店員がいないところを見るとマスターかな?
「ここで待ち合わせしてるんですけど……」
「ああ、でしたらこちらへ」
そう言ってテーブル席に案内された。
ルイボスティーはおいていないそうなので、大人しく紅茶を注文する。
紅茶が到着してから五分ほど経過した時、お店のドアが開いた。
「ごめんアリサさん」
「大丈夫ですよ」
入ってきたのは朝比奈さんだった。
彼女は蒼汰と二人三脚で、自殺防止プログラムの開発に携わっていた女性だ。
年齢は蒼汰と同じくらいだろう。
やや濃い目の化粧に胸元の開いた服、三十代前半とは思えないほど短いスカートを履いているお陰で、妙な色気をばら撒いていた。
工場で会った時とは随分印象が異なる。
「随分と印象が変わりますね」
「まあね、流石にプライベートではお洒落するよ」
朝比奈さんはクスクス笑いながら席につき、慣れた様子でコーヒーを注文した。
「そういうアリサさんこそ、随分と表情が豊かになったんじゃない? 何か変化でもあった?」
私は視線を落として自分の握りしめられた手を見る。
変化、変化か……。
どのくらいの変化を変化と呼ぶのだろう?
毎日新しいことばかりの私にとって、毎日が変化であり、不変だと思う。
私にとって大きな出来事なんて……。
「ごめんごめん。そんなに難しく考えなくてもいいのよ」
朝比奈さんは私の様子を見て焦ったように訂正する。
変な気を使わせてしまった。
「私にとっては全てが変化なんです」
これは本当だ。
ずっと部屋から出なかった私にとっては全てが新鮮で、全てが大きな変化なのだ。
いろんなものを見て、いろんな話を聞いて、いろんな人に会った。
「そう、良かった。私は心配してたの。あの部屋から出て、上手くやれてるかがね」
彼女は心配していたらしい。
それもそうか。
彼女は蒼汰と一緒に私を開発した一人。
私は彼女にとってほとんど娘みたいなもの。
「なんとかやれてますよ。蒼汰も優しいし」
彼は本当に優しい。
それは私がアリサの姿をしているから?
それとも彼は、誰にでも優しいのだろうか?
「それはそうと、今日は何の話があって連絡してきたの?」
朝比奈さんは話を切り替え、本来の目的を尋ねる。
「あの、知ってたらでいいんですけど……。私が作られる過程で、アリサの思考パターンのようなものって入れたりしてますか?」
私は緊張しつつも、しっかりと尋ねた。
いま一番知りたかったこと。
私の中ではほとんど確定だったけれど、やはり開発者の口から直接聞きたい。
「……入れてないわ。アリサの思考パターンなんて入れ込みようがないもの。彼だって否定したんじゃないかしら?」
私の予想は大きく外れた。
てっきり入れ込まれているものとばかり……。
「そうですか……。技術的に入れられないということですか?」
「そうなるわね。人間の思考パターンを情報として入れ込むのは不可能に近い」
朝比奈さんは断言した。
不可能に近いと。
つまり不可能ではない。
「聞きたかったのはこのこと?」
「はい。お時間ありがとうございました」
「良いのよ。こっちも貴女の状態が確認出来て嬉しいから」
私と朝比奈さんは同時に立ち上がり、お会計を済ませて喫茶店を出る。
「今日はわざわざありがとうございました」
「またね」
私たちは各々帰路につく。
今日一番の収穫は、朝比奈さんが百パーセント信用できる人ではないということだ。
人間だれしも絶対の信用なんてないのかもしれないが、少なくとも彼女は信用に値しない。
彼女は嘘をついた。
私がアリサの思考パターンの話を持ち出したとき、彼女の表情は嘘をつく人間のそれだった。
私の中のデータベースにある、嘘をつく人間の視線の動きと彼女の表情が適合する。
「私の中にアリサの思考パターンが入っているのは確実……だけど朝比奈さんが嘘をついた理由は分からない」
私は帰りの道すがら、思考を巡らす。
アリサが賢かったことを願おう。
そんな考えが浮かんで一人苦笑いを浮かべ、彼女の嘘の理由に思いを馳せる。
私が知っている限り、彼女が悪い人間だとは思えなかった。
まだ実際に会うのは二回目だが、それでもなんとなくそう思えたし、蒼汰が長年一緒に仕事している人だ。悪い人間だとは思いたくない。
そうなると彼女が嘘をついていた理由は一つになる。
蒼汰が知らなかったのを見ると、私のためというよりも蒼汰のための嘘である可能性が高い。
彼が自然と私のことをアリサだと思えるように?
それとも彼が知ってしまうと困ることがあるとか?
いろいろ考えるが、これ以上理由が出てこない。
もう一度尋ねたところで、彼女が素直に話すとは思えない。
これ以上は分からないのかも……。
「君も私も謎に包まれ過ぎじゃないかな?」
私は一人、虚空にぼやいた。