「朱里……」
私はそれ以上言葉が出なかった。
どんな言葉もいまの彼女には届かない。
そんな気がした。
線香花火によって照らされた朱里の表情はどこか寂し気で、その視線は手先の線香花火に注がれたままだった。
「ごめんねアリサ。急にこんなこと言っちゃって」
数秒の沈黙の後、彼女は誤魔化すように声のトーンを上げる。
「あっ！」
誤魔化す方に意識が行き過ぎたのか、線香花火が地面に落ちて消えてしまう。
まるでさっきの彼女の言葉を再現しているようで、背筋がゾッとした。
「朱里、無理しないでいいからさ。私で良かったら聞くからちゃんと話そう？」
私はようやくそう切り出した。
もっと早くこういう風に振舞えたらと思うけど、私には人間としての経験が無さすぎる。
友達が困っている時にかけてあげられる言葉を、私は持っていない。
知識として持ってはいるが、実際に言葉にしようと思うと声が出ないのだ。
「良いのかな？ きっとあんまりいい気分にはならないと思うけど」
「全然気にしない」
私がそう答えると、朱里は次の線香花火に火を灯す。
「この家ってさ、元々はアリサお姉ちゃんたちの家だったんだよね」
滔々と語りだした朱里。
ここが元々はアリサたちの家ってどういう事だろう？
「私の両親が交通事故で死んじゃって、そのまま施設に行くところだったところを、親戚だったアリサお姉ちゃんの両親が引き取ってくれたの。だからここのダイニングテーブルは四人掛け。おじさん、おばさん、アリサお姉ちゃん、私。だけど最後にこの家に残ったのは私だけ」
ああそうか。
妙だとは思っていたんだ。
いくら慕っていた相手とはいえ、親戚のお姉ちゃんの距離感で、あんなにアリサに執着しないだろうって。
ようやく疑問が解けた。
朱里にとってアリサとは、親戚のお姉ちゃんなんかじゃなくて、本当に実の姉のような存在。
そりゃ執着もする。
死んだはずの姉に瓜二つの私を見た時、彼女はどう感じたのだろう？
私を見るたびに、死んでしまったアリサの幻影を見続けることにならないだろうか？
それとも蒼汰のように、私に無意識にでもアリサを求めるだろうか？
「アリサお姉ちゃんは自殺。溺愛していた”一人娘”を失って徐々におじさんとおばさんは弱っていった。私が高校を卒業する頃合いで、まるで私が独り立ちするのを待っていたみたいに二人そろって自殺。この家を私に譲ると遺言まで残して……。親戚の中には私が殺したんじゃないかと疑う人たちもいた。だけど私はそれは違うと言い切れなかった。だっておかしいでしょ？ 生みの親も、育ての親も、全員私を残して死んでいく。そして残ったのはこの大きなお家だけ。まるでカッコウみたいじゃない？」
朱里は自虐っぽく笑う。
いままで見たことのない表情。
「そんなことないよ」
私の出せる精一杯の否定。
だけどそれだけ、伽藍洞な私にはこれ以上語る資格はない。
「そうかな？ ねえ知ってる？ カッコウって他の鳥の巣に卵を産んで、やがて卵から孵った雛鳥は、本来の雛鳥のフリをしながらエサを貰って成長し、やがて自分以外の雛鳥を地面に落として巣を乗っ取るの……。まるでいまの私みたいじゃない？」
否定の言葉が見つからなかった。
だから私は否定をやめることにする。
「それじゃ、カッコウの朱里はこのあとどうしたいの？」
「このあと？」
「そう、このあと。カッコウだって、したくてそんな生き方をしているわけじゃない。そういう生物なんだもん。だからカッコウにもその後がある。朱里にも長い人生が待っている。その長い人生の先で、朱里はどうしたいの？」
彼女の今後の話をしようと思った。
過去は過去。
過去は変えられない。
だからまだ決まっていない未来の話がしたい。
「私か……私は、こんなことを言ったら罰当たりなのかもしれないけど、家族が欲しい。いなくなることのない家族が欲しい！」
沈んでいた彼女の語気に力が籠る。
これが彼女の願い。
彼女の夢。
家族が欲しい。それもいなくなることのない家族。
「それじゃあ彼氏を探して……」
「ねえアリサ」
「うん？」
私のおそらく正しいであろう話は最後まで言えず、朱里が覚悟を決めた目で話を遮る。
一体どうしたのだろう？
ちょっと怖い。
「アリサって、ルイボスティー好きだよね？」
「うん。好きかな」
「パンケーキも好きだよね？」
「大好物！」
「お祭りも花火も？」
「うん。わりかし好きかも」
なんの確認だろう？
私の好きなものを確認して何の意味が？
「あのねアリサ。気を悪くしちゃうと思うんだけど、どうしても聞きたくて今日呼んだの。聞いてくれる？」
朱里は本当に気まずそうな顔で私を見る。
ああ……ずるい。
そんな表情をされたら、たとえ聞きたくなくても聞くしかないじゃない。
「良いよ。私は何を言われても気にしない」
私も負けじと彼女の顔をジッと見る。
朱里は一度深呼吸をして口を開いた。
「アリサがいま好きなもの、全部アリサお姉ちゃんが好きだったものなんだ」
朱里の言葉を聞いて、彼女の言葉を聞いて、私は思考がフリーズする。
私が自分で見つけ出したと思っていた好きなもの。
それらは全部、アリサの好きなもの。
一体どうなっている？
私は自分の芯が熱くなるのを感じる。
嫌な汗が額から滴る。
私って一体……？
「本当なの？」
私は確認する。
にわかには信じられない話だ。
アリサの姿形を真似たから、魂が憑依したとでも？
そんな非現実的なことありえるだろうか？
私は私であって、死んでしまったアリサではない。
蒼汰の恋人であり、朱里のお姉ちゃんであった、みんなに愛されて必要とされていたアリサではない。
「本当だよ。だから私はアリサのことを知れば知るほど、一緒にいればいるほど、苦しくなった。アリサにお姉ちゃんの面影を勝手に重ねて期待して、些細な違いに少しだけがっかりする自分が嫌になっていた。本当にごめんなさい。アリサはアリサであって、お姉ちゃんじゃないのに……」
朱里のこの言葉は本音だと思う。
素直に話してくれた彼女に感謝したい。
それだけ私との関係を大切に思ってくれたのだから。
「別に良いと思う。私は誰かの面影を重ねられることに抵抗はないよ。朱里が私を私としてみようとしてくれていることは凄く嬉しいし、感謝もしている。だけど無理はしないで良いんだよ？ 別に他の人だって、他人に勝手な幻想を抱いて勝手に幻滅とかしてるんだろうし……何も変わらないよ。だからありのままで良いんじゃないかな？」
私も本心を告げる。
いまの関係を壊したくない。
せっかくできた繋がり。
蒼汰以外の人間との繋がり。
私の唯一の友人。
「……ありがとう」
朱里の小さな声は、いつの間にか姿を現していた星空の中に、スーッと溶けて消えていった。
私はそれ以上言葉が出なかった。
どんな言葉もいまの彼女には届かない。
そんな気がした。
線香花火によって照らされた朱里の表情はどこか寂し気で、その視線は手先の線香花火に注がれたままだった。
「ごめんねアリサ。急にこんなこと言っちゃって」
数秒の沈黙の後、彼女は誤魔化すように声のトーンを上げる。
「あっ！」
誤魔化す方に意識が行き過ぎたのか、線香花火が地面に落ちて消えてしまう。
まるでさっきの彼女の言葉を再現しているようで、背筋がゾッとした。
「朱里、無理しないでいいからさ。私で良かったら聞くからちゃんと話そう？」
私はようやくそう切り出した。
もっと早くこういう風に振舞えたらと思うけど、私には人間としての経験が無さすぎる。
友達が困っている時にかけてあげられる言葉を、私は持っていない。
知識として持ってはいるが、実際に言葉にしようと思うと声が出ないのだ。
「良いのかな？ きっとあんまりいい気分にはならないと思うけど」
「全然気にしない」
私がそう答えると、朱里は次の線香花火に火を灯す。
「この家ってさ、元々はアリサお姉ちゃんたちの家だったんだよね」
滔々と語りだした朱里。
ここが元々はアリサたちの家ってどういう事だろう？
「私の両親が交通事故で死んじゃって、そのまま施設に行くところだったところを、親戚だったアリサお姉ちゃんの両親が引き取ってくれたの。だからここのダイニングテーブルは四人掛け。おじさん、おばさん、アリサお姉ちゃん、私。だけど最後にこの家に残ったのは私だけ」
ああそうか。
妙だとは思っていたんだ。
いくら慕っていた相手とはいえ、親戚のお姉ちゃんの距離感で、あんなにアリサに執着しないだろうって。
ようやく疑問が解けた。
朱里にとってアリサとは、親戚のお姉ちゃんなんかじゃなくて、本当に実の姉のような存在。
そりゃ執着もする。
死んだはずの姉に瓜二つの私を見た時、彼女はどう感じたのだろう？
私を見るたびに、死んでしまったアリサの幻影を見続けることにならないだろうか？
それとも蒼汰のように、私に無意識にでもアリサを求めるだろうか？
「アリサお姉ちゃんは自殺。溺愛していた”一人娘”を失って徐々におじさんとおばさんは弱っていった。私が高校を卒業する頃合いで、まるで私が独り立ちするのを待っていたみたいに二人そろって自殺。この家を私に譲ると遺言まで残して……。親戚の中には私が殺したんじゃないかと疑う人たちもいた。だけど私はそれは違うと言い切れなかった。だっておかしいでしょ？ 生みの親も、育ての親も、全員私を残して死んでいく。そして残ったのはこの大きなお家だけ。まるでカッコウみたいじゃない？」
朱里は自虐っぽく笑う。
いままで見たことのない表情。
「そんなことないよ」
私の出せる精一杯の否定。
だけどそれだけ、伽藍洞な私にはこれ以上語る資格はない。
「そうかな？ ねえ知ってる？ カッコウって他の鳥の巣に卵を産んで、やがて卵から孵った雛鳥は、本来の雛鳥のフリをしながらエサを貰って成長し、やがて自分以外の雛鳥を地面に落として巣を乗っ取るの……。まるでいまの私みたいじゃない？」
否定の言葉が見つからなかった。
だから私は否定をやめることにする。
「それじゃ、カッコウの朱里はこのあとどうしたいの？」
「このあと？」
「そう、このあと。カッコウだって、したくてそんな生き方をしているわけじゃない。そういう生物なんだもん。だからカッコウにもその後がある。朱里にも長い人生が待っている。その長い人生の先で、朱里はどうしたいの？」
彼女の今後の話をしようと思った。
過去は過去。
過去は変えられない。
だからまだ決まっていない未来の話がしたい。
「私か……私は、こんなことを言ったら罰当たりなのかもしれないけど、家族が欲しい。いなくなることのない家族が欲しい！」
沈んでいた彼女の語気に力が籠る。
これが彼女の願い。
彼女の夢。
家族が欲しい。それもいなくなることのない家族。
「それじゃあ彼氏を探して……」
「ねえアリサ」
「うん？」
私のおそらく正しいであろう話は最後まで言えず、朱里が覚悟を決めた目で話を遮る。
一体どうしたのだろう？
ちょっと怖い。
「アリサって、ルイボスティー好きだよね？」
「うん。好きかな」
「パンケーキも好きだよね？」
「大好物！」
「お祭りも花火も？」
「うん。わりかし好きかも」
なんの確認だろう？
私の好きなものを確認して何の意味が？
「あのねアリサ。気を悪くしちゃうと思うんだけど、どうしても聞きたくて今日呼んだの。聞いてくれる？」
朱里は本当に気まずそうな顔で私を見る。
ああ……ずるい。
そんな表情をされたら、たとえ聞きたくなくても聞くしかないじゃない。
「良いよ。私は何を言われても気にしない」
私も負けじと彼女の顔をジッと見る。
朱里は一度深呼吸をして口を開いた。
「アリサがいま好きなもの、全部アリサお姉ちゃんが好きだったものなんだ」
朱里の言葉を聞いて、彼女の言葉を聞いて、私は思考がフリーズする。
私が自分で見つけ出したと思っていた好きなもの。
それらは全部、アリサの好きなもの。
一体どうなっている？
私は自分の芯が熱くなるのを感じる。
嫌な汗が額から滴る。
私って一体……？
「本当なの？」
私は確認する。
にわかには信じられない話だ。
アリサの姿形を真似たから、魂が憑依したとでも？
そんな非現実的なことありえるだろうか？
私は私であって、死んでしまったアリサではない。
蒼汰の恋人であり、朱里のお姉ちゃんであった、みんなに愛されて必要とされていたアリサではない。
「本当だよ。だから私はアリサのことを知れば知るほど、一緒にいればいるほど、苦しくなった。アリサにお姉ちゃんの面影を勝手に重ねて期待して、些細な違いに少しだけがっかりする自分が嫌になっていた。本当にごめんなさい。アリサはアリサであって、お姉ちゃんじゃないのに……」
朱里のこの言葉は本音だと思う。
素直に話してくれた彼女に感謝したい。
それだけ私との関係を大切に思ってくれたのだから。
「別に良いと思う。私は誰かの面影を重ねられることに抵抗はないよ。朱里が私を私としてみようとしてくれていることは凄く嬉しいし、感謝もしている。だけど無理はしないで良いんだよ？ 別に他の人だって、他人に勝手な幻想を抱いて勝手に幻滅とかしてるんだろうし……何も変わらないよ。だからありのままで良いんじゃないかな？」
私も本心を告げる。
いまの関係を壊したくない。
せっかくできた繋がり。
蒼汰以外の人間との繋がり。
私の唯一の友人。
「……ありがとう」
朱里の小さな声は、いつの間にか姿を現していた星空の中に、スーッと溶けて消えていった。
