翌日。

「つっかれたぁ……」
「そりゃお前。自分を出すの方向性間違ってんだろ」

 教室にいたらみんなから囲まれる。よそのクラスからも見学が来る。屋上前の踊り場に逃げてきた眞は疲れ切っていた。
 彼にパックのイチゴ牛乳を渡すと、ノロノロした仕草でストローを刺して咥える。しかし、吸うだけの元気はないらしくて、また項垂れてしまう。

「こういう時は素顔からかと思ってさぁ」
「その顔で騒がれないと思ってたならどうかしてる」
「中学までは全然モテの形跡もなかったからぁ、こんな追っかけまわされるとは思わなかったんだよ」

 マスクを外した眞はモデルと言われても納得するほどの美少年で、噂だけじゃなくて本当にイケメンだったと朝から学校中が大騒ぎだった。
 ちなみに中学時代の写真を見せてもらったが、今時どこに売ってるんだよと突っ込みたくなるほどの瓶底黒縁眼鏡で前髪も長め、時節柄マスク姿が多かったのだろうから、加えて元がり勉とくればそりゃその頃はモテなかっただろうよ、と昭は呆れるばかりだ。

「眞って天然だよな、結構の。いや、今考えてみたらnis.が天然だったもんな。ズレてないわけなかったわ」
「なにそれ。おれ天然じゃないってぇ」
「自覚あるのは計算。だから、自覚ない眞は天然」
「え~?」

 ずずず、と飲み物を飲みだした彼にカレーパンを渡す。何も持たずに来た彼は、どうせ昼食を買う余裕もなかったのだろう。このままでは午後はおなかが減ってしまうに違いない。こんなことを見越して余分に買っておいたそれを見た眞は「甘いほうがよかった」などとクレームをつけてくる。

「あるだけありがたいと思え」
「それはそうなんだけど、辛いの苦手」
「あぁ?」
「それちょ~だい」

 昭の手の中にあった齧りかけのウィンナーパンを勝手に持っていくと食べ始める。

「それ、食べかけ……」
「気にしない」
「オレが気にするっつーの」

 と言っても、もう取り返す気にもならない。食べられないと言われたカレーパンを口に運ぼうとすると、じっと昭を見た眞は真面目な顔で言った。

「間接キスになるから?」
「おま……ッ、そういう冗談やめろって! バカなこと言ってんじゃねぇよ」
「だってぇ、いちいちアカリの反応可愛くて面白くてさぁ」
「オモチャにすんな」
「してないよ~?」

 にまにましている眞に、さっきまでの疲れ切った様子はない。少しでも気分転換になったならいいか、と考えながら昼食を終えたところで、突然耳を触られた。

「おゎっ! なんだよ」
「んー? ピアス穴いっぱいあいてる~って思って」
「お前だってあいてるだろ?」
「おれのはマグネットピアスとかノンホールのだから、1個もあいてないよ」

 ほら、とアクセサリーを外された耳たぶには穴はない。
 すりすりと撫でられていると変な気分になってくる。触るな、と振り払えば、頬杖をついた眞は緩やかに笑みを浮かべた。

「それ、学校内で知ってるのきっとおれだけだよね」
「オレがピアスあけてんの?」
「うん。ほんとは、アカリがめっちゃくちゃ格好イイの知ってるのも、おれだけだよね。なんか、優越感」
「褒めてもなんにも出ないぞ」

 真正面から褒められると照れる。赤くなった顔を見られないように顔を背けた昭に、眞はスマホとイヤホンを取り出した。

「これ、次出そうかと思ってるんだけど、感想聞いてもいい?」
「えっ、新曲?」
「あ、カバーだけど」
「聞く」

 耳に流れ込んでくる彼の声はやっぱり気持ち良くて、踊りたくなる。うずうずしている昭を見て「悪くなさそうだね」と眞は笑って。

「あのーさ」

 昭は、前から思っていたことを口にする。

「夏休み中、良かったらコラボ動画、作らねぇ?」
「コラボ?」
「nis.の歌で、オレが踊るの。お前のオリ曲でやりたい」
「っ! いい、の? おれ、全然無名だし、オリジナルのなんて目も当てられない再生数だけど。せっかくのダンス見てもらえなくなるかも……」

 じわりと目を丸くした眞の顔が紅潮していく。やりたい、と応えた声は上擦っていて、彼もこのネタで興奮してくれているのだと伝わってくる。でも、と戸惑いを瞳に浮かべて不安を口にしながらも、その頬の赤さが落ち着くことはない。

「関係ねぇよ。オレが踊りたいんだ」
「あっ、じゃあ……あのね」

 スマホを操作しようとする眞の手は震えている。何度もタップミスをして、小さく舌打ちをしながらやっと開いたファイルを見せてきた。それは、なにかのデモ音源のようだった。

「これ、あのね、あの、実はSakiAイメージして作った曲で、気持ち悪いかなって思って出せてなかったんだけど、おれ、これ、できるならこれで、あ~、えっとアカリが気に入ってくれたらでいいんだけど、できるならこの曲、でっ」
「落ち着けよ」

 くしゃっと頭を撫でて落ち着かせると眞は真っ赤な顔のままごくりと生唾を飲み込んで。

「聞いて、くれる?」

 まだイヤホンを入れたままだった耳に、音が染み込んでくる。
 いつものnis.のそれよりも情熱的なメロディ。力強いリズム。それらを包み込んでいるのはキラキラした光の粒。
 これが自分をイメージしていると言われたら恥ずかしいものがある。が――

「すっげぇ、好き……」
「――っ、よかったぁ。気色悪いって言われたら死ぬところだった」

 息を吞んで昭が聞き終えるのを待っていたらしい眞が大きく息を吸って、吐く。胸を押さえているあたり、ドキドキしながら感想を待っていたのかもしれない。

「言うかよ。イメージって言われるとハズいけど、これ、すげぇ好きだ」
「……踊りたくなる?」
「なる。今すぐにでも、振り付け考えたいくらい」

 笑顔になる昭に、眞はますます顔を赤くして「じゃあ、早く完成させる。完成したら、また聞いて」約束、とまた小指を差し出してきた。

「楽しみだな」
「うん。夏休み、早く来ないかな」
「お前の肌が白くなるまでコラボ動画の撮影はできないけどな?」
「1週間もすれば落ちるから平気」

 教室に戻りながらそんな話をする。

「友達と会うのに白くちゃマズいんじゃないのか?」
「……アカリとの約束の方が大事。まだ、休みの予定とか決めてないから、こっち優先できる」
「いや、友達は大事にしろよ」

 何気なく言えば眞の足が止まる。どうしたのかと振り返れば、彼は拳を握って立ち尽くしていた。話しかけようと口を開くと同時に、眞が珍しく大きな声を出す。

「アカリは! おれを友達だって思ってくれてないの?」
「え、あ、いや……」
「おれは、親友だって思ってるのに」

 その目が潤んでいるように見えて動揺する。彼はどうしたのだろう。ちょっと情緒不安定なのか? 落ち着かせようと近付こうとしたところで、廊下の角を曲がってきた女子に見つかった。

「あーっ! しんくんいたぁ! ねえ写真撮らせて――」
「うわっ!」
「おっ、おい!」

 スマホを構えた女子を前にして、眞は反射的に逃げ出す。その手に、昭の手を握って。

「しんくん待ってよぉ」
「ちょっと、おれ用事あるから!」

 走りながら女子に言った眞の口元が緩んでいる。

 ――こいつ、なに楽しんでるんだ?

 食後に全速ダッシュさせられている昭の横っ腹が痛くなってくる。

「オレを巻き込むなよっ」
「巻き込まれてよ。マブダチでしょ」
「いつから!」
「さっきから!」

 笑いながら教室に駆け込んだ眞は当然のごとく注目を集めていた。その彼がしっかりと手を握って、それどころか肩まで組んで自席に連れていった昭にも好奇心を含んだ視線が送られている。
 普段同じグループではないのだから、周囲が驚くのも理解できる。なんであの二人、と怪訝そうな顔をされると胃が痛くなる。眞とつるんでいる連中なんか、目玉がこぼれるのではないかと思うくらいに大きく目を開いて驚いていたくらいだ。

「お前、覚えてろよ……」

 あんなに誰かからじろじろ見られたことはない。視線だけでこんなに疲れるのか。昼休みの眞よりも疲れ切っている昭は、放課後の教室で机に突っ伏していた。
 その前の席に座った眞は、この時間になるまで逃げ回っていたらしく汗を吹きながらペットボトルのお茶――しかも昭のものを飲んでいる。

「なにがぁ?」

 のんびりした口調の眞に悪いことをしたなどという自覚はないようだ。長い前髪の隙間から彼を睨みつける。

「オレの平穏な学生生活の予定ぶち壊しやがって」
「壊してないよ?」
「お前がトモダチとか宣言しやがるからっ、これで目立たず生きるって目的の達成が難しくなったじゃねぇか」

 自分がどれだけ目立つか自覚があるのか、と詰めると彼はきょとんとして、それから弾かれたように笑い出した。

「あはははっ! そっかぁ、予定狂っちゃったんだ」
「狂った、狂いまくった」
「ってことはさぁ、おれとこれからも学校でも一緒にいてくれるって意味だよね。嬉し~」

 そこまで考えての発言ではなかったが、しかしよく考えれば学校でも一緒に行動するという前提がなければこんな発言は出てこない。彼から距離を取れば人の噂などすぐに消える。しかも夏休みを挟むのだから、あと数日我慢すればいいだけの話だった。ぐっ、と昭は言葉に詰まる。

「うん。責任取るよ。おれから捨てられたなんて噂出ないように、これからもアカリと一緒にいる」
「そうじゃねぇだろ」
「え~。もうマブじゃぁん」

 くふっと笑った眞は小指を差し出し
 ――だから、これからもヨロシクね。
 昭の耳元に囁いた。